ブルースキン・タンゴ Part.4
不意に囁かれた、ぞっとするくらい艶やかな声音。
なんの気配も無く耳朶をくすぐったその声に、レイヴンは反射的に銃爪を落とすところ、慌て振り返った彼の背後には妖艶な蒼肌が微笑を浮かべて佇んでいた。
いつの間にか消えていたダークエルフの、あの女である。そして彼女は、何事も無かったかのように穏やかに続ける。
「彼奴らはすでに去った、周囲に影は無いぞ?」
「てめぇ……いつの間に……っ!」
「――っていうかレイヴン。彼女、アトラス語を話してます⁉」
今驚くべき点は、確実にそこでは無く、案の上、女は呆れたように返してきた。
「ふ、人の子というのは│悉く鈍いのう。ようもそれだけ呆けておるのに、森で休もうなどと考えるものだ。獣に寝首をかかれても知らんぞ?」
「何しに戻って来やがった、アトラス語喋れねえフリまでしやがって」
「話せぬと、吾が一言でも申したか? 主の早合点だ」
始めに交した彼女とレイヴンの会話は僅かに数言で、アトラス語でレイヴンが話しかけた時、彼女は黙していただけであった。確かに、話せないとは言っていないが、今となってはそんなことはどうでもいい。
むしろ躊躇う理由が無くなっただけ、レイヴンは好戦的な態度にでた。
しかしだ、女の方は物腰柔らかく、自身に向けられている銃口など何処吹く風で、ガンマン達が来るまで腰掛けていた岩に座り直すのだった。
「ちょっ! おいおいおい、誰が座って良いって言ったよ」
「……銃なぞ収めよ。まったく、落ち着きのない小僧だな」
敵意ある者が向ける銃口には身を強張らせてしかるべきだというのに、女の振る舞いは吼え散らす子犬を宥めるかのよう。女は顔色一つ変えず、細い薪を火にくべていた。
火の粉が舞う。
「主を襲うのならば、とっくにそうしておる。機会なぞは山ほどあった、主の喉笛掻ききる機会はのう。彼奴等より噂の一つも吹き込まれたようだが、如何な噂を聞いたにせよ事実とは異なる。庇われた礼もある、吾はその誤解を解きに来た」
「御苦労なこった、さっさと消えちまえばよかったのによ」
「……無根だとは、言わないのですね」
「火の無いところに煙は立たぬ、とは人の諺ではなかったか、娘よ」
「根元で何が燃えてるか、俺はそこが気になるね」
レイヴンもついに腰を下ろした。武器さえ手にしていない女に銃を向けての立ち話など、続ける分だけ馬鹿らしく思えるので、拳銃もホルスターに戻っていた。
「――連中の仲間を殺ったと聞いたぞ」
「うむ。吾の眼前で息絶えた事に違いはない。しかし、手を下してはおらん」
「じゃあ何故追われる。連中の口ぶりじゃあ、あんたが犯人だと確信してたが」
「状況を鑑みるに吾を疑うのも仕方のない事だ。彼奴は吾の上で果てたのだ、精も根も吐きだして、終いに命まで吐きだしての」
「ええっとです……それってつまり……?」
「生娘には難しかったか? 二人きりになった男女がすることなど一つしかなかろ」
「ああ、なんだ。交――」
レイヴンが咳払いで止めた。
デリカシーがないとアイリスはよくレイヴンに注意するが、その割には彼女の貞操観念もズレているのだ。特に口にすることに躊躇いが薄く、話が逸れる前に止めたのは的確な判断だったろう。
「それじゃあ何か、腹上死か?」
「有り体に言ってしまえば、そうなるのう。彼奴の方から誘ってきたというのに、まったく迷惑極まる。おかげで行く先々まで追い回されていて、ろくに休めもせなんだ」
「ダークエルフを追跡するとは、結構優秀な連中みたいだな」
「故に困りものなのだ。吾は無用な争いは好まんが、話し合いにさえならんのでな。そこで相談なのだが――」
「――仲介はしねえ。あんたの問題だ、自分でカタ付けるンだな」
レイヴンはにべもなく突き放した。他人の揉め事に首など突っ込むべきではないし、命が絡んだ怨恨の根深さは、彼自身よく知っている。しかも見ず知らずの相手が抱える揉め事とくれば、尚更手を出す理由が無い。
しかし、それは当然だと女は頷く。
「吾とてそこまで高望みはせんさ。それに主等、人間が手を貸すのは甘言と共に裏がある時だけだろう。同じ人間の先住民さえ追いやったのだ、むしろ好意的過ぎる方が怪しい」
「……かもな。俺には関係の無い話だが」
