カフスの出処
「今日取れたての野菜だよ!」
「美味しい串焼きはいかがですか!」
ケルビット領最大の街に着いた翌日、早速ルビーとサフィリアは市場へと顔を出していた。
広場には多くの露店があり、沢山の人々が行き交っている。
その広場の一角、割り当てられた場所へと着いた二人は、早速敷布を広げて商売の準備に入る。
クルーガに用意して貰った異国の布やアクセサリーを次々に並べていくと、早速目にした人々が集まり出した。
「綺麗な布ね~」
「ええ、パープライトの特産品です。どうぞ手にとって見て行って下さい」
ルビーがそう言うと、早速とばかりに見ていたご婦人方が布やアクセサリーを手にとった。
「最近中々他の街の商人さんが来てくれないから嬉しいわ~」
「ホント!久しぶりに外からの商人を見たわ」
彼女達が言うように、この広場にいるのはこの街の住人がほとんどのように見えた。
それもそのはず。
久しぶりにこの街に来たが、市場への出店料が以前の倍になっていたのだ。
これでは行商人や異国の商人が避けるのも無理はない。
「お買い上げありがとうございました」
外国の布が珍しいのか、商品は飛ぶように売れた。
その間、お客との世間話で仕入れた情報は二つある。
一つは税金が上がったこと。
この市場の出店料もそうだが、領全体で税金が上がっているらしい。
良く良く見れば、市場の露店も以前は所狭しと店がひしめきあっていたのに、今はかなり隙間が目立っている状態だ。
その為か以前ほど活気もなく、街全体が少し寂しい印象を受けた。
二つ目は、領主の令嬢が離縁して戻ってきたことだ。
「ユリーナ様の妹さんってことよね?」
「ああ。確かエル兄さんと同じ年の令嬢がいたはずだ」
離婚理由は明かされていないらしいが、時期は三週間ほど前という話だった。
ちょうどルビーの婚約破棄の後くらいになる。
「それ以来、更に市場の出店料が上がったようだよ」
サフィリアが近くの露天商に話を聞いたところ、先月まではまだもう少しマシだったらしい。
つまり考えられる事は、有責で離縁された為に慰謝料を請求されているという事だ。
「王都のタウンハウスを売りに出したのも金策の為かもしれないな」
アリューシャから押さえて欲しいと頼まれた王都のケルビット邸は、昨日から売買交渉に入っている。
カンザナイトやアリューシャの名前では断られる可能性もあった為、義姉ローズの実家であるパイライト子爵家の名前で購入予定だ。
「カフスが売りに出されたのもそれが原因かしら?」
「ケルビット伯爵が持っていたという証拠もないし、安易に結び付けない方がいいと思うよ」
「それもそうね…」
お屋敷に潜り込めれば、少しは情報が得られるかもしれない。だが、空間魔法しか使えない身では直ぐに見つかるだろう。
「地道な聞き込みしかないのかな…」
「でも、余り聞き込んでもまずい」
優秀な使用人の耳に入れば、一気に警戒される。
「取り敢えずもう一日様子を見てみよう」
もう少し離縁の情報を集めようと決め、店じまいをする。
「おや、もう帰るのかい?」
「ええ。売り物が少なくなったので…」
「食事をして帰ろうと思うのですが、どこか良いお店を知りませんか?」
隣の露天商に地元の人が集まる店がいいと言えば、よく利用する定食屋を教えてくれる。
「ありがとうございます」
露天商の男性に礼をいい、地元民で賑わうという店へと足を向ける。
その店は露店の集まる広場から少し離れた住宅街の中にあるようだ。
「あっ、サフィにぃ…、えっとサフィ……」
うっかり兄と言いそうになって慌てて訂正する。間違うと、少し悲しそうな顔をするのがサフィリアのずるいところだ。
その内慣れるのだろうが、今はまだ少しだけ恥ずかしい。
「どうしたの、ルビー?」
「えっと、少しだけ宝石を扱う店に行きたいんだけど…」
