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夜空にかかる虹

 元から長居するつもりのなかった町だが、いざ銃爪を引いてしまえば居心地はとたんに悪くなり、旅人はあれからすぐに馬に乗り町を去っていた。


 軽やかな駈足(かけあし)で跳ねる栗毛のマスタング、土を蹴立てる蹄は力強い足音で、多くの人間が踏み固めた道を進んだ。荒野の景色というのは変化に乏しく見渡す限りの土と岩、遠くに見える丘陵も夕陽を染み込ませたかのような朱色。滅多に雨の降らない厳しい大地にしぶとく生えている植物も彩りとしては力不足で、空の蒼とのコントラストが精々だ。しかし馬上からの視線は、地上のそれよりもぐっと広がり、晴天の日は鬱陶しいほどに気持ちが良い。


 それに人と会わないというのも素晴らしい。


 彼が町を出て数時間、それまでに見た物と言えば朽ちた馬車の残骸と兎が精々で、その内の一羽は射的の的になった。今は道外れの廃墟で皮を剥がれ、焼かれるのを待っている。

 当然、大自然のど真ん中では文明の灯りなど存在しようが無く、野営の準備を進めている内に周囲はすっかり暗くなっていた。幸いなことに星明かりはあるが、夜の荒野というのは危険に満ちている、先の見えない中を進む事もそうだが、野性動物も彷徨いているので火の明かりは欠かせない。

 適当に塩を振った焼き兎を食べ終わると、旅人は石壁に寄り掛かりマッチを擦った。紙巻き煙草の紫煙がふわりと上がっていく。風は凪いでいた。


 南西部は寒暖差が異常に激しく、猛暑かと思えば、次の日には凍えるなんてことがザラにある。昼間は日射しを除けば過ごしやすい温かさだったが、日が沈んでからは一気に冷え込み始めていて、ポンチョだけではしのげないと旅人は毛布にくるまりながら、馬が草を食むのを眺めている。彼の装備の多くは、特に野営に関する装備は他のカウボーイと同様に、先住民から交換等で得たものだ、彼の包まっている毛布もその一つで、動物の脂を染み込ませる事で水を弾き、さらに体温も下がりにくくしてくれるという、まさに自然と共に生きてきた彼等の知恵から生み出された布だ。これがなければ凍えるのは必至で、体温の高い馬が羨ましくもある。

 と、彼の心情を察したように馬が低く嘶いた。

 馬という動物は人間が思っている以上に賢く、言葉を理解しているような節がある。

「分かってるシェルビー、お前も寒いよな」

 早めに寝て、日の出と共に出発しよう。旅人はそう決め、朽ちた馬車から剥がしてきた木板をたき火に放り込むと、降ろしておいた鞍をまくらに横になる。眩しさ避けにハットで顔を覆うとすぐに眠りに落ちた。



 …………――のだが、



 異変に気付いて彼はハットを少し持ち上げて、しょぼくれた眼で辺りを確認した。

 たき火はまだ堂々と燃えて廃墟内を照らしていて、特に変わった様子はなさそうだったが、動物というのは危機に聡い。

「……本当か?」

 と彼は愛馬に尋ねる。


 旅人が目を覚ましたのは、警戒を意味する甲高い嘶きが聞こえたからだった。馬に倣って耳を澄ませつつホルスターから拳銃を抜くと、もう一度、今度は短く愛馬が嘶く。

 馬がどちらを警戒しているかを知るには、目をよりも耳の向きを確かめると確実だ。旅人は静かに寝床からでると、音を立てないように撃鉄をあげ、撃合いに備えて石壁に身を隠す。


 野性の肉食動物か、それとも野盗か――、

 どちらにせよ面倒な事になりそうだ。


「悪い事は言わねえ、こっちは大人数だ。盗みならやめときな」

 野盗にとって奇襲の失敗は採算が合わない事が多く、はったりだが、これで退いてくれればよし。崩れた石壁からチラと覗くが、相手は岩にでも隠れているのか姿は見えない。そもそもの夜空だ、遠くまでは見渡せない。

