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狂愛②(アリューシャ視点)

アリューシャにとっての愛は何かというお話。




 衝撃の入学式から、アリューシャがダイヤに傾倒していくのは早かった。

 気が付けば、勉強以外は朝から晩までダイヤの事を考える生活に変わっていたのだ。

 もちろんそれは親友のユリーナも一緒で、暇さえあれば二人でダイヤについて熱く語る日々を過ごしていた。

「風が吹く度に零れ落ちる金色の髪がお顔を少し隠してしまうのだけど、またそれがいいと思わなくて?」

「アリューシャの言う通りだわ。髪の一房が落ちる角度によって、また違う麗しいお顔を見ることが出来るなんて最高よね!」

「どの角度から見ても完璧だなんて、さすがはダイヤ様」

 あの麗しき天使のような王子様の名前はダイヤ・カンザナイトと言った。

 驚いたことに彼は貴族ではなく、平民の一般生だったのだ。

 豪商カンザナイト家の嫡男。それが彼の唯一の肩書だった。

「平民とは思えないあの気品…、不思議だわ……」

「そうね、どこかの王族のお忍びの姿だと言われた方がまだ納得出来るわよね」

 毎日、そんな下らない話をしながらダイヤについて熱く語り合う。

 すると、アリューシャ達の話に混じるように、自然と周りに人が増えていった。

 気が付けば放課後に集まり、ダイヤに付いて語り合う仲間が出来ていたのである。

「本日の昼食はサンドイッチを召し上がっておいででしたわ」

「スモークハムを挟んだ物でしたわね」

「ええ。デザートのアップルパイをそれはもう美味しそうに召し上がっておられて、わたくし思わずアップルパイになりたいと思ってしまいましたわ」

 恥ずかしそうに言ったのはミリンガム子爵令嬢だったが、思わず全員がその言葉に同意した。

「ところで、今日のダイヤ様のハンカチはご覧になりまして?」

「水色の花が刺繍されたシルクのハンカチでしたわね」

「どうやら商会で扱う新作らしいですわよ」

 情報通のパーグ伯爵令嬢の言葉に、全員の目がキラリと光る。

 そして全員が一斉に立ち上がり馬車へ向かった。行き先はカンザナイト商会だ。

 その日のカンザナイト商会はさながら戦場のようで、アリューシャは必死の思いでダイヤとお揃いのハンカチを手に入れた。

 今でも大切にしているそのハンカチは、アリューシャの宝物となっている。

 


