悪役令嬢に転生した大統領の華麗なる夜
革製の椅子に腰掛けて脚を組むと、腹心の部下である首相が報告を始めた。
ロミヤ連邦の第6代大統領アンドレイ・ラプシンは、片眉をぴくりとさせてそれを聞く。そのたびに、首相が恐怖からゴクリとのどを鳴らしていた。
不機嫌な表情のままラプシンは、仕立ての良いスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。鍛え上げられた肉体がワイシャツ越しでも分かる。それもそのはず、ラプシンは柔道七段の武道家。ロミヤの前身・旧ソバウト連邦の国家保安委員会でスパイをしていただけはある。その迫力から、今も「皇帝」「悪の帝王」などと恐れられることも。
報告を終えた首相が機嫌を取るように、数種類のカレンダーを並べ話題を振った。
「今年も、ラプシン大統領のカレンダーが大人気ですね」
じろり、とにらむと首相はカレンダーを机上に置いて、執務室から退散した。
ため息をつきながらそれをめくると、自分が柔道をしている姿や射撃をしている光景、馬に乗って川を渡っている様子、熊と闘っている横顔――などがカレンダーになっていた。毎年公式に流している写真を国内企業がカレンダーにし、売り上げを伸ばしているようだ。中には、サングラス姿でヘリを背に歩く自分の写真に「私の前を歩く者はなぎ倒すまでだ」など、様々な場面で放った自分の言葉をテロップのように並べているものもあった。
「こんなものを部屋に飾って何が楽しいんだか」
ラプシンはため息をついて、それをゴミ箱に捨てる。腕時計を見ると午後十時をすぎたところだった。今日はもう仕事を切り上げ、大統領邸で買っているアムールトラと遊んでやるつもりだった。
ラプシンは何かの音に気付き、窓を見た。遠くからギィンという金属音のようなものがする。それが徐々に近づいてくるのが分かる。すぐさまSPを呼ぶが、その直後、閃光とともに激しい爆発音がした。
「くそっ、ロケットラン――」
言い終える前で、ラプシン大統領としての記憶は途絶えた。
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目覚めたのは、天蓋付きのベッドの上だった。
「おはようございます、エリザベート様」
壮年男性の声がするので、ラプシンは身体を起こした。いつも起こしに来るメイドは老婆だし、聞いたこともない名を呼んでいる。もしや床をともにした女性のことかと左右を見るが、広いベッドには自分だけだった。しかも淡いピンク色の寝具。漆黒を好む自分のベッドではなかった。
「本日は寝不足ですか? 珍しゅうございますね、エリザベート様が朝ご自分で起きられないのは」
「いや、私は――」
そう声に出して、言葉を飲み込む。声が高かったからだ、まるでそう、若い女のように。
ふと身体を見ると、フリルのついた真っ白なネグリジェを着ていた。両手の指は白魚のように細くなめらかな肌をしていて、顔に触れると髭が一ミリも生えていない。そして頭に手をやると、乏しかったはずの頭髪が豊かにそろい、その長さは腰まであった。
(わ、私は誰だ)
安っぽい映画のようなセリフに自分でも驚いてしまうラプシン。部屋を見渡すと、中世ヨーロッパの城のような寝室だった。
「調子がお悪そうですね。お支度をメイドたちに手伝わせましょうか」
そう壮年の男性が提案する。服装や態度から、この家の執事のようだった。ラプシンは混乱しながらも、自分ではどうにもできないので頷いた。
「ああ、頼む」
その言葉遣いに目を丸めつつ、執事はメイドをベルで呼んだ。
「エリザベートお嬢様のお支度が出来るなんて、嬉しいですわ」
「いつもはご自分で何でもこなされるので、私たちの出番がありませんの」
二人のメイドがきゃっきゃと悦びながらラプシンに服を着せていく。コルセットをぎゅっと締められた時には、思わず「ウッ」と声を出してしまった。
鏡台に向かって座って初めて、ラプシンは今の自分の姿を知る。
おとぎ話に話に出てくるような、赤毛の美少女だった。年は十七~十八歳だろうか。真っ白な肌にグリーンの瞳。少しつり気味だが、意志の強そうな目だ。瞬きすると、睫がながいため大きな影をつくる。
(私は、誰だ)
もう一度自問した。髪を梳いてもらっている間に、メイドたちに尋ねる。
