長兄ダリヤの長い夜
お兄ちゃん視点の家族会議
結婚式予定日であり、ルビーを慰める会、別名残念パーティーの前夜、カンザナイト家の屋敷の一室には、ルビーを除く家族の全員が集まっていた。
少し離れた商業都市から孫の結婚式を楽しみにやってきた祖父のシトリアが奥のソファーに腰掛け、その隣の一人掛け椅子では、父である現カンザナイト商会長のカーネリアンが何かの書類を読んでいた。
暖炉脇の長椅子にはダリヤと、妻であり元子爵家の令嬢でもあるローズが座っている。
「わりぃ、遅くなった…」
そう言って入ってきたのは久しぶりに外国から帰ってきたエルグランドで、ダリヤ達の隣へと乱暴に腰を下ろす。
「あれ、サフィは?」
エルグランドが室内を見渡した瞬間、今度は最後の一人であるサフィリアが姿を現した。
「お待たせ……」
言いながら最後の椅子へと腰掛けたサフィリアは、疲れた様子でため息を吐いた。
「ルビーは無事に寝たよ」
余りルビーには聞かせたくない話をしようと集まった面々は、サフィリアの言葉に安堵の息を吐き出す。
「様子は?」
「強がってはいるけど、やっぱり一人になると色々考え込むようだ。自分にも悪いところがあったと思っているみたいだな」
昼間は忙しさに忙殺されて考える時間もないようだが、時々物思いに沈んでいる時があるらしい。
「はぁ?ルビーに悪いところなんかある訳ねぇだろ!」
エルグランドが吠えれば、同じようにローズが憤る。
「その通りよ!せっかく私とお母さんとみんなで考えたドレスまで取られて!エル君が一ヶ月もかけて持って帰った絹をよくもっ!」
「クロサイトの奥地まで行くのにどんだけ苦労したと思ってやがんだアイツら!」
ルビーのドレスに熱い思いを注いでいた二人の怒りは留まることを知らなかった。
「ローズちゃん、それでお友達にはもう連絡してくれたのかい?」
「はい、もちろんですお義父様!お母様と二人で、出来るだけの多くのお茶会に参加してお話してきましたわ!」
「大変だっただろ?お疲れさま。リリーにもお礼を言わないと…」
「お礼なんて必要ありませんわ!母も可愛い娘の為ですもの、喜んでお茶会に参加してくれましたわ」
リリーというのはローズの母であり、一人でパイライト子爵家を切り盛りしている苦労人でもあった。
子爵である夫を亡くして寡婦になった夫人は、貧乏ながらも必死でローズとその弟であるフェンネルを育てていた。そして、ダリヤとローズが結婚した事を切っ掛けに、現在は同じくシングルファーザーだったカーネリアンと親交を深めている。
来春予定しているカンザナイト家の男爵位叙爵を受け、リリーとカーネリアンは結婚する予定であった。
つまり、カンザナイト家とパイライト子爵家は親子二代に渡って縁を結ぶことになっている。
お蔭で、ローズにとってルビーは可愛い妹であり、リリーにとっても可愛い娘なのだ。
「ウェディングドレスの話は皆様本当に怒っていらっしゃって、直ぐにあの店の予約はキャンセルすると仰っていたわ」
「すまないね、ローズちゃん。折角ルビーの為にあの馬鹿男の店を紹介してくれたのに」
「そんな事は大したことではありません。ただ、本当に私悔しくて……」
ローズもリリー夫人も、義理の関係だというのに本当にルビーのことを可愛がってくれていた。兄として嬉しくもあり、折角姉として張り切っていたローズに申し訳ないと思う。
「それでリアン、あいつらへの落とし前はどうするつもりだ」
琥珀色のブランデーで喉を潤しながら、祖父のシトリアが父に声を掛ける。
それに小さく頷きながら、父カーネリアンは小さく息を吐いた。
「特にこちらから何もしなくても、向こうが勝手に自滅していくさ」
トラーノ家の為に紹介した貴族や商人には、ちゃんと婚約破棄の経緯を説明しておいた。聡い人間なら、トラーノ家とは縁を切るだろう。
