狂愛③(アリューシャ視点)
「ユリーナ……ッ!」
その悲報が飛び込んで来たのは、アリューシャがダイヤ会の仲間と共にお茶を飲んでいる時だった。
ダイヤの婚約発表以来、仲間の数は目に見えるように減少していた。
いまだに塞ぎ込んでいる者もいれば、他人の男に興味がないと離れていった者など、理由は様々であった。
親友のユリーナも、あれ以来憔悴している内の一人だった。滅多に寮の部屋から出て来なくなっていたのだ。
少し心配だったが、彼女の気が済むまでそっと見守ろうと仲間と話していた矢先の事だった。
「ユリーナ!」
仲間と共に駆けつけた寮の一室で、彼女は眠るように息を引き取っていた。
数日姿を見せないユリーナを心配した寮母が様子を見に行くと、ベッドに横たわったまま動かない彼女が居たという。
最初は眠っているのかと思ったが、その余りにも酷い顔色が心配になった寮母が近付くと、彼女は息をしていなかったのだ。
検死の結果、ユリーナの死因は失血死だった。
だが不思議なことに、彼女の遺体からは失血死するほどの傷は見当たらなかった。
ただ、手首に無数の傷があったことから、日常的な自傷によるものだと判断された。
「……なぜ……?」
眠る彼女はふっくらと愛らしかった頬がこけるほどにやせ細っており、元気に笑い合っていた以前の面影は殆ど無かった。
まるで別人のようなユリーナに、涙が止まらなかった。
そしてそんな彼女の手には、少しだけ色の褪せた小さな紙片が握り締められていた。
『真実の愛と共に逝く』
まるで、小説の一節のような短い言葉。
見慣れた筆致で書かれたそれが、ユリーナの遺書だった。
「ユリーナ……、お願い目を覚まして……っ」
ダイヤに恋をしていたユリーナ。
彼とローズとの婚約にどれほどの衝撃を受けたことだろうか。
悲嘆に暮れるあまり、死にたいと思うほど辛い気持ちになってしまったのだろう事は容易に想像出来る。
けれど、実際に死んでしまっては、二度とダイヤの顔すら見れなくなってしまう。
それに何より、家族や友人を悲しませることになってしまうだろう。
それが分からないユリーナではなかったはずだ。
「どうしてユリーナ?!どうして頼ってくれなかったの!」
何も言わぬ彼女に後悔ばかりが押し寄せてくる。
親友だったのに、当時のアリューシャは自分のことだけで精一杯で、一度も彼女と話をしなかった。
あれほど共にダイヤへの想いを語りあった仲だったのだ。
共に慰め合うことも出来たはずだったのに……。
「あぁ……、ごめんなさい、私……、自分のことばっかり……ッ」
傷の舐め合いと言われてもいい。
もっと彼女と胸の内を、苦しみを吐き出すことが出来ていれば………
「アリューシャ…、自分を責めるのはおよしなさい」
「殿下……」
「誰が悪い訳でもないわ。……ただほんの少し、ほんの少しだけ彼女の心が弱かっただけなのよ……」
けれど、その弱い気持ちを共に支えるのが親友なのだと私は思っていた。
「……傍に居てあげられなくてゴメンね……、ごめんねユリーナ……」
謝罪を繰り返さずにはいられないアリューシャに、殿下はそれ以上何も言わなかった。
ただそっと慰めるようにアリューシャの肩を抱き寄せながら、殿下はユリーナの為に黙祷を捧げる。
「皆で彼女の冥福を祈りましょう……」
同じ痛みを知る皆で、ユリーナに祈りを捧げる。
どうか安らかに眠れますように……。
ひたすらそれだけを祈り続けた。
だが、彼女の死が引き起こした衝撃は、これだけでは終わらなかった。
むしろ、彼女の死こそがダイヤを苦しめる真の楔だったのだ。
「訴える?誰をですか?!」
「もちろんダイヤをよ」
「なぜ?!」
「ケルビット伯爵が言うには、娘の死の責任を取らせたいのですって…」
「けれど、ユリーナとダイヤ様には何の関係もないはずっ」
「伯爵もそれは十分承知しているようよ。けれど、どうしても気持ちが納まらないのでしょう…」
少し奇妙なあの遺書以外、彼女の自殺の理由を示す物は何も出てこなかった。
しかしユリーナがダイヤに恋をしていたのは周知の事実だ。
ユリーナの死に、ダイヤの婚約発表が無関係だったとは到底思えない。
だからこそ、家族は考えた。
ユリーナは本当に片思いだったのか?
