ダリヤ会
男子二人組視点
「いや~、それにしても面白い方だったよな~」
「あれを面白いと言えるお前の神経の方を疑う…」
ベルクルトにあるカンザナイト商会の従業員宿舎の一室、ようやくアリューシャの屋敷から戻ってきたミルボーンとザルオラの二人は、堅苦しい訪問着を脱ぎ捨て、漸く安堵の息を吐き出した。
結局あの後、中々現実世界へと戻ってこないアリューシャを待たず、ミルボーンとザルオラの二人は帰された。
先に帰っていいと言われた時、嬉しさの余り思わず叫びそうになったミルボーンである。
しかし、ルビーとサフィリアの二人はそういう訳にもいかず、晩餐に呼ばれた後は、そのままベルクルト邸に泊る事になっている。
「なぁザルオラ、昨日は怖くて聞けなかったんだけど、ダリヤ会ってなんだ?」
「読んで字のごとく、ダリヤさんの信奉者の集まりだ」
「……信奉者って何だよそれ?」
「お前の妹と同じやつだ…」
ミルボーンの妹はとある劇団の役者に夢中で、彼の舞台を観ては絶叫し、朝晩その役者の姿絵に話しかけるのが日課になっている。
先日は握手することに成功したとかで、手を洗わないと言い張って両親と喧嘩をしていた。
「あれのもっと凄いのがダリヤさんの信奉者だ」
「………あれより酷いのか………」
普段は気立ての良いパン屋の看板娘である妹だが、役者の悪口を言おうものなら、人が変わったように暴れるのだ。
一度だけ『こんな男のどこがいいんだ?』と、壁に掛けられた姿絵を指で弾いた瞬間、持っていた麺棒で滅多打ちにされた事がある。
今思い出しても身震いするほど恐ろしい出来事だった。
しかし、この話を知っているはずのザルオラが、そんな妹よりもダリヤ会の方が恐ろしいと言う。
何でも、狂信者と言ってもいいほどの過激な信奉者が多数いるらしい。
思わずアリューシャが分裂する姿を思い浮かべてしまい、ミルボーンはゾッとした。
「そんな恐ろしい会、誰が作ったんだよ……」
「オーガスタ公爵夫人エメラルダ様だ」
「公爵夫人がなにゆえ…」
言いながら、何かに気づいたミルボーンの瞳が大きく見開かれる。
「いやいやちょっと待て!エメラルダ様って言ったら、元王女殿下じゃねぇか!」
ベルトラン殿下の姉であり、元第二王女のエメラルダがダリヤ会の会長なのである。
降嫁された今、オーガスタ公爵夫人として社交界に君臨している女帝だ。
「おかしいだろ、なぁ!なんで元王女様が一介の平民の信奉者なんだよ?!おかしいだろ?!なぁってば!」
確かにダリヤはミルボーンから見ても非常に男前だ。
同じ平民なんだとは思えないほど気品に溢れ、歩くだけで花が散るんじゃないかと思われる程、一つ一つの動きが優美だった。
その姿は絵本に出て来る王子様そのもので、城下町でもかなりの数の信奉者が存在するのは知っていた。
しかしまさかその魅力の影響が貴族に、更には王族にまで波及しているとは想像もしなかったのだ。
「ダリヤさんのことは、魔術学院では未だに伝説になっている」
ダリヤが歩くだけで、その後ろを女生徒の群れが付いて行ったという話だった。
「ちなみに、男の信奉者も多くてな…」
「は?お、男?」
「ああ……。あの美貌を前にトチ狂う男が多数居たらしくてな、そんな男の魔の手からダリヤさんを救う為に設立されたのがダリヤ会の始まりらしい」
王女殿下の指揮の下、邪な感情を持つ男達を排除し、また平民であるダリヤに高圧的な態度を取る貴族も次々に粛清されていったようだ。
「こわっ!何それ、怖すぎるぅ……」
当時を知る人間が語るには、まさに学院はダリヤハーレムさながらだったと言う。
だが、さすがに王女が関与した粛清には待ったが掛かった。事態を重くみた王宮が調査に乗り出したのだ。
