罠と言い訳と忍耐と…
「えっと…、念のために確認しますが、婿に来いっていう話ではないですよね?」
「当たり前でしょ。どうしてわたくしが貴方と結婚しなくてはいけないの?」
「……ですよね…」
ダリヤをこよなく愛する彼女を知っているだけにまさかとは思ったが、やはり結婚する気はないようだ。
「では、養子になれという事でしょうか?」
「そうよ」
言いながら、疲れたような顔でグラスのワインを煽ったアリューシャは、少しだけ据わった目で手元の書類を睨み付けた。
「どいつもこいつもろくなのが居やしないのよ…ッ」
「お嬢様、口調が…っ」
「あらっ、ごめんなさい」
執事の言葉に冷静さを取り戻したアリューシャだったが、疲れの色は消えなかった。
「わたくしが生涯独身を貫くに当たって父と約束したことがあるわ」
「養子を迎えることですよね」
「そうよ。………でもね、うちの親戚、ろくなのが残ってないのよ」
先代ベルクルト伯爵には弟妹が多く、アリューシャにはそれなりの親戚が居た。
それとなく次男や三男辺りに狙いを絞り養子を検討してみたが、余り出来のいい男子がいなかったそうだ。
それどころか、叔父が家の乗っ取りを企むわ、従兄弟が自分を後継者にしろと押し掛けてくるわで大変だったらしい。
「従兄弟のお子様でしたら、今から教育を施せば…」
「魔力なしばかりなのよ…ッ」
「なるほど…」
爵位を継ぐのに必ず必要なものがある。
それは魔力だ。
どんなに微々たる量の魔力でも、無ければ決して爵位を継ぐことは出来ない。それは、国内間の緊急連絡網として各領地に配置されている通信魔具のせいだ。
魔具に登録出来るのは、魔力のある領主と家族のみで、この魔具を起動させられる事が領主の最低条件となっている。
「婿にしろっていう馬鹿は引っ切り無しだし、貴方ならちょうどいいかと思って」
「でも、俺が養子になったところで親戚筋は黙ってないでしょう」
養子縁組が日常茶飯事の貴族といえど、血縁を無視してわざわざ他所から引っ張ってくれば軋轢を生みかねない。
「その事なんだけどサフィリア、貴方自分の母方の血筋は御存知?」
思わぬ言葉に無意識に体が固まった。
「………もしかして何か関係ありましたか?」
母方の祖母が、ある貴族の私生児だったと聞いている。
今と違って貴族と平民の垣根が高い時代のことで、多大な苦労のあった祖母は決して出生に関しての話はしようとしなかった。
祖母も亡くなって久しい上、亡くなった母すらそれ以上の事は何も聞いていないと言っていた。
今まで一度も気にした事は無かったし、サフィリアにはカンザナイトの血があればそれで十分だった。
だが、ここにきてこの話題を出されるのは嫌な予感しかしない。
「わたくしの先々々代、つまり曽祖父の弟の庶子が貴方のお婆様らしいわ」
「………それ、ほぼ赤の他人ですよね?」
「うるさいわね。少しでも血が流れていればそれでいいのよ」
要するに、それほど薄い血の繋がりを選ばなければいけないほど、アリューシャは後継選びに困っているのだ。
だからと言って、サフィリアを当てにされても困るところである。
「お嬢様、あまりご無理を言う物ではありませんよ」
「分かっているわ」
「ところでお嬢様、今期販売のワインをサフィリア様に試して頂いてはいかがでしょう?」
「それはいいわね。用意してくれる?」
「かしこまりました」
新しい品種の葡萄で作ったというワインは、冷やした方が美味しいそうだ。
準備してくると言って執事のローガンが部屋を出て行くのを見送る。
その瞬間、アリューシャが少しだけ声を潜めてサフィリアに話し掛けてきた。
どうやら執事には聞かれたくない話がしたかったようだ。
「実はね、お父様やローガンはまだわたくしの婿取りを諦めてないのよ」
「まぁ、それはそうでしょうね」
アリューシャはまだ二十五歳と若く、十分子どもを生める年齢だ。おそらく二人は養子ではなく婿を取って欲しいのだろう。
「目ぼしい人材がいないのは二人が邪魔をしている可能性も考えて独自で調査していたのよ。そうしたら貴方が引っかかったというわけ」
少しでも血が流れていれば先代伯爵も納得するだろうというのがアリューシャの考えのようだが、果たしてそうだろうか。
「俺のような平民では納得しないのではないですか?」
