黄金②(エルグランド視点)
引き続きエルグランド視点ですが、過去から現代に話は戻ってます。
嫌なことがあれば自棄酒をするのは血筋なのかもしれない。
二日酔いで辛いと書かれていたルビーの手紙を読んで、苦い学院時代の事を思い出した。
あの頃の自分は若かったと思う。
アリューシャを諦めるしかないと思い込んでいた。
だが、彼女が婚約者と別れた時点でもっと何か方法があったのではないかと今なら思う。
「まぁ、今更言っても仕方ないか…」
ルビーの婚約破棄からこっち、目まぐるしい速度で何かが動き始めている。
エルグランドの与り知らぬところで何かが動いているのは確かだ。
その何かが動いた結果、エルグランドに廻ってきた機会。
必然なのか一遇なのかは分からないが、この幸運を逃すほどエルグランドは馬鹿ではない。
アリューシャを手に入れるための布石は既に打った。
後は、この手にアリューシャが落ちてくるのを待つだけだ。
「よし…っ」
大きな門の前で気合を入れる。
ここは王都にあるベルクルト家のタウンハウスだ。
昨夜遅くに王都へとやって来たアリューシャに会うため、エルグランドはここまでやってきていた。
名目は一応、手に入れたケルビット邸を見に行くためである。
「ようこそおいで下さいました、エルグランド様」
「お邪魔します」
知己となった執事に客間へと案内されると、既に前当主であるベルクルト卿が座って待っていた。
簡単な挨拶を交わし、アリューシャがやってくるのを待つ。
「エルグランド、久しぶりね」
少し遅れてやってきたアリューシャは、挨拶をすると同時に目を細めた。
呼んでもいない自分の父親が、のんびりとお茶を飲んでいたからだ。
「どうしてお父様までここにいるのかしら?」
「この屋敷の主である私が居て何かまずいのか?」
「お父様には関係ない話ですので、席を外して頂けると助かりますわ」
少しだけ困ったように言うアリューシャを意に介さず、ベルクルト卿は小さく微笑んだまま、アリューシャへと席を勧めた。
動く様子のない父を見て、アリューシャは諦めたような顔でソファーに腰を下ろした。
「お前、ケルビットの屋敷を買い取ったそうだな。あんな物どうするんだ?」
「確かめたいことがあるだけですわ。確認が終われば直ぐにまた売りに出す予定ですし、お父様が使いたいのでしたらそのままに致しますが?」
「そうか、まぁその件はお前の好きにしなさい」
「はい」
苦言を呈されるかと身構えていたアリューシャを他所に、ベルクルト卿はあっさりとその話を終わらせた。
それに、一瞬だけ違和感を覚えた様子のアリューシャだったが、ベルクルト卿の話はここからがメインとなる。
当然それはエルグランドにも係わることだ。
「あ~、ところでアリューシャ…」
「なんでしょう?」
「お前に結婚相手を勧めようと思ってな」
「はぁ?何ですって?」
ベルクルト卿が結婚と口にした瞬間、アリューシャの纏う空気が変わった。
鋭い眼光でスッと父親へと射抜くような視線を向け、眉間に皺を寄せながら口角を上げる。
「成果を出せばわたくしの好きにさせるというお言葉は嘘でしたの?」
ゆら~りと室内の温度が上がった気がする。
アリューシャは余り魔法が得意ではなかったはずだと心の中で必死に思い出しながら、娘から怒りの視線を一身に浴びているベルクルト卿に視線を向けた。
瞬間、少し困ったような、いや、額に汗を滲ませた顔色の悪いベルクルト卿が、助けを求めるようにエルグランドを見た。
一瞬だけ無視したい心境に駆られた。だが、この話は無関係どころか思い切り関係者に当たるので、頑張って助け舟を出す。
「アリューシャ様、良かったら俺の話を聞いてくれませんか?」
「エルグランド?」
「ベルクルト卿はもちろん貴女の意志を尊重しておられます。卿がこのような話をされたのは、俺が頼んだからです」
「貴方が?」
アリューシャがダリヤを愛していると何よりも知っているだろうエルグランドが持ってきた話。
それが分かったのか、アリューシャの眉間が更に寄せられた。
しかしそれだけに、この話がただの結婚話ではないと直ぐに分かったのだろう。
