第一章 げにうるわし
連続で投稿というのは早速例外的でありますが、私自身を追い込むためにも、ストックを減らしていこうと思い至ったためなのです。読者を集めたい目的も一つあります。
※不束な部分を若干手直しいたしました。
【第一章 げにうるわし】
鳥もしくはコーラの空き缶は飛翔し、私は見たそれを見る。白くて細くて八本の枝分かれした物体はすべて揺れた。風が吹いたのであった。きれいな(かといって私の目玉はいまだにくすんだままであるとバイクを乗りながら)歌は続いている。歌ではない。きれいな風であった。いわゆる晴天である。晴天は人間を、人間の中にある小人の心を洗うと人間は言う。そして頭上に虹がかかり、すべてのものがお互いに何者よりもであると主張し合いながら、あるものは乱れ、あるものは静かに、あるものは汚らしく、まさに矛盾だけが支配するそれは、美しさと麗しさである。美しさは死をもたらす。首の左側からゆっくりと開き、動脈が切れると血が出る。血のしぶきから虹がかかり、美しさと麗しさである。美しいとは死ぬことで、そこに苦しみはない。それはつまり晴天である。小さい虫がぐいぐいと空を泳ぎ回るが、それを雀が食う美しさと死である。虹ではない。そして音も然り、歌は続き、地球が全身でリズムを取っているのか? その疑問さえ私には無関係であった。私は飛翔し、この世のほまれなる美しさを余すことなく享受し、そして死ぬ。32本の足を持った亀のような白い物体は足を揺らしながら首を吊っている。違うのだ。その上にある紐の方から怪物の首を吸い上げ、なるほど、物体は飛翔した。それをただ呆然と下から眺めるだけの私には恐らく一度でも追い付くことが敵わないだろう。腕時計は真夜中を示す時刻を私に告げた。口があるのか? 違うのだ。私の耳が腕時計の声を聞き取れるのだ。悠然としている私は昼間の悪夢惨劇を思い出し、歩み始める。足音が軽快に脳を揺さぶる。美しく、清々しいほどに美しい。生きていることが美しさではないが、死ぬことは苦しい。だから私は、死にたくなどない。生きたいのではない。死にたくないだけである。では、美しいになればいい。美しいことは私はまたうっすらと雲がかった青空を見上げる。鳥など飛んでいない。コーラの空き缶が飛翔できるはずないのだ。なぜなら彼には飛ぶ意志がないからである。人は飛ぶ意志がないからである。人は死ぬ意志がないからである。「だが、それだけなのか?」私の妹は遠い異郷の地に飛翔した。それでこそ人が生きるという証だ。違うのだ。人は生きていない。死にたくないだけなのだ。さて、芋虫はまだ私の正面を渡れずに這っている。殺してやろうか、食材にもなれるのか、逡巡したが、やはり私は観念し、踏み潰した。美しさと麗しさである。きれいな風がふるうりふるうりとしつこいものであるなあ。きれいな風であった、それはいわゆる死。所詮人が作り出したものなど、自然のそれには劣る。小説もそうだろう。例えば自生するキノコは、美しさと麗しさである。例えば自生する人首は、美しさと死である。例えば人が作り出したものなど、セックスである。大きな鳥は、飛翔する。今日は美しい晴天である。しかし、腕時計は真夜中を指す。昼と夜がぐるぐる回って、半回転し、逆回転し、残るのはセックスである。芋虫は爆散し、内臓と汁がないまぜになって私の顔にすべて命中する。私は人首である。美しい。したがって宇宙の理とは、今日のような、セックスである。だが、それは雨天であった。地球は半回転し、少し中断し、また気変わりしたように五回転してついに永遠に停止したためなのか? 違うのだ。音は地鳴り、続いて生命の誕生に聞こえるから間違いない。つまり雨天ではない。美しさと麗しさと晴天は雨天である。その雨天は私の心を水によって洗い流し、私は雨の日にはよく濡れることも気にせず出掛けたものである。芋虫の汁が降る雨天は芋虫の飛翔する美しさである。あらゆる不安を取り除くのは雨天のどんよりとした暗さと不安であった。「こんにちは。このような悪い天気に出会うのは奇遇であります。」「ええ、私は美しい。こんにちは。こんにちは。しかし、奇遇であります。」