戒め②(ベルトラン視点)
ベルトランと平民三人の邂逅
区切る箇所を迷走したので、そのままアップしました。
長いので、お暇な時にどうぞ
魔術学院に入学したベルトランは常に刺激に飢えていた。
幼少から厳しく詰め込まれた学問のお蔭で、学院での授業は酷く詰まらない上に物足りない。魔術に関しては学ぶことも多かったが、知識ばかりの詰め込み授業が多く、実践を試してみたい思いが常に燻っていた。
更に、同じ年に入学した婚約者のアリステラは常に一歩引いた態度で余所余所しく、それも酷く癇に障った。
本来なら、アリステラは兄である第二王子の婚約者になる予定だった。だが、兄と隣国の王女との縁談が持ち上がり、アリステラの婚約者はそのままベルトランへと移ることになってしまった。
兄のお下がりを宛てがわれたようで面白くなかった。その上、アリステラは常に王族としての務めしか話さず、一緒にいて退屈極まりない存在だった。
そんな時に現れたのが、男爵令嬢のセシルだった。
庶子の出という事で学院では浮いていたセシルだったが、彼女と話すのがベルトランは楽しくて仕方なかった。
彼女に聞く平民の生活は凄く楽しそうで、何度もお忍びで城下へと二人で出掛けた。
その度に護衛には散々お小言を食らったが、これも民の生活を知るためだと言って強引に続けた。
彼女と過ごす日々は刺激的でとても充実していた。
だが、セシルと親しくなるにつれ、婚約者であるアリステラからの苦言が日増しに増えていった。
『婚約者のいる殿方にみだりに触れてはいけません。二人きりで会うなど以ての外ですわ。それに、いくら学院が身分なく平等と言っても限度があります。これは階級差別ではなくマナーの問題です』
今思い起こせば彼女は当然のことしか言っていないというのに、当時のベルトランはそれが彼女の嫉妬からくるものだと思いこみ、ますますアリステラを遠ざけるようになっていた。
当時のベルトランは本当に馬鹿だった。
そして、そんなベルトランを正気付かせてくれたのが、Aクラスに在籍する平民の三人の言葉だった。
ロイド・タングスタンは、黒髪のひょろりとした男だった。
これと言って特徴のない平凡な顔立ちの男だが、貴族の誰よりも優秀で、筆記に関してだけ言えば、ベルトランや宰相の息子を抑えて常に一番の成績を残していた男である。
そして、ロイドの傍にはいつも綺麗な二人の女がいた。
貴族と見間違うほどに整った容姿をした銀髪の女の名前はエミーリャ・ソルベットと言った。
華奢な外見とは裏腹に、性格は豪快の一言に尽きた。その上、稀に見る火炎魔法の使い手で、筆記試験は奮わないものの、実技においては魔術師団長の息子と常にトップ争いを繰り広げている女だった。
そしてもう一人が空間魔法の使い手であるルビー・カンザナイトだ。ルビーという名前が表す通り、燃えるような真っ赤な髪が特徴で、豪商であるカンザナイト家の娘としても有名だった彼女は、筆記も実技も常に五番以内と優秀だった。
この三人が、成績順で決まるクラス編成において、貴族を抑えてAクラスに名を連ねることになった平民達であった。
今でこそ三人と普通に会話をしているが、当時の三人はAクラスでも浮いた存在だった。
それもそのはず。
幼少から家庭教師をつけていたにも係わらず、大半の生徒は平民の三人に負けたのだ。
当然、酷い妬みを受けた三人の立場はかなり悪かった。
本来なら、そういった貴族と平民の緩衝材にベルトランがなるべきだったのだろう。
だが、貴族にどんな嫌味を言われても大人しくしていた三人を、当時のベルトランは酷く詰まらない存在だと思っていた。
もっと破天荒な平民らしい話が聞けると思ったのに、こちらが聞いた事に頷くくらいしかしない三人に、ベルトランは失望していたのだ。
そして、そんな時に出会ったのがセシルだった。
Aクラスの三人からは得られなかった庶民の生活を話してくれる彼女は、次々にベルトランが知らなかったことを沢山教えてくれた。
今日はセシルと何をしようか?どこに行こうか?
