愚者③
いつもより長くなったので、お時間ある時にどうぞ
「確かキャロルさんでしたっけ、元婚約者って?」
「ああ…、俺の後釜になった年上の婚約者も気に入らないと言って伯爵家を出奔したものの、数日後には資金が尽きたと言って戻ってきた女の名前ならそうだな…」
ステフィアーノとの婚約破棄後、怒った両親によって新たな婚約者を見つけられた彼女だったが、やはりその相手も気に入らずに同じような事を仕出かしたのだ。
「なんじゃ?その真実の愛とやらの相手とは婚約せなんだのか?」
「外見だけの男爵家次男に領地は任せられないと伯爵は判断したのでしょう。」
賢明な判断だったと言えるが、彼女のその後の行動を制御出来なかったのは頂けない。
「二度目の婚約破棄後は確か、やっぱり真実の愛は貴方だったとか言ってステフ様に縋って来てましたよね?」
「一体幾つ彼女の中に真実の愛があったのか……」
「ホントですよね…」
そんな昔話をしながら、ルビー達は『真実の愛』なる本を読み進めていく。
ちなみに、この外国語で書かれた本は短編集になっており、中には四つの話が納められていた。
一つ目は、政略結婚の相手から逃げるため、平民の庭師と駆け落ちした伯爵令嬢の話だった。
愛があるなら身分なんて関係ないと言って、手に手をとって逃げるところで物語は終わっている。
「伯爵令嬢に庶民の暮らしが出来ると本気で思ってるんでしょうかね?」
「全くだ。私の元婚約者はたった十日で挫折したぞ……」
「でも、彼女の真実の愛のお相手は男爵家の方ですよね?お金はあったのでは?」
「何でも家の金に手を付けてまで彼女に貢いでいたようだ。親にバレて勘当された途端彼女に捨てられたらしい」
「あらあらっ、真実の愛とかあれだけ言っていたのに?」
「彼女は恋愛をしている自分に酔っていただけなのだろう」
「だからって、破談になったステフ様のところに舞い戻ってくるとか、普通の神経をしていれば出来ませんよね……」
十日後に戻ってはきたものの、当然二人目の婚約者とも破談になった。
ステフィアーノの時とは違い二度目は出奔までしているため、当然彼女の貞操は疑われた。こうなったらもう貴族へ嫁ぐのは無理だ。
幸い妹の婚約者が優秀だったことから、伯爵は妹を後継者に指名する。
恋愛に溺れた結果、彼女は後継者の地位も貴族としての結婚も捨てる事になったのだ。
そこで大人しく反省していれば裕福な平民との結婚もあったかもしれないのに、何故かキャロル嬢はステフィアーノに復縁を求めてきた。
『本当に愛していたのは貴方だけなの!あなたこそが私の真実の愛だったのよ!』
そう叫ぶ彼女にAクラス一同ドン引きしたのは言うまでもない。
だが、話はそれだけで終わらず、彼女は『真実の愛』を無意味に叫んではステフィアーノに付き纏い始めたのだ。
「……そ、それでお前さんは大丈夫じゃったのか?」
ルビーとステフィアーノの話を戦々恐々と聞いていたカーディナル卿が、気遣わしげな視線を投げてくる。
「ええ、あの後彼女のご両親が学院を退学させて、ようやく解放されました」
「そうか、難儀じゃったの……」
「いえ、過ぎたことですから…」
修道院に入ったとか外国に行ったとか色々な噂を耳にしたが、結局彼女がその後どうなったのかルビーは知らない。
「まぁ、私の話はこの辺にして、次の話を読みませんか?」
言いながら、ステフィアーノは本のページをめくっていく。
「次の話も中々に面白そうですよ」
今度は平民の話だった。
とある男が交際していた女性と喧嘩別れしたものの、ずっと忘れられないという話だ。
ここまでは良くある失恋話である。
「女の子は、彼とは違う男性とお付き合いして結婚するんですね…」
それもまた人生だと読み進めていくと、そこからは驚くべき話の展開を見せた。
「ちょっと待って下さい!だからって結婚式場から花嫁を連れ出したのですか?」
「ああ。誓いの儀式の寸前に『ちょっと待った!』と飛び入り参加し、そのまま呆然とする周りを無視して花嫁を攫って逃げたようだな。ちなみに、女性も喜んで付いて行った」
無理矢理連れ去った訳ではないので、女性の方も男性を忘れられなかったのだろう。
「……その後が気になるのぉ」
