疼きは満月の夜に Part.1
正午を告げる教会の鐘。
清らかなその音色は、旅立ちに相応しい清らかさで墓地を包んでいた。
しっかりとした墓石と少ないながらも参列者がある。禿鷹に啄まれ土に還るはずだった事を考えると、流れてきた余所者の最後としては、縁ある女将と赤頭巾に見送られたのだから、これほどの幸運はないだろう。
女将達と一緒にハンターの埋葬を見届けてから、レイヴンとアイリスは散歩がてら村を見て回っていた。これから先の行動を決めるにしても、部屋に閉じこもりっぱなしでは気が滅入るから、歩きながら話すのは気分転換にも丁度良かった。
一日の中でも一番暑い時間帯にも関わらず、清涼な風がレイヴンの首筋を撫でていた。荒野ならばシャツに大きな染みが出来てる頃合いなので、この涼しさには感謝するばかりだ。おかげでおろし立てのシャツはサラリとした肌触りを保ってくれている。
「いいお葬式でしたね、レイヴン」
さくりと草を踏んだアイリスが振り返りながら言った。
「ささやかだったが満足してもらうしかねえな、ハンターには」
「見ず知らずの人間ですけど、亡くなってこんなにも残念な気持ちになるなんて思いもしなかったです。あの手帳を読めば読む程、ハンターさんが博識だったのが伝わってきましたから……。一度、お話ししてみたかったです」
「そうか」と、レイヴンは気のない返事を返す。
アイリスには悪いが名案とは思えない。怪物狩りのハンターと人に化けた龍が対面して友好的な会話が始まると信じ切れるか? 貧弱な人間でありながら強大な力を持っている怪物を狩る事に人生を捧げているような連中だ、奴らの生き方をそこまで縛り付けている怪物への執念がどれほどの物か、レイヴンにはよく分かる。
だからこそ、気軽に賛成はできなかった。
人間そのものを歪ませかねない怨嗟は黒い焔だ。そしてその焔に囚われた人間は、身を焼く痛みさえも力に変えていける。肉体を薪にしてより大きく燃え猛り狂う、原初の火種、そいつを燃やし尽くすまで。
――運が良いのは俺のほうだと、レイヴンは思わずにいられない。出会いは分かれ道に似ていると教えられた事があったが、これほどまでに痛感するとは。ハンターの最後はあの日歩まなかった道の先、その終着点に思えてならない。
「――? なにか言いました? レイヴン?」
「いいや」
言いかけたのは事実だが、いたずらっぽいアイリスの笑みを見て、レイヴンは言葉を退いたのだった。ただし、それでも嗅ぎ付けるのが彼女なのである。
「本当です? 聞こえたような気がしたんですけど」
「風の音とでも聞き間違えたんじゃねえか、俺は黙ってたぞ」
「ふふふ、そうです? まっ、いいんですけどね~」
全て承知であるように、アイリスはそれ以上聞いてはこなかった。なんとも腹立つしたり顔である。人の心は読めないと彼女は言うのだが察しはいい、きっとお見通しだろう。
「ところでです、レイヴン。何処へ向かっているんです? 村から出ちゃってますけど、そっちに何かあるんですか? 人狼の住処とか」
「さあな、なんとなくだ」
「もしかして迷っちゃったとか……です?」
あてどなく散歩していたが、そのまま森に迷い込むような間抜けは流石にしない。万が一、道を亡くしたとしても、来た道を戻るだけならば容易いことだ。
「まさか、村から少し出ただけで迷ってたまるかよ。足下見てみろ、アイリス」
「ふむ、足下です?」
彼女が視線を下ろした地面には草が踏みつけられた跡があり、跪いたレイヴンは改めて詳細を観察している。
「人間の足跡が二人分と馬が一頭、種類は少ないが頻繁にここを通ってる。村には住んでないが、村と関わりのある奴が近くにいるんだろうよ。つまり、いま俺たちが歩いているのは、れっきとした道って訳だ」
「なるほど、とりあえず迷子でなければ安心です。――……う~ん、でも不思議です」