「あの頃は本当に楽しかったわ…」

 毎日毎日仲の良い友人達とダイヤについて語り合う日々。

 ダイヤの行動に一喜一憂し、下らない事を真剣に話し合っては笑い合った友人達。

 本当に毎日が充実していて、学院に入って良かったと心から思ったものだ。

 けれど、そんな日々は余り長くは続かなかった。

 ダイヤに本気で恋をした令嬢達が騒ぎを起こし始めたのだ。


『傍に居てくれるなら心などいらないわ』

 ある伯爵令嬢は彼の前へと金貨を積んだ。

『妾として傍に置いておきたい』

 ある侯爵令嬢はカンザナイト商会へと圧力を掛けた。


 さらには数人の貴族令息が、平民の彼を小間使いのように使っているという話も聞いた。

 それどころか、何をトチ狂ったのか、ダイヤに対して不埒なことを仕掛けようとする不逞の輩まで現れ始めたのだ。

 そのどれもが憤慨するに値する出来事だったけれど、ダイヤを困らせる者は全てが高位の貴族ばかりで、当時のアリューシャはそれを止めるすべを何一つ持たなかった。

 日々憔悴していくダイヤを見るのは本当に辛いことだった。

 けれど、そんな高位貴族の傲慢に異を唱える人物が現れた。

 以前からアリューシャ達の会合に時々顔を出していたエメラルダ王女殿下だ。

『彼のパトロンであるわたくしを差し置いて何を言っているの?』

 たった一言殿下が発しただけで、醜い彼の争奪戦がピタリと止んだ。

 王女殿下はパトロンという言葉を使ったが、殿下とダイヤがただのクラスメイトに過ぎない事は誰もが知っている事実だ。

 けれど、ダイヤの後ろには王女殿下がいると思わせる事が出来ればそれで充分だった。

 王女殿下が居なければ、争いを止める者が誰もおらず、もっと酷い事態になっていた事だろう。

 王女殿下が同じ年に入学したのは非常に幸いだったと言える。

 いや、もしかしたら聡明なダイヤのことだ。それを見越して入学した可能性もあった。

『わたくしは大した事はしていなくってよ。カンザナイト商会へあんな圧力を掛けたところで、あの商会が簡単に頷くものですか。何かあれば一族郎党全部引き連れて他国へ行くのがオチですわ』

 後から聞いた話だが、彼の家族全員がいつでも旅に出られるように、貴重品だけでなく生活用品全てを魔空間庫に入れて持ち歩いていたらしい。商会の在庫商品でさえ次男であるエルグランドが全て持ち歩いていたという。

 家族を何よりも大切にするあの家ならば、店も屋敷も全て捨てて、平気で次の日には姿を消すだろうと王女殿下は仰った。

『そもそも!現実のクソみたいな王子達と違い、わたくし達の理想の王子様を体現する彼が誰か一人のモノになるなど許される事ではありませんわ!美は万人で()でてこそ意味があるのです!』

 本物の王子様に夢も希望もないと言った王女殿下に何があったかはさておき、この事が切っ掛けとなり、『ダイヤ様の至高の美を守り愛でる会(通称:ダイヤ会)』が発足したのである。