「………話とは?」
暫くの間が空いたけれど、彼女はそれでも無視せずに話を聞く姿勢をとった。
それに安堵しながら、どう切り出すかエルグランドは頭を悩ませる。
口説き文句は沢山考えた。彼女の利点になることも沢山用意してある。
だからこそ、どこから攻めるのが得策なのか、アリューシャを見ながら思考を巡らせた。
しかし………
「やめた……、何か俺らしくねぇな…」
そんな回りくどいやり方は自分らしくない。
それにきっと、そんな気持ちで紡いだ言葉は嘘くさく聞こえるだろう。
「はっきり言うことに決めましたアリューシャ様」
「そ、そう……」
訝しげな表情で自分を見つめるアリューシャ。
そんな彼女を見つめ、エルグランドはゆっくりと立ち上がった。
そして、ソファーに座る彼女の傍で跪く。
「…エルグランド?」
困惑する彼女をジッと見つめ、エルグランドはその細く綺麗な手を取って口づけた。
「アリューシャ様、好きです、結婚して下さい」
告白とは明瞭で簡潔なのがいいとエルグランドは思う。
何故なら、それが一番自分の気持ちを表していると思うからだ。
三日前、ダリヤからアリューシャがやってくると聞いてから、エルグランドは早速王都にあるベルクルト邸へと手紙を出した。
宛先人はアリューシャの父であるベルクルト前伯爵だ。
彼は領地をアリューシャに任せ、王都で社交に励んでいた。
そんな彼がアリューシャの結婚を諦めていないと教えてくれたのはサフィリアだった。
サフィリアへの養子の話は驚いたが、それ以上に驚いたのは執事達の策略だ。
執事の単独とは思えないので、恐らく王都にいるベルクルト卿の指示なのだろう。
つまり、ベルクルト卿はサフィリアが夫でも構わないと判断したという事だった。
豪商の息子で金が有るとはいえ平民のサフィリア。
そんなサフィリアとエルグランドの違いと言えば、ベルクルトの血が少し流れているかいないかだけだ。
だがそれは養子に必要な条件であって、婿に必要な条件ではないはずだった。
そこから考えられる可能性としては、カンザナイト家であれば、正確に言えば、ダリヤと血が繋がっていれば構わないのではないかと思ったのだ。
「いやぁ~、良く来てくれたエルグランド君!」
手紙の返信は直ぐに来た。
むしろ、エルグランドが引くくらいに早く、更には直ぐにでも屋敷まで来て欲しいというものだった。
上機嫌なベルクルト卿に迎えられて話を聞いてみれば、やはりエルグランドの想像した通り、結婚してくれるなら誰でもいいとさえ考えていたようだ。
「と言ってもアリューシャはダリヤ君にしか興味がない。だから、雰囲気が似ているというサフィリア君であれば、アリューシャもその気になるかと思ってね」
「平民のカンザナイト家でも本当に問題はないのですか?」
「叙爵の話、私が知らないとでも?」
カンザナイト家の叙爵は、貴族社会においては公然の秘密というやつなのだそうである。
貴族って…と思わない訳ではないが、アリューシャとの婚姻において妨げにならないのであれば歓迎すべきことだった。
「男爵家の次男であれば、親戚筋も納得する。いや、私がさせてみせる」
「頼りにしてます」
「ただ問題はアリューシャだ……」
ソファーに座り、エルグランドとベルクルト卿は同じように頭を抱えた。
「当然無理強いは出来ない。つまり…」
「俺が口説くしかないという訳ですね?」
「そういうことだ」
ベルクルト卿の眼光が増した。
ついでに言えば、傍に立っていた執事と部屋の中に居たメイド達から無言の圧力を感じる。
「勝算はあるのかね、エルグランド君」
「しょ、勝算ですか…」
全くない訳ではない。
プライドさえ捨てれば、奥の手はある。
エルグランド自身が嫌われていなければ、頷いてくれる可能性はあった。
それに、アリューシャがエルグランドと結婚することで得られる利点はかなりある。
それでも相手はあのアリューシャ・ベルクルトだ。
ダリヤへの愛を貫くと言われればそれまでであった。
「ベルクルト卿……」
「なんだね?」
「……………もしもの時は骨を拾ってください」
覚悟を持って呟けば、そっと慰めるように肩に手を置かれた。