「お父様が煩いから血の繋がりを出したけど、血統云々はこの際どうでもいいのよ。わたくしが求めるのは、このベルクルトを繁栄させてくれる能力よ。その点貴方なら問題ないと思っているわ」
「一介の行商人ですよ、俺は…」
「あらっ、カンザナイト商会のサフィリアといえば、業務提携の専門だと聞いているわ。さすがは行商専任というくらい領地間の連携を捌くのが上手いわね」
「………たまたまです」
製糸技術はあるのに養蚕技術がない村と、養蚕技術の発達している村を引き合わせる。農業にしろ工業にしろ、そんな風に村や町が提携すれば上手くいく産業は沢山あった。
常々それを勿体ないと思っていたので、商売相手を紹介しただけだ。その後に上手く行ったのは各村や町が頑張っただけで、サフィリアの功績ではない。
むしろ行商をしていれば誰でも分かる単純な話で、サフィリアがしなくてもその内他の誰かが行ったことだろう。
「たまたまが五件や十件続けば、それはもうたまたまじゃないわ」
「その内の数件はルビーがまとめてますよ」
「そのルビーの事だけど……、彼女を娶るなら伯爵の名前はとても便利だと思うわよ」
何でもお見通しだといわんばかりのアリューシャに、思わず絶句した。
「………いつから気付いてました?」
「今日、貴方のルビーを見る目が違ったから直ぐに分かったわ」
「そうですか………」
肝心のルビーが気付いた様子はないというのに、知られたくない人間には早々にバレるのは何故だろう。
「どう。ルビーを伯爵夫人にしたくはない?」
「冗談でしょ。ルビーに似合うのはカンザナイトの名前だけですよ」
ルビーにカンザナイト以外の名前など名乗らすつもりなど絶対にない。
「………はぁ…、やっぱりダメかしら?」
「他を当たって下さい」
「折角ダリヤ様と親戚になれると思ったのに…」
小声で呟くアリューシャの本音に呆れながらワインを飲み干す。
追加が欲しいと思って辺りを見渡し、先ほどローガンが出て行ったことを思い出した。
「ローガンさん遅いですね」
いつもの彼なら直ぐに戻ってくるだろうと扉に視線をやれば、その扉が閉められていることに気付いた。
ローガンが出て行く時に閉じたのだろうが、少しだけまずい気がする。
サフィリアとアリューシャはお互いに含むところはないが、一応未婚の男女だ。密室は避けるべきだ。
「ちょっと様子を見てきますね…」
そう言って立ち上がった瞬間、まるで計ったかのようにローガンが現れた。
「おやっ、サフィリア様、どうかされましたか?」
「いえ、ローガンさんが遅いので何かあったのかと……」
「これは申し訳ございません。ワインのつまみを侍女に頼んでおりましてな…」
その言葉通り、ローガンの後ろからワゴンを押した侍女が続いて入ってくる。
それに促されるように、サフィリアは再び腰を下ろした。
「どうぞサフィリア様、こちらが今期から売り出す予定のワインとなっております」
ローガンに注がれたワインは、ベルクルト産にしては珍しい白いワインだった。
先日の残念パーティーで飲んだ物とはまた違った香りと味わいになっている。
「おいしいですね…」
「跡を継げば、このワインも飲み放題よ」
「それは非常に心惹かれるお誘いですが、ご遠慮申し上げます」
「残念だわ……」
まるで自棄酒を煽るようにワインを飲み干したアリューシャは、不意に表情を変えた。
「ところでサフィリア…」
「なんでしょう?」
「ルビーを袖にした繊維問屋の名前は何だったかしら?」
「トラーノ商会です」
「……そう、覚えておくわ」
呟いたきり、アリューシャはそれ以上何も言わなかった。
アリューシャは公私混同するような人物ではないが、何かの際に便宜を図ることはないという意味だ。
「あんまり虐めないであげて下さいね」
「意外だわ。貴方なら徹底的に追い詰めそうなのに…」
「追い詰められて未練がましくルビーに縋られても困るので」
困窮の結果別れられては困る。
あの二人には精々、真実の愛とやらを体現していって欲しいのだ。
「では、俺はそろそろこの辺で。ワインご馳走様でした」
「夜遅くに悪かったわね」
「いいえ。ではアリューシャ様、お休みなさいませ」
丁寧に礼を述べ、サフィリアはサロンを後にした。
「サフィリア様、お水のご用意は宜しいですか?」
「いえ、大して酔ってないので大丈夫ですよ」
「……そうですか」