 そして王女殿下の鶴の一声で、アリューシャは副会長の地位を拝命するに至った。

 幸いにして、当時いた婚約者はそんなアリューシャの行動には寛容だった。

 お互いに遊ぶのは学院にいる間だけだと割り切っていたからだろう。

 彼は彼で他の女生徒と懇意にしているのは知っていたし、所詮親の決めた政略結婚だ。お互いに学院時代は良い思い出を作りたいという思いで考えが一致していた。

 それは他のダイヤ会の会員も一緒で、理解ある婚約者がいる者がほとんどだった。むしろ、ダイヤに熱をあげているなら安心だと言う殿方が多かった。

 つまり、男子生徒はちゃんと分かっていたのだ。

 どんなに自分の婚約者がダイヤに熱を上げても、彼が振り向かない事を。

 そして、その事はアリューシャ達女生徒も本能的に分かっていた。

 誰のものにもならないからこそ、安心して見つめることが出来る存在。

 どんなに好きだと言っても咎められない相手。

 一方的な擬似恋愛を楽しむのに、これほど都合のいい相手は存在しなかった。

 誰のものにもならない男。

 それがダイヤ・カンザナイトだった。



 けれど、今思えばそれは何て傲慢で愚かな考えだったのだろう。

 彼は一人の人間なのだ。

 芸術品でも宝石でもない、愛するという事を知っている一人の人間だったのだ。



 アリューシャがそんな当たり前の事に気づいたのは、彼が愛する人と共に歩む将来を決めた日だった。



「こ、婚約?」

 休日明けの学院に、衝撃的な情報が駆け巡った。

 ダイヤがパイライト子爵令嬢ローズとの婚約を発表したのだ。

「うそでしょ……、ダイヤ様がまさか…っ」

 慌てて彼のクラスまで駆けつけると、大勢の人に囲まれたダイヤとローズの二人がいた。

 クラスメイトの冷やかしに顔を真っ赤にするローズと、そんな彼女を愛おしそうに見つめるダイヤ。

 まるで以前からそうであったかのように寄り添う二人。

 それを見た瞬間、まるで見えない鎖で縛られたようにアリューシャの足は動かなくなった。

「……ダイ…ヤ様……」

 あんな幸せそうなダイヤの顔は見た事がなかった。

 愛しい少女を見つめる柔らかな瞳。

 ローズの腰を抱き寄せる、逞しい腕。

 彼の全身が、彼の幸せそうなその笑顔が、その全てでローズが愛しいと物語っていた。

 知らなかった……

 あんな顔が出来るなんて知らなかった……

 ずっと彼だけを見ていたのに、アリューシャは何も知らなかった。

「……アリューシャ待って!何処に行くの?!」

 気が付けば、友人達の制止を振り切り、アリューシャは駆け出していた。

 彼と出会って初めて、彼を見たくないと思ってしまった。

 彼の笑顔が憎いと思ってしまった。

「いやよ……、ねぇ…、どうしてよ……ッ」

 彼の幸せそうな顔を思い出すだけで、後から後から涙が溢れ出してくる。

 少し恥ずかしそうに照れている微笑み。

 ローズへの溢れ出る愛おしさを隠しもしない熱い眼差し。

 どれもこれもアリューシャの知らないダイヤだった。

 まるで、アリューシャの知るダイヤこそが偽物だと言われているようだった。

「ひぅ…ぅ…ぅ……」

 気付けば、人気のない裏庭まで来ていた。

 こんな醜い顔を誰にも見られたくなくて、隠れるように木々の間にしゃがみこむ。

 貴族の令嬢にあるまじきはしたない姿だと思ったけれど、今のアリューシャにはそれを気にする余裕など無かった。

 どうしてこんなにも悲しいのか、自分でもよく分からなかった。

 彼だって一人の人間だ。

 いつかは誰かと結婚して、幸せな家庭を築く。

 そんな事は分かっていたのに、分かっていたはずなのに……

「……ねぇ…………、どうしてこんなに悲しいの……、ねぇ、誰か教えてよ…」

 誰もいない裏庭で、一人自問自答を繰り返す。


 彼も一人の男だと本当に分かっていたのか?

 分かっていたわ…

 彼と結婚したかったのか?

 違う。

 彼と恋人になりたかったのか?

 違う。

 ならば、彼に愛されたかったのか?

 違う……

 本当に?

「…………」

 分かっていたのか……?