カーディナル卿が言うように、そんな所業を仕出かして大丈夫だったのか気になるところだ。
だが、残念ながら物語はそこで終わっている。
教会に一人残された新郎を思うとやるせない気持ちになってくる。
何が真実の愛なのかと、この作者に問いたい。
「えっと、次の話に行きましょう」
そう言って今度はルビーがページをめくると、カーディナル卿が興味津々といった様子で本を覗き込む。
「……なになに?幼馴染みとやっぱり結婚したいから、政略結婚の一週間前に婚約を破棄とな?……ありえんじゃろう?」
あらすじを読んだカーディナルはそう笑ったが、これと良く似た話が最近あったばかりだ。
「確かカンザナイトは三日前だったか?」
「ええ…、真実の愛を見つけたそうですよ」
カーディナル卿が笑顔のままで固まった。
「まぁ、私の場合は政略結婚じゃないですし、浮気相手も幼馴染みじゃなかったんですけどね……、ホント、真実の愛って何なんでしょうかね?」
ため息を吐いたルビーに、何とか驚愕状態から脱したカーディナルが慰めを口にする。
「……嬢ちゃん、元気を出しなされ……」
「ありがとうございます…」
アルビオンのことはもう吹っ切れたのだが、どうにも“真実の愛”と聞くと平静でいられない。
「所有者のわしが言うのもなんじゃが、この本、違う角度から読み込むとここまで恐ろしいものなんじゃな……」
恐ろしいのはルビー達の話のせいなので若干申し訳なかった。
「では最後の話を読むとしよう…」
四つ目の話は失恋話だった。
二話目と同様、また突拍子もない展開が待っているのかと読み進めれば、途中までは極々普通の話だった。
「相手の男性を忘れるためにおまじないをするって中々にいじらしいですね」
だが、この辺りから徐々に物語の様相が変化していく。
「相手の持ち物に血を垂らす……って、これは本当にまじないなのか?呪いじゃないのか?」
「いや、そもそも相手の持ち物はまずいじゃろう…。窃盗じゃぞ」
そして最後にはまじないの成果もなく男を忘れられなかった彼女は、相手の男性を刺して自分も死んでしまうのだ。
「こ、こわ……ッ」
「おいっ、これは恋物語じゃなかったのか?!」
作者は一体何を思ってこの話を書いたのだろう。この作者とは膝を突き合わせて語り合いたいものだ。
「ところでステフ様、貴方キャロル様からいらない恨みを買ってませんか?」
「怖いことを言うなカンザナイト!」
「うちの商会でシャツの下に着込める薄手の防具を売ってますから、検討して下さいね」
「だから、怖いことを言うなと言ってる…」
しかしこの中で一番刺される危険が高いのはステフィアーノである。
兄のダリヤだって、見知らぬ女性の旦那に間男扱いされていきなり殴られた経験があるくらいだ。身に覚えのある痴情の縺れで刺される事があっても不思議ではない。
「君の兄と一緒にするな」
「でも、気をつけておいて損はないですよ」
物が無くなったら要注意だと言えば、ステフィアーノは苦い顔をしながらもその時は直ぐに買いに行くと言った。
そんな彼をからかいつつ本を閉じる。
だが、先ほど最後の話を読んでから、妙にルビーには気になる事があった。
好きな相手の持ち物にまじないを掛ける描写。
それが妙に引っかかる。
本の描写では、大粒の真珠のタイピンだったことから、人魚の恋という悲恋童話が元になっているように思うのだが、どうにも兄の呪いの件が頭にこびりついて離れないのだ。
「……カーディナル卿、もし良かったらこの本も譲って頂けないですか?」
「お前さん、こんな怖い本をもしやサロンに置くつもりか?」
「いえ、個人的な趣味で…」
言ってから後悔した。
二人の顔が驚愕に変わったからだ。
「………元婚約者に送り付けるのは止めておけよ?」
「どんな嫌がらせですかそれ?!」
ちょっとそれもいいかと思ったが、あくまでも兄の呪いについて調べている一環だと言えば、二人もようやく納得してくれた。
そこにちょうどルビー達の本を集め終わった侍従がやってくる。
「所定の場所に送ることも可能じゃがどうする?」
「私は魔空間庫持ちなので自分で持って帰ります。魔法制御の腕輪は外しても大丈夫ですか?」