「あのなぁ、人狼が潜んでるんだぞ、村への道くらい覚えながら歩いてるさ」
見くびられたものである。
夜にこそ危険が増すだろうが、近くに人狼が潜んでいる事が確定している以上、日中であっても気は張っている。そこに疑問を挟む余地などないだろうと、レイヴンは自慢げに口角を上げるのだが、アイリスはきょとんとしながら答えた。
「え? ああ、レイヴンのうっかりを心配したでのはなくてですね、頻繁に村へ足を運ぶのなら、村に住めばいいのにと思いまして」
「なんだ、そっちかよ……」
レイヴンの声が僅かに詰まる、無駄に恥を掻いた。
「色々理由があるんだろ、畑が森の中にあるとか、一人の方が気楽でいいとか。村での生活ってのは意外と煩わしい事が多いんだよ。あれこれ詮索されたり噂話に付き合わされたりな、アイリスが想像してるようなもんじゃあきっとないぜ」
「そうです? むしろ楽しそうですよ、わたしお喋りするの好きですから」
「論より証拠といきたいが、お前には理想のまま抱えててほしいかな」
「レイヴンの思いやりは身に染みますね。けれど私には貴方がいるので、確かめる必要もないかもです、えへへへ~」
けろりとのろけてみせるアイリスに返す言葉が見つからず、レイヴンは呆れるよう頭を振って歩を進める。木々の隙間に小さな小屋が見えてきたのは、村を流れる小川からさらに枝分かれした支流沿いに伸びた小道を、アイリスと歩いて暫く経った頃だった。
「あれまレイヴン、本当に建物がありますよ」
「家……、というより狩猟小屋みたいだが人が住んでる気配は――」
「――ど、どちら様ですか⁈」
意外なことに、小屋の影から尋ねてきたのは聞き覚えのある女性の声だった。柔和でどこかとぼけた印象の声はそう耳にする物じゃないので、レイヴンとアイリスは顔を見合わせてから小屋へと近づいていく。
返事はアイリスがした。
「怪しい者じゃありませーん、私とレイヴンで~す!」
「……アイリスとレイヴンだ。そこにいるのは赤頭巾だな?」
「あ、あぁなんだ、お二方でしたか。どうぞこちらへいらしてください」
声に誘われて小屋の向こうを覗き込めば、そこには赤頭巾ともう一人、小柄な男が川べりの丸太に腰掛けていた。レイヴンの予想したとおり男の顔は村で見かけていなかったが、その正体はアイリスによってすぐに暴かれる事になる。
彼女が自己紹介すると、赤頭巾が間を取り持ってくれた。
「レイヴン様、アイリス様。こちらはレイロウ、私の友人です。――レイロウ、お二人はハンターさんのご友人で宿に宿泊してくれているお客様よ」
「……どうも」
レイロウと呼ばれた男の挨拶は、目を合わせないうえに小声と礼を失したものだったが、無法者が礼儀を気にするってのもおかしな話だし、アイリスに至っては全然気にしていなかった。
「ハウディーです、レイロウさん!」
「あぁ、はい……、こんちには……」
歯切れの悪いレイロウの戸惑い。その理由は、レイヴンにはすぐに察しが付いた。この男もまた余所者だ、レイヴン達とはまた違う意味で。
アトラスは移民によって建てられた国であることくらいは、学のないレイヴンでも知っている。この大陸が発見され、多くの欧州人が古い支配体制からの脱却、または未開の大地に夢を見て大海を渡ったのが百年程昔、押し寄せた人の波は東海岸を文明の波で飲み込むと、その勢い留まることなく西へと手を伸ばした。だが、ここで一つの問題が生じる。労働力の不足だ。広大な土地に夢を見た移民は多くいたが、彼らだけでアトラス大陸全てを開拓するには流石に手が足りず、昔ながらの方法で人手を集めた。
不足している労働力は余所から引っ張ってくればいいだけのこと、欧州から脱する事を望んだアトラス人は、皮肉な事に欧州と同じ方法に解決を求めたのである。黒肌に黄肌、世界中に散っている奴隷商や貪欲な起業家にとってアトラスの西部開拓は、新しい商売の機会に過ぎなかった。