普通は“お嬢さんを嫁に下さい”と言えば拳が飛んでくるんだけどな……、とちょっとだけ窓の外を見ながら黄昏るエルグランドだ。
だが、身内を味方に付けられたのは僥倖だった。
後はベルクルト卿も言った通り、アリューシャを必死で口説くだけである。
「俺と結婚する利点をまず挙げます」
エルグランドの告白で固まってしまったアリューシャに、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「まず、アリューシャ様が始められる倉庫業において、俺ほど役に立つ男はいません。例えば、洪水や地震などが起きても、俺ならば全ての倉庫を安全に避難させることが出来ます」
言い切ったエルグランドに驚いたのは、何故かアリューシャではなくベルクルト卿だった。
「全部?!倉庫は全部で百三十八棟もあるんだぞ?!」
「俺の魔空間庫ならば可能です。ただし、生き物は収納出来ないという制約はあります。けれどその制約のお陰で、逆に虫やネズミなどの退治も出来ます」
「どういう事かね?」
「一度魔空間庫に仕舞えば、その際に生き物はすべて排除されます」
「なるほど!一度保管し、直ぐに取り出すだけで可能なのだね!」
「はい。引越しも直ぐに出来るでしょう」
何故かアリューシャよりもベルクルト卿が食いついて離さない勢いだった。
「……えっと、アリューシャ様、聞いてます?」
「き、聞いているわ……」
鋭い目つきのまま睨み付けるようにアリューシャは言う。
だが、動揺しているのは明らかだった。
だからと言ってアリューシャが落ち着くのを待っていたら、今度はエルグランドの緊張が持たない気がした。
「俺は諸外国を周っていたお蔭で外国語が堪能です。他の勉強は余り自信がありませんが、語学に関しては自信があります。また、酒の鑑定眼も持っています」
「す、素晴らしい!」
又しても何故かアリューシャではなくベルクルト卿が目を輝かせている。
だが、肝心のアリューシャは固まったままでろくな反応がない。
「アリューシャ様、本当に聞いてくれてます?」
「だから、聞いていると言ってるじゃない…」
先ほどよりもマシな反応にホッと息を吐けば、ようやく頭まで血が回るようになったらしいアリューシャが、ジッとエルグランドを睨みつけてくる。
「お父様まで味方につけて何を考えているの?」
「もちろんアリューシャ様のことですが…」
素直に言えば、益々アリューシャの眉間の皺が深くなった。
「貴方は当然わたくしがダリヤ様を愛している事を知っているわよね?」
「はい…」
「自分の兄を愛する妻を本気で望むというの、エルグランド?」
彼女の、ダリヤへの愛は変わらない。
出会ってから十年近く経っているというのに、アリューシャの兄への愛は深まるだけで薄まる事はないのだろう。
けれど、エルグランドがその事で悩むことはない。
そんな事は問題ではないのだ。
「貴女が兄を愛しているのは知っている。だけど、俺はそれで構わない」
貴族らしい言葉使いは封印する。
そんな気を回している余裕は、今はない。
「俺は、兄を愛している貴女もアリューシャという女性を構成する要素だと思っている」
「…何が言いたいの?」
「ぶっちゃけると、兄を愛している貴女がいいということだ」
「は?」
「もちろん兄より俺を愛してくれると嬉しい。けれど俺は、兄を想う貴女が好きでもある」
今でも思い出す。
兄がローズとの結婚を決めた時、人気のない裏庭で号泣していた彼女のことを。
その姿を見た時に感じた、仄暗い感情。
もしかしたらこれでダリヤではなくエルグランドを見てくれるかもしれないと思ったのは事実だ。
だが、数日後に見た彼女には息を呑んだ。
婚約者とも別れ、生涯ダリヤだけを愛し抜くと誓った彼女をあれほど美しいと思った事はなかった。
「俺は、兄のことが好きだしとても尊敬している」
「エルグランド?」
「だから、貴女が兄を好きで居てくれることは純粋に嬉しい」
「……うそでしょ?」
「何故そう思うんだ?」
「だって…」
言葉を濁す彼女の言いたいことは分かる。
誰だって、自分だけを見て欲しいと思うのは当然だと思う。