「ああ、もう構わんよ」
「おぬしはどうする?」
「私の分は王都にある屋敷までお願いします」
「分かった。手配しよう」
そうして、ルビー達はカーディナルに礼を言って倉庫を後にした。
読書サロンに関しては、ルビーの行商が終わり次第話を詰めることになっている。カーディナルもこの古本市が終わるまでは身動きが取れないというので、ちょうど良いという話だった。
忙しいダリヤには悪いが、店舗の物件だけは早々に押さえて欲しいとお願いする予定だ。
「実に有意義な買い物だったな」
「ステフ様、連れて来てくれてありがとうございます」
「私の方も楽しかった。……ところでカンザナイトはこの後予定があるのか?無ければ食事でもどうだ?」
「そうですね…」
見れば徐々に陽が傾き始めている。商会を出たのが昼過ぎだったので、かなりの時間を倉庫で過ごしていたようだ。
出来ればステフィアーノと昔話に興じたいところだが、さすがに一度帰らないとまずい。それに、明日の出発のことを考えれば止めておいた方が良いだろう。
「実は明日の朝が早くて…」
そう言い掛けた瞬間、ガシリと肩を掴まれた。
「ルビー!」
「えっ、あれ?サフィ兄さん?」
「どこにいたんだ?!探したんだぞ!」
「ご、ごめんなさいっ!」
振り向くと、急いで駆けつけて来たらしく、肩で息をしているサフィリアが居た。
「倉庫街に行ったって聞いたから様子を見に来たのに、どんなに探しても居ないから心配してたんだ……っ」
「本当にごめんなさい…っ、そこの倉庫で古本市をしてたから、ずっとその中に居て…」
「もしかしてカーディナル卿の?でも、招待状がないと入れないって…」
どうやらサフィリアは一度倉庫にも来ていたらしい。
「えっと実は、ステフィアーノ様に偶然会って連れてきて貰ったの」
学院時代の級友だと説明すると、最初は訝しげな表情でステフィアーノを見ていたサフィリアが、慌てて姿勢を正した。
「ご挨拶が遅れました。従兄のサフィリア・カンザナイトと申します」
「ステフィアーノ・マルチスタだ。連絡もなく彼女を連れ回して悪かった」
「いえ、こちらこそルビーが大変お世話になりました。挨拶も無く取り乱してしまって申し訳ありません」
「いや、姿が見えないなら心配するのも仕方ない。……では、カンザナイト。食事は今度にしよう。また王都に帰ったら知らせてくれ。サロンの話は是非私も噛ませて欲しい」
「分かりましたステフ様。帰ったら連絡しますね」
「ああ。楽しみにしている」
軽く手をあげ、ステフィアーノはそのままルビー達とは別の方向へと歩いていった。
その後ろ姿を見送り、ルビーはサフィリアの様子を窺う。
すると何故かサフィリアは少しだけ厳しい視線でステフィアーノの背中を見つめていた。
「ルビー、彼が言ってたサロンの話って何?」
「ああ、読書のサロンのことよ」
カーディナル卿との話の中で盛り上がり、王都に帰ったらやりたい旨を告げると、途端にサフィリアが大きなため息を漏らす。
「……ダリヤ兄さんは過労死するかもしれないね」
「兄さんなら大丈夫よ、多分……」
否定をしつつも、お願いの手紙と一緒に兄の好きな果物を大量に贈ろうと心に決めた。
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「従兄ね……」
ルビーと別れたステフィアーノは、宿についてから先ほどのことを思い出していた。
射るように自分を見つめた男、カンザナイト家の三男サフィリアの顔は、とても従妹に向けるようなものではなかった。
それに、彼は自分のことを従兄だと名乗った。だが、サフィリアはカンザナイト家当主の養子に入っており、義理とはいえルビーにとっては兄に当たるはずだ。
つまり考えられるのは、彼が養子を抜けたという事である。
「なるほど……、やはりカンザナイト家は一筋縄ではいかないか………」
カンザナイト家の一人娘が婚約者と別れたという話は、直ぐにステフィアーノにも回ってきた。
たかが商会の令嬢の婚約破棄が何故そこまで早く回るのかと事情を知らないものは思うかもしれないが、一部の貴族にとってそれはかなり重要な部類の情報だった。
