動き出した歯車(アリューシャ視点)
その後、ダイヤの容体が悪化した事により、急遽ダリヤの名前で祝福が行われた。
結局ケルビット伯爵家からは何の手掛かりも得られず、呪いの媒体がハッキリしないままに強行される事になったが、何とか無事に解呪を成功させることが出来た。
目を開けたダイヤを見た時は、殿下やローズと抱き合って大泣きしたのも今では良い思い出となっている。
しかし、思い出にしておけないことも多々あった。
何故なら、結局誰が呪ったのかは分からず仕舞いだったからだ。
最も疑われたユリーナだったが、彼女の遺体は既に埋葬された後で呪いの痕跡は辿れず、また、ケルビット邸からも呪術書や媒体に使われたと思われるカフスなどが見つからないままだった。
「伯爵は絶対に何かを隠している……」
ケルビット伯爵は、その後突然ダイヤへの告訴を取りやめた。
神殿の調査が入ったせいもあるだろうが、まるで逃げるように領地へ帰ってしまったのだ。しかも伯爵はこの七年、一度も王都へはやってきていない。
王宮主催の公式行事も、体調不良を言い訳にしてずっと休んでいる。
更に、ユリーナの墓参りがしたいと何度か手紙を送っているが、全て断られた。故に、結局伯爵とはあの騒動以来一度も会っていない。
「ユリーナ……」
アリューシャは信じていた。
彼女は絶対にダイヤを呪ったりはしていないと。
根拠なんて何もない。
けれど、彼女はダイヤを呪ったりするような人じゃないと信じているのだ。
それにずっと何かがアリューシャの中で引っかかっていた。
多分それは、忘れてしまうほど些細な事に違いないが、その何かを思い出すことが出来ない。
この七年、ずっと喉に刺さった小骨のように、それが何か気になって仕方なかった。
「けど、ようやく手がかりを見つけたわ…」
その何かを思い出せないままだったが、アリューシャは探していた物の一つを見つけたのだ。
ルビーとサフィリアと夕食を楽しんだ後、アリューシャは二人をサロンへと誘った。
それは昼間出来なかった話をするためだ。
「実はね、二人に確認して貰いたい物があるの。けれどその前にルビー、お願い出来るかしら?」
直ぐにアリューシャの意図を汲んだルビーが、そっとサロンを見渡す。
この部屋に居るのはアリューシャ達三人と執事のローガンだけだ。
「範囲はどうされますか?」
「部屋内部でお願い」
ローガンは含めて構わないと告げると、ルビーが即座に空間魔法を展開した。
盗聴防止だけでなく、外から内部が見えないかなり強力な空間遮断魔法だ。
ルビーは、稀代の空間魔術師として有名だった。
魔空間庫はもちろんのこと、空間遮断や近距離転移も出来ると聞いている。
そんな彼女が、何故一介の繊維問屋の息子に嫁ごうと思ったのかは謎だが、その縁が切れた事に喜んだのは一人や二人ではないだろう。
そんな事を思いながら、アリューシャはルビーの隣に座るサフィリアを見つめる。
以前見た時より、目つきが変わったような気がする。
凪いだ海のように静かだった瞳が、今は熱くルビーを見つめる。
ルビーの婚約破棄を一番に喜んだ人物がいるなら、それは恐らく彼に違いない。
「それでアリューシャ様、確認して欲しい物とは?」
「これよ」
アリューシャの言葉と共に、傍に控えていたローガンがテーブルへと置いた物は、掌にすっぽりと納まる大きさの箱だった。
それを訝しげに見つめる二人の前で、アリューシャはゆっくりと箱を開く。
「これ…ッ!!」
驚愕で目を見開く二人は、どうやらそれが何であるか気付いたようだ。
「そう、貴方達に確認して欲しかったのはこれ、ダイヤのカフスよ」
当時行方が分からなかったもう一つのカフス。
アリューシャはそれを手に入れる事が出来たのだ。
「念のため教会で呪いの有無を調べて貰ったけど、今は大丈夫だそうよ」
「今はと言うことは……」
「ええ。以前に何かの媒体として使われた可能性が高いと分かったわ」
サフィリアは箱を手にしてじっくりとカフスを見つめる。
「どう?ダリヤ様の物に間違いない?」
「おそらく間違いないですね。留め具に刻印されている文字は祖父が懇意にしている工房のものです」
そう言ったサフィリアが今度はルビーへと箱を渡す。
「あっ、裏に傷も入ってる。アリューシャ様、これは間違いなく兄のものですね」
ダリヤは以前、落として金具の裏側に傷を付けてしまったらしい。
