魔空間庫の不思議
個別の御礼が出来ずに申し訳ありませんが、沢山の感想ありがとうございます。
また、誤字脱字報告も沢山頂きました。ありがとうございます、大変助かりました。
読んで下さった方々に申し訳ない量の誤字の多さに、土下座でお詫びしたい心境です。
慌しい婚約破棄騒動から二週間。
ようやく全ての手続きが終了し、ルビーはサフィリアと共に行商へと向かうことになった。
今回の行商はいつもの予定より長く、今度の叙爵において下げ渡される領地をゆっくりと見て歩く予定だ。
領地候補地の村には出来るだけ長く滞在したいと思っているので、いつもは五名ほどの商会従業員も今回は倍の人数が随行している。
「今日はいい天気ね」
「この調子なら、今日中にはベルクルトに着けそうだね」
王都を出発して既に三時間が経っていた。そろそろ陽が中天に達しようとしている。休憩するにはちょうどいい頃合だ。
それを見計らったように、先行していた馬車が停まった。
森の木々が少し開けたこの場所は、馬車が十台ほど停められる広さになっており、この森を通る時は大抵ここで休憩を取ることにしていた。
「サフィ坊ちゃん、お嬢、休憩にしましょうや」
先頭の荷馬車から、碧眼の厳つい男が一人降りてきた。
商会のベテラン従業員で行商の担当をしているクルーガだ。
「クルーガ、頼むから坊ちゃんは止めてくれ……」
祖父の代からいる古参のクルーガは、小さな頃からルビー達を知っているせいか、サフィリア達を坊ちゃんと呼んで憚らない。
ちなみに、父のカーネリアンでさえリアン坊ちゃんと未だに呼ばれているので、恐らくサフィリアの願いが叶うことはないだろう。
「みんな、お疲れさま~」
ルビーの掛け声と共に、五台の荷馬車から次々と従業員が降りてくる。
食事担当が昼飯の準備を始める他は、各自が適当に寛ぎ始めた。行商になれた従業員ばかりなので、言わずとも分担が出来上がっている。
「クルーガ、昼食が出来るまでいつもの訓練をしようと思ってるから、空間魔法持ちを集めてくれる?」
「了解でさぁ」
クルーガが声を掛けると、慣れた様子で三人の従業員が集まってくる。クルーガと同じ行商担当のマイルスと、若手従業員のミルボーンとザルオラだ。
強面のクルーガと優男風で当たりの柔らかいマイルスのコンビは優秀で、何処の村に行っても歓迎されるのはこの二人の手腕によるところが大きい。
ただ、二人ともそれなりの年なので、今は後継の育成に力を注いでいる。
そんな彼らの期待を背負っているのが、ミルボーンとザルオラの二人だった。
「お嬢、俺、結構容量増えたぜ!」
そう言って楽しそうに笑ったのは、一つ年下のミルボーンだった。
彼とルビーとは幼馴染みで、幼少の頃からの付き合いだ。
ミルボーンの家はパン屋を営んでいるが、彼に空間魔法があると分かってから、カンザナイト商会へと勉強がてら奉公に出された。
幼少の頃から訓練を積んだお蔭で、最初はズダ袋一つ分ほどだった魔空間庫の容量が、今では倍ほどの大きさになっている。
成人した時点で実家や他の商会へ移ることも出来たのに、彼はそのままカンザナイト商会に残ってくれた。今は行商担当になるべく勉強中だ。
対してザルオラは二年前に学院を卒業すると同時にカンザナイト商会へと入った変わり者だ。クラスは違うが、ルビーとは学院の同期に当たる。
ザルオラはアルビオンと同じく水魔法を得意としており、それの上位魔法である氷魔法も使える優秀な魔術師だ。その上彼は学院時代に空間魔法も保持していることが判明した。
その結果、彼が卒業する際には王宮魔術師への勧誘が凄かったらしいが、何故かそれを蹴ってまでカンザナイト商会へとやってきた人物である。
当然、こんなお買い得な人物の採用を見合わせるダリヤではなく、彼は即座に採用された。だが残念なことに、彼は計算能力も非常に高く優秀なのだが、非常に無口で接客には向かなかった。
悩んだダリヤは、クルーガの下に就けて行商の仕事を覚えさせた。
水魔法を使えるので旅程で飲み水に困ることもなく、魔獣が出ても攻撃魔法で簡単に蹴散らしていると聞く。どうやら行商担当にしたのは正解だったようだ。
接客に関しては、人当たりのいいミルボーンが補うことで上手く回っているらしい。
陽気なミルボーンと無口なザルオラの凸凹コンビは、次代の行商担当として期待されている。
「そうだ、お嬢!ザルオラのやつ、魔空間庫を結構冷やせるようになったんだぜ!」
「そうなの?!」
自分のことのように嬉しそうな顔をしたミルボーンが自慢げに言うと、声を掛けられたザルオラが魔空間庫から大きな水瓶を取り出した。