「こいつが洗濯屋か」
探鉱夫か鉄道敷設の為に買われた奴隷だったのか。或いは彼もまた真っ当に夢を追った移民なのかもしれないが、沿岸部から遠く離れた中西部で一人、洗濯屋を営んでいる時点で、気の毒ながら夢破れたと見ていいだろう。――まぁ、レイヴンには関係の無い話なので何のけなしに口にしたのだが、レイロウを庇うように赤頭巾が応じた。
「か、彼はとても働き者なのですよ。それに仕事も丁寧なので、お二人の衣服もすっかり綺麗になっているでしょう?」
「はい、とってもです! おかげで気持ちよく一日を過ごせてます、レイロウさんには感謝感謝ですッ!」
アイリスはただただお礼を伝えた、その表情には一点の曇りもなく晴天の清々しさに満ちていたのだが、だからこそ彼女が投げかける問いに、レイロウは二の句を告げなかった。
「レイロウさんはアトラス人とは違いますよね? 出身は何処なんです?」
「……ッ⁈ え、あ、……その…………」
アイリスは無垢だった、そして同時に無知な事もある。
だからこそ時にナイフを突き立てることがあった。今が良い例だ。動揺しているレイロウに、むしろ彼女の方がさらに戸惑うのだから。
「あ、あれ、レイヴン。私、なにかマズい事を尋ねましたです?」
「ちょいとデリケートだったかもな。――アイリスの質問は純粋な興味からだ、あんたが想像するような事態にはならないから安心していい」
気まずさを鼻にもにかけずレイヴンがそう言ってやると、レイロウは彼の方を怯えながら見た。なるほど、この男が慎重になっているのは、銃を提げている自分の存在なのだとレイヴンは気がついたが、そんな眼をされなくても大体の素性は察しが付いているから無駄な心配だ。
「話したくないならそれもいいさ。――アイリスも気にしてないだろ?」
「はいです。気分を害したのなら謝ります、ごめんなさいですレイロウさん」
無知故の失敗。それと知らず踏んだ草が作物であったの似たような迂闊さだが、詫びるアイリスは丁寧に頭を下げていた。そこには作為も不満もない、そうと分かれば相手の態度もまた変わるというものだ。
「失礼したのは僕の方です、アイリスさん」
「アイリスと呼んでくださいです。――アシュリーさんも気軽にそう呼んでくださいね」
「わ、わたしもですか? しかし、お客様をそのように馴れ馴れしくお呼びするわけには――」
「村の外れで客もなにもねえもんだ、立場抜きで話したって罰は当たらねえよ」
お好きにどうぞと手放すと、レイヴンは一服つけるため小屋に寄りかかり成り行きに任せることにした。レイロウには気の毒だが、好奇心に火が付いたアイリスの質問攻めの犠牲になってもらおう。
丸太に腰掛けて話し始めたレイロウは色々な事を教えてくれた。……いや、正確には矢継ぎ早に飛んでくるアイリスの質問に煽られたと表現する方が正しいような気もするが、とにかく多くを語ってくれた。
出身はアカツキ国。これまた海を跨いだ大陸にある大国で大層古い歴史があるそうで、積み重ねた年月はレイロウ曰く四千年。アトラスと比べたら干からびるくらいの年寄りであるが、だからこそアイリスの好奇心には火に油で、どんな食べ物があるのかとか、どんな物語があるかとかひっきりなしに質問が投げかけられていた。忙しなく尋ねられるばかりで、レイロウも流石に嫌気がさすだろうと思っていたがそんな事はなく、聞き手としてのアイリスが上手いためか、むしろ彼は饒舌になっていっていた。初対面で覗かせた警戒心はとっくに消え去り、今では談笑している、そこまで気を許せるのはきっとアイリスの人柄のおかげだ。
「変わった女性ですね、アイリスは」