「諦めて失せな、鉛玉ブチ込むぞ」

 眠気もとっくに覚めた旅人は、きっちり拳銃を構えて低く唸る。襲撃者には鉛以外にくれてやる物などありはしない。


 ところが、返ってきたのは慌てふためいた女の声だった。

「待って! 待ってくださいです!」

 そう叫ぶなり岩陰から飛び出した人影に、反射的に銃爪を引きそうになるが、すんでのところで旅人は踏みとどまる。フードを被っている為よく見えないが、雰囲気として知っていた。

「撃たないでください、灯りが見えたので当たらせて貰おうと思って……」

「……一人か?」

 女は頷き、おずおずと旅人に近づく。

「はい、そうです。私、人を探しているんですけど、通りませんでしたか? 茶色の帽子を被ってて、黒髪で、ちょっと人相の悪い、男の人なんですけど……」

つらつらと、旅人と一致する特徴を挙げていく女は、たき火を背にした旅人の顔をようやく認めたのか、頓狂な声を上げた。


 と思ったら、数歩進んでバタンと倒れたので、旅人の方が戸惑うことになる。彼は銃を撃ってはいない。

 女を囮にするのは奇襲の常套手段だ。そういう見方をすればこの女は見るからに怪しいが、かといって放置するわけにもいかず、旅人は周囲を警戒しながら慎重にブーツの先で女を突く。それでも動かないので、彼はゆっくりと女のフードのめくってやると、癖の強い金髪が露わになり、ようやく誰なのか合点がいく。

 すると、消え入るような声で女が言った。

「おなか……へりました…………」


 その台詞は野盗が人を騙すには真に迫りすぎ、子猫が助けるを求めるような弱々しさで、不甲斐ないまでの情けなさに満ち、地面に突っ伏している姿は、可哀想を通り越していっそ哀れですらある。

 シェルビーは相変わらず緊張感ある嘶きをあげているが、他に仲間がいる様子もない。

 ……旅人は暫く悩んだ。

 撃つなら今だし、起こすなら早いほうがいい。

 が、倒れ込んでいる女相手に銃を突き付けている馬鹿馬鹿しさと、悩んでいる時点でどうするかは決まっている事に気付き、彼は撃鉄を戻した。




「わたし、アイリスっていいます」


 その女は少女と呼ぶに相応しい外見で、十七歳かそこからだ。

 背は低めだが、顔立ちはどこか年齢よりも大人びていて、可愛いと甘やかすより美人と褒めるべきだろう。自由奔放な金髪は腰ほどの長さがあり、同じく黄金の瞳は太陽に照らされた小麦のように、灯りの傍ではくっきりと力強い。その癖、彼女の肌は四六時中太陽の照りつける西部には珍しく、雲のように白く透き通っていて、その剛柔が絶妙なバランスを保った芸術的な美しさは、なるほど、攫われそうになるのも納得がいくものだった。


 まぁ一度、助けたんだ二度でも同じだろう。

 そう考えていた旅人だったが、いささか考えが甘かったと痛感する事になる。


「兎は初めて食べましたけど、以外とおいしいですね」

 餓えた少女に食事を出してやれば、まぁ食べること食べること。

 少女は一切躊躇いなく、両手で肉を鷲掴みにし、それこそ男でも引くくらいにがっついていた。これから先、男絡みで困ったならば食事に誘ってみれば解決しそうなくらいに、品というものがなく、これに比べれば先住民やオーク族の食事風景のなんと文明的な事か。食事を恵んでいるというより、動物に餌付けしている気分だ。


 骨に付いた肉片まで綺麗に平らげると、彼女はマントで口元を拭いって、実に満足げな笑みを浮かべる。

「ごちそうさまでした。ありがとうございます、二度も助けてもらって」

「まるで野蛮人だな、どれだけ飯喰ってなかったんだ」

「さぁ? 忘れちゃいました」

 休む事を一時諦めた旅人は、自分のコーヒーを淹れるついでに、少女にも一杯淹れてやると石壁に再び背中を預けた。


 揺れる炎を眺める少女は、なんというか幻想的な存在に思える。

 悪くない、美人だ。さぞ言い寄る男も多いだろう。

 ふと、顔を上げた少女と目が合い、旅人はハットを目深に下げる。炎の灯りを押しのけるほど少女の笑みは眩しい、強烈すぎる魅力ってのは度数の高い酒と同じで、いきなり摂取すると身体に悪い。


