森の民
「彼」の中で過ごすうちに十年以上は経っている。最近「彼」は自分が暮らしている所を見て回ることが多くなってきた。それで判ったのだが、「彼」が住んでいる所は、山岳地域の鞍部だった。それも森林限界線を遥かに超えた高い所だった。「彼ら」以外の生物が殆どいない、そういう所だった。
時折「彼」は鞍部の縁から、岩の転がるばかりの斜面の下を飽きることなく眺めていた。そうしてある冬の日、雪が積もって真っ白に染まった斜面を眺めていた「彼」の視界に二つの人影が入ってきた。すらっとした細身の人間が二人、しっかりとした足取りで斜面を登っていた。あぁ、この世界は人間もいるのか。僕はそう思った。
「彼」も二人に気がついたようで、二人に注意を払っているのがわかった。見ている間に不思議なことに気がついた。雪の積もった斜面をあそこまで軽々と登れるものだろうか。まるで普通の平地を進んでいるように足を運んでいる。更に近寄ってきた時に気がついた。二人の後ろに雪をかき分けたあとが見当たらない。まさか、幽霊じゃないよな。そう思っている間に二人は「彼」に気がついた。
『父さん、あれロックスタチューかしら?』
『いや、そんな失礼なことを言ってはいけないよ。彼は岩の民の若者だろう。我ら森の民と同じく歴史を持った一族の一人だ』
おぉ、何年ぶりに聞く人の言葉だろう。「彼ら」の話す低い響きは理解できないのに、山を登ってきた二人の言葉は理解できる。
『さぁ、ちゃんと挨拶しなさい。精霊の舌を使ってね』
父さんと呼ばれた人に言われて、もう一人がくぐもった声を響かせる。「彼」は首を傾げて、あぁこれはちょっと困っているようだ。それを見て、父さんと呼ばれていた方が、低い響きをうならせる。「彼」の方も響きを返す。
『もう少し話せるようにならないとね。岩の民には人の言葉を話せない。昔からの一族には精霊の舌しか話せないものも多い。海の民とかもそうだ。』
『そうなんだ。人と話せれば十分と思ってたけど、そうじゃなかったんだね』
二人は「彼ら」の住む所で一晩止まると、山脈を越えて旅を続けていった。その間の会話は終始精霊の舌で行われていたので、何が話されていたのか僕にはさっぱり解らなかった。