「ちなみに今日、トラーノ家の次男が慰謝料と婚約に掛かった費用の全額を支払いにやって来た」
「全額?!」
今日の昼過ぎ、アルビオンに似た次男が一人、謝罪と清算をしていったらしい。
想像よりも早い対応に、父でさえも驚いたという。
「明日の残念パーティーのことを聞いたようだな」
「なるほど…」
明日の時点で謝罪と清算が済んでいれば、招待客へこれ以上の醜聞が広がらないと踏んだのだろう。
いい判断だとダリヤは思う。
「どうして次男が跡取りじゃないのかね~」
「確かにな。謝罪も父親以上にしっかりしていて好感が持てた」
彼はルビーへもキッチリ謝罪をして帰ったという。
姉と呼びたかったと悲しそうに言っていたらしい。
「じゃあこれ以上の追い込みはいらんのか?」
「じいさん、これ以上何をするつもりだったんだ?」
「いや何……、久しぶりに王都へ来たんだし、色々と知人に会う予定が入ってるからの…」
準男爵である祖父は、この国の騎士団長を始め、信じられないくらい高位の貴族と懇意にしている。
知人に会って何をするつもりだったのか、恐ろしくて詳細を聞けない。
「まぁ、これ以上は余計な恨みを買いそうだし、誠心誠意謝ってくれた次男君に免じようとは思っている」
父の言葉に反論は出なかった。
アルビオンに腹は立っているが、その家族まで追い込むつもりはない。
だが……
「サフィ、さっきからお前はだんまりを決めているようだが、思うところはないのか?」
この婚約破棄が決まってから、特に淡々と事態に当たっている弟を見る。
ルビーと一番仲がいいサフィリアなら、完膚なきまでに報復したいと主張するかと思っていた。
「サフィ君、腹が立たないの?」
「もちろん腹は立ってますよ義姉さん。だけど、その反面少し嬉しくも思ってるんです…」
「嬉しく……?」
ローズの呟きが部屋へと木霊した。
静まり返った室内を見渡し、サフィリアが小さな笑みを浮かべる。
「だって、これでルビーをアルビオンに取られずに済む」
「サフィ…」
この時になってダリヤは、いや、ここに居る家族全員が思い出した。
サフィリアとルビーは従兄妹同士になるという事を。
「えっと、つまりサフィ君はルビーちゃんのことを…?」
「ええ…」
ローズの問い掛けに、少し困ったような顔でサフィリアが頷いた。
その顔を見て、思わずため息が出る。
「………なるほど…」
道理で、どんな条件のいい見合い話も断っていた訳だ。
「いつからだ?」
ダリヤの問いに、サフィリアは気まずそうに目を伏せた。
「……気付いたのは学校に入ってアルビオンと付き合い始めてから」
「タイミング…」
「うん。悪過ぎた…」
エルグランドが天井を仰ぎ、その他の面々も大きくため息をつく。
家族の誰もが、ずっとサフィリアがルビーの恋の悩みを聞いていたのを知っているからだ。
「…………口八丁のお前なら、上手く誘導して別れさせることも出来ただろうに」
「出来ただろうね」
「だったら…っ」
思わず責めるような口調になったエルグランドを見つめながら、サフィリアは悲しげに目を伏せた。
「アルビオンのことを楽しそうに話すルビーにそれを言えというのか?………俺には出来なかった…。ルビーは本当にいつもアルビオンとの事を話していたから、俺にはどうしても出来なかった……」
「サフィ……」
「ルビーが幸せなら俺はそれで良かった…」
自分の気持ちなんてどうでもいいとサフィリアは小さく呟く。
サフィリアにとって真実の愛とは、好きな相手の笑顔を守ることだった。
「けど、あいつはルビーを幸せに出来なかった……」
ギリッっと歯の鳴る小さな音が聞こえた。
「あいつがルビーを幸せにしないというなら、俺が彼女を幸せにする」
