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禁断②(ミハエル・シュバルツ視点)

今回の話は一万字超えましたので、お時間のある時にお読み下さい。

2話に分けるか悩みましたが、強行しました、すみません…。


ミハエルとダリヤの友情がメインですが、やはり一部BL表現(告白)が入ります。

前回に引き続き、苦手な方は後書き末尾のあらすじまで飛んで下さい。



「やぁ、ダリヤ。良く来たね」

 ミハエル・シュバルツの前には、傾国と言われる程の美貌を持つ一人の男がいた。

 柔和な笑みを浮かべた彼の名前はダリヤ・カンザナイト。二十五歳となった今もその美貌が失われることはなく、寧ろ男性的な魅力が増したように思えた。

 だが、珍しく公爵家へとやって来た今日の彼は、いつもより少し精彩を欠いた表情をしている。

「本日はお忙しい中時間を取って頂いてありがとうございます」

 耳に響く麗しいダリヤの声。

 だが、いつもよりも硬く聞こえるのはミハエルの気のせいではないだろう。

「先日の件で良い話を聞かせて貰えるのかと思ったけれど、どうやら違うみたいだね」

 ダリヤの妹であるルビー嬢への結婚申込みは断られたばかりだ。

 故に、わざわざ彼が自分に会いに来た理由が分からず、用件が何なのか酷く気になっていた。

 しかも彼はここに来てから終始緊張した様子を隠そうともしない。

 嫌な予感がする。

「まぁ、座ってくれ」

 席を勧めて暫く、ダリヤは何も言わなかった。

 静かに紅茶に口を付ける姿さえも美しいと思いながら、ミハエルも何も言わず、彼の言葉を待つ。

 そして無言が続く室内で、最初に口を開いたのはダリヤの方だった。

「ミハエル様……」

「なんだい?」

「先日、……ユリーナ嬢の日記が見つかりました」

 ダリヤの言葉に無意識に顔が固まった。

 思ってもみなかった用件に、咄嗟に言葉が出て来ない。

 これでは心当りがあると自分で言っているようなものだと気付いた時には既に遅く、ダリヤがミハエルを見ながら悲しそうな顔をするのが分かった。

「………悪いが二人だけにしてくれ」

 何とか絞り出すように言葉を紡ぐと、侍女達が部屋から出て行く。

 そしてゆっくりと閉められた扉を確認したダリヤが、静かに空間遮断魔法を展開した。

 室内に展開されたそれを、ミハエルは無言で眺める。

 魔力を目に集中すれば微かに虹色に見える遮断空壁はいつ見ても綺麗だった。

 それを見ていたら、少しだけ冷静さが戻ってきた。

 とは言っても、もうこの状況で何か隠し事が出来るとは思えない。

 彼が単身で自分の下に来たという事は、もう完全に全てを知った後なのだろう。

「……ユリーナの日記はどこで?」

 ケルビット伯爵はそんな物はないと言っていた。

 もし仮に有ったとしたら、彼なら迷わず処分するか、金を引き出すための脅迫材料に使うだろう。だから、伯爵が嘘を吐いていたとは思えない。

「日記は、ケルビットのタウンハウスで見つかりました」

「タウンハウス?」

「ええ、先日売りに出されたのをうちで買い取りました」

「なぜケルビット伯爵は売りに出したんだい…?」

「貴方が離婚などするからでしょう」

「なるほど……」

 どうやらミハエルは自分で自分の首を絞めてしまったらしい。

 だが、新婚時からカリーナの散財に悩まされた身としては、慰謝料くらい請求しなければ気が収まらなかったのだ。

「見つけたのは君かい?」

「いいえ、弟とアリューシャ様です」

「アリューシャ嬢か……」

 ダリヤ会の副会長を公言するいけ好かない女だ。

 ダリヤへの愛を貫くところは尊敬に値するが、ミハエルとはとことん相容れない存在である。

「君の弟と一緒とは、珍しい組み合わせだ」