「すまない、ここはどこだろうか」
「いやですわ、エリザベートお嬢様のお住まいではありませんか」
言葉が通じるということは国内だろうと、さらに質問を重ねる。
「違う、ここは何という地域だ? ロミヤのどこだ?」
「ロ、ロミヤ……ですか?」
メイドたちが困ったように顔を見合わせる。そこでラプシンは自分が見当違いのことを言っているのだと気づき、質問をやめてこう言った。
「もういい、身支度を続けてくれ」
その口調にメイドがくすくすと笑いながら「今日は軍人のまねごとですか?」と茶化した。
部屋の外が騒がしくなったことに気付いたのは、 その身支度が終わる頃だった。
執事の制止も聞かず、部屋に飛び込んできたのは華やかな桃色のドレスを着た美少女だった。鏡で見た自分――とは思いたくないが――より、少し優しい顔つきの、栗色のまっすぐな髪を清楚にまとめた少女。
「お邪魔しますわ、エリザベート様」
メイドたちが驚いてエリザベートの前に立つ。
「ユキ様、お待ちください! エリザベート様はまだお支度が――」
「いいじゃない、急いでるの。ちょっと話したくて」
見た目の割に雑な振る舞いをする少女だ、と分かった。ラプシンは「よい、下がりなさい」とメイドたちに命じ、立ち上がった。
「私に何の用だ、少女」
一歩ずつ近づいてくる殺気に、ユキという少女の表情が少し硬くなる。
「え、エリザベート様、なんだか雰囲気が違いますね? 今日の舞踏会に向けて気合いの入れ方が違うのかしら」
「舞踏会だと?」
王子の婚約者が決まる舞踏会が今夜開かれるのだ、と耳元でメイドが教えてくれる。
ユキはくすくすと笑い出した。
「自分が選ばれるのだと信じてるのでしょうね、名家の令嬢ですものね」
話が見えないので黙って聞いていると、どうもユキは舞踏会前に自分に皮肉を言いたかったのだと分かった。その言い方にカチンときたせいか、ラプシンはこう言った。
「私は婚約者などいらん。一人で十分だ」
やだ、負け惜しみがすごい、とユキは手を叩いて笑った。
「もうクリア目前だから教えてあげる。これはね、あたしのゲームの中の世界なの。あなたが恋してやまないクリス王子は、今夜あたしを選んでハッピーエンド」
「ゲーム、だと?」
「そう、VRの乙女ゲームよ。そしてあなたは悪役令嬢のエリザベート。今日の舞踏会であたしへの意地悪の数々が暴露されて、王子に投獄される予定」
「悪役令嬢――」
その言葉を反芻した瞬間、脳内で何者かが叫んでいた。
(わたくしが悪役? 悪役ですって!? そんな……こんなにも王子を愛してきたのに――)
脳内で、エリザベートとしての記憶が、シャボン玉がはじけるように増えていく。
厳しい父、優しい母、恵まれた名家、そしてプライドが高くなっていったエリザベート――。物心ついたころからの記憶が流れ込んでくる。
(――そうか私はあの夜、ロケットランチャーを受けて死んだのだ。そしてこの少女に生まれ変わった……)
それがまさかゲームの世界のキャラクターだと教わるとは。
エリザベートとラプシンの人格が、らせんのように絡み合いひとつになってゆく。
正気を取り戻した時には、全て理解できていた。
ここはセグト王国の王都で、貴族の中でも有力なマクシミリ家に生まれた十八歳の少女がエリザベートだ。誰もが王子と結婚すると思っていたが、突然現れたユキという少女が王子を籠絡していったのだ。焦ったエリザベートは、ユキに様々な意地悪をするが難なく交わされてしまう。
そして、今夜その王子の婚約者を決める舞踏会が開かれるのだ。
「ふふ、ふふふ……そうかゲームか。おもしろい」
エリザベートと意識が一体化したラプシン――ここからはラプシンと呼ぶことにする――は口の端を引き上げた。
「何を笑ってるの? あなたの断罪イベントが始まるというのに。欠席もできないわよ、王族の招待を受け入れておきながら欠席すると不敬罪になるわ」
ユキが意地悪そうに笑い、こうも付け加えた。
「わざわざここに来たのはドレスの色のことなの。あたしピンクを着たいんだけど、エリザベートと被るからいやなのよね。だからピンク色のドレスはやめてちょうだいねって言いに来たの」
どちらが悪役令嬢なのか分からないな、と思いながらラプシンはユキの顎に指を添えた。
「ユキか――お前、その名前は日本人だな?」
ビクッ、とユキの肩が揺れた。