「う~む、わたしにはどうも分かりません。貴女は人間に対して不信感があるようですが、ではレイヴンへの相談とは一体なんです?」
そう問いかけたアイリスに、女は妖艶な眼差しを返した。
「お互いに流れ者故の同調とでも言うかのう、主の用心深さが気に入った。彼奴等の話に流されず下した冷静な判断がな。頼みと言っても面倒を任せる訳ではないぞ、一晩共に過ごさせてもらいたいだけだ。安心して眠りたいのでな」
「それだけか?」
「無論よ。ふふっ、その用心深さが心地良い」
互いに警戒を保った緊張感のある一夜となるだろうが、やはり目の届く範囲に置いておいた方が安心できる。どのみちこの女は、脅したところで離れはしないだろうし、ならばヒリ付いたまま夜を明かすのが最良か。
レイヴンの判断は九割、許可する方向へ傾いていた。しかしだ、断固とした拒否の声がアイリスから上がったのである。
「ダ、ダメです、レイヴン! 彼女といっしょに寝るなんて!」
「あ? 寝るっつっても同じたき火囲むだけだ。別に一緒に寝る訳じゃ――」
「で、でも、でもでもダメなんです! ダメダメなんですッ!」
「大声出さなくても聞こえてるよ、やかましいな」
アイリスが何をそんなに心配しているかは、まぁ問うだけ野暮というものである。
だからこそ、レイヴンも掘り下げはしなかったのに、女は躊躇なく踏み込んでいくのだった。どうやらダークエルフ族の貞操観念もまた、人間とは大きく異なるらしい。
「そう心配するな娘よ。我らダークエルフ族は好色であるが、吾は他人のものに手は出さん。勿論、誘われたのであればその限りではないがのぅ? ふふふ……」
そうして彼女の細められた瞳の淫靡さは、異性をひきづり込む魔性を帯びていて、成る程死んだ男がのめり込むのも理解できる美しさだった。男ならば、この女性を腕に抱く様子を想像してしまうのも無理からぬこと。だが……
「…………レイヴン?」
「そんな目で見るな、何も言ってないだろ」
「じぃ~~~~~~、です」
「くふふ、娘よ。あまり小僧を責めてやるな、吾に見惚れるなというのが難しいのだからの」
「おい、油注ぐんじゃねえよ」
「主は存外とウブだのう。して、小僧。返答は如何に」
「むぅ~~~~、です!」
一応、レイヴンは許可を出すつもりではいた。
しかし、横顔に無言の圧力を感じる彼が言い淀んでいると、アイリスがずいと女の前に出るのだった。
「分かりました! 一晩だけ、一晩だけなら認めてあげます」
「ほう、これは驚いた。主は絶対に首を振らんと思っていたぞ」
「正直に言ってしまえばわたしの気持ちに変わりはありません。けれど旅路は助け合いだとレイヴンは言っています。彼の気持ちをないがしろにしたくありません」
「……そうか。感謝するぞ、娘よ」
それは妖しい美女には不釣り合いなくらい真摯な礼だった。が、関心が逸れているアイリスはまったく気にせず、今度は女の鼻先にずいと一指を立てる。
「――ただしです! 条件があります」
「条件とな?」
「貴女はここ、レイヴンはあっちで寝ることです!」
「俺がどくのかよ」
「……なにか文句があります? レイヴン?」
アイリスが指さす木の根元は暗く、たき火の熱は届かないのでレイヴンの不服は至極当然のものなのだが、縦に割れた眼差しで静かに凄まれては続きの言葉は呑み込むしかない。
「ない。俺は、むこうで寝る。一人で」
「よろしいです。では休むとしましょう、もう遅いですから。ほらほらレイヴン、早く寝床を作らないと」
「はいはい、わぁ~ったよ」
半ば火の光から追い出されるようにして、レイヴンは新しく寝床をつくって横になった。寝床と言っても簡素なもので、下ろした鞍を枕にするだけだ。暗さに関しては、帽子で顔を覆おう必要は全くないのだが、落ち着きという意味で彼は目深に被り直す。
アイリスも、女も、それぞれに寝支度を整えると、薪が爆ぜる音だけがやけに響くようになっていく。
「おやすみです、レイヴン」
「ああ、おやすみ」
「それから貴女も……」
と、言いかけてアイリスはようやく気が付いたらしい。
寝返りを打って彼女は尋ねる。
「そういえば、まだ貴女の名前を聞いていませんでした」