「近々結婚する事になりましたので……」

「……アリューシャ嬢と?」

「はい」

 あのダリヤ至上主義の女がダリヤ以外の男と結婚する日がくるとは夢にも思わなかった。

 カンザナイト家の次男がどんな手を使ったのか気になるところだが、気になるのはそれだけではない。

「それで彼女達は、いや、君はどこまで知ってしまったのかな?」

「その前に一つ質問が」

「なんだい?」

「貴方とユリーナ嬢との関係を聞かせて欲しい」

「……元婚約者だが?」

「それだけですか?」

 含みを持たされた問い掛けに、ミハエルは唸った。

 やはり日記にはそれ以上の事も書かれていたらしい。

「彼女はどこまで日記に書いていたんだい?」

「……貴方と血が繋がっていたと書かれていました」

「そうか……」

 今でも思い出す。

 泣き腫らした顔で詰め寄ってきた彼女のことを。

 兄妹だったと、血が繋がっていたと狂ったように喚くユリーナ。

 それでも捨てないで欲しいと懇願する彼女を突き放したのはミハエルだった。

 別に彼女が嫌いだった訳ではない。

 もっと違う時期に話を聞いていれば、もう少し違う関係を築けてはいたと思う。

「彼女が死んだのは僕が彼女を突き放したせいだろうね………。誰でもなく、彼女を死に追いやったのは僕だよ。……そして君は、僕と間違って呪われてしまった」

 彼女の絶望した顔は今でも時々夢に見る。

 ミハエルが共に堕ちていない闇で、今は何を思っているのだろうか。

「ユリーナが亡くなった日、彼女の部屋からカフスを持ち帰ったのは僕だ」

 あの日、ミハエルが駆けつけた時には既に亡くなっていたユリーナ。

 彼女の直ぐ傍に落ちていたカフスを渡してくれたのは寮母だった。

 婚約者であるミハエルの物だと思ったのだろう。

 三つあったカフスのどれが呪いに使われたかは分からなかったけれど、ミハエルが無事だという事は、ダリヤが呪われたのだと直ぐに分かった。

「………君が無事で良かった」

 こればかりは王女殿下にどれだけ頭を下げても足りない。

 あの時彼女がいなければ、ここに今ダリヤはいないだろう。

 神はいるのだと、あの時だけは心の底から感謝した。

「ところでアドリア亡国の呪術本も無事に回収出来たんだろうか?探したんだが見つからなくてね……」

「ええ。日記と共に回収し、クローディア聖下にお渡し致しました。今後、神殿にて厳重に保管してくれるそうです」

「そうか……」

 あれは危険なものだ。

 ダメだと分かっていても抗えない魅力があれにはあった。

「君には本当にすまないことをした……」

 ダリヤが苦しみ、名前を失ったのはミハエルのせいだ。

 だから、本当に無事で良かったと心から思っている。

「ミハエル様……」

「何だい?」

「貴方は…………」

 言い辛そうに言葉を区切り、ダリヤはジッとミハエルを見つめた。

 そして、何かを飲み込みように、ゆっくりと口を閉ざす。

「ダリヤ?」

「貴方は……、心中したいと思うほど俺のことが好きだったのですか?」

 目の前に座った綺麗な男が、ミハエルが一番知られたくなかったことを口にした。

 けれど、不思議と驚きはなかった。

 彼がユリーナの日記を見たと言った時から、何となく聞かれるのではないかと予感していたのだ。

「ユリーナの日記に書いてあったかい?」

 彼女は自分が持ち帰ったカフスがダリヤの物と似ている事には気付いただろう。

 つまり、ミハエルの想い人がダリヤだと彼女は気付いたはずだ。

 ならば日記にその事を書いていても不思議ではない。

「ユリーナ嬢の日記には何も書かれていませんでした。………ただ、貴方が本当に好きな人間は誰なのか?そう弟に聞かれた時、どれだけ考えても俺以外には浮かびませんでした」

