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オールド・ウェスト

 ありとあらゆる物が乾き、一滴の水に溺れるアトラス共和国南西部。人が生きていくのにあまりに厳しい土地でありながら、彼等は西へと勢力を伸ばした。


 ある者は新たな生活を求めて


 またある者は悲惨な生活から逃れる為に


 そしてある者は、荒野に眠る黄金を夢見て――


 夢を見るのは自由だ、それは平等に与えられた権利で、行動に起こすのもまた自由。しかし文明を享受し、未開の地とは永らく離れた人間にとっては、その弱肉強食の世界は想像を絶するほどに過酷で、この時代を振り返る歴史は実に的確な言葉を使った。


 曰く、『憶病者は旅立たず、弱者は生き残れなかった』


 なにしろ新たに西を目指す開拓者向けのガイドブックの必需品リストには、野営装備や農具と並び、拳銃やライフルが記載されていれば、西部が単なる理想郷でないことは明白だろう。実際に足を運び、目の当たりにした光景に幻滅した者も多い。

 例えば、服が肌に張り付く真昼に、スイングドアを壊さんばかりの勢いで酒場に飛び込み、喚き散らしている女性もその一人だ。


「あんた達、それでも男かいッ⁉ 女が助けを求めてるってのに誰一人立ち上がろうともしないなんてね。西部の男が、口だけ達者ないくじなし揃いだとは思いも寄らなかったよ!」

「口が過ぎるぜ嬢ちゃん、東部から来たばかりのよそ者は引っ込んでな」

 一人の男が酒に焼けた声で嘲れば、フロアが陰気な笑いで揺れる。


 客は他にも十人ほどいたが、その誰もがカウボーイハットとブーツという、西部ならではの服装で、老いていても若者でも、全員が腰に拳銃を提げているが、彼女は一切物怖じせず毅然と男共を見渡した。

「気安く呼ばないで。通りで子供が攫われそうになってるのに、酒を吞んでて満足なの?」

「そらぁ大変(てぇへん)だ、急いで保安官(シェリフ)を呼んでくるといい。八〇㎞向こうにいるが、急げば間に合うだろうよ」

 またも笑い声が木霊する。室内でも砂塵の香る酒場のくせに、彼等の笑い声だけはねっとりとした湿り気を帯びていた。


「旅の途中なんだろう、嬢ちゃん。早いとこ馬車に戻らねえと、次はあんたが掠われちまうぜ? それとも寂しくて誘ってんのかい」

「あんた達の相手をするくらいなら、インディアンと結婚した方がマシだわさ。女にしか強く出れない、この腰抜けの卑怯者共! あんた達はアトラス共和国の恥さらしだわ」


 アトラス共和国

 元々は植民地であったこの国が、海を跨いだ支配国と砲火交え独立を勝ち取ったのは1775年のこと。国としての歴史は浅く、しかし強い独立心に根ざすアトラス共和国に、隣接する植民地は共感を強め、その流れに乗じたアトラス共和国は東部沿岸より影響力を高め、近隣地域を様々な手段で呑み込んだ。そして1848年に、南アトラス大陸のメヒカノ王国との大陸北部を巡る戦争に勝利し、西部沿岸を獲得したことで現在の形となった。

 自らの力で勝ち取った独立と自由。国の成り立ちからの必然として、国民の自治意識はとても強く、それは初期の開拓者と、メヒカノからの独立を経てアトラス共和国に参加した大陸西部に行くほど苛烈になる。


 最初から不快な態度を露わにしていた男共に対して、彼女の怒りは実に正当だったが、よそ者の――、しかも小娘と呼べる程度の女に腰抜け呼ばわりされては、南部人として紳士的な態度を崩さざるおえない。


 いやな緊張感がフロアを支配した。

 ハットのつばから覗く視線という視線が、沈黙にありながらも彼女への仕打ちを議論している。それは確実に悲惨な内容で、いくら怒りに任せていた彼女でも動揺に吐息を漏らすことになった。