「良かったら飲んでくれ」
言いながら、水瓶から汲んだ水をコップに注いでいく。
「冷たい…」
まるで、冷納庫から取り出して直ぐのような冷たさの水に、思わず頬が緩んだ。
長い行商の日程の中で、こんなに冷たい物を口に出来る機会など早々ない。
「凄いわ」
「前は少し冷たいくらいだったのに、ザルオラは凄いな」
サフィリアと二人、水滴の残るコップを持ち上げる。
魔空間庫の中で冷やされた水。
これは、空間魔法と氷魔法を使えるザルオラだからこそ使える非常に稀有な魔空間庫の使用方法だった。
魔空間庫といっても、人物の特性に合わせてそれぞれに機能が備わっている。
ザルオラは氷魔法の特性を生かし、魔空間庫を冷やすことに成功していた。
時間停止機能とは違い、冷やすことに特化した魔空間庫。
今のところザルオラしか持っていない貴重な魔空間庫だ。
魚などの生鮮食品を運ぶ際、以前は最初に氷魔法で冷やし、それを冷納庫などで保管した上で魔空間庫に収納していた。
だが、ザルオラはその必要がない。
ザルオラの魔空間庫に収納すれば、自然と冷えた状態で出てくるのだ。
今は更にその氷結機能を高め、凍った状態と冷えた状態に分けて保存出来ないか訓練しているらしい。
魔空間庫を冷納庫や氷納庫のように使用しようと頑張っているのだ。
正直、今すぐ王宮魔術師になった方がいいのではないかと思うくらい優秀なのだが、本人は大層この仕事が気に入っているのか、いつも楽しそうに行商に行っている。
「魔力は大丈夫なの?」
「ああ。普通に氷結魔法を使うよりも微力の魔力で済む」
「不思議ね」
「不思議だな…」
空間魔法には未だ解明されていない謎が多い。
ちなみに、ルビーの保有している魔空間庫に時間停止機能は付いていない。
ゆえに生モノの保存には向いておらず、必要な際はサフィリアに預けている。
ただし、保有容量はかなり大きく、馬車二十台分は軽く入るのが自慢であった。
対してサフィリアの魔空間庫には時間停止機能が備わっている。容量はルビーの半分ほどだが、収納時の状態が保持される時間停止機能はかなり貴重だ。
「サフィ兄さん、魔空鞄にも冷凍機能付けれないかしら……」
「頑張って開発してるらしいけど当分先だろうな。むしろ、ロイド君辺りが先に開発しそうだ」
「あの魔具馬鹿なら有り得るかも……」
普段は昼行灯のようにのんびりしているロイドだが、彼の魔具に掛ける情熱はかなり熱い。これと思ったら、寝食を忘れて打ち込むのでエミーリャが心配している。
「それより、お嬢。訓練しなくていいのか?」
「そうだったわ」
既に魔空間庫に入れていた全ての荷物を取り出したミルボーンが、意気揚々と腕を捲くりながら森の奥にある湖の方へと歩いていく。
彼のいう訓練とは、魔空間庫の容量を広げる訓練のことだ。
魔空間庫は、ある程度訓練をすれば容量を増やすことが出来る。
やり方は簡単だ。
容量限界まで使用することを何度も繰り返せば、徐々に最大容量が増えて行くのだ。
その増え方や上限は人によるが、幼少時から訓練するほど効果が高いと言われている。そして、形ある物を入れるよりは、砂や水などの流動物の方が効率がよく、湖や海に行く機会があれば出来るだけ訓練する事にしていた。
「馬車一台分くらいにはなりてぇな」
鼻息荒く前を行くミルボーンは、未だジワジワと容量を増やしていた。
対して、ルビーやサフィリアは頭打ちで、最近は殆ど増えない。それでも、僅かな期待を込めて時間があれば訓練に励んでいる。
ちなみに、次兄のエルグランドは歴代最高と言われる魔空間庫容量を誇っていた。大きさにして大型客船五隻分以上という破格の容量だ。
そして、何故五隻以上という曖昧な数値なのかというと、それ以上は船が足りなかったせいである。ただし、海水を収納した結果、上限があるのは確定しているので、無限大ではないらしい。
そんなエルグランドは、たった二人の従業員と一緒に世界中を旅しながら、珍しい物や面白い物を大量に買い付けている。
外国の珍しい物が欲しければカンザナイト商会に行けと言われるほど、取り扱っている商品が多岐に渡るのはエルグランドのお陰だ。
「ところで、ザルオラはどうする?冷たいの、出すとマズイわよね?」
「いや、温くなっても困る物はない…」
そう言って、彼は冷やしていた水瓶などを取り出してミルボーンの後に続いた。
「じゃあクルーガ、後は頼むわね」
「あいよ」
荷物番としてクルーガと他の従業員を残し、ルビー達は森を少し進んだ先にある湖を目差した。