「調査?なんで?」
「魅了魔法を使ってないかどうか、後は、敵国のスパイじゃないか…とか」
「なるほど…」
しかし結果は白。
魅了魔法はもちろん使われておらず、それどころか、ダリヤの魔力はかなり低い物だった。
更に、ダリヤ自ら女性に声を掛ける事もほとんどなく、ただ単に周りがその美貌に熱を上げているだけだと判断されたのである。
それに王女殿下の婚約者であった公爵令息からも、『愛と美への信仰は別物』という、非常に懐の深い擁護があったらしい。
それ以来、婚約者がダリヤに熱を上げても、温かく見守るのが懐の深い男の条件になったという。
「なにそれ…、公爵様格好いい……」
この事が切っ掛けで結婚したい理想の男第一位に輝いたオーガスタ公爵令息だったが、それでも次から次へと女性を虜にしていくダリヤは全くの別物で、ついには『傾国の君』とまで呼ばれることになったらしい。
「傾国…、洒落になんねぇな……」
しかしそんな騒動も、ローズとの婚約を発表してからは終息していったと聞いた。
だが、それ故に今残っているダリヤ会の会員は皆かなり熱狂的な人物ばかりだ。
「それにしてもザルオラ……、お前やけに詳しいな?」
ザルオラが入学した時には既にダリヤは卒業していたはずである。
「先輩に聞いたのか?」
「いや……」
何故か言葉を濁し、少しの逡巡の後、ザルオラは少しだけ言い難そうに口を開いた。
「学院にはな、開けずの間と呼ばれる場所があるんだ」
「開けずの間?開かずじゃなくて?」
「そう、開けずの間だ。開けたが最後、三時間は部屋から出られなくなるという恐怖の部屋だ」
別名、絶対に開けてはいけない部屋とも言う。
「だが俺は、一年の時、うっかりその扉を開いてしまった……」
ゴクリ…ッと思わすミルボーンは唾を飲み込んだ。
「何が有ったと思う?」
「し、死体とか…?いや、話の流れで言うと、ダリヤさんが居た時の騒動の資料とかか?」
想像出来る限りの例を挙げてみるが、ザルオラは遠い目をしながらゆっくりと首を振る。
「そこに有ったのは、壁一面に張られたダリヤさんの大量の姿絵だ……」
「は?」
「天井に至るまで部屋中に張られたダリヤさんの姿絵。そしてそんな部屋の真ん中に座るのは、副学院長であるジャグリーン様だった」
恍惚とした表情で姿絵を見る姿。
ザルオラは、決して見てはいけない物を目にしてしまったのだ。
「おぉぉぉぉ…、教師まで魅惑されてたのか?!」
「ちなみにジャグリーン様が、ダリヤ会会員番号三だ」
「やべぇな、おいっ……、お前大丈夫だったのか……?」
「……ダリヤ会の事を聞かされた上で、延々と三時間ほどダリヤさんの素晴らしさについて語られ続けた……」
夕食の時間になるまで帰して貰えなかったと言う。
「というかお前、そんな話を聞いた後でよくカンザナイト商会に入ろうと思ったな?」
「ダリヤさんやカンザナイト家の話自体は非常に面白かった」
途中で小刻みに入る賛辞の言葉さえ無ければもっと良かったとは思う。
「……旅がしたかったんだ。行商なら国内も回れるし、認められれば外国へも連れて行って貰えると聞いて…」
「分かる!普通にしてりゃ国どころか街からさえも出ねぇしな!でも、お前は王宮魔術師にもなれたんじゃねぇのか?勿体ねぇ…」
ミルボーンは残念そうに言うが、彼もパン屋は継がずこの商会で働いているのだ。ザルオラと同じ理由でこの商会にいるのは明白だった。
「俺は、カンザナイト商会に入れて良かったと思ってる……」
ザルオラは貴族とはいえしがない男爵家で、しかも継ぐ家もない四男である。
将来を考えて魔術学院に入ったものの、王宮魔術師になれるだけの才覚はなかったので、文官になろうとそれなりに勉強を頑張っていた。
