その頃王都では
次兄エルグランド視点です
「話ってなに?」
兄が呼んでいると従業員に言われ、エルグランドは兄ダリヤの執務室へとやって来ていた。
勝手知ったるとばかりにノックもなく扉を開ければ、兄は優雅な様子で何かの書類を読んでいる。まるで宗教画に出てくる神の遣いのようだな…と感心しながら、目の前のソファーへと腰を下ろした。
「ケルビット邸が手に入った。明後日にアリューシャ様が王都へ来られるらしいから、お前が付き添え」
「……俺でいいのか?」
「俺に行けと?」
微妙な顔で眉を寄せる兄に、エルグランドも小さく苦笑を漏らす。
「取り敢えず了解。明後日は空けておく」
「頼む。……それと、エルは確かカーディナル卿のお孫さんとは同級生だったよな?」
「あんま喋ったことねぇけど」
彼は教室ではいつも本ばかり読んでいたように思う。
勉強の時以外は学院中をウロウロしていたエルグランドとは余り接点がなかった。
「例の読書サロンの件だが、王都での連絡係りはお孫さんになるそうだから、エルが担当してくれるか?」
「確か、御大のじいさんは古本市の方が終わるまで動けないんだったか?」
「どうもカーディナル卿はかなり楽しみにしてくれているらしくてな。お孫さんが恐縮しながら連絡をくれた」
カーディナル卿は妻を亡くしてから塞ぎ込みがちだったらしく、収集していた本を売りに出すと聞いた時は家族で心配したようだ。
だが、突然息子宛に読書サロンの件で手紙を送ってきてからは、精力的に活動し始めて安堵していると言う。
『久しぶりにイキイキしている祖父を見ました。資金援助は惜しみませんので、祖父の好きなようにさせてやってはくれませんか』
そう言ってわざわざ連絡をくれた孫は、張り切っている祖父の様子に喜んでいるようだった。
カーディナルと言えば古くから続く侯爵家だ。
その侯爵家の後援が貰えるなら、読書サロンは間違いなく繁盛するだろう。
ただし、その分失敗出来ない重圧もある。
また、貴族と平民が混在するサロンの形態をどうするのかが問題になってくるだろう。
「そういや例の屋敷の裏が売りに出されてたんだけど、どうする?」
「どうするも何も、もう押さえてるんだろ?」
タイミングが良いことに、ちょうど裏庭を挟んだ裏の屋敷が手放された。
ダリヤに確認する前だったが、エルグランドの一存で押さえてある。
「貴族が出張ってくるなら、やっぱり住み分けは必要だしな」
それに、サロンの隣に本屋を併設しようと思っているので、あの屋敷だけでは手狭だったのだ。
「ところでエル…」
「なに?」
「……この読書サロン、マルチスタ家が係わって来そうなことは覚えているよな?」
「あ~~……、確かステフィアーノ様だっけか?」
「ああ。その彼からルビーへの結婚の申し込みがあった。ちなみに二度目だ」
疲れたような兄の顔に思わず同情した。
ダリヤの時に比べればまだまだ少ないが、連日届くルビーへの見合い話にかなり神経を擦り減らしているようだ。
「…初めて父の苦労が分かった気がする…」
「例の定型文で断っとけよ」
「それはもう断った。だが、今後サロンの件で係わることが増えるとそうも行かない」
「確かにな…」
これはもうサフィリアには気合を入れて頑張って貰わないと困るというものだ。
「という訳でお前もここに書きこめ」
そう言ってダリヤが手渡したのは数枚に渡るサフィリア宛ての手紙だった。
さっさと俺の平穏の為にルビーを口説き落とせ!と三枚に渡り延々と脅している。
更にそこへエルグランドも書き足せと言う。疲れている兄は容赦がない。
サフィリアに若干同情を覚えつつ、エルグランドは“頑張れよ…”と小さく追記した。
「ってあれ?カリーナ嬢の離婚理由って分かったのか?」
手紙を読み進めていくと、懸念していたカリーナ・ケルビットの離婚理由が書かれていた。
貴族の醜聞になるので、調べるのには時間が掛かると思っていたが、どうやら優秀な兄には簡単なことだったようだ。
「原因は浮気か…」
「複数の愛人とのな」
「でも、貴族ともなればお互いに愛人が居ても不思議じゃねぇだろ?」
政略結婚の弊害なのか、跡継ぎの子どもさえ出来れば後はお互いに恋愛を楽しもうという風潮がある。
平民には分からない感覚だが、お互いに納得済みであれば他人がとやかく言うことではない。