奇遇であり、そこにあるのは美しさと死と出会うのは奇遇であります。「彼は何という名前ですか?」名前を聞くのは、すなわち聞く相手を殺すことである。「私の名前はるまいであります。そこに人形がおいてあるでしょう? 彼は私のるまいではない。」「所詮人の作り出した人形など、セックスに劣る。」「セックスをしましょう。」「こんにちは。私の名前はるまいですか?」「はい。」違うのだ。人の作り出したセックスなど、こんなにいい天気ではないか。雨天は自然に必要なものであるから、美しさである。長方形の物体が飛翔できず、地面に叩きつけられる。死は飛翔しない。死は美しくないのであった。「彼は何という名前ですか?」歌を歌っている場合ではないのは明白だろう。長方形の物体はるまいである。るまいとは、麗しさである。例えば自生しないキノコは、美しい。キノコだけでは、人形には敵わないのが口惜しい。そして私は大声で笑った。まるでこの世に隠れ潜む恐怖すべてを吹き飛ばすために笑った。さて、道が二手に分かれているが、右からは雨の音が、左と後ろからは晴れの音がある。タバコを一本取り出し、甘い香りを5分間楽しむ。「ふむ。では、より美しい方へ向かおう。」私は昇天した。終わり。「ありがとう。」それは感謝の言葉である。美しいとは、ありがとうである。日はゆっくりと地平線の向こう側へ沈み、男の子は「ありがとう。」と言った。逡巡したが、私は男の子の首をもぎ取り、手足をライターで炙り、肉塊になった。私は大声で笑い、「ありがとう。」と言った。それこそ美しさと麗しいありがとうではないか! 男の子の内臓と汁が私の顔に帰った。そして私は男の子なのだと確認した。「ありがとう。」男の子は言った。女の子は「セックスしましょう。」と言った。逡巡したが、私は女の子の首をもぎ取らず、左から剥がした。動脈からは内臓と汁が私の顔とともに出てきた。そして私は女の子なのだと確認した。私の首から私の顔が出てきた。そして私は私の顔だと確認した。「ありがとう。」「ありがとう、るまい。」「ありがみう、るまい。」日はまた昇る。地球がようやく重い腰を上げたと確認作業に過ぎない行為だ。繰り返して私は男の子なのだと確認した。首を切られれば血が出る。しかし、言うまでもなくウソに違いない。私は女の子の首を切る。血が出ない! 血が出ないのである! ゆえに私は船上で目を覚ました。尻の下には小さなヨットのようである。ほーいほーいほーい、と声を出してみようとするが、恐らく声帯を切られたのだろう。というよりはむしろ首をかき切られたのだろう。致し方のない、そう私は思い込むとポケットに大量に入っていたガムを噛み始めた。それまでの私の行いを償うがごとく、ガムを、ぐりぐりぐり噛む。海は黒々としており、ゴキブリの這い出る隙もなかった。と、水面の真下からうにょりと大きな靴下が八十七匹私に襲いかかってきた。綿製の布は水を含むとなかなかに乾かないようで、私は為す術もなくこっそり教室を後にせざるを得なかった。数歩歩いたところでチャイムが建物内に響いた。重く、壊滅的なチャイムの音に、私は加えていたタバコを足許に落としてしまった。拾い上げようとするが、手に力が入らない。いいや、手には私は手がついていなかった。手はスライムのような生臭い色の粘体となっていて、こげ茶色の斑点がいくつも見られる。よく観察してみるとその斑点は全身に飛び火しているではないか。丸い月を眺める私の背中に違和感を感じていたが、翼が生えていた。というよりはむしろ、美しい翼なのだ。しかし美しい斑点はその勢いを増し、日本列島を飛び越えて海外に進出した、と私はそう落胆しかけたが、よく考えてみればゴキブリの這い出る隙もありはしない。つまり、この興奮は誰にも覚ますことはできないのだ。私は全身の毛穴を逆立て、精一杯に威嚇してみた。すると、熊は首をボロリと落とした。血が出ないのである! というよりはむしろ、血が出ないのである! もしやと念の為正面を通っている芋虫をつまみ上げ、同じように踏み潰した。汁がすべて私の顔面に命中した。それでもなお芋虫が芋虫のように生きるというのは、美しく麗しく苦しく血が出ないの死ね。