「自意識過剰なんじゃないのか、ダリヤ?」

「そうかもしれません。………でも、間違っていないでしょ?」

 憂いを含んだダリヤの眼差しがミハエルを見つめる。

 綺麗な、吸い込まれそうな琥珀の中には顔色の悪いミハエルが写っていた。

 彼の瞳の中に自分がいる。

 こんな状況だと言うのに、そんな些細なことが嬉しいと思うほど、ミハエルは目の前の男がやはり好きだった。

「……間違っていないよ。君の言う通りだ」

 一生、誰にも悟らせるつもりなどなかった。

 出会ってからも、ユリーナが亡くなってからも、ミハエルは友人としてダリヤの傍に居た。

 友人としての距離を絶対に保つ。

 決して彼に権力を誇示して近付かない。

 それがミハエル・シュバルツの意地でもあった。

 けれど、そこまでした意地も、ついに見破られてしまったようだ。

「ミハエルがそこまで俺を想ってくれているとは全く気付かなかった」

 二人でいる時は敬語を止めて欲しいという願いを思い出したのか、言葉を崩したダリヤが大きくため息を吐く。

「ミハエルは、俺とローズの仲を応援してくれていた」

「そうだな…」

「……やっかむ男連中を影で黙らせてくれていたのも知っていた」

「友人を守るのは当然だ」

「……俺も友人だと思っていた」

 悲しい顔でダリヤが目を伏せる。

「ミハエル、どうしてあんな事になったのか全て話してくれないか……?」

「そうだね……。君には聞く権利がある」

 あの日から、ミハエルも、そしてダリヤも悪夢に囚われたままだ。

「君のカフスを拾ったのは偶然だったんだ。その時直ぐに返していれば良かったんだろうけど……」

 同じカフスが欲しくなり、宝石商に作らせたことを話した。

「つまりカフスは全部で三つあったのか?」

「彼女はその全てを僕の物だと思って持って行った。呪術の本と共にね…」

「そしてミハエルを呪うつもりでカフスを使ったという事か……」

「そういう事だ」

 三分の一という確率でダリヤの物を使ってしまったのは神の采配としか思えない。

 お蔭で、ミハエルもダリヤも死なずに済んだ。

「ダリヤ、誤解がないように言っておくが、僕は君と心中がしたかった訳じゃない」

「ミハエル……」

「正直に言えば、君のカフスを拾ってから一度も考えなかったと言えば嘘になる。けれど、やはりそれは違うだろう?死んだからと言って君の心が手に入る訳ではない。それならば、友人として君と共にいる方が僕には最良だったんだ。……それに僕は、自分が贅沢を甘受できるのは領民あってのものと思っている。貴族の矜持をもって、責務を放棄することだけは……、それだけはどうしても出来なかった」

 ユリーナとミハエルの大きな違いはそれだけだ。

 ミハエルには自分の気持ちよりも大きな背負う物があった。

 それは多分王女殿下も一緒で、そういう意味でもミハエルは責務の一部を放棄したアリューシャ・ベルクルトが嫌いだった。

「だが、僕が直ぐに君へとカフスを返していればこんな事にはならなかったはずだ。本当にすまなかったダリヤ」

 真摯に、貴族としてではなく、一人の友人としてミハエルは精一杯頭を下げた。

 そんなミハエルをダリヤは黙って見つめる。

 そして暫しの沈黙の後、ゆっくりとダリヤは口を開いた。

「………ミハエル、話してくれてありがとう…」

「ダリヤ…」

「また、呪われるのではないかとずっと不安だった。けれど今回呪術の本が見つかったことで対策も出来るし、何より、自分が呪われるほど誰かから想われていた訳じゃないと分かって妙にホッとした。君には悪いけどね…」