「吾の名なぞ不要ではないか。所詮、夜明けと共に別れる間柄だ。それに悪魔と契った末裔の名など主は知りたくもなかろうよ」
「……やはり聞こえてましたよね、ごめんなさいです」
自分の言動を思い返し恥じ入るアイリス。
冷静になって振り返れば、そのどれもがあまりにも一方的で酷い言い草だったと彼女は反省する。それこそ女の顔をまともに見られないくらいに申し訳なく思っているのに、当の女ときたら艶やかに肩を揺らしていた。
「ふふふ、戯れよ。種は違えど主の気持ちは吾でも理解できる、言葉にするのが難しかろう?」
「あ……うぅ、はい……」
「│善い│善い。誤解も解けたようだし、吾は気にしておらん」
「ありがとうです」
「ふむ。まだ態度が堅いのう。では、証として名乗ろうか。吾の名はヴァネッサ、人の世ではそう呼ばれている」
名は体を表わし、人を表わす。
その響きに目を閉じたアイリスはぽつりと呟いた。
「素敵です。ヴァネッサ……、髪の毛が逆立つくらいに艶やかな名です」
「……主も大概変わり者だのう。ダークエルフの名など、大抵の人間は興味さえ持たんというのに。吾に言い寄るは男ばかり、名まで尋ねた女は主が初めてやも知れぬ。それはさておき、アイリスよ。主も休んだ方が良いのではないか? 小僧と共に、明朝に発つのだろう」
「う~ん、そうなんですけど。わたしとしてはもう少しお話ししたいというか」
「一期一会の出会いに情を移しすぎてはいかんよ、娘。吾との出会いは一夜の夢、そして二度と出会わぬ│運命なのだから」
揺らめく焔を見つめるヴァネッサ、彼女は遠く彼方を見つめているようだった。
「……ヴァネッサは、ずっと一人で旅をしているんです?」
「うむ、その通りだ。しかし孤独を感じたことはないぞ」
「え? どうして――」
「――問いが分かったか、か? 単純だ、よく問われるのでな。どうも人間の男は、一人旅する女が温もりに餓えていると考えているらしいのだ。だが、吾は一人ではない。大地や空、草木、岩、吾は常に自然と共にある。吾に限らず、生きとし生けるものはすべて、己以外の生命に囲まれて生きているのだ。文明に毒され多くの人間は忘れてしまっているが、本来、生きている限り生命と孤独は無縁なのだよ」
「……恥ずかしながら、わたしにはまだ難しいです」
「水のせせらぎ、木の葉の囁きに耳を傾けてみるとよい。眠りに落ちる頃合いには、彼等の息吹を感じられる。頭で理解しようとしても届かぬさ、自然とは我らが及ばぬ力を秘めているのだから、彼等の流れに身を任せ、感じるほかない。…………すこし、喋りすぎたな。吾も休むとしよう」
そして静かに瞳を閉じたヴァネッサに、最後に一つ言いたいことがあったアイリスは遠慮がちに声をかける。
「わたしはですね、ヴァネッサ。貴女との出会いを一会の夢とは思いません。たとえ儚くても、わたし達が出会ったことは素敵な運命だと思いますよ。数多の生命が溢れる世界で、こうして出会えたんですから」
「…………やはり、変わり者だのう」
「なので別れても、わたし達の欠片はいつでも貴女と共にあります。わたし達だけじゃありません、これまでにヴァネッサが出会った人々もです、だから…………、えっと、なんて言うか……その、そう考えると、より心強く感じません?」
まとめ下手の失速著しいが、ヴァネッサは戸惑い半分にアイリスを見つめている。
「吾を励ましておるのか?」
「はい、そのつもりです。わたしはレイヴンと出会うまで一人で荒野を旅していたんですが、あの時の気持ちはできれば味わいたくありません。だから、一人でも旅するヴァネッサを尊敬しますし、応援したくなるのです。微力ではありますけど」
「…………」
「迷惑です?」
「…………礼を言う。実に心強いぞ」
「えへへ、それではお休みなさいです、ヴァネッサ」
「うむ。主もな」
そして翌朝。
アイリスが目を覚ました時には、そこにヴァネッサの姿はなくただ燻る薪だけが残されていた。きっと彼女は日が昇るよりも早く、この場を後にしたのだろう。
挨拶も告げずに去ってしまったヴァネッサの無事を祈りつつ、アイリスは、珍しくまだ寝息を立てているレイヴンを起こしにかかったが、問題は彼が目を覚ました後に発覚した。
レイヴンの提げていた魔銃が、彼のホルスターから消えていたのである。