「そう言えばケルビットは翡翠が有名だったよね」
「アリスには世話になったから、何かあればと思って…」
今回の婚約破棄で貴族の取りまとめ役を買って出てくれたのはアリステラだった。
お蔭で、参列予定者だけでなく、級友達にも連絡が早く回ったのだ。
カンザナイト家としての御礼は父がきちんとしてくれているが、個人的にも御礼をしたいと思っていた。
しかしアリステラは余り高価な物は受け取ってくれないので、土産として渡そうと思っている。
「加工技術が上がって、かなり細かな装飾が出来るようになったと聞いたの」
「じゃあ少し行ってみようか」
ここから中心街の方に行けば、服飾関係の店が連なった通りがある。
そこに、この街で一番大きな宝石商があった。
一階は庶民向け、二階が貴族向けとなっている店で、気軽に買える値段の物が揃っているので、旅行客にも人気だ。
「可愛いのが結構あるわ」
「へぇ、確かにこれはかなり細かい細工だ」
ルビーの隣で根付を見ていたサフィリアも気に入ったようで、かなり真剣に吟味している。
値段は以前より少しだけ高くなったように感じるが、細工の技術が上がっているので問題ない。むしろ税金が上がっている事を考えれば安い方だろう。
店員と値段交渉を始めたサフィリアに断りを入れ、ルビーもお土産の吟味に入る。
ネックレスも可愛いが、髪飾りの方が気軽に着けて貰えそうだ。花の形に加工された髪飾りに決め、店員に包んで貰う。
そこでふとサフィリアを探すと、彼は奥の部屋へと案内されたと聞いた。どうやら大量に買い付けることにしたらしい。
「お連れ様もどうぞ」
店員に案内され、奥へと続く扉を開けると、途端に二階へと続く階段から金切り声が聞こえた。
「売れないってどういう事よ!私は領主の娘よ!」
「…で、ですが、メルビス様から売らないようにと……」
「だからこのブローチと交換しなさいと言ってるんでしょ!」
「しかし…っ」
「……もういいわ!こんな店二度と来ないから!」
乱暴に扉を開閉する音が聞こえると同時に、バタバタと複数の足音が降りてくる。
従業員の誘導でそっと廊下の隅に移動すると、派手なドレスを着た女性と侍女や護衛と思しき三人が降りてきた。
怒りに顔を赤く染める派手な女性と疲れた表情の付き人達。
廊下の隅で従業員のように息を潜めながら、ルビーは付き従っていた三人の顔に目を向ける。彼らはルビーには気付かずに店を慌しく出て行った。
「えっと、今のはご領主のお嬢様…?」
「カリーナ様です。先日から頻繁にお越しになって頂くのですが……」
「メルビス様というのは確か次期ご領主様ですよね?」
「はい。妹であるカリーナ様の散財にご苦労されているようで、この辺りの宝飾店には売らないようにとお達しが来ています」
「……それは大変ですね」
「お客様もお気をつけ下さい。宝飾品を扱っておられるなら、お声が掛かるかもしれません」
「でも、私達が扱う物を貴族のご令嬢が気に入るとは思えないのですが…」
今回サフィリアが購入予定の物も、どちらかといえば庶民向けのものだ。
しかし店の従業員は困ったように首を振る。
「購入ではなく、古い宝飾品を高く買い取るように言われるのです」
「買取、ですか…?」
「もしくは先ほどのように交換を要求されます」
彼女が持参する物はそれなりに品質が良いそうなのだが、一つの宝石で三つのアクセサリーとの交換を要求してくるそうだ。
「先日など、カフスボタン一つを置いて、そのままネックレスを着けたまま店を出られようとして大変でした……」
「……カフスボタン…?」
「ええ。使われていたダイヤはかなり良い物のようでしたが片方だけで………」
「そ、その話詳しく聞かせて頂けないでしょうか?!」
躊躇する従業員を連れて強引にサフィリアと合流し、商談をしていた店主も巻き込んで事情を説明した。