「悪いも何も、ユリーナがカフスさえ間違わなければ呪われていたのは間違いなく僕だった。君は巻き添えにあっただけだ。本当にすまない…」

 ミハエルの代わりに苦しんだダリヤには、ただ頭を下げるだけでは足りないだろう。

 それでも、今のミハエルには頭を下げるしか出来ることはなかった。

「……ミハエル」

「なんだい?」

 そろそろ顔も見たくないと叫ばれる頃かもしれない。

 そう思いながら恐る恐る顔を上げれば、彼は不機嫌に眉を寄せて壁を睨んでいた。

「ミハエル、俺は少し怒っているんだ…」

「……まぁ、当然だな。本当にすまなかった。君は完全に僕のとばっちりだ」

「勘違いしないでくれミハエル。俺が怒っているのは君に対してではなくユリーナ嬢に対してだ」

「ダリヤ…」

「君は自分のせいだと謝るが、もし呪いに使われたのがミハエルのカフスだった場合、君は恐らく亡くなっていた」

「そうだろうね……」

 ユリーナと共に深遠の闇に堕ちる。

 恐怖を感じるが、そこまで彼女を追い詰めたのもまたミハエルだった。

 だからこそ、安易に許してくれとは言えない。

「俺は王女殿下や家族のお陰で助かったが、同じような幸運がミハエルを助けたとは思えない」

 あれはエメラルダ王女殿下とクローディア聖下、そしてカンザナイト家当主の書き間違いという類稀なる幸運の数々が連鎖した結果だ。

 ミハエルも一応防呪の魔具を付けてはいるが、所詮は魅了防止や軽い呪術対策だと聞いている。術者本人の命が対価となる狂愛の呪い相手では、どこまで効果があったか分からない。

 呪われたのがミハエルだった場合、恐らく死ぬことになっていただろう。

「………つまり俺は、大切な友人を亡くすことになっていた」

「ダリヤ……」

 大切な友人と、言ってくれた。

 つまり、ミハエルが亡くなれば悲しんでくれると思っていいのだろうか。

「気持ち悪くないのかい……?」

「なにが?」

「……僕が君を好きなことをだ…」

 言葉にするのは勇気がいった。

 けれど、これはミハエルにとってのけじめでもあった。

 気持ち悪いと言われれば潔く彼の前には今後現れないつもりだ。

 覚悟を決めてジッとダリヤを見つめると、彼はその綺麗な柳眉を少しだけ動かしながら小さく息を吐いた。

「……俺を好きだと、愛しているという人間は数多くいる。その殆どが容姿ばかりを褒め、ろくに俺の性格を鑑みることすらしない。……けれどミハエルは違った。こんな事がなければ、俺は一生君の気持ちに気付かなかった。それはつまり……、君が俺にそんな姿を一切見せずに居てくれたからだ。ローズとの恋を応援し、いつもいつも君は決して友人としての距離を崩さなかった」

