狂愛⑤(アリューシャ視点)
窓の外から馬の嘶く声が聞こえると同時に、バタバタと慌しい足音が部屋へと近付いてくる。
どうやら先代聖女クローディアが無事に到着したようだ。
それに伴い、座っていた全員が一斉に立ち上がり、彼女を出迎える準備をする。
アリューシャは軽くスカートの皺を伸ばし、扉が開かれるのを待った。
「お邪魔しますわよぉ~」
それから直ぐ、少しだけ間延びした柔らかな声と共に扉が開いた。
真っ白な法衣に身を包んだクローディアが、数名の神官を連れて現れたのだ。
「お越し頂きありがとうございます聖下!」
「事情は聞いているわ、楽にして頂戴」
恐縮するカーネリアン以下カンザナイト家の面々を笑顔で制し、クローディアは休むことなくダイヤが眠る寝台へと近付いていく。
「彼が呪いを受けているかもしれない方ね?」
「はい。素人の見立てで恐縮ですか、胸に発現したあざは“狂愛の呪い”ではないかと思いまして……」
イズマイル医師の言葉に、クローディアの眉間に小さな皺が寄った。
随行していた神官達も、一斉に難しい顔をする。
「聖下、息子は…、ダイヤは大丈夫でしょうか?!」
「落ち着いて下さいカンザナイトさん。取り敢えず症状を確認しないことには私からは何も言えませんわ」
そう言ってクローディアは慎重な手つきで左胸にあるというあざを確認する。
「聖下……、これは間違いございませんね……」
「そのようね…」
神官が持っていた本と見比べて、悲痛な声を出した。
頷くクローディアの口調も酷く固い。
「イズマイル先生の仰った“狂愛の呪い”で間違いありません。……先生の博識には痛み入りますわ」
「いえ、たまたま以前見た事があったので…」
「それは三十年ほど前のことでしょうか?」
「確かにそうですが…」
神官の説明によれば、この呪いが確認されたのは三十二年ぶりで、イズマイル医師が目撃したのがおそらくそれだという事だった。
「それで聖下、ダイヤは助かるのかしら?」
王女殿下の声に、暫しの沈黙が降りた。
誰もが、固唾を呑んでクローディアの言葉を待つ。
「条件が揃うのならば可能性はありますわ……」
「条件、ですか……?」
「ええ。しかしその条件を揃えるのが非常に難しい呪いなのよ」
厳しい顔をしたクローディアが神官の持っていた本を受け取り、該当のページを開いてみせた。
「“狂愛の呪い”と言われるこの呪いはね、正式名称を“心中呪”と言うの」
「しんじゅう、じゅ……?」
「呪いの中でもこの呪いは非常に特殊でね、とある魔女が好きな相手と心中するために創った呪いと言われてるの」
魔女にはとても好きな男がいた。
綺麗な綺麗な男だった。
そんな愛する彼の為に、巨額の富や名声を捧げた。
けれど、どんなに尽くしても、その男は魔女を選ばなかった。
彼が選んだのは、可愛い幼馴染みの少女。
だから魔女は、死ぬことにした。
愛する男を道連れに…
今世で結ばれないなら来世で……。
いいや、来世まで待てない。
生まれ変わることなく、魂の深遠へと共に堕ちていこう…
「この心中呪は、自分の命を対価に、相手の肉体だけでなく魂をも奪う恐ろしいものよ」
「魂……」
未来永劫誰にも渡さないという凄まじい執着ゆえに、“狂愛の呪い”と名付けられた恐ろしい呪い。
アリューシャの背筋がゾワリと震えた。
暗い深遠から、魔女がこちらを見ているような気がする。
「それで、どうやったらこの呪いは解けるのですか?!」
「この呪いはね、非常に強力であるがゆえに様々な制約があるのよ」
まず、対価は必ず術者本人の命であること。
呪いの媒体は、必ず相手の持ち物を使用すること。
そして解呪には、その媒体と同じ物を用意する必要があるそうだ。
「同じ物を用意するのが非常に難しいの…」
