狂愛④(アリューシャ視点)
到着したカンザナイト邸は表通りに面した商会の裏にあった。豪商とはよく言ったもので、その辺りの下位貴族よりも大きな屋敷だった。
「……ようこそおいで下さいました王女殿下。当主のカーネリアン・カンザナイトと申します」
「こちらこそ無理を言って悪かったわね。それで、ダイヤの様子はどうなの?」
「それが……」
カーネリアンが言葉を濁すのには訳があった。
ダイヤの家を訪れるにあたり、王女殿下はカンザナイト家へ先触れを出していた。
しかし返ってきた応えは、『ダイヤは伏せっているため、またの機会にして頂きたい』というものだった。
これは何かがあると直感が告げた。
それは殿下も一緒だったらしく、その件も含めて聞きたいと無理を言ってやって来たのだ。
「先週の水の日から伏せっていると聞きましたが本当なのでしょうか?」
「はい、本当です。突然胸を掻き毟るようにして倒れ、そのまま意識が戻りません」
カーネリアンは酷く憔悴していた。
どんなに高位の医者に見せても、いまだ原因すら分からないというのだ。
「折角お越し頂いて大変恐縮なのですが、ダイヤが先日亡くなられた女性について話すことは出来ないでしょう…」
けれど、ユリーナが亡くなったのも先週の水の日だった。
この奇妙な一致が果たして本当に偶然なのだろうか。
それに何より、意識が戻らないというダイヤの容態が気になって仕方なかった。
「しかし本当にダイヤ様が倒れた原因は分からないのですか?毒などの可能性は?」
「持ち物やその日食べた物などは全て調べましたが原因は分からず仕舞いです。ただ……」
「ただ?」
「倒れた日から胸に奇妙な黒いあざが浮かび始めました」
「あざ…」
「それが日に日に大きくなるのです……。その度に苦しそうに呻く息子に何もしてやれず……」
不甲斐ない自分に耐えるように、カーネリアンが唇を噛む。
そんなカーネリアンを見つめながら、王女殿下が同行していた侍女に指示を出した。
「イズマイルを呼びなさい」
「畏まりました」
イズマイルとは、王宮お抱えの典医である。つまり、現在いる医者の中で最も高位の人物だ。
「殿下、宜しいのですか?」
「構いません。ダイヤはわたくしの大切な友人です」
「ありがとうございます…」
「それよりもダイヤの元へ案内して頂戴。彼が心配だわ」
「気が利かず申し訳ありません。こちらです」
案内されたのは、屋敷の二階にある家人の部屋が集まった一角だった。
ダイヤらしい落ち着いた色合いの家具で統一された広い部屋。
そしてその部屋の中央に置かれた大きなベッド上、青白い顔で苦悶の表情を浮かべているダイヤが寝かされていた。
そして、そんなダイヤを囲むように、数人の男女が彼を心配そうに見下ろしている。
「……ローズ、貴女こんなところに居たのね」
「王女殿下、それにアリューシャ様まで…っ」
殿下はここに来る前にローズの屋敷へも先触れを出していたが、不在という連絡を受けていた。
話を聞くに、どうやら彼女はダイヤが倒れてからずっと付き添っているようだ。
これで、どうしてローズが先週から休んでいるのかが判明した。
という事はつまり、やはりユリーナの死とローズは無関係なのだろうか。
「それで、ダイヤの様子はどう?」
「倒れた時のままです。ずっと苦しそうで、わたし……っ」
涙を必死で堪えながら、ローズは強くダイヤの手を握り締める。
ローズが言うように、ベッドで眠るダイヤの眉間には深い皺が寄っており、常に荒い息を繰り返していた。
そんな彼を見守るように、ローズの他に彼の兄弟と思しき男女が心配そうに佇んでいた。
その内の一人には見覚えがあった。
ダイヤの二つ下、今年になって学院へと入学してきた次男のエルグランドだ。
その彼の傍には、見覚えのない二人の子どもが立っていた。