 そうだ。それこそがミハエルが心に誓った矜持だ。

「戸惑いがないと言えば嘘になる。だけど俺は、それこそが愛ではなく君が友人として俺を見てくれている証拠だと思う」

「……意味がよく分からないんだが、どう違うんだ?」

「例えば俺の容姿がもっと醜かった場合、ミハエルは俺と友人ではないと思うか?」

「……いや、容姿が違えどダリヤはダリヤだ。性格が変わらなければ友人だろう」

「そういう事だ」

「は?」

「要するに、君は俺のこの容姿が多分もの凄く好みなだけだ。つまり、この容姿に愛は感じても、俺の性格には友情しか感じないということだ」

「す、すまないダリヤ、益々意味が……」

「バカなのか?」

「お前、僕は一応公爵だぞ?」

 顔に似合わない直球に、思わず半眼で睨むと、ダリヤが楽しそうに笑う。

「そうそう、ミハエルはそれくらいちょっとお高くとまってるのが似合う」

「……もの凄く不本意なんだが?」

 まるで、学院時代に戻ったような気安い会話に自然と笑みが漏れた。

 公爵家という重圧に押し潰されそうな時も、ダリヤの顔を見るとホッとした。

 身分関係なく日々の下らない話を出来る人間は早々多くはない。

「ミハエル…?」

 気が付けばミハエルは泣いていた。

 ボタボタと無意識に流れる涙が頬を滑り落ちていく。

 止めることなど到底出来なかった。

 ミハエルの気持ちを知ってもなお、友人だと言ってくれた事がとても嬉しかった。

「ミハエルは頭がいいから無駄なことを考え過ぎるんだ。だから、俺を好きだと勘違いする」

「……勘違いじゃないと思うが…」

「じゃあ、俺の容姿が好きだと言ってみてくれ。そうしたら分かる」

 ダリヤの言いたい事が分からなかったが、ミハエルは言われた通りのことを試す。

「ダリヤの容姿が凄く好みで好きだ……」

「…うん」

「綺麗な顔が好きだ、……愛している」

「うん、分かった……」

 泣きながら言葉を溢すミハエルにダリヤは静かに何度も頷いた。

「……ちょっとスッキリしただろ?」

「そうだな……、確かにスッキリした……、うん、…僕はやっぱり君の容姿が好きみたいだ……」

 外見も中身も好きなら、やはりただの好きだと思うのだが、それ以上はミハエルも何も言わなかった。

 事実、口に出した事で、今まで身の内に巣食っていた想いが昇華されたように感じたからだ。

 それに、これはダリヤの優しさだった

 これからもミハエルとダリヤの関係を友人として過ごしていく為の、これは大事な儀式だったのだ。

「悩んでいたのがバカらしくなってきた…」

 そう冗談のように告げれば、ダリヤが口角を上げながら呆れた視線でミハエルを眺める。

「だからバカだと言ったんだ」

「君は本当に容赦がないな、平民のくせに生意気だぞ」

「あはは、そうそうそれ!やっぱりミハエルはそうでなければ!」

 大笑いしていても綺麗な顔に腹を立てながら、ミハエルはダリヤの頭を小突く。

「しかし、アリューシャ嬢には悪い事をした。謝罪しなければ…」

 彼女はユリーナのことを最後まで信じていた。

 七年経った今もなおそこまで信じてくれている友人がいると言うのに、ユリーナがあそこまでの凶行に及んだのはミハエルのせいだ。それは間違いない。

「彼女に謝罪する必要はないよ」

「しかし…」

「被害に遭った俺が言ってるんだ、それでいい…」

「……ダリヤは本当にそれでいいのか。それに、君の家族だって納得しないんじゃ……」

「だが、実際に俺を呪ったのはユリーナ嬢でミハエルじゃない。君が俺に謝る事があるとすれば、それはずっとこの事を七年間も黙っていたことだ」

「ダリヤ……」