前回の際も、被害者のブローチが媒体であることは分かったが、同じ物を作る間もなく、呪いが成就してしまったようだ。
呪いの媒体には魔石、もしくは硬度の高い宝石が望ましいとされている。
その話を聞いたカーネリアンは、媒体が分かり次第、どんなことをしてでも同じ物を用意すると断言した。
「ダイヤが最近何かを失くしたという話は聞いて?」
「我が家はみんな魔空間庫持ちなので滅多なことで物を失くしたりは…」
特に昔から私物を盗まれる事が多かったダイヤは、ペン一本ですら直ぐに魔空間庫へ入れる癖が付いていたという。
そんな中、話を聞いていた彼の妹のルビーが、慌てた様子でダイヤのクローゼットを漁り始めた。
「ルビー?何をしてるんだ?」
「サフィ兄さん、ほらっ、あの…、この間ダイヤ兄さんが手首の…ッ」
「もしかしてカフス?」
「そう、それ!」
ようやく目当ての物が見つかったのか、ルビーは慎重な手つきで探し出したカフスをクローディア聖下の下へと持ってきた。
大粒のダイヤモンドをあしらった見事なそれは、アリューシャにも見覚えがあった。
学院でも頻繁に付けていたダイヤのお気に入りの物だ。
同じようなイヤリングをわざわざ作らせたので間違いない。
「それは、わしが入学祝にやった物だな」
「そうなの!兄さん、この間これの片方をどうやら失くしたみたいだって落ち込んでて…」
袖口に引っ掻いたような後が有ったので、どこかに引っ掛けて落としたのだろうとダイヤは言っていたらしい。
「これならば呪いの媒体として十分な大きさですね。可能性は高いと思います」
神官の言葉に、その場の全員がホッと胸を撫で下ろす。
カフスなら、同じ物を用意しなくても手元にあるこれで直ぐに解呪が行えるはずだ。
しかし、まだカフスが呪いの媒体だと決まった訳ではない。
「術者が分かれば、媒体もはっきりすると思います。彼が倒れた日、身近で亡くなった方はいませんでしたか?」
その言葉にアリューシャは無意識に息を呑んだ。
先ほど呪いの話を聞いてから、ずっと頭を占領している事がある。
「…ユリーナ………」
思わず発してしまった声に、自分の心臓が大きく跳ねたのが分かった。
話を聞いた後でも、いや、後だからこそ、信じたくない思いがアリューシャの心を占める。
「どうやらお二人には心当たりがあるようですわね」
クローディアの言葉に横を見れば、エメラルダ殿下もまた、酷く苦い顔で唇を噛み締めていた。
「もしかして、ユリーナ様は亡くなったのですか?!」
何も知らなかったらしいローズの瞳が、驚きで大きく見開かれる。
そんな彼女に、殿下が言い辛そうに言葉を発した。
「……ちょうど先週の水の日のことよ…」
「み、水の日……」
そう、ダイヤが倒れた日だ。
「では、ユリーナ様が?」
「いいえ、まだそうと決まった訳ではないわ」
まだ確定した訳ではない。
けれど、それを否定するだけの情報がアリューシャには足りなかった。
「至急ユリーナの寮の部屋を再度調べさせるわ。それと、ケルビット伯爵にも誰か話を聞いてきて」
領地が遠方ゆえにユリーナは寮に入っていたが、確かケルビット伯爵は王都にタウンハウスを持っていたはずだ。その部屋も調べさせると殿下は言った。
「伯爵は協力してくれるでしょうか?」
「……させるのよ。聖下、お手数ですが一筆お願いできますか」
「もちろんですわ」
神殿からの要請無視は貴族社会において非常に不名誉なことになる。伯爵も協力せざるを得ないだろう。
有難いことに、聖下に随行していた神官の一人も派遣してくれる事となった。
慌しく出て行く侍従や神官を見送り、クローディア聖下は小さく息を吐き出す。
「では、解呪に関して、もう一つ必要なものをお知らせしますわね」
どうやら媒体だけではなかったらしい。