 一人が腰を上げると、他の男達も続いて立ち上がり、じりじりと女に詰め寄っていく。

 テーブルに残されたグラスが足音に合わせて波紋を拡げるが、彼等の目に映るのは世間知らずの小娘をどう教育してやるかという目的だけ。だというのに女は、恐怖と意地の間で歯を食いしばりながら、まだ酒場の真ん中に立っていた。

 すると、コツンとグラスを置く音がして、全員がそちらを見た。


 そこにいたのは酒場の中でただ一人、まだカウンターについている若い男。砂の残るポンチョを羽織った旅人らしいその男は、静かに、そしてゆっくりと肩越しに振り返る。その口調はとても緩やかで淡々としていた。

「一つ、訊きたい事があるんだけどよ」

「こっちにはねえ、黙って酒吞んでろ」

「そうカッカするなよ、あんた達にじゃない。そっちのお嬢さんにだ」


 すると彼女は男達の間を通り抜け、旅人の所へ走った。

「手伝ってくれるのかい、お兄さん」

「それは質問の答えによる」

「あとでいくらでも答えるさね。さあ早くしておくれ、誘拐犯が逃げちまうよ」

 そう急かして彼女は旅人の腕を引こうとするが、彼はその手を制して尋ねるのだった。

「仮にだ、攫われてるのが男でも、あんたは同じことをするのか? 見ず知らずの相手をどうやっても助けたいと思うのか? ……男達(あいつら)でも」

「なっ、……俺達が女に助ける軟弱者だって言いてぇのか、小僧」

「南部人は自分の身を守れるだろ。だから、例え話に丁度いい、屈強だからな」

「お、おぅ、そうか……。分かってりゃいいんだよ」

 肩透かしに褒められた男達は気勢を失い勝手に頷き合っている。そこは彼等も理性のある人間であると感じさせるところだが、まかり違えば自分を犯したであろう相手を助けるとなれば、答えるのは難しい。ところが――


「当然さね。助けを求められたら、なんとしてでも助けてやるのが人ってものでしょう」

 彼女の答えは気持ちが良いほどに真っ直ぐで、その実直さは聞かされた側に鳥肌を立たせるくらいの威力があった。しかし、寒気を震う男達とは異なり、旅人の刻む笑みには嘲りは一切無い。だからこそ、彼女は次の言葉に耳を疑ったのだが。


「なら話は早いな、有り金と金目の物を全部出しな」

「……え?」

「何としてでも助けてやりたいんだろ、あんたが出来る事と言えば金を払うぐらいのもんだ。人に命を張らせて、自分は高みの見物ってのは虫のいい話だと思わないか。それともさっきの高尚な台詞はでまかせか」

 なんとも意地の悪い、むしろ醜悪とさえいえる(さか)しさに、彼女は頬を引き攣らせる。

 ここで断れば、彼女自身も自らが嫌悪した男共と同じ、腰抜けの卑怯者になってしまう。その全てを理解し、そして退けないところまで進ませてから旅人は金をせびり始めたのだ。


「お嬢さん次第だ、俺はどっちでもいい」

「くっ、分かったわよ!」

 こうなってしまっては意地を通すしかなく、彼女は手持ちのお金を満身の力で小銭から全てカウンターに叩きつけた。

「私達家族が旅をするのに必要なお金よ! さぁ、これで満足かしら⁉ 今度は貴方が証明する番よ、Mr.カウボーイ」


 その額、五ドルと少し。

 立ち寄った街で食料などを買い込むには充分な額だが、命を張るにはあまりに安い。瞬間であれ命をかけた勝負に挑む理由が、五日分の賃金と同等というのはあまりにも安すぎ、旅人が上乗せを口にするのは当然と言えば当然だ。

「そのペンダントもだ」

「これは……これだけは許してよ。母の形見なの」

「俺は全部出せと言ったんだ、それとも――」

「分かったわよ……」


 旅の途中で病に倒れた、母の思い出。その価値は家族以外の誰にも共感できるものではない、とても大切な品だ。だが、このペンダント一つで助かる命があるのなら……。

 彼女は奥歯を噛み締め、ペンダントをカウンターに差し出した。旅人に対する恨みと共に。

 すると旅人はそんな彼女の思いなど鼻にもかけず、全てを差し出されたとみるや黙って立ち上がり、ポンチョを左肩にかけた。

 戦闘準備だと、女にも分かる眼つき。しかし、彼女の視線は旅人がホルスターに提げている回転式拳銃に注がれていた。

 腰の左右に提げているのは、西部ならば誰でも提げている見慣れたリボルバーだが、彼女が捉えて離さないのはバックホルスターに横向きに提げている、予備携行と思われる一挺。