もしかしたら、秘密裏に関係を持っていたのではないか?
けれど、どれほど彼女の部屋を探しても、日記や手紙の一つさえ見つからなかった。
「だったら…」
「だからこそ、公の場でハッキリさせたいそうよ。ダイヤに直接文句を言いたいだけのようにも思うけれど……」
婚約発表がもう少し後、卒業してからであれば、ユリーナも死ななかったのではないかと伯爵は考えているようだ。
気持ちは分からなくもないが、随分と強引な考え方ではないだろうか。
行き場のない、やるせない気持ちをダイヤにぶつけているだけにしか見えない。
「ところでアリューシャ……」
「なんでしょう、殿下?」
「ユリーナの親友だった貴女にこんな事は聞き辛いのだけれど……」
申し訳なさそうにそう前置きしたエメラルダ王女殿下は、アリューシャの思いもしなかった事を口にした。
「実は、ユリーナがローズを虐めていたという噂を耳にしたのだけれど、貴女、その辺りのことを何か聞いてはいないかしら?」
「虐め?ユリーナがですか?!」
思いもしなかった殿下の言葉に驚けば、その様子で全てを悟ったのか、エメラルダ殿下は少し疲れたようにため息を吐いた。
「あくまでも噂よ。けれど、目撃者が複数人上がっているのも事実なの。そのせいか、虐めを恨んだローズがユリーナを害したのではないかという話も出ていて……」
「もしかしてケルビット伯爵もその噂を聞いたのでしょうか?」
「可能性はあるわ」
実際、ケルビット伯爵からの告訴状には、ダイヤだけでなくローズの召喚も求められている。
「伯爵にも困ったものね……」
殿下が間に入ったことで、告訴の前にまず学院で事情聴取をすることになっていた。
伯爵も一応はそれに納得しているらしい。
「それで、ローズは何と言っているのですか?」
「それがね、彼女は数日前から学院を休んでいるのよ」
「数日前?」
「ええ。ユリーナの遺体が見つかる前日からよ」
咄嗟に思った事は、怪しいという事だった。
検死の結果、実際にユリーナが亡くなったのは、遺体が発見される前日だと発表されたからだ。ローズが休み始めた日と合致している。
「けれどね、休んでいるのはローズだけじゃないの」
その言葉に直ぐさま思い浮かんだのは、愛しいダイヤの顔だった。
確かに彼もまた、数日前から学院を休んでいる。
卒業を間直に控えた今、ダイヤは家業の仕事を優先する事が多く、学院は休みがちになっていた。
それ故に、今回もその為に休んでいるのだと思っていたが、ユリーナが死亡した日からとなると、嫌な可能性を否定出来ない。
「ダイヤ様に限ってまさかっ……」
「ええ。わたくしも当然彼がユリーナを害するとは思っていないわ。けれど、この状況ではケルビット伯爵が疑うのも仕方がないわね」
全ての事柄がダイヤを不利な状況に追い込もうとしているような気がする。
もしかして誰かが裏で糸を引いているのだろうか?
ユリーナの死が自殺ではないとしたら?
「…………ッ!」
ゾクリ…っと、見えない闇が足元を這いずっているような感覚に陥る。
とても大切な何かを見落としているような、そんな気がしてならない。
けれど、それが何かを思い出せない。
「はぁ……」
ダイヤに会いたいと思った。
彼の顔を見れば、この得体の知れない不安が取り除かれるような、そんな気がした。
「それでね、アリューシャ」
「……はい」
「今からダイヤの家に行こうと思うのだけれど、良かったら貴女も一緒に来ない?」
殿下の願ってもみない誘いに、アリューシャは即座に頷いた。