低く呟かれた決意を聞き、ダリヤは小さく息を吐いた。
昔から家族の中で一番大人しかったサフィリアだが、何かを決意した時の彼は決してそれを諦めたりはしなかった。
サフィリアが決めた何かを変えることがあれば、それは全てにおいてルビーが関係しているという事だ。
「じゃあ、これを機会にサフィを養子から抜くとしよう」
父の言葉に、サフィリアが小さく頭を下げる。家族は誰もそれには反対しなかった。養子を外れたと言っても、サフィリアが家族であることには変わりない。
そもそもサフィリアは叔父の息子で、ダリヤ達にとっては従兄弟に当たる。
ではなぜ従兄弟である彼が父の養子になっているのかと言えば、両親を一度に亡くした事が原因だ。
二人が命を落としたのは、カンザナイト商会の礎ともなっている行商でのことだ。
盗賊に襲われている最中、更に魔獣の襲撃を受けたのだ。
タイミングが悪かったとしか言えないが、家族だけでなく従業員も四人が命を落とし、盗賊も一人を残して全滅した。
生き残ったのは当時八歳だったサフィリアと従業員の一人だけだ。
それでも、巡回の騎士団が駆けつけてくれなかったら全滅していただろうという程に酷い魔獣の襲撃規模だった。
そんな中、騎士団は生き残った二人の保護だけでなく、危険な森の中だったにも係わらず家族や従業員の遺体を出来るだけ回収し、盗賊団についてもキッチリと調査をしてくれた。
だからこそ、未だに騎士団には一族で感謝している。
「ルビーには養子を抜けたことは言わないで欲しい。余り俺との事でプレッシャーを掛けたくない」
出来れば、徐々に男として意識して欲しいそうだ。
その心意気は素晴らしいのだが……、
「そんな事言ってのんびりしてる間に、また横から掻っ攫われるぞ」
「そ、それは…」
エルグランドの容赦ない突っ込みに、少しだけ焦った顔をするサフィリアがおかしかった。
だが、暫くは王都を離れるし、ルビーも早々他の男に目移りするとは思えない。
サフィリアが言うように、しばらくはゆっくりと距離を縮めていくのが二人にとってはいいだろう。
「サフィ、どうせなら今度の叙爵まで王都を離れてるといい」
「いいんですか?」
「かまわん。その代わり、領地の下見は任せる」
今度の叙爵で下賜されるのは、田舎の農村と沿岸の小さな漁村だ。
税収など今はほとんど見込めない寒村ばかりだが、出来れば少しでも領民にはいい生活をして欲しいと思っている。その土地にあった産業を見出し、領民の生活を少しでも豊かにしたいのだ。
「隣はうちの子爵領だし、一緒に事業が出来ればいいわね」
「そうだな」
妻ローズの実家であるパイライト子爵領の隣なのは、恐らく陛下の采配だろう。
現在のパイライト領はリリー子爵夫人が継いでいるとはいえ、実質の経営者はカンザナイト家である。ダリヤがローズと結婚したことで没落寸前だったパイライト子爵家が持ち直したのは社交界では有名な話で、子爵領を立て直すためにかなりの人員を我が家から現地へ送っている。
その事は陛下も当然ご存知であり、今回の叙爵による領地の采配についてもそれを加味されていると思って間違いない。
パイライト家に関しては、ローズの弟であるフェンネルが引き継ぐことが決まっている。だが彼はまだ十三歳と幼く、父の男爵位叙爵後は、彼が成人するまでの中継ぎとして子爵領で采配を振るうことも陛下の許可を得ていた。
お蔭でかなり他の貴族から睨まれてはいるが、子爵領が持ち直したのは紛れもなくカンザナイト家のお蔭であり、領民からは歓迎されている。国としても税収が上がるなら構わないという方針のようだった。
「今回の手続きが終わり次第、出来るだけ早く王都を出ようと思う」
「それがいいだろう」
「という訳でダリヤ兄さん、後は宜しく」