祖父から貰った直後だったので、目撃したルビーは口止めされていたそうだが、傷の位置と大きさが同じだそうである。
「では、これを秘密裏にクローディア聖下に渡して欲しいの」
「秘密裏に?」
「ええ、出来るだけ早く。………貴方達なら可能よね?」
二人の視線が一瞬だけ鋭いものへと変わる。
だが、それを瞬時に隠した二人は、探るように真っ直ぐアリューシャを見つめた。
「………どこまで御存知なんでしょうか?」
「そうね。推測は付いているとだけ言っておきましょうか」
以前から時々貴族の間で話題になるカンザナイト商会の噂が幾つかある。
そのうちの一つが、カンザナイト商会の配送速度だ。
遠方にある商品の取り寄せを頼んだのに、何故か翌日に届いたという話である。
伝書鳥よりも早すぎるその速度に、最近では王家すら利用しているという噂もあった。
真偽の程は不確かだが、恐らく空間魔法を何らかの形で利用しているのだろう。
「方法について言及する気はないわ」
爵位持ちであれば、秘匿する魔法の一つや二つあるのは当然だし、それは名のある平民の魔術師や商家にも当てはまる。
それを追求するのはマナー違反であり、そもそも彼らの秘匿性から見ても、家族間でしか使用出来ない制限があるのは明らかだ。
「手紙も一緒にクローディア聖下へお願い出来るかしら?」
「承りました」
そう言って差し出した手紙と一緒にカフスの箱を受け取ったのはルビーだった。
その際に何かの魔法を掛けたように思ったが、それを認識出来るほどアリューシャの魔力は高くない。
無事に聖下の下へと運ばれることを祈るだけだ。
「ところでアリューシャ様。俺達からも少しだけ耳に入れたい情報があります」
「何かしら?」
「……昨日、王都にあるケルビット伯爵のタウンハウスが売りに出されました」
「本当なの?」
「はい。アリューシャ様がこの時期にカフスを手に入れた事といい、何かあると思いませんか?」
「そうね……」
アリューシャがカフスを手にしたのは偶然だった。
倉庫街で毎月行われる蔵出し市で、たまたま行商に来ていた外国の商人から購入したのだ。
彼はアクセサリーを主に扱っており、このカフスはたまたま金に困っていた男から買い取ったと言う。身なりから、どこかの金持ちか貴族の使用人じゃないかと言っていた。
「資金はわたくしが出すので、ケルビット伯爵邸を押さえて貰えないかしら」
「至急交渉するように連絡致します」
「それと、貴方達はこれから行商でノーザングスト方面を周ると言っていたわね?寄り道は可能よね?」
アリューシャの言葉に、サフィリアが少しだけ目を細めた。
恐らく彼はアリューシャが何を言いたいか分かったのだろう。
「ケルビット伯爵領ですね?」
「そうよ。少し様子を見て来て欲しいの。もちろん費用は出すわ」
「御代は結構です。どの道、俺とルビーは様子を見に行く予定だったので……」
出発直前に入ってきた屋敷の売却情報。
内情を知るためにも彼らは最初から動く予定だったようだ。
「何か分かり次第、アリューシャ様にも連絡しますね」
「お願いね、ルビー」
「ただ……」
「ただ?」
「貴方の求める情報をお話し出来るかは分かりませんよ」
ダリヤに似た琥珀色の瞳を少しだけ細めながら、ルビーがジッとアリューシャを見つめる。
「アリューシャ様は、ユリーナ様が犯人ではないと思っていらっしゃいますよね?」
「………そうね」
「私達も、あの時のことは何か裏があるとは思っています。けれど、ユリーナ様が無関係だったとは到底思えません」
「何が言いたいのかしら?」
「もし調査の結果、ユリーナ様が呪った術者本人だと確定した場合、アリューシャ様はどうされますか?」
「それは……」
「私達カンザナイト家は、絶対に彼女の名誉を重んじたりはしませんよ。それでも構いませんか?」
死者であろうと絶対に許さないという覚悟が見えた。
恐らく、それがカンザナイト家の総意なのだろう。
貴族を相手にしても一歩も引かないという姿勢を二人から感じた。
普段の商人らしい柔和な雰囲気はなく、そこにはただ兄を愛している家族がいた。
「……それで構わないわ。わたくしはただ、真実が知りたいのよ」
そう、アリューシャはただ知りたいのだ。
その結果が望むものではなかったとしても、受け入れる覚悟はとうに出来ていた。