と言っても、呪いのことを正直に話すつもりはない。少々の嘘を織り交ぜつつ、あくまでも探しているカフスボタンがあると告げる。
「兄が以前盗まれたカフスを探しているのです」
「盗まれた…?」
「盗んだ人間はもう捕まっているのですが、カフスは売られた後だったので、ずっと探しているんです。もちろん現在の持ち主からは正当に買い取るつもりですので、何か情報を御存知であれば教えて頂けないでしょうか?」
言いながら、サフィリアは自分が身に着けていたカフスを手に取った。
「兄の物はこの部分がダイヤになっています」
祖父が贈ったカフスボタンは兄弟全員が同じデザインの物で、サフィリアのカフスにはダイヤの代わりにサファイアが使われている。
亡き祖母が考案した意匠で作られており、カンザナイト家以外に同じ物を持っている人間はいない。と言っても、そこまで奇抜な意匠ではないので、良く似た物は存在する。
「……似てると思います」
「ああ、じっくり見た訳ではないが確かにこのような物だったと思う」
結局この店での受け取りを拒否した為、その後カリーナがどうしたかは彼らも知らないらしい。
ただ、翌日にはネックレス購入費用を用立てて来た事から、誰かに売ったのではないかという話だった。
「この界隈じゃ誰も買取はしないと思うので、個人か、もしくは外国からの行商人に売ったんじゃないでしょうか」
「なるほど…」
それが廻り廻ってアリューシャの元へと来た可能性は高かった。
ここまでくれば偶然の一致とは思えない。つまり、あのカフスボタンはカリーナが売ったとみて間違いないだろう。
後は、王都に送ったカフスボタンを先代聖女クローディアに確認して貰えば、少しは何かが分かるはずだ。
「貴重なお話をありがとうございます。亡き祖母との思い出の品なので、諦めずに探そうと思います。もちろん、カリーナ様のお話は他言しませんのでご安心下さい」
言いながら、サフィリアは話をしてくれた二人へと金貨を握らせる。
客の個人情報を話して貰ったのだから、それ相応の対価は必要だ。
「では、私達はこれで…」
用意して貰った品を受け取り、ルビー達は店を後にした。
一度宿に戻って情報を整理する必要がある。
「ケルビットに来たかいがあったわね」
「そうだね…。けど、何かが引っかかる…」
上手く情報が手に入ったと喜ぶルビーとは反対に、サフィリアは難しい顔をしたまま何かを考え込んでいた。
「この七年何の動きもなかったのに、ここ一月ほどで急にケルビット伯爵に動きがあったのはおかしくないか?」
「それは、カリーナ様の離縁が原因じゃないの?」
「そこが妙に引っかかるんだよ」
そもそも貴族は余程のことがない限り離縁はしない。
特に政略結婚であればあるほど、結婚とは契約に近いからだ。
「彼女の離婚理由、調べて貰おう……」
もしかしたら何か新しい発見があるかもしれないと言ったサフィリアは、宿に戻ると急いで手紙を書き始めた。
それを横目で見つつ、ルビーも今日の成果を確認する。
エルグランドの購入してきた外国の布は非常に評判が良かった。
情報収集の為だけに立ち寄った市場だったが売上は上々だ。情報も無事に手に入ったし、商品も粗方無くなったので、このままクルーガ達を追うのが良いだろう。
「ところで、サフィ…」
「なんだい?」
「どうして私達、同じ部屋なの?」
「どうしてって、家族なんだから当然だろ?」
「いや、そうなんだけど…」
昨日は疲れていたので何も疑問に思わず同じ部屋で泊まったのだが、良く良く考えれば、自分を好きだと言っている男と同じ部屋というのも如何なものかと思うのだ。
「別に着替えを覗いたりしてないよ」
「いや、うん、そういう事じゃなく……」