そんな時に降って湧いた新たな将来の可能性。
二年に進級した頃、たまたま手に持っていた小さな石を収納出来たのが空間魔法に目覚める切っ掛けだった。
その時の魔空間庫の容量は拳大という極めて小さいものだった。
だからこそ今まで自分が空間魔法を所有しているとは気づかなかったし、以前受けた魔力検査にも引っかからなかったのだ。
けれど、拳大の大きさとはいえ、魔空間庫は魔空間庫。
しかも魔空間庫は訓練次第で容量を増やす事が出来る。
卒業までに荷馬車半分の大きさを超えれば、魔空間庫持ちは、どんなに攻撃魔法が低くても王宮魔術師として採用され、軍属に就くことが出来るのだ。
将来の可能性が一気に増えた。
けれど、その時に思い出したのが、ジャグリーンから聞いたダリヤの、いやカンザナイト家の行商の話だった。
危険を伴う旅を恐れることなく、世界中の国々を回って商売をしているカンザナイト家。
見たこともない工芸品や食べ物を持ち帰り、またこの国の物を見知らぬ国へと運ぶ。
本でしか知らない国、食べた事のない食べ物。そして商売を通じて知り合う様々な人種の人々。
それらの話は、ザルオラの心を魅了してやまなかったのだ。
俺もそんな旅がしたい……、そう思ったら居ても立ってもいられず、気が付けばカンザナイト家の門を叩いていた。
「ダリヤさんを最初に見た時、間違って貴族の屋敷に来たかと思った…」
「俺はちっせぇ頃から見てるから慣れてるけど、大体最初に見たやつは動かなくなるよな」
ジャグリーンの話は大げさだと思っていたが、誇張どころか、完全なる真実だった。
怒らせると怖いが、接客の苦手なザルオラを見捨てる事なく雇ってくれている面倒見のいい人物である。
「ところでさぁ…」
「なんだ?」
「ローズ奥様って平気なのかな?自分の夫にそんな怖い女性陣の団体が付いてるとか、嫌じゃねぇのかな…」
ローズ奥様が虐められてたら大変だ…と心配するミルボーンには悪いが、そんな心配がないことをザルオラは知っている。
「名誉顧問…」
「はっ、え?……………ローズ様が?」
「そうじゃなきゃ、アリューシャ様に姿絵なんて贈らないだろ」
もしかしたらローズが一番最強なんじゃないかと思っているザルオラだ。
あんなに大人しそうな奥様がまさか…と、涙目になっているミルボーンには悪いが、現実なんて得てしてそんな物だ。
「ところでミルボーン……」
「なんだぁ?」
「さっきアリューシャ様が、ダリヤさんの事を金剛石の名に相応しいとか何とか言ってなかったか?」
「あぁ、恍惚とした表情で呟いてたな、確か……」
「ダリヤって確か花の名前だよな?あれはどういう意味なんだろう……」
アリューシャは思わずと言った表情で呟いていたから、恐らく無意識だったのだろう。
だからこそ、ダリヤを褒め称える為だけに偶然出たとは思えない不自然な単語だった。
「それは多分、ダリヤさんが昔ダイヤって呼ばれてたからだと思うぞ」
「ダイヤ……?」
「事情は知らねぇけど、学院を卒業する直前に改名したんだ」
「改名?!」
「おう。それ以降は絶対にその名前で呼んじゃダメだって聞いてるから、お前も気をつけろよ」
何でもその日以降、商会関係の書類でさえも全てが書き換えられたと言う。
「もしかしたら、そのダリヤ会の絡みで何かあったのかもな」
「あり得るな……、何と言っても傾国とまでも言われた人だからな……」
今度王都に帰ったら、久しぶりにジャグリーンを訪ねてみようと思ったザルオラである。
感想や誤字脱字報告ありがとうございます。
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