「結婚して六年、子どもが居なかったことも原因の一つだ……」
そこでもう一度大きくため息を吐いた兄は、机の引き出しから一枚の紙をエルグランドへと向けた。
「結婚の申し込み……?」
しかし、その申込人の名前が問題だった。
「シュ、シュバルツ公爵?」
有り得ないほどの高位貴族の名前に愕然と目を見張る。
侯爵家のステフィアーノからの申し込みにも驚いたが、彼はまだルビーと級友だったという背景があるし次男だ。
しかし今度の相手は公爵家、しかも当主本人である。
「何でまた公爵家が…」
「彼は俺の友人だ」
「アニキの?」
「ああ。そして、カリーナ嬢の前夫だ」
「は?」
思わずポカンと口を開けたまま兄を見ると、ダリヤは眉間に深い皺を寄せて唸った。
「どうやら彼はルビーに結婚を申し込むためにカリーナ嬢と別れたようだ」
「え、ちょ、ちょっと待って…っ」
わざわざルビーと結婚する為に別れたという事は、カリーナ嬢の離婚理由はルビーにも遠因があるという事だ。
「カリーナ嬢の浮気に関しては以前から苦々しく思っていたようだ。だからいい機会だと思ったようだな」
「しかしだからってルビーに…っ」
「一目惚れだそうだ」
「は?」
「俺の結婚式の時に一目惚れしたそうだが、彼はその時既に結婚していたので諦めたらしい。しかしルビーが破談になったと聞いて我慢出来なくなったという話だった」
公爵自らが昨日やって来て、ダリヤに説明したらしい。
ダリヤの同級生だという彼は、カンザナイト家のことを良く知っている。
見合い話だけを持っていくだけでは受け入れて貰えないと思ったのか、わざわざ先触れまで出した上で訪問してきた。
「父さんと俺の困惑が分かるか?」
心の底からその場に居なくて良かったと思った。
「愛人でもなく妻として迎えたいと言われた上、身分違いだと言おうにも、彼は叙爵の件も知っていた。再婚だし、男爵の娘なら問題ないという話だ」
断る口実を悉く潰されている事に、向こうの本気が見える。
「彼は平民の俺にも気さくに話をしてくれる好人物だ」
人間性にも問題がなく、更にはカンザナイト商会にとっても良いお得意様という事である。
「それ、もの凄く断り辛いやつじゃん……」
サフィリア宛の手紙が延々と三枚にもなった気持ちが凄くよく分かった。
エルグランドも更に付け足しておこうと思う。
「そ、それでどうしたんだ?」
「断った」
「すげぇ…」
「胃に穴が空くかと思った…」
だが公爵が諦めた様子は全くなかったそうだ。
むしろ断られるのは想定済みの様子だった。
ルビーが今王都に居なくて本当に良かったと思う。
「こうやって考えると、アルビオンの奴っていい防波堤だったんだな」
今度街で擦れ違っても睨まないでいてやろうと、優しい気持ちになった。
だが、ダリヤは逆だったようだ。
「あいつのせいで俺は過労死しそうだよ」
「あ~、そんなアニキに朗報?いや、胃のことを考えると悲報かな?」
「……なんだ?」
「俺、結婚するかも?」
「は?」
目を見開いて固まるダリヤ。
間抜けに見えるそんな仕草でさえ、ダリヤがやると綺麗に見えるから不思議だ。
「お、お前いつから…、いや、付き合ってる人がいるなら、別に構わないが…」
「いや、まだ付き合ってねぇよ」
「どういう事だ?」
「これから口説こうと思って」
エルグランドには以前から想う相手がいた。
けれど身分差を含め色々な要因があり、正直に言えば諦めていた。
だが、先日届いたサフィリアの手紙を読んで考えが変わった。
「本気で行くから、迷惑掛けるかも」
「いや、お前が本気なら俺は止めない。むしろ応援しよう」
「そう言って貰えると助かる」
「相手は俺の知ってる人か?」
「もちろん。むしろアニキが一番良く知ってるんじゃねぇかな」
名前を告げれば、さすがのダリヤも変な顔をするんじゃないかと思い、エルグランドはにんまりと笑う。
「アリューシャ・ベルクルト」
「………は?」
「俺が好きなのはアリューシャ様だよ」
目を見開くどころか、口を半開きで驚いているダリヤがちょっとだけ面白かった。
しかし、そんな姿でさえ彫像の如き美しさなのだから、アリューシャが惚れるのも仕方ないと思うエルグランドであった。
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