愚者①(ステフィアーノ視点)
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ステフィアーノには婚約者がいた。
遠縁の伯爵の娘で、名前をキャロルと言った。
年はステフィアーノと同じで、紅茶色の髪に綺麗な翡翠色の瞳をした少女だった。
キャロルの二つ下に妹はいたが、あいにく伯爵家は男児に恵まれなかった。それ故、跡継ぎとして選ばれたのがステフィアーノだったのだ。
婚約はステフィアーノが十歳の時に成立し、学院時代に破棄するまでの約七年間、二人は婚約者として過ごしていた。
婚約者として自分が非常に優秀だったかと言われれば自信はない。それでも、折々の贈り物や夜会への付き添いも欠かさなかったし、月に数回はお茶や観劇などにも付き合った。
それが足りなかったと言われれば反論は出来ない。けれど、婚約者として最低限以上の時間は彼女の為に割いていたし、頼まれれば出来る限り彼女のお願いも聞いていた。
けれど学院に入ってからというもの、彼女は徐々にステフィアーノを避けるようになっていた。
複数人の男子学生と遊びに出かけていると聞いたのは、確か一学年の秋頃だっただろうか?
その頃の風潮として学生恋愛が流行っていたので、おそらく彼女もその流行に乗っていたのだろう。
ステフィアーノ自身は、幾ら学院時代だけとはいえ、余り褒められた行為ではないと感じていた為、他の女性と懇意にすることはなかった。
けれど、青春時代の想い出だという彼女の主張を否定するつもりもなかったので、節度を守っているのならば構わないとも思っていた。
それがいけなかったのだろうか……。
彼女は益々他の男子学生と懇意になり、二学年に上がる頃にはパーティーにすらステフィアーノとは行かないようになっていた。
その頃にはもう彼女とは政略結婚なんだとステフィアーノも割り切るようになっていた。
もしかして世の中の冷え切った夫婦は学院時代に何かあったのではないかと思うようにまでなっていたのだ。
それに、その時のステフィアーノにはキャロルとの逢瀬よりも楽しみな事があった。
と言うのも、ベルトラン殿下の発案で始まった放課後の討論会が面白くて仕方なかったのだ。
『貴族や平民関係ない、忌憚ない意見交換会がしたい』
何故殿下が突然そう言い始めたのかは直ぐに分かった。
キャロルと同じく婚約者以外の女性と懇意にしていた殿下は、いわば学院自由恋愛の象徴でもあった。
だがある日を境に、突然以前のような浮ついた雰囲気がなくなり、思慮深い殿下へと変貌したのだ。
どうやら平民の三人と何かあったらしい。
そこで彼らとどのようなやり取りがあったかは分からないが、それを切っ掛けに平民と良く話している殿下を見かけるようになっていた。
一部の貴族には嫌悪を表す者もいたが、ステフィアーノは非常に良い傾向だと思っていた。
そんな時に発案されたのが、意見交換会だった。
自由参加だったため参加しない者もそれなりにいたが、殿下とアリステラ嬢の誘いに乗らない馬鹿は一握りだ。
それに、ステフィアーノの在籍していたAクラスは、常に自分の知識を磨くことに余念のない集団でもあった。
ゆえに、後に討論会と名を変える意見交換会は、非常に有意義なものとなった。
平民の考える福祉と貴族の考える福祉の違いや、出産における男性と女性の認識の違い、また、外国語の有益な活用など、多岐に渡る話の内容は、今後の領地経営においても非常にためになるものばかりだった。
始めは難色を示していた者達も気付けば全員が白熱した討論を繰り広げるまでになっていた。
それには平民三人の功績も大きい。
彼らは今後貴族に睨まれることも覚悟の上で、常に飾らない言葉で話すように務めていた。
彼らが少しでも引けば、この討論会は一気に無意味なものになっていた事だろう。
『始めは抵抗があったけれど、あれほど勉強になった討論会はなかったよ』