恐らく彼らがダイヤの可愛がっているという従弟のサフィリアと妹のルビーだろう。そして後ろで難しい顔をしたまま立っているのは、祖父のシトリア・カンザナイトだ。準男爵位を持っているという彼の顔には見覚えがあった。
「エルグランド、ダイヤが倒れた時、貴方は傍に居たの?」
王女殿下の問いに、憔悴した様子のエルグランドが小さく頷いた。
「はい。兄が倒れたのは、昼を少し過ぎた頃だったと思います。それまでは俺や横にいる弟達と普通に話をしていたんですが、突如呻き声を上げて胸を掻き毟り始めました。驚いている間にも呼吸が急激に乱れていき、気が付けば兄は意識を失って倒れてしまいました。それからは一度も目を覚ましません……」
「兄さん……ッ」
真っ赤な髪をした可愛らしい妹が、彼にずっと縋り付いている。
「……毒だけでなく、何かの免疫反応も調べてみましたがダメでした」
「そう…」
殿下に言われるまでもなく、カンザナイト家ではあらゆる可能性を探っているという。
けれど結果は全て思わしくない。
残るは、典医であるイズマイルに期待するしかなかった。
「殿下、これは病ではありません」
半刻後、侍女や護衛を引き連れてやってきたイズマイル医師は、ダイヤを診るなり、非常に固い表情でそう告げた。
「病ではない?どういうこと?」
「非常に申し上げ難いのですが、これは恐らく呪いだと思われます……」
「のろい……?」
「はい。この胸に現れたあざ、おそらく“狂愛の呪い”と呼ばれるものだったと記憶しています」
イズマイル医師が最後にそれを見たのは、彼がまだ駆け出しの医者として師について日々奮闘している時だったという。
「これは医者の手に負えるものではありません。至急、祝福を行える神官の派遣を要請して下さい」
「分かりました!……父さん、俺が呼んでくるから!」
直ぐに走って行こうとしたエルグランドを押し留め、王女殿下が侍従へと指示を出した。
「先日から先代聖女様が本殿に滞在されているはずです。わたくしの名を出して構いません。事情を話して直ぐに来て頂きなさい!」
殿下の命で、侍従が心得たように素早く部屋を出て行く。
先代聖女。
御歳六十を超えてもまだ国内各地を周り、精力的に奉仕活動を行っておられる御方だ。
後継に聖女の任を譲ったとはいえ、歴代最高といわれた聖魔法は未だ健在だと聞いている。
先代聖女クローディアなら、ダイヤに掛けられた呪いも必ずや解いてくれるはずだ。
「王女殿下、ありがとうございますっ!」
感極まったように頭を下げるカンザナイト家の面々に、エメラルダ王女殿下はゆっくりと首を振る。
「喜ぶのはまだ早くてよ」
確かに殿下の言う通りだ。
まだ何も終わってはいない。
「それでイズマイル。祝福さえ施せば、ダイヤは治るのね?」
「……分かりません」
「分からない?」
「はい、何故なら私が以前見た患者さんは、間に合わなかったのです。…いえ、神官の到着は間に合ったのですが、何か、解呪の為の条件が足りなかったと聞いています」
「そんな……」
「それに、呪いに関して私は素人でしかありません。違う呪いの可能性もあります……」
確かにイズマイル医師の言うとおりだった。
これは、今まで聞いたこともないような未知の呪いだ。いや、呪いという物があるのかすら、今のアリューシャにとっては半信半疑と言ったところだった。
しかし、今はその情報に縋るしかない。
「それにしても一体誰が呪いなんて……」
もしかしたら、ユリーナも自殺ではなく、何らかの呪いで命が絶たれた可能性はないだろうか。
ダイヤとユリーナが倒れた日が同日だったことは、その関係性を示しているように思われてならない。
ダイヤが目を覚ませば、もしかしたら二人を苦しめた人物が分かるかもしれない。
「あぁ…ダイヤ様、どうか、どうか……」
今のアリューシャには祈ることしか出来なかった。
次で過去のお話は終わり予定です。