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短編集『花まかせ』  作者: 花和郁
第一集
6/32

天使と鬼

(たいら)、お前、最近(みなもと)をいじめているらしいな」

 生徒指導室で、男性国語教師はいきなり切り出した。

「そんなことしていません。誰ですか、藤原先生にうそを告げ口したのは」

 私は強い口調で言ったが、相手には全く響いた様子がなかった。

「告げ口じゃない。他の先生が目撃したんだ。クラスの数人にお前達の関係を確認した」

 あの美術教師か。昨日源さんを五人で囲んでいるところに通りかかって不審な目で見ていたけれど、担任に伝えるなんて。

 腹が立ったが、いじめを認めるつもりはなかった。

「私たちは源さんに態度を改めるように言っただけです。あの子は漫画部だからって下手な絵に熱中して、人の話を全然聞きません。文句を言われてもへらへら笑っています。みんな迷惑しているんですよ!」

 先生は穏やかな表情で言った。

「確かに源はのんびりしたところがあるな。いつも漫画を()いていて、自分の世界に入り込んでいる。ホームルームで連絡したことが全く伝わっていなかったことが数回あった。いらいらするやつもいるだろう」

「分かっているじゃないですか。そうですよ。あの子はとろいんです。だから注意していたんですよ。それの何が悪いんですか」

「ただの注意じゃないだろう。漫画のノートを破ったそうじゃないか。だから呼ばれたんだ」

「ノートを取り上げて絵を描くのをやめさせた方があの子のためなんです」

 先生は小さく溜め息を吐いた。

「他人の趣味に口出しするのはよくない。漫画だって役に立つ。読み方によっては自分自身を映す鏡になるんだ」

 先生は手に持っていたスケッチブックを開いた。

「これを見ろ」

「イラストですか」

 右側がやさしく微笑む天使の絵、左側が怒り狂う鬼の絵だった。どちらも漫画調だがモデルがいそうだ。

「描いたのは橘だ。分かるよな」

 私は頷いた。クラスで一番絵の上手い男子だ。漫画部で、源さんと仲がいい。

「昨日頼んだら描いてきてくれた。あいつは美術系に強い高校に進んで、ゆくゆくはイラストで食っていきたいらしい」

「この絵がどうかしたんですか」

「鬼の方、誰かに似ていると思わないか」

 私は息を呑んだ。髪が長くて眉毛がつり上がった女子なんてたくさんいる。そう自分に言い聞かせたが、声が震えそうだった。

「まさか、私を描かせたんですか!」

 先生は動揺する私をじっと見ていた。

「違う。特にモデルは指定しなかった。ただ、のんびり屋のおとなしい女の子と、それをいじめる女の子を描いて欲しいと頼んだ」

「ほとんど指定しているじゃないですか!」

 私は立ち上がって叫んだが、先生は手で座れと示した。

「本当にお前じゃないんだ。モデルはいないと橘は明言した。お前が源をいじめていることも知らないらしい。漫画のいじめのシーンを参考にしたようだな。藤原の目にはいじめるやつがこんな風に見えるんだそうだ」

 先生は哀れむような表情になった。

「お前、橘が好きなんだろう。だから源につらく当たるんだな」

 思わず目をそらしてしまったので、肯定したも同然だった。私が力なく椅子に腰を下ろすと、先生は低い声で言った。

「お前はいじめている時、こういう顔をしているんだぞ。その姿を想像してみろ。これを他人に見られたいか。好きな人に見せたいか」 

 私は首を振るしかなかった。

「なら、いじめなんてやめろ。どんな理由であれいじめはみっともない。いじめっ子が賢く愛すべき素晴らしい女性として描かれている漫画を読んだことがあるか。お前は自分が正しいつもりかも知れないが、反抗できない弱い相手をいたぶる姿は、他人からは鬼みたいに見えるんだ。それを漫画は教えてくれる。こんな自分にお前は胸を張れるのか」

「じゃあ、どうすればいいんですか! あの子、むかつくんですよ!」

 天使の絵は源さんにどこか似ていた。

「じっと我慢しろって言うんですか! あの子を許せない心の狭い自分を責めればいいんですか!」

 先生は腕組みをして私の言葉を受け止めた。

「方法はいくつかあるが、そうだな、俺は友達を作ることを勧めるな」

「友達はもういますけど」

「いじめに加担するようなやつじゃない。お前がいじめをしていると知ったら止めてくれる友達だ。信頼できて悩みを打ち明けられるようなやつだな」

「友達に愚痴を言えってことですか」

「それもいいだろう。一緒に遊ぶだけでもいい。打ち込める趣味でもかまわない。そういう発散できるものを持つことだ」

「趣味ですか……」

 自分にはこれがそうですと言えるものがないことに気が付いた。

「源の場合はそれが漫画なんだろう。他人のそういうものを笑ってはいけない」

 先生は天使のイラストを眺めた。

「源は勉強でも運動でもあまり目立たない。友達も多くないようだ。そんな彼女が笑っていられるのは漫画があるからだ。あれが彼女なりの学校での過ごし方なんだ。誰にだってつらいことはある。気持ちを切りかえ、楽しく生きる自分なりの方法を見付けることは、大人になっていく第一歩だ」

「漫画を描いてへらへら笑うのが大人なんですか」

「笑顔にも二種類ある。何の苦労も悲しみも知らずに無邪気に笑うのは子供だ。つらいことや苦しいことを抱えていても笑って生きようとするのが大人だ。どちらも美しく素晴らしい。漫画で笑えるなら素敵じゃないか。もちろん、勉強と両立できてこそだがな。そのバランスをとれるのも大人の条件だ」

 先生はスケッチブックを差し出した。

「この絵はお前にやる。橘に了解はとってある。誰かをいじめたくなったらこれを見て、自分の行為が他人の目にどう映るのか、よく考えなさい」

 私はそれを受け取って胸に抱きしめた。悔しかったが、橘君が描いた絵だもの、一生大切にするだろう。

「他人を苦しめても自分の苦しみは減らない。つらいことやいらいらすることがあっても、楽しいことを見付けてその絵の天使のように微笑むことができる人、微笑もうと努力する人が、人に愛されるんだよ」

 私は深く頭を下げて、部屋を後にした。

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