「――? どうかしました?」

「いや、なんでもない。お前こそ、なんの用で俺を探してたんだ」

「ああ、そうでした! すっかり忘れてました」

 パンと彼女は両手を打つ。それにしても少女の声は元気が良く、夜の荒野によく響く。先程まで餓えてひーひー言っていたとは思えない。

「お礼をしようと思ってたんです、町で助けてもらったので。危ないところでした」

「…………それだけか?」

「はい、それだけですよ? 本気を出せれば、あんなのなんてことないのですが、今日は日が悪くて」

 わたし、つよいんですよ、と少女は笑うが、随分大きく出たものだ。見たところ少女は着の身着のままといった様子で、馬もなければ、装備も無し。マントの下に銃を提げている可能性はあるが、抵抗できずに攫われかけた事を考えれば丸腰だろう。


 そもそも徒歩で荒野を移動するなど、隣町まででも準備不足どころか自殺行為も甚だしい、馬鹿のやる事だ。西部での移動には馬が必須、そんな当たり前の事さえ気に留めず、礼をする為だけに後を追うなど、どうかしている。

 正直言って疑わしい事この上なく、この非常識を世間知らずなんて言葉で片付けるなら、きっと彼の旅路はとっくの昔に終わっている。


 だが、旅人の疑念なんて露知らずといった様子で、少女は不思議そうに首を傾げた。

「わたし、何かヘンなこと言いましたか? お世話になった方にお礼をするのは自然な事だと思うんですけど。しかも、命の恩人ともなれば」

「礼なら酒場にいた赤毛の女にすればいい、全部あの女のおかげだ」

「ヘザーさんですね、もちろん彼女にもお礼は伝えましたよ。そうしたら形にするなら、あなたにと言われまして」

「それでわざわざ追いかけてきたってのか? ……徒歩で? っつうかお前、あの町の人間じゃないんだろ、どうやってここまで来たんだ」


 気になる点が多すぎて、処理できるところから処理しようとする旅人だが、当の少女は最初の質問にギクシャクしながら応じるのだった。

「それはまあ、歩いたり、とか……ですかね」

「この荒野だぞ、誤魔化すにしてもマシないい訳使え」

「うーん、それについては、あまり話したくありません。なので聞かないでください」

 少女は明るく、しかしぴしゃりと言い切った。


 西部に移住してくる人間の中には、元の場所で色々とやらかした連中も多く、執拗に詮索しないのが暗黙の了解だ。他人の事情なんて知らぬが吉であるから、旅人もその習慣に倣って話を先に進める。

「ふん。そんでさらに、あの町から礼を言う為にだけに俺を追ってきたのか?」

「そうですよ、何度も言ってるじゃないですか。誰かに助けられたら、それがどんなに小さな事でもキチンと返しなさいと教わったものです。一族の教えというものですね」


 そう言って少女は微笑むが、旅人は苦笑いだ。

 感謝などしばらくされた事も無ければ、丁重な感謝など生まれてこの方受けた例しがないので返し方が分からないというのが、正確かもしれなかった。

「なんだ、どっかの部族出身か?」

「そうですね…そんな感じです。たくさんありますけど、強いていうなら龍族…ですかね」


 先住民と一言で掛かっても様々な部族に分かれている。少女の言う龍族もおそらくその中の一つだろう、元々先住民は土地や自然との繋がりが強いこともあり、大空を我が物顏で飛び回るドラゴンを部族名に冠していてもなんら不思議はない。

 とはいえ、アトラス共和国による侵略により土地を追われた部族がほとんどで、軍との戦闘により滅んだ部族もあるくらいだ。残った小規模の部族を知っているかとなれば別の話で、旅人の訝る眉のシワに少女は驚くのだった。