どこか残念そうな執事の後を付いていきながら、ふと、先ほどは感じなかった違和感を覚える。
深夜に近い時間帯だというのに、やたら侍女達とすれ違うのだ。
しかも全員の視線が意味ありげにサフィリアを見ている。まるで監視されているようだ。
「なるほど………」
思い当たることが一つだけあった。
どうやらサフィリアはローガンに嵌められたようだ。
「ローガンさん、行き過ぎですよ」
サフィリアの客室を通り過ぎようとしたローガンが、訝しげな表情でサフィリアを振り返る。
「そちらのお部屋はルビー様がお使いのようですが……」
「今日は一緒に寝る約束をしてるんです」
にっこりと笑ったサフィリアに、ローガンは何とも言えない顔をした。
「婚約破棄以来ちょっと不安定で、夜はいつも一緒なんですよ」
ルビーが聞いたら怒りそうな嘘を吐きながら、サフィリアはゆっくりと扉を開けた。
婚約破棄の件を持ち出せば、ローガンが何も言えないのは分かっていたからだ。
案の定、小さくため息を漏らしただけで彼はそれ以上何も言わなかった。
「ではまた明日」
そう声を掛けると、作戦の失敗を悟ったローガンが諦めたように挨拶を返す。
「おやすみなさいませ」
それに軽く手を振りながら後ろをさり気なく確認すると、ローガンの後ろを付いてきていた侍女長の残念そうな顔が見えた。
扉を後ろ手で閉じながら、疑惑は確証に変わる。
「あ、危なかった……」
ローガンが途中で席を外した時に気付くべきだった。
要するに、強引に男女二人きりの密室にされてしまったのだ。
部屋から出た後にやたらと侍女達とすれ違ったのも、サフィリアとアリューシャが密会していた事を屋敷中に知らしめる為だろう。
恐らくアリューシャは知らない、ローガン単独の犯行だ。
アリューシャが懸念していたように、先代伯爵は娘の婿取りを諦めていない。
だが、並みの男では絶対にアリューシャが折れないと踏んだ二人は、ダリヤの血縁であるサフィリアに目を付けたに違いない。余り似ていないとはいえ、ダリヤと親戚になれるならアリューシャが諦める可能性もあった。
しかも良く調べてみれば、微かだがベルクルトの血も混じっている。
貴族なら難しいが、平民なら強引な手段も可能だと先代伯爵が考えても不思議ではない。
現在は王都にいるはずの先代伯爵の執念と根回しが恐ろしい。
「もしかしたら、ワインにも何か入ってたのかも……」
睡眠薬や媚薬などを盛られた可能性も大いにあった。
「指輪をつけたままで良かった……」
異常状態無効の効果がついた指輪だ。
庶民の年収相当というかなり高額な魔具だが、カンザナイト家は全員が常に身に付けている。
森には毒霧を吐く植物や魔獣がいるため、行商をする身としてはどんな危険に巻き込まれるか分からないからだ。
だが悲しい事に、今のところその効果が発揮されたのは、面倒な商談やダリヤの学院時代だけだった。
魔獣よりも人の方が怖いと思う今日この頃である。
「あまり一人にならない方がいいな……」
ルビーと一緒で良かった。
今後も、アリューシャに養子か婿が出来るまでは一人で泊まらない方がいいだろう。アリューシャ自身は絶対にそんな事をしないだろうが、周りの使用人はそうではない。
彼女やベルクルトの為なら平気で薬くらい盛るだろう。
念のために、ダリヤやエルグランドにも知らせておいた方がいいかもしれない。
そう考え、急遽手紙を認める。
「あっ、よく考えたらこれで言い訳が出来るな…」
一緒に眠る言い訳だ。
ちなみに、サフィリアにソファーで寝るという選択肢はない。
「ルビー……」
部屋を出た時のまま、静かに眠るルビーにホッと胸を撫で下ろした。
小さく髪を撫でれば、気持ち良さそうに口元が蕩けるのが可愛い。
「さて…」
余り撫でていると変な気分になってくるので、少しだけ残念に思いながら、ルビーから手を離した。
念の為、ベッドに空間遮断魔法を掛けながら夜着に着替える。
「……これは既成事実回避の為だから仕方ないんだ兄さん……」
口では神妙に言いながらも、顔が思わずニヤけてしまうのは仕方ないことだった。
これくらいは兄も大目に見てくれるだろうと、ルビーを抱きしめるように布団へと潜り込む。
そして、抱え込んだルビーの髪へと小さく唇を寄せた。
「いい夢を…」
彼女が元婚約者の夢など見ないよう、それだけを祈りながらサフィリアも瞳を閉じた。