 だが、ミハエルがユリーナを傷つけなければ、いや、そもそもあのような本を持っていなければ……

「ミハエル、もしもの時の話をしても仕方ない。彼女が呪うという選択をしたのは、彼女自身の罪だ。………だって、君はしなかった。そうだろ、ミハエル?」

 そうだ。

 どれだけ目の前の現実が辛くても、ミハエルは決してその甘美な誘惑には乗らなかった。

「それこそが君が俺にくれた友情だと思っている……」

 ミハエルの目を見て、そしてダリヤは小さく笑った。

 外見に似合わず、妙に男らしい考え方がミハエルは好きだった。

 そうして思い出す。

 彼に最初に話しかけた時のことを。

 同情と好奇心、そして気の置けない友人を作りたいという希求が確かにそこにはあったのだ。

「ありがとう、ダリヤ……」

 友人だと言ってくれた彼に恥じないように在りたいと思う。

「それから、ずっと黙っていてすまなかった」

 もう一度頭を下げれば、彼が満足するように頷いた。

 やはり彼の顔は綺麗だと思ったけれど、身を焦がすような想いはもうしなかった。

「ミハエル、君からの侘びは確かに受け取った。……悪いと思うなら、今後ともうちの商会を宜しく頼む」

「それはもちろん頼まれなくても。カンザナイト商会との取引は我が公爵家としても無視出来ないほど大きいしね」

「だったら今回の件のお詫びとしてシュバルツ産の絹をもうちょっと安くしてくれるとありがたい」

「それは甘い考えだね、ダリヤ。……でも、取引量の融通なら出来るよ。ルビー嬢の元婚約者のせいだろ?」

「さすがはミハエル…」

 ルビーの元婚約者であるアルビオンの実家トラーノ商会は、絹で一財を築いたと言われるほど、絹に関しては抜きん出た技術を持っている。

 その商会との取引を今回カンザナイト商会は打ち切った。

 当然、絹の取引量は減っているはずだ。

「うちの製糸技術もそこそこ上がっているはずだし、期待には沿えると思うよ」

「助かる。意地を張って打ち切ったのはいいが、正直少しだけ困っていたんだ」

「喜んで貰えて何よりだ。そのついでに、ルビー嬢との結婚を認めてくれると嬉しいんだけどね」

 絹のついでにさらりと告げれば、途端にダリヤが眉を寄せる。

「その……、君がルビーに一目惚れしたというのは本当なのか?」

 今までの話を聞けば信じられないのも無理はないが、ルビーと結婚したいと思うこの気持ちは間違いなく本心だった。

「一目惚れというのは少し大げさだが、彼女と結婚したいのは本当だよ…」

 最初にルビーの存在を意識したのは学院時代の事だった。

 ダリヤに妹がいると聞いてから直ぐに調べさせた。多分、同じ学院の連中のほとんどがそうしている事だろう。

 だが、誰に聞いても、彼女とダリヤは似ていないと評判だった。

 それでも諦められずにこっそりとルビー嬢を見に行った。

 遠目に見た彼女は、ダリヤとは似ても似つかない真っ赤な燃えるような髪をした少女だった。

 顔自体の造詣は悪くなかったが、それはミハエルの求めるものではなかった。

「似てないと、君とは似ていないとずっと思っていたんだ。でも、君の結婚式の時、初めて間近で彼女を見た。……君と同じ琥珀色の瞳に息が止まったよ」

「……ルビーは俺じゃない」

「もちろん分かってるよ。僕だって、彼女を君の身代わりとして求めている訳じゃない」

 ルビー嬢は、ダリヤとローズを見て気落ちしていたミハエルに話し掛けてくれた。

 体調が悪いならどうぞ…と席を用意してくれ、冷たい飲み物を勧めてくれた。

『兄の為に来て頂いてありがとうございます』

『お礼を言われる事ではないよ。僕は友人の、ダリヤの幸せそうな顔を見に来ただけなんだから』