そう言った伯爵家の子息は、卒業後に役に立つことが多々あったという。領地経営に置いて平民と接する機会の多い者ほど、あの時参加していて良かったと言うのだ。
キャロルと結婚して伯爵領を継ぐ予定だったステフィアーノも必死で討論会に参加した。
だが結局それは無意味なものになったのだ。
「ステフィアーノ、貴方に婚約を破棄して欲しいのだけれど、もちろん承諾してくれるわよね?」
久しぶりの婚約者からの誘いに出向けば、開口一番にそう言われた。
思わず、ろくな挨拶もなくそれか…と呆れたものの、もしかしたらそうなるかもしれないと思っていた為、ため息を吐くだけに押し留まる。
「一応理由を聞いておこう…」
「理由?決まってるでしょ?私は真実の愛に目覚めたの。もう彼以外との結婚なんて考えられないわ」
そう言ってうっとりと恋人の素晴らしさを語ったが、要するに浮気相手に本気になったという事だ。
「君の事情は分かった。婚約破棄について私が反対することはない。ただ、これはあくまでも家同士の契約に基づくものだ。私の一存ではどうにもならない」
本当に破棄したいのならば、両親を通して正式に連絡して欲しいと言えば、彼女は目に見えて不機嫌になった。
「私は貴方から破棄して欲しいと言ってるのだけれど?」
「君の浮気を理由にか?」
「浮気じゃないわ!真実の愛と言ってるじゃないの?!」
「真実の愛だろうが偽りの愛だろうが浮気は浮気だ」
「違うと言ってるでしょ!だから貴方って嫌なのよ!」
そう言って彼女はステフィアーノの嫌な箇所を挙げていく。
うんざりする程続いた彼女の言葉を要約すると、婚約破棄の理由は性格の不一致にしろと言う事だった。
要するに慰謝料を払いたくないのだ。
だが、それを黙って承諾出来るほど、こちらが彼女に費やした時間も金額も少なくない。
「不貞に対する謝罪もなく、大した言い訳だな……」
「謝罪ですって?」
「当たり前だろ?君が誰かと遊び歩いている間も私は領地経営のための勉強に励んでいたんだ。それに費やした時間をたった一言の詫びもなく反故にされては堪らない」
キャロルがステフィアーノ以外の男とパーティーに出席していたのは周知の事実だ。
その上彼女はステフィアーノの昨年の誕生日にすら何も贈ってこなかった。
数日後、取り繕うように伯爵から詫び状と共に贈り物が届いた記憶も新しい。
「それがどうしたのよ?!そもそも、うちに婿養子に入るくらいしか能がないんだから、私に尽くすのが礼儀ってものでしょ!」
「能がないね……」
確かに武官を多く輩出しているマルチスタ家において、ステフィアーノは変わり者だ。正直、騎士としては三流もいいところだろう。
だが、学院においてAクラスどころかBクラスにすらなれなかったキャロルにだけは言われたくない。
キャロルは何か勘違いしているようだが、伯爵家からぜひ婿養子に来て欲しいと請われての縁談だ。
そんな事を理解せず、最低限の礼儀さえ弁えない彼女の態度には失望した。
「婚約破棄にはもちろん喜んで従うが、それなりの筋を通してくれ。君の家から申し出があれば、婚約契約時の違約金のみで破棄させて貰う。どうしても我が家から婚約破棄を申し出ろと言うのならそれでも構わないが、その際の理由はあくまでも君の不貞が原因だ。どちらを選ぶかは君次第だが、賢明な判断を期待するよ」
そう言ってステフィアーノは席を立った。
これ以上は彼女の顔を見ていることも嫌だった。
一体、いつからこんなに冷めた関係になってしまったのかと考える。
最初はもっと和やかな関係だったと思う。
ステフィアーノだって出来るだけ彼女を大事にしようと頑張っていたし、彼女もそれなりにステフィアーノへ心を寄せてくれていたはずだ。
「……ああそうだ…、思い出した……」
彼女が変わり始めたのは、学院に入る少し前くらいだろうか。
誕生日に恋愛小説を貰ったという彼女は、気が付けばそれに傾倒していくようになっていた。
けれど次第に本だけでは飽き足らず、キャロルは現実でも物語のような恋がしたいと言うようになっていた。