もし用意するのが大変なものだったらどうすればいいのか……
しかし、聖下が口にしたのは意外なものだった。
「必要なのは名前よ」
「名前?」
「ええ。魂も絡め取るほど強力な呪いは名前を縛るの。故に、呪われた本来の名前を捨て、新しい名前にて祝福する必要があるのよ」
「では、ダイヤに新しい名前が必要という訳ですね」
カーネリアンの言葉に、聖下は小さく首を振る。
「新しい名前ではなく、むしろ古い、親しんだ名前でなければいけませんわ。馴染んだ名でなければ、体と名前が同一だと認識されないのです」
一番良いのは愛称だという話だった。
そこでカンザナイト家の一同が固まる。
「愛称……」
「……ないな…」
ダイヤはダイヤであって、誰も愛称を付けた事がないそうだ。
「あっ、でも昔母さんがディーって呼んでたような…」
「私も実は、ディーと呼ばせて頂いております…」
消え入りそうな声でそう呟いたのはローズだった。
ダイヤの愛称という貴重な話を聞けたのは良かったが、何故か妙にイラついた。
横を見れば、殿下も無表情でローズを見ている。
そんなアリューシャと殿下の様子に些か怯えた様子で、神官が愛称の確認を始めた。
「ご母堂が亡くなられたのはいつ頃でしょう?」
「……十年ほど前になります」
「貴方がその愛称を呼び始めたのは?」
「さ、三ヶ月ほど前からです……」
神官が言うには、期間が短いのがまずいそうだ。
その愛称が本人であるという認識を神が受け取り難いのだそうである。
祝福を授ける神が個人を認識するためのものが欠けるだけで祝福は限りなく弱くなるのだ。
「……神か……」
苦い顔で呟いたエルグランドの言葉に、先ほどから黙り込んでいた祖父のシトリアが突如奇声を挙げた。
「それだエル!」
「じいちゃん、何だよ急に?!」
「神の祝福だ!」
そう叫んだシトリアは、今度はカーネリアンに詰め寄る。
「リアン、ほらっ、思い出せ!お前、ほれっ、誕生の祝福を貰いに行った際、間違ったじゃろうがっ!」
「あ~~~~~~~!」
シトリアの言葉に被さるように、今度はカーネリアンも奇声を挙げる。
「父さん!そうだよ!あれだ!」
呆然と見守るアリューシャ達を置き去りに、二人だけでわたわたと焦ったように落ち着かない動作を繰り返す。
そんな彼らを見やり、クローディア聖下が小さく首を傾げる。
「誕生の祝福とは、生まれた時に神殿で受けるものですわよね?」
「そうです、聖下!それをダイヤも受けたのですが、私がちょっと間違いをしてしまって…ッ!」
「間違い?」
「はい!神殿で申請書を出す際、ダイヤの綴りを間違って記載してしまったのです!」
「では、その間違った名前で祝福を受けているということですか?!」
「そうなんです!後から訂正しようにも、誕生の祝福は一度しか受けられないと聞いて断念致しました……」
この国には、誕生日から一週間以内に教会にて誕生の祝福を受ける習慣がある。その際に、神殿帳と呼ばれる信者を記載する台帳へと名前を書き、その名前にて祝福を受けるのだ。
「まさか神殿帳への名前を間違ったのですか?!」
「そのまさかです…ッ!…そ、その……初子だったもので浮かれておりまして…、祝福の祝詞で名前を呼ばれて初めて気付いた始末です……っ」
怒った奥さんとは離婚問題にまで発展したそうである。
「しかしそれが本当なら願ってもいない幸運ですわ。最初に祝福を受けた名前ほど神に近いものはありません!至急教会へと遣いを出し、名前を確認しましょう!」
聖下の声に、またしても慌しく神官が出て行った。
その後直ぐに戻ってきた神官により無事に神殿帳の確認が行われ、ダイヤの祝福名が間違っている事が確認された。
ダリヤ・カンザナイト。
まるで可憐な少女のような名前が、彼の祝福名だったのだ。