「ドラゴンですよ、ドラゴン⁉︎ 知らないんですか、あの強くて可愛い空の覇者を」


 言いたいことはいくつか浮かんだが旅人は呑み込んだ。無論、ドラゴンならば知っている。ドラゴンに関する情報は多くはないが、なんならどうやって殺すかまで対策を練るくらいには詳しい。ドラゴンといえど基本的には生き物、つまるところどデカイ空飛ぶトカゲと同じで、頭か心臓に鉛をぶち込んでやれば動かなくなる。

 その際に問題となるのは鱗の強度だが、貫くことは不可能ではない。しかし、そんな事を話しても仕方がないので、彼は本筋に話を戻す。


「……雇われただけだ、礼なんかいらん」

「そうはいきません、命の恩人に対して礼を失したとあれば、末代までの恥ですから。なんとしてもお礼をさせていただきます! さあ、なんでも申しつけてください!」

 返される側の意見は一切無視した、一方的な返礼なんて迷惑以外の何ものでも無い。大体、行き倒れかけていた少女にどんな事ができるのかがそもそもの疑問としてあり、旅人は答えに詰まる。


 しかし、そんな彼を急かすように、少女は「さぁさぁさぁ」と両腕を振り上げて迫るのだった。……それだけならよかったが、旅人は大いに仰天することになる。なにしろ両腕を振り上げた際に、めくれ上がった少女のマントの下は、驚くことに素っ裸なのだから。

 旅人が思わず飲みかけのコーヒーを吹き出したのは仕方のない反応だった、こんな少女が布きれ一枚で出歩いてるなんて誰が想像するだろうか。

「おまっ……! その下に服着てねえのかよ⁉」

 と思わず怒鳴っても、少女はきょとんとした顔で「はい」と答えるだけで、正しい反応を示したのは、食事中からずっと二人を見つめていたシェルビーの方だった。


「どうどう、大丈夫だ。落ち着け、何でも無い」

 興奮した愛馬を宥めるが、旅人の内心はまったく平静を失っていた。

 ほぼ素っ裸で出歩き、礼の押し売りをしてくる少女など、確実にトラブルの種だ。なんとかして諦めさせる必要がある。


 そう彼が考えていた矢先、少女は口元に小さな笑みを刻んだ。

「……私なら、きっとあなたの願い事を叶えてみせますよ」

 静かな言葉に少女を見遣るが、自信ありげなその表情が、むしろ旅人の神経を逆撫でする。


 願いを叶える? なるほど願ってもない事だがしかし、彼の抱く願いとは易々と叶うものでは無く、そして決して輝かしいものでもない。そして何より、自らの手で成し遂げてこそ意味を持つ行為だった。

 突き放しても縋る様は、うっかり餌付けてしまった結果と知りつつ、彼は軽蔑を込めて少女を睨む。その視線にはふつふつと沸く怒りも込められている。


「まるでおとぎ話のランプだな。じゃあ俺の願い事を当ててみろよ。そしたら頼んでやる」

「あ~、それはできません、教えてもらわないと」

「人捜しだ、今すぐ探し出せるか? そいつのいるところまで俺を運べるか」


 詰問。

 明るい少女でも、神経に触ったことを理解したらしい。

「……すいません、できないです」

「なら決まりだな、朝になったら町に戻れ。アイリス、だっけか。俺の為に出来る事なんて、お前にゃあねえよ」

 旅人がキツい口調で責め立てると、少女は寂しそうに肩を落とした。心なしか萎びた金髪と潤んだ瞳は七色に反射して、見ている人物にも悲しみを伝播させる。


 思惑通りに事は運んだ、しかし目の前でこうもがっつり傷付かれると、怒り任せに吐きだした旅人でさえ罪悪感は芽生えるもので、彼もすっかり黙ってしまった。

 ただ時間が過ぎ、

 薪がパンと弾けた。

 会話もすっかり途絶え、沈黙に耐えきれなくなった旅人はさっさと寝支度を整えて、ハットで目と耳を塞ぐ。暫くすると、少女も横になる気配がした。


 そして、翌朝

 アイリスが目を覚ますと、旅人の姿はなくなっていて、代わりにロングコートが一着残されていた。

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