「なぜ、ゲームのキャラがそんなこと――」
「まあいい、その断罪イベントやらが楽しみだな。あいにく私はピンクなど着ない、心配するな」
ユキはびくびくしながら、身体を離し部屋から出て行った。その背中に、ラプシンはこう声を掛けた。
「舞踏会、楽しみにしておくといい」
ラプシンはすぐに執事を呼んだ。そこで言いつけたのは、新しいドレスの準備と――。
「お、お嬢様、それは反ぎゃ――」
うろたえる執事の胸ぐらを掴み、引き寄せた。
「私に殺されたくなかったら、今から言う物を準備しろ。二時間以内にな」
舞踏会の時刻。きらびやかな貴族たちが馬車で次々と宮殿に到着する。中でもピンク色の豪奢なドレスを着たユキは、大勢の注目と賞賛を浴びていた。
そこに大幅に遅れてやってきたのが、エリザベートことラプシンだった。
エリザベートが舞踏会のホールに現れると、一気に静まりかえった。
「な、なんだあのドレスは――」
「なんて非常識な」
ひそひそと囁かれるのには理由があった。
名家の子女であり、王子の有力な婚約者候補であるエリザベートが、漆黒のドレスを着て現れたからだった。縦に強く巻かれた赤毛にも、真っ黒なリボンが飾られている。繊細な細工が施された手袋までが、黒だった。
エリザベートことラプシンは作法など無視して、まるで自分が王であるかのようにホールの真ん中を歩き、クリス王子の前に立った。
「お招き感謝する、王子。ここに来るまでの準備に少し時間がかかってしまってな」
冷たくニタリと笑うと、王子の顔が青ざめた。
「エ、エリザベート……? 一体これは……」
ユキが駆け寄って、王子の腕にしがみつく。
「王子! こんな無礼な女、相手にする必要ないわ!」
百数十人に上る招待客たちの注目を浴びながら、ラプシンは自分よりも二十センチ近く背の高いはずの王子を見下ろすように言った。
「そうだ、王子。私のような無礼な女は相手にすることはない、ユキを婚約者に選んでやれ」
カッとなったクリス王子はラプシンに詰め寄る。
「貴様なんだその言い方は! しかも格好は……まるで葬儀じゃないか! 不敬罪で処刑してやるぞ」
不敬罪での処刑を言い渡されているのに、ラプシンが高らかに笑い声を上げるので、周囲はその不気味さに再び静まりかえる。
ラプシンは髪の中に手をいれて梳きながら、口の端を引き上げた。
「王子、ご冗談を。まるで、ではなく、本当に葬儀になるのだよ、あなたの」
赤毛の中からキラリと何かが光る。同時にトスッ、と音がした。
「王子、突っ立てないで早くこの女を――」
ユキがクリス王子の腕を引くと、彼女に向かって王子がぐらりと倒れた。その額には、細いナイフが柄まで深く刺さり、王子の顔は血で染まっていた。
「キャァァァァァッ!!!」
ユキの悲鳴と、王子の昏倒で、周囲が混乱に陥る。
「警備兵! 警備兵!」
「助けて、王子が」
「女性は逃げなさいッ」
「エリザベートを取り押さえろ!」
招待客たちが様々な動きを一斉に始めたため、ホールはパニック状態だ。
そこにズガーン、と銃声が鳴り響き、弾がシャンデリアの接続部を切断。高い天井から貴族がひしめくホールに向かって落下し、大きな音ともに数人の貴族を下敷きにした。磨き上げられた大理石に、被害者である貴族たちの血だまりがじわりと広がっていく。
「静まれ、愚民ども」
撃ったのは、ラプシンだった。
髪や漆黒のドレスの下に、いくつもの武器を隠し持っていた。右脇に銃を挟み、トリガーに指をかけたまま、左手には火薬入りの筒――ラプシンの世界で言うダイナマイト――を持っていた。
「この国は私がもらう。城の警備兵は、ここに来るまでに全て殺した。大人しく両手を挙げたまま壁に移動し、手を付け。従わないヤツから血祭りにする」
ホールにいた貴族たちが硬直する。ユキはその場にへたりこみ、顎をがくがくと震わせていた。
「エ、エリザベートは……こ、こんなキャラじゃ……」
ブツブツと呟くユキの額に、ゴリッと音を立てて銃口を突きつけるラプシン。撃ったばかりのため銃口が熱く、皮膚をジュゥと焼く。少女は恐怖のあまり失禁していた。
ラプシンは胸元から特注のサングラスを取り出し、それを掛けながらこう言った。
「悪役令嬢とは手ぬるい。私は『悪の帝王』だぞ? お前の国で私のカレンダーは流行っていなかったか?」
(おわり)