「よっしゃ!俺が一番乗り!」
湖が見えた途端に走り出したミルボーンが、勢いよく湖へと腕を突っ込む。
「おし、順調に増えてるな」
一人嬉しそうに頷いているミルボーンに呆れながら、追いついたルビー達も湖へと腕を入れた。
そして水を取り込む事を意識しながら、掌に魔力を流す。
途端に大量の水が流れ込んでくる感覚があった。
「ルビー、どうだ?」
「前回と余り変化はないように思うわ」
「俺もだ…」
明確な数値として出る訳ではないが、飴玉一つ分でも増えれば、感覚で何となく分かるのだ。
けれど、その微々たる変化すらここ数ヵ月は全く感じない。
「お嬢達は小さいころからやってますから、そろそろ上限になってるんじゃないですか?」
「そういうマイルスはどうなの?」
「私も特に変化は感じません」
「ザルオラは?」
「……前回より少し増えてると思う」
どうやら前回より増えているのはザルオラとミルボーンの二人だけのようだった。
詳しく聞けば、二人は普段も井戸などの水を使って訓練しているらしい。
「もうこれが限界なのかな……」
魔力を操作しながら、水の出し入れを繰り返すが、やはり前回より増えているようには感じない。
まるで、自分の限界がここまでなんだと言われているようで、気分が落ち込んでくる。
「はぁ……」
思わず漏れたため息が大きく、自分でも少し驚きながら湖面に映る顔を見る。
真っ赤な髪をした、気の強そうな顔。
今回の騒動で少し痩せたせいで、目元のきつい印象が増したような気がする。
こんな時に思い出すのは、アルビオンの隣にいたミレーユの顔だ。
ルビーとは対照的な、小動物を思わせる可愛い顔立ち。
どんなに化粧を工夫しても、あのゆるふわ感を出す事は不可能である。
「もっとこう、垂れ目にしたらいいのかな…」
空いた手で目じりを下げてみるが、間抜けな顔になっただけだった。
自分の顔が気に入っているのでゆるふわを目指すつもりはないが、世の男性の好みと離れているのかと思えば、少々落ち込みもする。
「湖の中から男前でも出てこないかな…」
「もし本当に出てきたら、それただの魔獣だから」
「だよね…」
実際にケルピーという水中に生息する魔獣の幻覚で、美女が見えることもあるらしい。
そして残念なことに、この湖にはケルピーどころか魚一匹生息していなかった。
「今度ここに金魚を放したら増えるかな…」
金魚にしてみたら大変迷惑な事を考えていると、不意に体がグラリと傾いた。
覗き込み過ぎたのか、まずいと思った時には目の前まで湖面が迫っていた。
「ルビー!!」
寸でのところで、サフィリアがルビーの腕を掴む。
それと同時に、傾いていたルビーの体がピタリと止まった。
「間一髪……っ」
眼前スレスレのところで揺れる湖面に、微かに血の気が引いた。
「あ、危なかった……」
サフィリアが隣に居なければ危うく顔面から湖に飛び込むところであった。
溺れるほどの深さはないが、それでも落ちれば大惨事だ。
「ボーとするのもいいけど気を付けないと……」
「ゴメンなさい…」
確かにここ最近のルビーは注意散漫だ。
騒動が一段落して気が抜けたのが原因だと分かっているが、中々復活出来ないでいる。
前を向くと決めたし、アルビオンに未練がある訳でもない。
ただ、緊張の糸が切れたような感じで、時間が出来ると腑抜けた調子になってしまう。
けれどこのままではまずい。
行商には常に危険が付きまとう。
気を引き締めなければいけない。
「サフィ兄さんゴメンなさい。次からは気をつけるわ」
「分かってるならいいんだよ。ただ、こういうのは心臓に悪いからやめてほ…」
不意に、サフィリアの言葉が途切れた。
何事かと思って様子を窺えば、ルビーの腕を掴んだまま、何故かサフィリアは怖い顔で湖を凝視している。
「えっ、もしかして本当にケルピーが出ちゃった?」
ドキドキしながら視線を動かしても、そこには変わりない湖面が見えるだけだった。
周りにいたミルボーン達も不思議そうにサフィリアを見ている。
「サフィ兄さん?」
「増えてる…」
「何が?」
問い掛けながらも、ルビーもある異変に気付いた。
そして、サフィリアと同じように固まる。
「う、うそっ!容量が増えてる!え、なんで?!」
魔空間庫に入った水の量が突如増えていたのだ。
*長兄ダリヤの名前について
頂いた感想にて数件のご指摘を頂きましたので、活動報告にて名前の由来を書かせて頂きました。
詳細については今後の展開に含まれるので触れてはいませんが、若干のネタバレを含みますので、気になる方のみご覧下さい。