愚者②(ステフィアーノ視点)
「はぁ?!私が浮気ですか?!」
一週間経っても伯爵家からは何の連絡もなく、どうやって彼女との婚約を破談にしようかと思いあぐねていた時、父から婚約のことで呼び出された。
話を聞けば、伯爵家から婚約破棄の連絡が有ったというのだ。
ようやくか…と喜んだのも束の間、破談の原因はステフィアーノの浮気だと相手は言ってきた。
その上、慰謝料まで求めてきたというのだから思わず叫んでしまった。
「ふざけるのも大概にして下さい!」
思わず父にそう怒鳴ると、父が困ったように眉間に皺を寄せる。
「す、すみません…、父上が悪いわけではないのに、頭に血が上りました……」
「いや、お前の怒りも尤もだ。私も初めて書面を読んだ時は思わず机を叩いてしまったからな……」
父の言葉に、侍従が頷くのが見えた。
「しかしどうしたものか…」
どうやらキャロルはステフィアーノが同じクラスの女生徒と懇意にしていると難癖を付けてきているらしい。
伯爵は娘の言い分を信じたようで、ろくな調査もせずにこちらへと破棄の書面を送ってきたようだ。
「取り敢えず証拠を見せろと返しておいた」
「助かります」
「それで、本当に浮気はしていないのだろうな?」
「誓ってやましい事はございません」
むしろ浮気をしていたのは彼女の方だと言えば、父も直ぐに納得してくれた。
「しかしあの家には困ったものだな。うちが侯爵家と本当に分かっているのか?」
今は亡き祖父が仲介役だったからこそ、断る理由もないと整った縁談だ。
当然家格はこちらの方が上で、本来なら向こうから婚約破棄を申し出ること自体がおかしい。
だが、今回の場合は彼女の不貞という明らかな原因があるため、向こうから正式な謝罪があれば、敢えてこちらからは何も言わないつもりだった。
それはもちろん彼女の経歴に傷が付くことを思っての温情だったのだ。だからこそステフィアーノは彼女の方から婚約を白紙に戻したいと手順を踏んだ誠意を見せてくれれば直ぐに応じるつもりだった。
それならば、世間的には政略結婚の条件が合わなくなったのだと思わせることも出来る。
だが、誠意どころかいきなり謂れのない難癖を付けられた。
温厚で有名な父が額に青筋を浮かべる位怒っているのも当然といえた。
「どうせ証拠など出せんだろう。この件は一旦私が預かるから気にするな」
「すみません」
「お前が悪い訳ではない。あえて言うなら、こんな状態になるまで放置していた事が問題だがな……」
「……学院時代だけの事と思っていたので…」
小さな頃からの付き合いゆえに温情を掛けた結果がこれだった。
愚か者と言われても反論出来ない。
「取り敢えずは相手の出方を見るから暫くお前は彼女に接触するな」
「はい…」
こんな事ならこちらから婚約破棄を打診しておけば良かったと、これほど後悔したことはなかった。
「お前が浮気とか、面白い冗談だな…」
学院で思わず愚痴を溢したステフィアーノに、そう言って可笑しそうに口角を上げたのはベルトラン殿下だった。
その横ではアリステラ嬢も面白そうに目を輝かせている。
「笑いごとではありませんよ殿下。私の浮気相手にはアリステラ様のお名前まであったんですから」
「ほぉ…?」
証拠を出せと返答してから十日後。
伯爵からの回答は呆れるものばかりだった。
曰く、週に一度行われる討論会で数多くの女生徒と親密にしているというのだ。
意味が分からなかった。
一度でも参加してみれば分かるが、参加者は圧倒的に男子生徒の方が多い。しかも親密な様子どころから、女生徒達にこてんぱんに言い負かされる日々である。和やかな雰囲気すらないのだ。
「あの…、ちょっといいですか?」
「どうしたカンザナイト?」
「実は昨日なんですが、エミーリャと化粧室に行った際にとある女生徒から難癖を付けられまして……」
ステフィアーノと浮気をしていたと証言すればお金をやると言われたそうだ。
女生徒の特徴から、キャロルだと直ぐに推測できた。
「もちろん断りましたが、結構上から脅すような感じでしたので、他のクラスの平民さんが脅されて証言する可能性があるかもしれません」
「最悪だな…」
まさかキャロルがそこまでのことをするとは思いたくなかったが、カンザナイト達が嘘を言っているとも思えなかった。
「俺もちょっといいですか?」
「なんだ?」
「討論会の日に浮気してるってことはつまり、他の参加者にも風評被害があるかもしれないって事ですよね?」
ロイドに言われ、その場にいた全員の目の色が変わった。
特にベルトラン殿下とアリステラ嬢の背後に気炎が見えるような気がする。
「なるほど、どうやら君の婚約者は私の討論会に問題があると言いたいようだな?」
「うふふ、討論会に参加している女生徒がふしだらだと言いたいのかしらね、貴方の婚約者は?」
確かにそう取られてもおかしくはなかった。
「じゃあ、今日の討論会のテーマは決まりですね!」
ロイドの声に思わず視線を向けると、平民の三人が人の食えない笑みで楽しそうに笑っていた。
「ステフィアーノ様の円満な婚約破棄について(相手にとって円満かどうかは問わない)なんてどうですか?」
「それはいいテーマだなロイド」
「そうでしょ殿下。それに今後同じような事がないとも言えないし、出きれば貴族の皆さんの忌憚のない意見を聞きたいっていうか…」
