第2話 海を渡ってきた少女
「薬局と、診療所の開業許可が欲しいってのは、本当にあんたなのか?」
「はい、私です」
「……親御さんじゃなく?」
「両親はレイティシアの人間でしたが、亡くなりました。私はエルミーユ共和国出身ですが、医師免許を持っています」
そう言って、彼女は肩にかけていたカバンから書簡を取り出し、丸まった書状を突きつけた。
「……エルミーユ共和国国家医師免許。これはたまげた。本物だろうね?」
「もちろん。その免状の精巧さはご存知ですよね。そう易々と偽造なんてできませんし、盗み出したとしても相当な医学の知識を持っている人間でないとすぐにバレます」
「……提出書類を持ってこよう。少し待っていなさい」
そう言って下町役場のお役人は席を外した。
「はぁ〜医師免許持っててよかった」
肩の荷が降りたかのように、彼女は脱力する。
彼女の名は、セレスティア・ローエン。世界一の近代国家と呼ばれるエルミーユ共和国から遥々このレイティシアにやってきた17歳の少女だった。
世界一の文明を誇る、エルミーユ共和国の医学は驚異的と言われており、当然国家医師免許の取得難易度も世界一。故に、エルミーユ共和国の国家医師免許は、世界の主要な大国においてどこでも通用することになっている。そして、このような特例措置がなされているのはエルミーユ共和国の国家医師免許のみである。
「ーさて。とりあえず当座の生活費よね」
小一時間後、役所を出たセレスティアは、港で換金したばかりの異国の紙幣と硬貨を机に並べながら呟いた。
両親が残してくれた財産の約半分を持ってきていたが、それも異国での開業資金でほぼ底をつきそうだ。
当面は、セレスティアが14歳で医師免許を取得してから地道に働いて貯めてきた貯金に頼るしかない。こんな時ほど、手に職があってよかったと思う日はない。
ここ、レイティシア王国王都・ロザリオンの下町、フェルゥ地区でセレスティアは掘り出し物とも言える物件を探し当て、即日賃貸契約を結んだ。
隣のパン屋の夫婦がオーナーで、以前は雑貨屋だったという一般店舗用の物件である。
それには、費用的な理由ともう一つ理由があった。
診療所としての開業許可は取ったものの、同時に商店としての許可も取った。表向きは薬局として営業したかったからだ。もちろん、薬以外にも日用雑貨や保存食なども置き、下町の人々が気軽に入れる場所にしたかった。
「……入りづらい、だから行かない。じゃ意味がないもの」
収支をまとめた帳簿をつけながら呟いた。この国では、医療は贅沢品だ。近代国家と言われる故国エルミーユでさえ、決して万人が医者にかかれる訳ではない。だからこそ、人々は薬師に頼る。薬師の処方する薬で治せない病気や怪我は、諦める。そして待つのは死だ。薬師の担っている役目は大きい。
もっとも、このレイティシアにおいては少し事情が違うのかもしれない。剣術と魔法の国であるこの国では、治癒魔法が発達している。ただ、治癒魔法が有効なのは、一般的には外傷のみだと言われている。そして、これは一般医療も同じだが、外傷を負ってからどれだけ早く治癒を始められるかが生死を分ける。外傷から菌が入り病の元になって死ぬことも多い。特に今は、ここレイティシアに好き好んでやってくる外国人は多くない。悪名高き暴君・女王セシーリアの圧政は近隣諸国のみならず、広く世界に知れ渡っている。美しい景観や活気付いた市場も、すべて過去のもの。今や内乱勃発寸前とも言われ、そして国交を断つ国が現れれば近隣国との戦争も避けられないだろう。
ー今、このタイミングを逃したら、もう2度とレイティシアには渡れないかもしれない。
セレスティアはそんな決意を持って遠く平和なエルミーユ共和国から一人、この国へやってきた。
故国へ戻れるかどうかや、故国に残してきた物、人。
最悪の場合、それらと再会することは叶わないことも十分にありうる。
けれど、ここで決断できなければ、もう決断するチャンスもない。だから、一人でやってきたのだ。
「もう、後戻りはできないよね」
悲しげに微笑んで、セレスティアは古めかしい天井を見上げた。
*
「ご報告は以上でございます、殿下」
レイティシア王宮近衛騎士団の制服に身を包んだ黒髪の青年は恭しくお辞儀をした。
「……2つめの報告。もう少し詳しく頼む」
「2つめ…と仰いますと、フェルゥ地区に新しく開業した薬局のことですか?」
「ああ。わかっていて確認するな」
王子は若干苛立ちながら言った。それを見て若い騎士は苦笑する。彼は10歳の頃からこの第一王子付きの側仕えだった。ある意味、幼馴染と表現しても良い仲だからこそ、この報告に王子が興味を持たないはずはないことが彼にはわかり切っていた。
「失礼いたしました。こちらの薬局ですが……、殿下にご報告させていただいた理由は、診療所を兼ねているらしいとの情報があったからです」
「薬局なのに、医療行為も行うということか?」
「役場では、薬局と診療所の営業許可を申請したとのことです」
「若い娘が一人でやっていると言ったな?」
「はい。役場で見せた身分証によると、17歳だったと」
「17?医師免許を持っている女がか?」
レイティシアでは、女性が医師になるハードルは限りなく高い。全く存在しないと言えないが、国内出身の女性医師は全体の1割にも満たないのだ。
「ええ。なにしろ、その女が見せた身分証というのが・・・エルミーユ共和国の国家医師免許だったと」
「…お前が報告をしたのはそれが本当の理由だろうが」
苦虫をつぶしたような顔で王子は言った。
無言で続きを催促された騎士は、素知らぬ顔でこう続けた。
「彼の国は殿下もご存知の通り、世界一の文明国です。当然医学の進歩も、残念ながら我が国は足元にも及ばない。彼の国では、優秀な者には男女の分け隔てなく門戸を開く学校が普通とのことで、中でもとびきり優秀なものはいわゆる「飛び級」をして若くして学校を卒業するとのことです」
「つまり、たった17歳の医師も存在しうるということか」
「はい、それが女性であっても関係ありません」
「なるほどな。それで、なぜ医者が薬局を?」
「エルミーユ共和国の国家認定医師には、『薬学医』という職種があるそうです。名前通り、極力薬の効用で身体を治癒に導く専門医ー、とのことですが、この職種の医師だけは薬師の資格を持たずに薬局も開業できるとのことです」
「ふむ。なぜ医者として堂々と診療所を開かない?」
「…需要がないからかと」
「需要?」
「恐れながら、申し上げます。殿下、フェルゥ地区とはどんなところかご存知でしょうか」
「フェルゥといえば、城下の下町だろう」
「左様でございます。ごく庶民的な暮らし向きの者たちが住む地域です。庶民にとって一番身近な医療とはなんでしょうか」
少しの沈黙の後、王子はぽんっと手を打った。
「診療所として開業しても、診察料が払えない庶民にとっては煙たいだけか…」
「ご明察でございます。この少女がどんな目的でこのレイティシアにやってきて、薬局を開業したのかはわかりかねますが…少なくとも、医師としては立派な志を持った者のようですね」
「どんな者にも平等な医療を…か」
薬局として表向き店を構えれば、近隣住民にとって入りやすく、いざ本格的な診察が必要な者が訪ねてきても対応できる。尤も、診察した場合どのくらいの料金をとるのかはわからないが。
「…気になりますか?もう少し調べさせましょうか」
「…ああ。頼む」
短く答えて王子は別の報告書に視線を落とした。
しかし、その口元はわずかに緩んでいた。