気付けば、いつもセシルのことばかりを考えていた。
あの日も、放課後にセシルと街へ行く約束をしていた。
だが、教室に忘れ物をしたことに気付き、慌てて引き返したのだ。
すると、ちょうど教室から出てきたアリステラと鉢合わせしてしまった。
こんな事なら忘れ物は侍従に取りに行かせれば良かったと後悔したが遅かった。
公務をサボってセシルと出掛けると聞いたアリステラから案の定お小言が始まる。
だが、既に門でセシルを待たせていた。彼女の言葉を聞いている時間はない。
「いい加減にしろ、鬱陶しい」
憎々しげに呟いた言葉に、アリステラの瞳が悲しそうに揺れる。
思い出すだけで自分の顔面を殴りたい衝動に駆られるが、当時のベルトランはアリステラの何もかもが気に入らなかった。
「いつもいつもガミガミと聞くに堪えない。お前こそ自分の分を弁えろ」
そこまで言って、ようやくアリステラの言葉が止んだ。
グッと唇を噛み締めて何かに耐えている様に少しだけ溜飲が下がる。
そして、アリステラが何も言わなくなったのをいいことに、ベルトランは教室へと足を進めた。
瞬間……
「あのノータリン王子はどうにかなんないのかな~~」
「だよね~。アリステラ様、お可哀想だわ」
「あんな美女を無下にするとか、王子の趣味悪過ぎんだろ!」
扉の向こうから聞こえた声は、このクラスにいる平民達のものだった。
常にない三人の声色に、思わず扉を開けようとしていた手がピタリと止まる。
「つうかよ、セシル嬢だっけ?あんなのが平民の代表とか言われんの、ホント勘弁して欲しいよな~~」
「ホントホント。あんな下品なのが平民とか言われたらこっちが困るよね」
教室内にいるのは恐らく三人だけなのだろう。
普段は教室の隅で大人しく授業を受けている平民達は、よほど不満が溜まっていたのか、かなり語気も荒めに盛り上がっていた。
まさかベルトランが聞いているとは思っていないのか、三人の会話は留まる事を知らない。
「高位の、しかも顔のいい人限定で擦り寄るの、何なのあれ?」
「あ~~、やっぱりアレってそうだよな?」
「それ以外に何があるのよ?この学園では身分差なんてないはずですぅ!って言うけど、あの子が一番差別してるよね?仲良くなるの、高位で顔のいい男ばっかり」
「婚約者のいる人に無闇に近付かないのって常識よね?それなのに、まるで平民全部がそんな事気にしないみたいな態度を取られてホント迷惑っ」
「平民だって恋人持ちに言い寄る人間なんてただの尻軽くらいだっての」
「この間見たけど、男性の腕にギュッとしがみ付いてんのよ、胸押し付けて」
「困るよね、ああいうの。平民の女性がみんなあんなのと思われたら最悪」
扉越しでも聞こえる大きなため息を付いたのは、恐らくエミーリャ・ソルベットだ。
彼女の詳しい話を聞けば、どうやら他の貴族からお前らもあれくらいしろと言い寄られたらしい。
「あんな事するの娼館の客引きくらいだと思ってたわ」
「いやいや、まだ娼婦のお姉ちゃんの方がマシだって」
「けど、ノータリン王子とか、それで喜んでるんでしょ?」
「その内、プレゼントとか強請られて貢ぐタイプだぜ」
「もうかなり貢いでるんじゃない?」
「はぁ~、それって国民の税金でしょ?勘弁して欲しいわ」
「全くだ…」
扉の前で固まったままのベルトランに、同じように話が聞こえていたらしい侍従と護衛騎士が当惑した顔をしている。
また、同じように話を聞いていたアリステラが、困ったように眉を寄せていた。
「不敬罪で咎めて参りましょうか?」
アリステラの固い声。
ベルトランが言えば、彼女はおそらく直ぐにでも三人を止めに入るだろう。
だが、それは出来ない。
それをすれば、アリステラはベルトランを見捨てる。
何故か、そう思えた。
「大体さ、アリステラ様が言ってること全部当たり前のことばっかりだよな~」
「それなのに言われても理解しないとか、ホントに頭が軽過ぎるわ」
「そもそも、庶子の出だからマナーがよく分からないって言うけどさ、同じ平民の私達が出来るのに、あの尻軽チャンが出来ないとかおかしいから」
「男爵家に引き取られたの一年前だろ?一年間何をしてたんだか……」
「はぁ~、あの尻軽チャンのせいで、益々クラスで肩身が狭い」
「ホントよね。こっちは必死で勉強してこのクラスに入ったのに、まるで誰かに媚び売って入ったように言われるし、マナーが悪いのは自覚してるから、出来るだけ不快にさせないよう大人しくしているのに、殿下は勝手に話し掛けて勝手に失望していくしさ」
「フランクに話せって言うけど、それならそれで話し易い話題を振って欲しいわよね」