 銃身からシリンダー、そして銃把に至るまでが漆黒に染まる拳銃。全体に満遍なく刻まれたエングレーブは見たこともない文字のような形で、ただの銃にすぎない存在が異様な存在感を放っていた。

 まるで…そう、悪魔の遣いと出会ってしまったような

 彼女が言いようのない恐怖に似た感情に声さえ発せずにいると、旅人はそのまま店の外へと出て行った。


 カウンターには残された女と金品。

 その二つを見比べた男達は、だが意地の悪い笑みで彼女に言うのだった。

「安心しな嬢ちゃん、その金を野郎が触る事はねぇよ」

「あんた達に触らせるつもりもないよ、どっか行きな」

「そう邪険にするもんじゃないぜ。奴は死ぬ、それだけだ。勝てっこねえのさ、なんせ相手は魔女の下僕だからな」

「魔女? 魔女が近くにいるの?」


 何もないところから水を湧かせたり、言葉一つで村を焼く、妖しい術を使う女性。それが魔女だ。一部では友好的で交流もあると噂されているが、関わりたくない腫れ物の様な存在であることは、アトラス共和国全土での共通認識としてあり、南部の男達もその点においては同意見らしかった。

 語り口は暗い。


「この街でも何人か攫われてる、てめぇのガキ取り返そうと銃撃戦も起きた。だが、その度に何人も死んだ。弾があたらねえんだよ、見えねえ壁みたいなもんに弾かれちまって。相手は魔女でも何でもねえ人攫いの小悪党だ、なのに一方的にやられちまうのさ」

「そんな……」

 彼女は絶句した。つまり自分は、ただ死なせる為だけに男を嗾けたのだから。

 ――今なら間に合うかも。

 止めようと彼女は駆けだした。

 しかしピュィィと、通りから呼び止めるような口笛が聞こえ、彼女は立ち止まる。


 次いだ銃声、


 しかしその音量は拳銃というより落雷に迫る迫力で、酒場にいた全員が思わず身を竦める程だった。

 薄ら笑いを浮かべていた男達も、その初めて聞く爆音に硬直し、銃を抜くべきなのか迷っている。

 何が起きたのか誰にもわからないのだ。彼等にとっての共通認識は、通りで何が起きたという事だけで、静寂は既に戻っているにも関わらず、誰一人として身動き出来ずにいる。


 沈黙という名の重圧

 旅人は死んだのだろうか


 ところがだ、微かに聞こえる拍車の音色に酒場の誰もが耳を疑った。

 その足音は次第に、そして確実に近づき、旅人が酒場に戻ってきたのである。

 そして彼は何事も無かったかのように平然と、――全員が死人を見るような、或いは幻を見たかのように固まる中を通り、カウンターにある金品を全てかっさらう。


「勝ったの……よね?」

「見れば分かるだろ、約束通り金は貰ってくぜ」

 やはり平然と旅人は言うが、魔女といえば、たとえその下僕でも勝てるようには思えず、頼んだ彼女の方がまず半信半疑で、頭の回転が色々追いついていなかった。


 ようやく一番気になっていた事を尋ねた時には、旅人は酒場から出て行くところだった。

「あ……女の子は? 女の子がいたでしょう、彼女は無事?」

「女の子って、あんたとそう年は離れてないように見えたがな。通りでノビてるよ、逃げようとして柱に頭ぶつけた」

「……あなた、何者?」

すると旅人は静かに笑みを刻む、くだらない質問だとでも言うように。

誰でもない(ノーバディ)、ただのガンマンだ。あの女の子、介抱してやってくれ、これは手間賃だ」

 旅人はそう言って、ペンダントを投げ渡すと酒場から出て行く。

 残された客、それにバーテンダーは皆揃ってぽかんと口を開けていた。

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