 何度も何度も繰り返すうちに、最後は何も答える事が出来なかった。

 彼への想いを否定しようとする度に浮かぶのは、ローズを見つめる彼の琥珀色の瞳だった。

「そうよ…、見て欲しいと……、見て欲しいと思っていたのよ……」

 ローズを見るように……

 狂おしいほどの熱量を含んだ眼差しで見つめて欲しい。

 そう、思っていたのだ、心の奥底でずっと………

「あぁ…そうか……」

 つまり、愛していたのだ彼を……

 偶像でも何でもない、ただのダイヤ・カンザナイトという一人の男を……


 認めてしまえば、それはストン…とアリューシャの心へと堕ちてきた。

 だからこんなにも悲しいのだと、ようやく認める事が出来た。


「笑顔が素敵だった……」

 楽しそうに、少し目を細めて笑う顔がお気に入りだった。

「凄く勉強熱心で尊敬していた……」

 こっそりと図書館に寄っては、一人勉強をするダイヤを眺めていた。

「弟さんと凄く仲が良くて、羨ましかった……」

 家族を大切にしている彼が本当に好きだった。

 ………そう、好きだった。

 心から愛していた。

 姿を見られるだけでいいなんて嘘だ。

 誰かのものにならないならそれで良いなんて、嘘だらけだ。

 いつだって、振り向いて、笑い掛けて欲しかった。

 彼の瞳に映っていたかった。


 今なら分かる。

 ダイヤは、婚約者のいる女性が本気にならない為の分かりやすい偶像だったのだ。

 みんなで平等に愛せる、見目麗しい、何のしがらみも持たない都合のいい平民の王子様。

 独身最後の自由を彩るための、安全なスパイス。

 宝石を愛でるように好きになっても構わない。

 けれど、決して本気で恋をしてはいけない相手。

 ………それが、ダイヤ・カンザナイトだった。

 そして、そんな彼に本気の恋をしてしまった愚かな女。

 それがアリューシャ・ベルクルトという人間だったのだ。






『婚約を破棄したいというのは本当だろうか?』

『はい』

『ダイヤ君はパイライト嬢と婚約したようだけれど、それでも君は僕との婚約を破棄するのかい?』

『ええ。今回のことで、自分の本当の想いに気が付きました。政略結婚とはいえ、こんな気持ちを持ったまま貴方と結婚するのは不誠実だと感じます』

『………君は正直で、そして不器用な人だね…』

 そう言って悲しそうに笑ったアリューシャの婚約者。

『けど僕も、君を見習って自分に正直になってみようかな……』

 そう言った彼は、それ以上は何も言わず婚約破棄に応じてくれた。

 高額の慰謝料も用意していたが、彼はお互い様だからと言って一切受け取る事はなかった。

 どうやら彼も、去年の夏頃に噂になっていた相手に本気になっていたようだ。

 おそらくアリューシャが言い出さなければ、彼もまた彼女との恋を諦め、そのままアリューシャと結婚したのだろう。

 それが貴族の結婚というものだ。

 けれど、ダイヤへの恋心を自覚してしまった今、どうしても愛のない結婚をするのが嫌になったのだ。

 彼の事が嫌いだったわけではない。

 それどころか、自分には勿体無いほど良い婚約者だったと思っている。

 けれど、アリューシャの心を占めるのは、いつだってダイヤ・カンザナイトただ一人だけだった。

 だからと言って、ローズとの仲を邪魔したいと思わなかった。

 不思議なことに、奪いたいとも思わなかったのだ。

 多分、ローズを好きなダイヤのことさえ、愛してしまったからだろう。

 だからアリューシャは、自分の心に正直であろうと思った。

 そして、どうせならこの想いを生涯貫いてやろうと決めたのだ。

 こんな事を仕出かしたアリューシャを、大半の人が愚かだと笑うだろう。

 恋心なんて黙っていれば誰にも分からないというのに、どうしてわざわざ他人のモノになった男をそこまでして想うのかと。

 正直、自分でも自分自身に呆れている。

 けれど、好きなものは好き。

 例えそれが他人のものであろうと、想う心だけは自由でありたいと思ったのだ。

 だからこそ、自分自身を偽らないためにも、婚約を破棄した。

 好きなものを好きだと言えない後悔は一度だけで十分だった。

 だからこそ、その為ならばどんな努力でもしようと心に誓った。


『わたくしは生涯独身を貫くことに決めました!』

『馬鹿を言うな!跡継ぎをどうする気だ?!』

『血縁から養子を取ります!お願いです!どうか私に機会を下さい。一年!一年でいいのです!必ずや一年で領主として成果を出してみせます!』

 父の説得は一ヵ月を要したが、卒業後一年間で女領主として結果を出せなければ、どんな相手とでも結婚するという約束をして納得させた。

 勝算はあった。

 前から、漠然と思い描いていた構想がある。

 以前のアリューシャならばしようとすら思わなかっただろう大事業だ。

 けれど、婚姻という呪縛から解き放たれた今、アリューシャにはやりたい事が一杯だった。

 ただし、それを叶えるためには、死に物狂いで結果を出す必要がある。

 ここがアリューシャの人生の正念場であった。



 そうしてアリューシャが本格的に領主としての仕事に着手し始めた頃、その一方で、ある一人の少女がその短い生涯に幕を下ろしていた。

 卒業を一ヶ月後に控えた寒い日の午後。

 アリューシャの親友であるユリーナ・ケルビットの遺体が発見されたのだ。


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[一言] うを…衝撃の展開…
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