「いきなり城下で流行ってる物とか聞かれても分かるかっての!しかも女性に人気の菓子とか知るか!」
「殿下もせめてルビーに振ってくれたら答えられたでしょうに」
「でも多分、何を言っても気に入らなかったかもよ」
「なんで?」
「だって、私達全員言葉使いには気を付けてるじゃない?」
「当たり前だろ?幾ら学院内は平等って言っても、親しくない人間にタメ口聞くほどバカじゃねぇぞ」
「だからさ……、ノータリン王子はそこが分からないんだよ」
「なるほど。親しくない人間にも気軽に話すのが平民ってか?」
「そういう事。だけど、そんなのは一部の、ううん、例の尻軽チャンくらいでしょ?幾ら私達が平民だからって、親しくない人といきなり親密に話す訳ないじゃん」
「こういうのは平民とか貴族とか関係なく一般的なマナーだと思うんだけど、ノータリン王子はそれが分からないのよね。だから自分の思う平民像から外れた私達に勝手に失望してるのよ」
マナーを知らないのが平民だと、ベルトランは心のどこかで決めつけていた。
だが、確かにAクラスの三人のマナーが酷いとは思わないし、今まで学院で話した平民も、特に粗野な人間はいなかった。
みんな大人しくベルトランの話を聞くだけでつまらないとはずっと思っていたが、彼らから言わせれば、セシルのマナーの方が異常だったのだ。
そして、そんなセシルこそが平民なんだとベルトランは思い込んでいた。
「俺は平民とも仲良くしたいって言うけどさ、周りの状況を見て言って欲しいわよね。あんたはタメ口で話して満足なんだろうけど、後から周りの貴族にネチネチと言われるのはこっちなんだからさ」
「まぁ、平民の話を聞きたいと言ってくれるのは嬉しいけどさ。だったら、ちゃんと会話出来るような環境を作りあげてから言えってな」
ベルトランは出来るだけ学院にいる平民に声を掛けて話を聞こうとしていた。それが、この国の治世に必要だと思っていたからだ。
だが、誰も彼も恐縮するばかりでまともに話してはくれない。
ちゃんと話を聞いてくれたのは、一年前まで平民だったというセシルだけだったのだ。
けれど今、どうしてベルトランが平民から避けられていたのかを知ってしまった。
向こうの都合も聞かず、話を聞くだけ聞いて勝手に失望して……
確かに、高位の王族ならそれも当然で…、
けれど、ベルトランはそれが嫌で平民と話したかったはずなのに、気付けば周りに避けられていた。
残っているのは、楽しいことしか言わないセシル。
それが今、ベルトランに叩き付けられる現実だった。
「まぁ、こればっかりは育った環境によるから王子だけが悪いとは思わないけど、尻軽チャンを基準に平民を考えるの、ホントに勘弁して欲しい……」
「尻軽チャンの平民の話も間違ってはいないけど、それにしても信用し過ぎよね」
「王族が言われた言葉を鵜呑みにするってのも考えものだよな」
ロイドの言葉は重かった。
口調は酷く軽いものだったのに、何の反論も出来ないほど彼の言葉は重かった。
王族の心構え、それを平民に指摘される屈辱。
怒りで一瞬だけ目の前が赤く染まる。
けれど、怒りは瞬時に消えうせ、次いでやってきたのはこの上もない羞恥だった。
自分の無知が、思い込みが、恥ずかしくて仕方なかった。
「殿下、これが貴方が求めた平民による忌憚ない意見ではないでしょうか?」
「アリステラ…」
「耳に聞こえのいいことだけを話すセシル嬢とのお話はさぞ楽しかったでしょうね。けれど、彼らが話すことこそ、殿下が知らなければいけない事だったのでは?」
冷たいアリステラの言葉が、まるで毒のように体に沁みこんで行く。
多分、彼らの言葉を毒と思うか薬と思うかは、自分次第なのだろう。
「ノータリン王子か……」
それが恐らく学院におけるベルトランの評価なのだ。
その現実が辛かった。
だが、辛いという言葉をベルトランが口にする資格がない事も分かっていた。
一番辛かったのは、何を言われても諌めてくれたアリステラ。そして、何度も止めてくれた侍従と護衛騎士達だろう。
それを思うと、今まで自分が何をしていたのか分からなくなる。
足元から今まで培った何かが崩れていく。
ポッカリ、底なしの穴に落ちていく感覚。
けれど、それでも蹲るわけにはいかなかった。
「…………もっと話が聞きたい」
ちゃんと彼らと話がしたいと思った。
『城下で流行っている菓子』などというものではなく、ちゃんと平民が何を考えて暮らしているのかを知りたい。
だから、ベルトランはゆっくりと扉を開けた。
彼らとちゃんと話をする為に……
「ベル様、どうかされました?」
「いや、言われた時の事を思い出したらついな…」
いきなり黙り込んで笑みを深めたベルトランを、アリステラが不思議そうに見る。