恋文を毎日送って欲しいと言い、会う日は毎回花束を持参しろと言う。
できる限り期待に添えるように努力はしたが、それでも出来ない事は多々あった。
『胸が高鳴るような逢瀬がしたいのよ!』
彼女はそう言うが、幼少の頃から見知った間柄ではそれにも限界があった。
そうして彼女の要望に徐々に応えられなくなった頃に始まった学院生活。
束の間の恋愛関係に彼女が溺れていくのは早かった。
それでもステフィアーノは我慢をした。
政略結婚の自分には叶えられない事だからと、学院にいる間は特に煩く言うつもりはなかった。
だが、その結果がこれだ。
放置した自分も悪かったとは思うし、彼女を愛する努力を怠ったことは認める。
けれど、ここまで馬鹿にされるような不始末を仕出かした覚えもなかった。
「結局彼女は私のことが気に入らないのだろう……」
ステフィアーノ以上の男は沢山いる。
その事に気付いた彼女は、政略結婚だから仕方ないと諦めきれなくなったのだろう。
それならそれで手順を踏んでくれればいいのに、それすらも惜しいという態度には辟易した。
多分、彼女はステフィアーノのことを下に見ている。
自分と結婚しなければ、次男であるステフィアーノが困ると思っているから常に強気なのだ。
だが、ステフィアーノ家は、侯爵家とは別に母方の子爵家の爵位も持っている。
キャロルと結婚しないのであれば、ステフィアーノは子爵家を継ぐだけだ。
そもそも、ステフィアーノは侯爵家の人間だ。伯爵家のキャロルにあそこまで横柄な態度を取られる謂れはない。
「……さて、彼女のご両親は何というかな…」
ステフィアーノとしても、キャロルとは婚約を破棄したい気持ちで一杯だった。
こんな状態で結婚したとしても完全なる仮面夫婦になるのは目に見えているし、正直、今の彼女とは一緒にいるのさえ苦痛だと感じるようになっている。
キャロルがステフィアーノ以上の男を見つけたように、ステフィアーノだって、彼女以上の女性が多くいるのを知ってしまったからだ。
女性といえば母とキャロルくらいしか知らなかったステフィアーノは、学院に入ってから何度目の覚めるような思いをしたことだろう。
キャロルはいつもドレスや宝石、観劇などの話しかせず、自領のことには全く見向きもしない。特産品を聞かれてもろくに答えられないという有様で、フォローするのも大変だった。
しかし女性とはそんなものだと思っていたステフィアーノは、余りその事でキャロルに苦言を呈した事はなかった。
けれどそれが間違いだったと気付かせてくれたのは、Aクラスの女生徒達だった。
ドレス一つ作るのにも自領の産業を生かした物が出来ないか考えていたり、ひいきの宝石商は必ず自領の商会を使ったりと、常に自領のことを考えて行動していると教えてくれたのだ。彼女達は、自分達の生活が領民の税金によって支えられていると理解している人ばかりだった。
キャロルという一人の女性を見て、女性の全てを知った気になっていた自分の思い込みが恥ずかしくなったのは言うまでもない。
そしてそれはステフィアーノだけでなく、女性のドレスを軽く考えていた他の男子生徒達も一緒だった。
そこから急遽始まった『貴族の衣装』についての討論会は白熱するものとなった。
『フリルの数なんてどうでもいいだろ!』と男子生徒が言えば、『ベルトのバックルの意匠だってどうでもいいでしょ!』と女子生徒が返した。
笑うほど正論だった。
更にそこから自領の絹自慢を誰かが言えば、綿なら負けないと誰かが反論する。
お蔭で当時のクラスメイト達の領地の産業は未だに頭の中に入っていた。
だからキャロルにもその話を聞かせて、自領の産業に目を向けてみないかと語った。
『………ねぇ、何のために貴方がいるのよ?』
覚える気がないとばかりに言い切った彼女には失望した。そして多分それが彼女とまともに話した最後だったと思う。
今思えば、この頃から既に、ステフィアーノとキャロルの間には深い溝が出来ていたのだ。
ステフの回想(被害報告)は次で終わる予定です。