二人の会話に耳を傾けていると、赤頭巾がレイヴンの隣に寄りかかった。彼女の雰囲気もまた、どこか柔らかくなっていた。いつも見かける営業スマイルよりかだいぶ取っつきやすく、くだけた喋り方もこなれているから、これが普段の彼女なのだろう。
「鋭いな、そこに気が付くとは」
「わるい意味ではなく不思議な人だなって。……彼も楽しそう。村の人達とは、その……あまり親好がないから」
「苦労も多いだろうな、窓割られるくらいだ」
「どうしてそれを?」
そう驚かれる事でもない。小道側から覗ける窓に空いてる穴を見つけるなんて、目を開けていれば自然と気が付く。
「――村の子供達です。やめるように言い聞かせてはいるのだけど、私ではどうも説得力がないのか、聞いてくれなくて。あ、でも、みんな本当はいい子たちなのよ?」
「ガキの素振りは大人の真似事だ、あんたが悔やむ事じゃあないさ」
「だからといって見て見ぬ振りは出来ないわ、私も村に暮らす大人の一人だもの」
「そいつはご立派なこって」
他人の子供の見本になろうとは見上げた根性だ。気弱そうな顔立ちに反してやはり芯が強い女らしく、レイロウもさぞ心強かろう。或いは気丈に振る舞っているだけかも知れないがつつくのはやめておく。それよりもレイヴンが気をつけるべきは言葉の選び方だった。
「……まるで私が、義務や同情から親しくしているとでも言いたげね。はっきり言っておきますが、レイロウを哀れんだ事なんて一度たりともありませんよ」
「取り違えないでくれ、誤解だ。孤独じゃないってだけで大きな支えになる、あんたは――いいや、あんた達はよくやってるさ、皮肉じゃなくてな。」
二人の間には確かな信頼がある。そうでなければ、葬式を終えたばかりの人間が傷心を癒やしに拠りはしない。彼らを繋いでいるのはもっと温かな価値ある感情だろう。そんなレイヴンの静かなるひやかしを察したのか、赤頭巾は口をきゅっと結んで森の木々へと顔を背けた。
無言はつまり肯定だ。となれば、お邪魔虫はお呼びじゃないって事になる。
「アイリス、そろそろ村に戻るぞ」
赤頭巾の肩を軽く叩いて元気づけると、レイヴンは気怠くアイリスを呼ぶ。彼女の好奇心が収まるのを待っていたら、狭い狩猟小屋に泊まり込みになりかねないので、切り上げるには丁度良いタイミングだった。
「えぇ、もうです? もうちょっとだけ、あと五分だけお話ししてたいです!」
「そうか? 残念だな、せっかく酒場で飯食いながら一杯呑もうと思って――」
「帰りましょうです、レイヴン!」
知識欲より食欲優先、分かり易い事この上なし。
飯、酒と聞くなり子供みたいなダダを即座に引っ込めたアイリスは、子供みたいな本能に従ってサッと立ち上がった。驚くべきはその切り替えの早さだろう、そりゃあレイロウだって呆気にとられる。
「すいませんです、レイロウ。急用が出来てしまったので失礼します、お話の続きはまた今度聞かせてもらっていいです?」
「え……あぁ、はい。どうぞ、どうぞ」
「……アイリス」
何か忘れてやいないかとレイヴンが咎めれば、彼女は思い出したように振り返ってぺこりと頭を下げた。質問攻めにした礼はしておかなければならない。
「ありがとうございましたです。アカツキのお話、とってもおもしろでした。アシュリーもお仕事頑張ってくださいです」
「えぇ、アイリスも。道がわるいので転ばないように気をつけて帰ってね」
「それではまた宿で会いましょうです。――さぁさぁ、レイヴン行きましょう! ごはんが私達を待ってますよ~」
山の空模様並に移り気な姿にアシュリーは思わず笑いそうになり、そんな彼女と目を合わせたレイヴンは肩を竦めてやるのだった。
「やれやれだ」
「ほんとうに変わった女性ね」
「退屈はしない。それじゃあお二人さん、邪魔したな」
煙草を踏み消してから村へと戻る道へ足を向けるレイヴン、飛び跳ながら進むアイリスの金髪がひらりひらりと舞っていた。