けれど、当時を思い出した彼女も、同じように目を細めて笑いを噛み殺した。
「あの時はビックリしましたわね」
「ああ。あいつらときたら、俺の姿を確認するなりいきなり煙幕を張ったからな」
ベルトランが扉を開けた瞬間、平民の三人は菓子を食べている状態で物の見事に固まった。
だが、逸早く正気に返ったルビー・カンザナイトが魔空間から何かを取り出して床に投げつけた。そしてその瞬間、ベルトラン達の視界は真っ白な煙で覆われたのだ。
そして、その白い霧が晴れた後の教室は蛻の殻で、残されたのは呆然とするベルトラン達だけだった。
「あの時の煙幕、軍で採用されたのですわよね?」
「ロイド作のあれは人体に全く影響がない上に、視界だけでなく嗅覚も奪うとなれば、魔獣対策にはもってこいだったからな」
あの時ルビーが投げたのはロイド特製の試作品煙幕だった。
そして視界が塞がれたあの一瞬で、身体強化の魔法を使ったエミーリャが二人を抱えて窓から逃げたのだ。
余りの連携に、当時の護衛達が感心していたのを思い出す。
「まさかあんな突拍子もない事をするとは思いもしなかった」
「翌日のルビー達ったら、まるで昨日のことは何もなかったようでしたしね」
「知らぬ存ぜぬで通す気だったというから驚いたな」
それを知ったベルトランは笑いが止まらなかった。
あんなに笑ったのは久しぶりだと思うほどに笑った。
そして三人にきっちりと頭を下げ、平民の話をちゃんと聞きたいと言った。
ノータリン王子と聞いた上で頭を下げたベルトランに、三人は渋々会話をする機会を設けてくれた。
そんな三人が出した条件が、平民だけでなく、貴族の話も聞くということだった。
平民の話だけを聞くのも、また逆の意味で差別だと教えてくれたのだ。
それを聞き、自分の凝り固まった頭から殻がポロポロと剥がれていくような気持ちになった。
自分が本当に頭の固い人間だったのだと思い知ったのだ。
「クラス全員参加しての討論会、楽しかったですわ」
もちろん貴族から反発もあったが、それを説得するのが自分の役目なのだろうと今度は理解できた。
そうして実現した討論会は、本当に有意義な時間となった。
高位貴族と下位貴族でも意見が違ったし、男性と女性でもまるで考えが異なった。
話をしながら、自分の視界がドンドン開けていく。
学院に来て良かったと、心の底から思った瞬間だった。
お蔭で、当時のクラスメイトとは未だに交流があり、卒業後は何人か頼み込んでベルトランの下で働いて貰っている。
そして、セシルとはあれ以来距離を置いた。
最初は反発していた彼女も直ぐに諦めたのか、今度は別の貴族に擦り寄っていった。
それを見て、平民の三人が言っていた事が本当だったのだと漸く理解出来た。
その後は、まるで以前のベルトランのように彼女に心酔していた令息の何人かとトラブルになり、半年もしない内に彼女は学院を去っていった。
今はどうしているか知らないが、楽しくやってくれていればとは思う。
色々問題のある女性だったが、ベルトランは彼女と出会えて良かったと思っている。
自分の至らない点に気付ける切っ掛けになったのは、良くも悪くも彼女だったからだ。
願わくば、ベルトランのように最愛の人を早く見つけて欲しい。
「アリス……」
「はい」
「………見捨てないでくれてありがとう」
あの時の状況を陛下に報告すれば、彼女は直ぐにでも婚約を白紙に戻せただろう。
それほどまでに、ベルトランの醜聞は酷かった。
当然王家でもベルトランのことは把握していたに違いない。
王族として切り捨てられなかったのは、アリステラがギリギリのところで見捨てなかったからだ。
彼女が早々に諦めていれば、今こうしてベルトランは笑うことも出来なかっただろう。
「ベル様はわたくしの愛を侮っておられますわね」
「アリス…」
「あの程度で見捨てるほど、わたくしの愛は軽くございませんわよ」
言いながら少し得意げな顔をするアリステラが愛しくて堪らなかった。
「ありがとう……、ありがとうアリステラ」
「殿下…」
「私もお前を誰よりも愛している」
狭い馬車の中で跪き、愛を乞うように指先に口づけを落とした。
ルビーを振ったアルビオンは、真実の愛に出会ったという。
セシルに出会った時のベルトランも、熱に浮かされたようにそう思っていた。
けれど、あれは真実の愛などではなかったと今では思う。
真実の愛。
それを口にする資格はベルトランには無い。
けれど、アリステラがベルトランにくれた愛は、まさしく真実だったと確信している。
だからこそ、アリステラを想い焦がれるこの想いが、真実の愛であることを生涯願うだけだ。
気付かぬうちに乙女ゲーム阻止