『……貴方のような友人が居て兄は幸せですね。ではそんな貴方にも幸せのお裾分けを』

 そう言って彼女はミハエルの頭の上に小さな花冠を置いた。

 それは平民の中で流行(はや)っている風習で、ただ彼女はゲストをもてなしただけに過ぎない。

『友人思いの優しい貴方に幸せが訪れますように……』

 小さく笑ったルビーは、それだけを言って招待客の渦の中へと戻っていった。

 その後ろ姿を眺めながら、そっと頭に乗せられた花冠を撫でる。

 ミハエルの幸せを願って乗せられたそれに、何故か泣きそうな気持ちになった。

『僕には勿体ないな…………』

 ユリーナを死に追いやり、ダリヤを死の危険に遭わせた男。

 愛してると告げる勇気もなく、友人の振りをして傍にいる男。

 そんな自分にこんな綺麗な花冠は似合わないと思った。

 けれどそれと同時に、こんな自分でさえも幸せになってもいいんだと言われた気がして、嬉しくて堪らなかった。

 それからはずっとルビーを見ていた。

 ダリヤとは似ていない少女。

 けれど、彼に良く似た琥珀色の瞳が、ミハエルの心を捉えて離さなかった。

 もっと彼女と話がしたい。

 そう思ってしまった。

「ルビー嬢は私の救いの女神なんだ…」

 あの時の出会いが無ければ、ミハエルはもっと壊れていただろう。

 だが、彼女と会話をしたことで、ミハエルは確かに救われた。

 ダリヤを好きなことを止められないのならば、彼女が言った『友達思いの優しい人間』になろうと思ったのだ。

「ミハエル……」

 単純だと笑われてもいい。

 けれど彼女のお陰で、ミハエルはずっとダリヤと友人のままでいられた。

 愛を乞うのではなく、友人として生涯を共に過ごしたいと思えるようになったのだ。

「結婚さえしていなければと、何度思ったことか………」

 ルビーにはずっと傍に居て欲しいと思ったが、当時のミハエルは既にカリーナと結婚していた。

 亡くなったユリーナの代わりであり、これ以上ユリーナの件でダリヤへ難癖を付けないという条件での結婚だった。

 だというのに、彼女はろくに公爵家の妻としての仕事はせず、愛人と遊び歩く日々。それだけならまだ許せたが、家の資産にまで手を付け始めたので離婚した。

 ルビー嬢の婚約破棄が切っ掛けになったとはいえ、遅かれ早かれ離婚は秒読みだったのだ。

 だが、カリーナと離婚したことで七年前のことが(おおやけ)になるのは誤算だった。

 カリーナが公爵家から宝石を持ち出したのは知っていたが、まさか片方だけしかないダリヤのカフスまで持ち出すなんて思わなかったのだ。

「もう結婚はこりごりだと言いたいが、僕には跡継ぎとしての義務がある。だから次に結婚をするなら、僕はルビー嬢がいい。身を焦がすような愛があるとは言わないけれど、彼女となら温かな家庭を築けそうな気がするんだ。だからダリヤ、ルビー嬢の件は真剣に考えてくれると嬉しい」

「……ミハエルがちゃんとルビーを想って申し込んでくれているのなら問題はないんだ。だが……」

 ミハエルの気持ちを否定はしないものの、ダリヤの顔は余り乗り気では無さそうだった。

「サフィリア君か?」

「まぁ、そういう事だ。でも何よりもルビーの気持ちが優先だから、ミハエルがルビーを直接口説くのを止めることはしない」

「そうは言うが、彼女は今王都にいないじゃないか……」

「頑張ってくれミハエル。この件に関して俺は関与しない事にしてるんだ。……正直、考えれば考えるほど胃に穴が空きそうだ。ただでさえ忙しいのに、エルはアリューシャ嬢と結婚すると言い出すし、ルビーはルビーで読書サロンを開くと言い出すし……、うちの弟と妹は俺を過労死させる気なんだ…っ」