「……根回しとか証拠集めとか?」
「そうそう!そういうやり方とか、ちょっと黒い方法が聞きたいなぁ~俺」
常々思っていたが、このクラスの平民は心臓に毛が生えているんじゃないかと思うほど豪胆だ。しかも最悪なことに、豪胆だと思わせない雰囲気を醸し出しているので性質が悪い。
けれど、そう思ったのはステフィアーノだけだったようで、Aクラスの面々は妙に嬉しそうにロイドを見る。
「なんだロイド?お前結構話が分かる口だな?」
「いやいや、俺なんてルビーに比べたら……」
「ちょっとロイドッ、どうしてそこで私の名前を出すのよ!」
「だってお前んち、貴族関係のトラブル多そうじゃん」
「確かに多いけど!」
ここで初めてステフィアーノはカンザナイト商会のことを思い出した。
商会の中では比較的新しい方だと記憶しているが、今では王都でも名のある豪商だ。
「お前らカンザナイトにだけは喧嘩を売るなよ?カンザナイト商会には俺の姉上や名だたる高位貴族が後ろ盾になっているからな」
「王女殿下がですか?!」
「……姉上を筆頭に、それはもう恐ろしいバックが片手で足りないほどに付いている……」
ベルトラン殿下が遠い目で天井を見上げた。その達観した表情に彼の苦労が微かに滲み出ている。
王女殿下とベルトラン殿下に何があったのか非常に気になるところだが、その前にカンザナイト商会のことを調べた方がいいと、心のメモに書き留めた。
「私のことはいいんですよ!それよりステフィアーノ様の件をみんなで考えましょうよ!」
「そうだな」
そこから急遽開催された討論会は、当人であるステフィアーノを無視して盛り上がった。
級友達曰く、討論会を貶された以上、これはもうステフィアーノだけの問題ではないそうだ。
けれど、その言葉の端々にはステフィアーノを労わる気持ちが含まれており、妙に嬉しくもあった。
そうして、気付けば本人以上にやる気になった面々の協力を得、ステフィアーノは無事に婚約破棄する事が出来たのだ。
「ステフィアーノ、お前は良い友人に恵まれたな」
「はい。皆にはどれだけ感謝しても足りないくらいです」
クラスメイト全員の心が一丸となった討論会を経て、ステフィアーノの元には数々の証拠が集められた。
キャロルの浮気の証拠と、ステフィアーノの潔白の証拠だ。
中にはキャロルが平民の店を利用した際のトラブルなどもあり、伯爵家との話し合いの場は騒然となった。
特にキャロルの父の顔色は青を通り越して土気色になっていた。
それも当然だ。
婚約破棄の話し合い当日に届くよう、殿下とアリステラ嬢が抗議文を伯爵家へと出したからだ。
『権力ってこうやって使うんだな…、勉強になったわ……』
ロイドの身も蓋もない感想に思わず殴りそうになったが、彼の言うようにその効き目は抜群だった。
侯爵家へ来た時点で既に伯爵の顔色は悪く、止めのようにキャロルの浮気の証拠を突きつけられては、ぐうの音も出ないという有様だ。
更に今回の件に関しては、慰謝料を大きく上乗せさせて貰った。
本来払うはずの金額の倍だが当然である。
伯爵家から正式な謝罪と違約金の話があれば穏便に婚約破棄できたのだ。
だからこそ、こちらからは敢えてキャロルの不貞の話をせずに待っていたというのに、それを無下にしたのは伯爵家だ。到底許せるものではない。
伯爵は婚約破棄を撤回すると言ったが、キャロルとの結婚でこちらが得るものは何もないのだ。
顔を見るのも嫌だとステフィアーノが言うと、伯爵はがっくりと肩を落とし、フラフラしながら帰って行った。
「娘を甘やかしたツケだな…」
キャロルは今回の話し合いの場にすら来なかった。
一言謝罪があれば慰謝料も減額されたであろうに、家に閉じこもったままだ。
今回の件で、彼女はようやく自分が殿下や高位貴族の不興を買ったことに気付いたようだった。
討論会の説明はちゃんとしていたのに、彼女がそれをろくに理解していなかったのが原因だ。きちんと聞いていれば、ステフィアーノの浮気を討論会と結び付けたりはしなかっただろう。
「優秀な婿を取ればいいと、娘の教育を怠るからこうなるのだ」
「そうですね…」
領地を預かる人間としての意識があれば、あそこまで恋愛に現を抜かさなかったのかもしれない。
「それにしても殿下方には世話になったな。礼をせねばなるまい」
「それなのですが、アリステラ様が我が家のバラ園を見たいというので、この機会に級友達を招いた園遊会を開こうかと思うのですが……」
「うむ、それがいいだろう」
「それと父上………、平民の三人を呼んでも構いませんか?」
「構わぬ。むしろ彼らにも会いたい」
「父上……?」
「わしの時もそうだったが、学院のAクラスに在籍するのは生半可な勉強では足りぬ。しかも平民で一度も落ちずにAクラスの成績を維持している者なら会う価値はある」
「頭の固い私では考えもつかぬ事を教えてくれる友人達です」
「そうか……」
そう言った父は、やはり青春とはこう有るべきだな…と楽しそうに笑った。
自由恋愛も素晴らしいのかもしれないが、ステフィアーノが得たものは掛け替えのない友情だ。
そしてそれもまた学院時代にしか築けないものだと父は教えてくれた。
次からは本編に戻ります