一人部屋を二つ取れば良かったのではないかと言えば、サフィリアが小さくため息を吐いた。
「ルビー、さすがに若い女性が一人で宿に泊まるのはお薦め出来ないよ。部屋に鍵が掛かると言っても、従業員は鍵を持ってるからね」
「そっか…」
「男と同室なら安全だから我慢して。……もちろん寝込みを襲ったりしないから」
「そこはもちろん信用してるんだけど…」
「じゃあ何が問題?」
確かに何の問題もない気がする。
ただ、何となく気持ち的にルビーが落ち着かないだけだ。
しかし、下心なんて微塵も感じさせない不思議そうな顔で尋ねられると、さすがに意識している自分がおかしいような気がしてくる。
「………問題ないです」
「じゃあ、この話はここまでにしよう。あっ、手紙書き終わったからご飯を食べに行こうか?」
頷くと、上機嫌のサフィリアがルビーの手を取って歩き出した。
「サフィ…」
繋いだ手に視線を向ければ、サフィリアが小さく苦笑を漏らした。
「ダメ?」
お願いするように言われ、グっと言葉に詰まる。
嫌かと聞かれれば、嫌じゃない。
小さな頃からずっと一緒だったから、寧ろ手を繋ぐと安心する。
これが腰に手を回されたとなれば拒否しただろうが、手を繋ぐだけに留める辺りがサフィリアのずるいところだ。
「……なんか、ずるい…」
「男はずるい生き物なんだよ」
にこにこと、邪気の無さそうな顔で言われた。
でも、やはり手を振り解くという選択肢は出てこない。
黙ったままジッと繋いだ手を見つめていると、サフィリアはそのまま再び歩き出した。
「ルビーの好きな魚料理を食べに行こう」
サフィリアに手を引かれながら、黙って付いていく。
いつもこうやってサフィリアとはよく手を繋いでいた。
ルビーが引っ張っていくことも多々あったと思う。
その頃から色々な事が変わったけれど、手から伝わるぬくもりだけは変わらない気がする。
やっぱりサフィリアの傍は安心する。
その安心感は、アルビオンには無かったものだ。
彼といる時、どちらかというとルビーが色々と引っ張っていく方だったと思う。
アルビオンと過ごす日々は凄く楽しかった。
けれど、余り甘えることは出来なかった。
多分、アルビオンはずっとそこが気になっていたのかもしれない。
頼って欲しいと言われた事が何度かある。
その度に、平気だと、兄達がいるからと言っていたのはルビーだ。
今思えば、少しくらい彼に頼っても良かったのだ。
家族じゃないからと遠慮した。
その結果彼は、自分を頼って甘えてくれるような彼女を妻にした。
未練がある訳ではないが、やはりルビーは可愛げがないと自覚せざるを得ない。
「ルビー……?」
急に俯いたルビーをサフィリアが心配そうに見つめる。
「ごめん、何でもない…」
「手、離そうか?」
「……えっと、違うの…、ちょっと昔を思い出してただけだから…」
慌てて弁解すると、サフィリアは少しだけ悲しそうな顔でルビーの頭をゆっくりと撫でた。
多分、サフィリアはルビーが何を思い出しているのか分かったのだろう。
悲しそうな顔で優しくルビーを慰めるその手が妙に辛い。
こんな顔をさせたかった訳じゃない。
これはルビーが悪い。
……悪いのだが、感情という物はそれなりに厄介で、自分の思い通りにならないのが常だ。
前を向くと決めたのに、何かの折につけ、アルビオンと過ごした思い出が甦ったりする。
良い思い出を忘れる事の、何と難しいことか…。
「ん~~~~~~、なんか悔しいっ」
「ルビー?」
「今日は飲もう、サフィ!」
「それはもちろん賛成だけど…」
「いっぱい飲んで、嫌なことはパァーと忘れよ!」
そうだ、それがいい。
自力で忘れられないならお酒の力を借りてもいいと思うのだ。
「……ほどほどにね?」
サフィリアはそう忠告してくれたが、それは聞けない相談だった。
今日みたいな日は飲むに限るのだ。