 そうして、目が回るほど忙しいと散々愚痴りながら、ダリヤは帰って行った。

 お互いに笑顔で話を終えられたことが、ただただ嬉しかった。

「また来てくれダリヤ」

「ええ。またゆっくり話しましょう」

 家人がいるせいか、容姿に似合う丁寧な言葉と共に帰っていくダリヤに小さな笑いが込み上げる。

 やはりミハエルはダリヤが好きだと思った。

 けれど、もう彼の姿を見て焦燥に駆られることはない。

 ユリーナが亡くなって七年、ようやくミハエルは彼を完全に諦める事が出来た。





「さて、どうやってルビー嬢を口説いたものかな……」

 ダリヤが帰ってから、定期的に受け取っているルビーに関する報告を見て対策を考える。

 ダリヤは諦めさせるつもりで自分で口説けと言ったのだろうが、ミハエルは絶対に引くつもりはない。

 結婚するなら、彼女以外はもう考えられないのだ。

 だが、状況は極めて不利だった。

 彼女の傍には従兄であるサフィリアがいる。

 その上、彼女と同級生だったステフィアーノ・マルチスタが動いているという情報もあった。

 ダリヤではないが、確かに頭が痛い問題だ。

 更には少しだけ気になる情報もミハエルは得ていた。

 彼女の元婚約者であるアルビオン・トラーノのことだ。

 ルビーと別れた彼は今、その愛の相手であるミレーユと共に暮らしているという。

 ただし、その生活はかなり苦しいという話だった。

 今はまだ真実の愛とやらに酔ってはいても、その熱が冷めた時、彼は一体どうするのだろう。

 別れたルビーに縋りはしないだろうか。

「そもそも、彼はどうしてルビー嬢ではなくミレーユ嬢を選んだのか……」

 家柄一つ見ても、ミレーユがルビーに勝っているとは思えない。

 容姿も性格も悪くないルビーを捨て、結婚式の三日前に浮気相手に走るその心理がミハエルには理解出来なかった。

「まるで禁断の果実のようだ……」

 手にある物では満足出来ず、更にと腕を伸ばした先にあるもの。

 人を傷付けてまで食べた真実の愛という名の禁断の果実は、さぞかし美味しかったに違いない。

 けれど食べ終えた先にあるのは、禁忌を犯したという現実だけだ。

 その現実に向かい合った時、彼がどのような結論を出すのか、ミハエルには分からない。

 ただ、ルビーが傷付かないようにと願うだけだ。

「それじゃあ、僕もそろそろ出かける準備をしよう」

 ダリヤは、ルビーと結婚したいなら直接口説けと言った。

 ならば、ミハエルは実行するのみだ。

 ルビーが行商から帰ってくるのを待つ必要はない。

 追いかければいいだけだ。

 もう、ミハエルを縛るユリーナの慟哭もダリヤへの愛執(あいしゅう)も何もない。

「ルビー嬢への最初の挨拶は何がいいかな……」

 そんな事を考えながら、報告書を閉じる。

 誰かと過ごす明日を考えられる事がとても嬉しかった。

 ダリヤへの恋を自覚してから約八年、今日は久しぶりに良く眠れそうだ。




賛否両論色々あるかと思いますが、これにて過去の呪い編は終了です。

この話は同性愛が入るので書くかどうか物凄く迷いましたが、タイトルのテーマ通り、これも真実の愛の一つだと思って入れました。

BL好きな方からすればこんなのBLじゃねぇ!と怒られるレベルだと思うのですが、苦手な方には大変申し訳ないと思います。(注意喚起の為にBLタグをつけました)



■BL苦手勢の為のあらすじ

時間軸は現在に戻ります。

ユリーナの日記が見つかったと、ダリヤから訪問を受けるミハエル。

血が繋がっていること、呪いは本来ミハエルが受ける物だったこと、そしてダリヤを好きなことがバレてしまう。

だが、ダリヤはミハエルの気持ちは友情が拗れたものだと推測。

また、ミハエルがルビーに一目惚れしたのは本当であり、今は昔ほどダリヤに情愛を抱いていないことを話す。

二人はそのまま友人関係を継続。

ルビーとの結婚は、ルビー本人の気持ち次第であるという事で落ち着く。

→以降は次回への布石が入りますので、宜しければ最後の30行程だけでもお読み頂ければと思います。

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― 新着の感想 ―
ダリヤの生まれ持った性格と美貌ゆえの諦念、それにより磨かれた心の美しさが冴え渡る回でした。ミハエルもよく耐えましたね。二人の友情に拍手を贈りたいです。
[一言] ミハエルの愛はBLというよりはブロマンスな感じと思ったのは私だけかな?
[一言] ミハエルもスティアーノもそれぞれの形でルビーを愛しているのですね。 でもルビーはたった一人…サフィリア頑張れ! マジ頑張れ!! 私はサフィリア推しなので応援してます^ - ^
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