エルグランドだって、これが兄ではなく違う男だった場合、こんな想いにはならなかっただろう。
「……アリューシャ、ここまで言ってくれる男性は今後絶対に出てこないぞ」
「そうですよ、お嬢様」
エルグランドを擁護する父や執事に、アリューシャが初めて困ったように苦笑を浮かべた。
今までなら反発するだけのアリューシャの困惑。
それを察したメイドからエルグランドに合図が送られた。
追い討ちを掛けるなら今だというのだ。
「アリューシャ様、アニキと親戚になりたくはねぇか?」
「し、親戚?」
「ああ。そうすれば、季節の行事や何かの祝い事も親戚として一緒に過ごせるぜ?」
アリューシャの瞳が大きく揺れたのをエルグランドは見逃さなかった。
「あと、俺とアニキは似てねぇけど、ハッキリ血が繋がってる」
「そ、それくらいは分かっていてよ」
「つまり、俺と結婚すればアニキのような子どもが生まれる可能性がある」
「ダ、ダリヤ様のような、こ、子ども………?」
アリューシャは気付いたのだ。
エルグランドの子ども、つまりはダリヤの血が混じる子どもであることに。
「ちなみに、小さいころはこんな感じ」
言いながら魔空間庫から幼少期のダリヤの姿絵を取り出した。
「ふぁ?!」
目にした瞬間、アリューシャが壊れたように呻いた。
その様子をにんまりと見つめ、エルグランドは次々とダリヤの姿絵を並べていく。
「これが一歳のころ、こっちが三歳でこっちが……」
天使と称され、呼んでもいない画家が連日家に押しかけて来た結果、我が家の蔵には幼少期のダリヤの姿絵が大量にあった。
ヨチヨチ歩きの天使の頃から半ズボンを履いた美少年の姿まで、ズラズラとアリューシャの前に並べれば、彼女は瞬きを忘れたようにそれを見つめる。
「アニキ似の可愛い子ども、欲しくない?」
悪魔のような囁きに、アリューシャが震える声で小さく首を振る。
「で、でも…、ローズとのお子様はローズ似だし…」
甥っ子達はアリューシャが言うようにローズ似だった。
エルグランドからすればそれでも目に入れても痛くないほど可愛いのだが、ダリヤのような人外級ではない。
「でも、可能性はゼロじゃないよな?」
ダリヤの容姿自体が奇跡に近い確率でパーツを構成された結果だ。
ならば同じ血を引くエルグランドの元で再度奇跡が起きても不思議ではない。
「……だけど俺も無理強いはしたくない」
言いながら、アリューシャの前に並べていたダリヤの姿絵を一枚一枚ゆっくりと魔空間庫へと仕舞っていく。
一枚消える度にアリューシャが絶望したような視線をエルグランドへ向けるが、エルグランドは涼しい顔でそれらを仕舞っていった。
「……エ、エルグランド、それらを売ってはくれないかしら……?」
「残念ながら家族にしか見せないシキタリで…」
「そんな…」
「あぁでも…、俺と結婚してくれるなら今出した全部はアリューシャ様にあげるぜ」
満面の笑みを浮かべるダリヤの姿絵を片手に囁けば、アリューシャが唇を震わせながらエルグランドを見つめる。
その視線を受け止めながら、エルグランドは自分の勝利を確信して微笑んだ。
「……さぁ、どうするアリューシャ様?」
後に、誰に聞いても悪魔のようだったと言われる笑みを浮かべ、エルグランドはアリューシャを追い詰めた。
「ほ、本当にダリヤ様を愛しているわたくしでもいいの?」
「もちろん。俺はその事を含めて、貴女を愛している」
「エルグランド……」
「まだ見ぬ黄金郷より、目の前に詰まれた金塊より、俺はアリューシャ・ベルクルトという黄金が欲しい」
彼女の美しい金色の髪を一房取り、小さく口づける。
「結婚してくれ、アリューシャ。幸せにする。……いや、一緒に幸せになろう…」
言いながら彼女の目の前にダリヤの姿絵を積んでいく。
一枚一枚増えていくそれに、アリューシャの目は釘づけだった。
そして……
アリューシャはついに小さく頷いた。
『何という悪魔のような手腕……』
『エルグランド様はお嬢様のことを良く御存知だわ……』
部屋に居た全員が感心したようにエルグランドを見つめた。
そしてベルクルト卿は、優秀な婿を得た事に歓喜したという。