まず、王族の覚えもめでたい商会の娘が独り身になったことは、低位貴族家の次男や三男にとっては非常に好ましい情報だ。
しかもルビー自身も学院を非常に優秀な成績で卒業した才女である。商売人らしい気の強さはあるが、貴族令嬢と違って我侭も言わない好人物だ。更に学院にて通年Aクラスに在籍していた彼女の人脈は幅広く、それだけでも彼女を妻にする価値は大いにあった。
ルビーの婚約破棄を喜んだ人物は恐らくかなりの数に上るだろう。
特にステフィアーノと同じ元Aクラスの級友達の中には本気でルビーを狙っていた人間も少なくない。
Aクラスの面々で牽制している間に他のクラスにいた元婚約者に奪われた際は、悔しさに涙を流した人物は一人や二人ではなかった。
だからこそ、ルビーが独り身になったと知って我先にと見合いを持ちかけた人物は数人いる。
しかしカンザナイト家からの返答は、どこの貴族に対しても同じ物ばかりだった。
『娘はこの度のことで傷心中であり、今はまだ婚姻について考えられる状態ではありません。彼女の心の平穏の為にも、暫くは見守り頂きたく存じます』
もっと丁寧な言い回しだったが、ステフィアーノの元にもそのような返事が戻ってきていた。
そう……、ステフィアーノもまたルビーに結婚を申し込んだ内の一人だ。
だが今日のルビーの様子を見る限り、彼女には話すら行ってなさそうだった。
『う~ん、俺はステフとルビーがくっ付いてくれると嬉しいけど、あそこは兄ちゃんが怖いから協力は多分無理だと思う……』
ロイドにルビーとの仲を取り持って欲しいと連絡した時に言われた言葉を思い出す。
言われた時はあの有名なルビーの兄ダリヤのことだと思ったが、どうやらそれはステフィアーノの思い違いだったようだ。
「あんなに怖い番犬が付いてるなんて聞いてないぞ、ロイド…」
サフィリアの顔を思い出すだけでため息が出る。
あんな伏兵がいるなんて想定外だ。
「どうしたものかな…」
貴族らしく圧力をかける事は可能だ。
だが、そんな圧力でどうにかなるような家でないのは、長兄ダリヤの件で貴族中が知るところである。
それに、ステフィアーノは政略結婚がしたい訳ではない。
お互いを尊重し合える夫婦になりたいのだ。
「私も恋愛至上主義者になろうとはな……」
これは、キャロルのように学院時代に恋愛を楽しんでいた人間達のことを揶揄する呼び名だ。
当時は貴族として有り得ないと思っていたが、今では少しだけキャロルの気持ちが分かるようになっていた。
政略結婚など無意味だと、平民のロイドやルビーを見ていつしか思うようになっていたからだ。
特にルビーとアルビオンの仲睦まじい様子には憧れを抱いていた。
まさかこんな事になるとは夢にも思わなかったが、彼女が別れたと知って真っ先に思った事は、自分がアルビオンの位置に立ちたいという想いだった。
けれど、ライバルが多くて嫌になる。
先ほどの従兄だけでなく、複数の級友達も彼女を狙っている。
更には、とある公爵子息が彼女を狙っているという噂もあった。
公爵家がまさか?!とは誰もが思っているようだが、跡継ぎでないなら可能性もある。
だからと言ってステフィアーノも諦めることは出来ない。
「真実の愛か……」
誰にも話してはいないが、その後のキャロルがどうなったのかステフィアーノは知っていた。
学院を退学になった彼女は、そのまま修道院へと送られた。これ以上の醜聞を恐れた伯爵の判断だ。
それでも、数年大人しくしていれば伯爵は彼女を修道院から出すつもりだったようだ。
だが、そんな親心など知らず、彼女は修道院からも出奔した。
出入りの商人と駆け落ちしたのだ。
その後は直ぐにその男との関係も破綻し、借金の末に娼館に売られたと聞いている。
結局彼女は最後まで恋愛という呪縛から逃れられず、それで全てを失った。
愚かだと思う。
けれど、こうやって自分が誰かを想うようになって気付いたこともある。
恋は人を愚かにさせるのだ。
愚かなほどに周りが見えなくなるのが恋なのだろう。
「真実の愛とは、愚者の言い訳なのかもしれないな……」
自分が今後どれだけ愚かになっていくのか、それはステフィアーノにも誰にも分からなかった。
感想、誤字脱字報告ありがとうございますm(_ _)m