「それは丸々面倒を俺に投げるということか?」
「だって、明日のパーティーが終われば多分荒れるだろ?」
「あ~…」
今日、王宮から連絡があった。
ベルトラン殿下がお忍びで来られると通達があったのだ。
ルビーは結婚式がダメになったので来ないだろうと言っていたが、全くそんな気配はなかった。
お蔭で警備体制を予定より拡充しなければいけなくなった
だが、殿下が我が家に来たという事実は、それだけでもカンザナイト家の、いや、ルビーの格を上げてくれる。
恐らく殿下も自分の価値を分かっておいでだ。
だからこそ、ルビーの今後のことを考えてわざわざ来て下さるのだろう。
ルビーは本当にいい友人を持っている。
けれど、少しだけその行為は過剰だ。ルビーに付加価値が付き過ぎる。
「兄さん、ルビーへの縁談は潰しておいてくれよ、徹底的に…」
サフィリアの目が据わっていた。
「気付いてたのか、お前…」
「ああ。昼に来てたよね?」
ルビーとアルビオンの婚約が解消されたという話はかなりの速度で出回っていた。
それと同時に、次々と舞い込んでくるルビーへの見合い話。
この三日で寄せられた見合い話は優に十を超えた。
「そう言えば、今日のお茶会でもやたらとルビーちゃんをお茶会に連れて来てって言われたわ」
「そのお友達に未婚の兄か弟がいるんじゃないですか?」
「………いるわね」
「もちろん断ってくれたんですよね?」
「ええ、もちろんよ」
にっこりと牽制するサフィリアに、ローズは必死で首を縦に振った。
そんな二人の様子を見て、祖父が少し考え込んだ様子でブランデーを呷る。
「ふむ、もしやわしの友人の用件もそれかもしれんな」
そう言えば旧友に会う約束があると先ほど言っていた。
「お爺ちゃん、分かってると思うけど…」
「変な約束はしてこんから、睨むなサフィ」
一気に剣呑な雰囲気を纏い始めたサフィリアを、苦笑交じりに祖父が宥めた。
「父さんも頼むから酔った勢いで縁談纏めたりしないでよ?」
「うむ。しかしそうなると明日は気が抜けんな……」
ため息を付く父の元には、既にそれらしい打診が何件か来ているらしい。
しかも明日の残念パーティーに息子を連れてくる招待客もいるらしく、ルビーと余り接触させないように気を配らなくてはいけない。
「見合いの釣書、確認しておいた方がいいな…」
婚約解消の手続きで忙殺されていたので、細かく確認していない。
だが、見合い気分で明日のパーティーに押しかけられては面倒だ。
早々に確認して警備関係者に伝えておいた方がいいだろう。
「兄さん、俺も一緒に見るから」
「頼む」
こうして家族会議を終えたダリヤは、この三日で寄せられた見合いの釣書を確認していく。
名立たる商会からかなりの数が舞い込んでいる他、チラホラと貴族の名前もある。
「これは早々に断りの手紙を送らないとマズイな…」
父はこういう面倒なことはどうせダリヤに丸投げするに決まっている。
只でさえ忙しいのに、本当に面倒ばかりが増える。
「兄さん」
「ん?」
「……こいつらへの返事は今日中に書こうか」
「は?」
釣書から慌てて顔を上げれば、サフィリアが恐ろしい顔で釣書を握り締めていた。
握られた豪華な装丁の紙が怖いくらいに凹んでいる。
「サフィ…?」
「この貴族、ルビーを妾に欲しいってさ……」
サフィリアの呟きと共に、持っていた釣書からベコッと嫌な音がした。
あはは、笑っちゃうよね…?と全然笑えない顔で呟いている弟が怖い。
「断りの手紙は明日の朝一番で出そう。いいよね?」
「………本気か?」
「今日は寝かせないよ、兄さん」
妻の口から出ればこれほど嬉しい言葉はないというのに、目の据わった弟が口にするとこんなに嫌なものなんだと思い知ったダリヤである。