選択肢 《ワースト オブ トゥー オプション》Part.1
寝不足である。
日射しは当然のように強烈、そして朝から非常に暑いというのにレイヴンは数分おきに大口を開けて、鈍った頭に酸素を送り込もうとしていた。それこれも変わらず前に座っている金髪龍少女が悪いのだが、理由が理由なだけに責めづらいのが辛い部分だった。
人生とはかくも短い時間、そして一つの出来事で大きく変わると彼は経験している筈なのに、過去の出来事はもしかしたら些事なのではないかと思えるぐらいに前夜の出来事は強烈だった。
助けた少女が、実は龍の化けた姿だったと、誰が思うだろうか。そして龍人の姿の少女がそれこそ生まれたままの姿で添い寝していて、すんなり眠れるほどレイヴンの神経は図太くなかった。彼がようやく眠ったのは、日の出も間近に迫った頃で、瞼はうっすらと光を透過し始めていたのだ。その間ずっと、耳元ですやすやと龍少女が安心しきった寝息を立てていれば、眠りに落ちても頭は緊張しっぱなしで身体なんか休まるはずがなかった。
そしてさらに……まあ喜ばしいことなのだが、ちゃんと服を着たアイリスに日の出と共に起こされては、言い出しっぺであるレイヴンも起床するしかなく、適当な朝食の後にシェルビーの背に乗って移動を始めたのだった。
実質、徹夜。
だというのにその原因は、昨夜の出来事がまるで夢であったかのように燦爛と振る舞い、「眠そうですね?」と聞いてくる始末だから、確認の一つもしたくなるというもの。
「なあアイリス、昨日の夜のことなんだが」
「――? はい、どうしたんです?」
質問すること自体が馬鹿なのでは、と思わせるくらいアイリスの返事はとぼけていた。
「……夢じゃあ、ないんだよな。思い当たらないなら、何も言わなくていい。そのかわり一度昼寝させてくれ」
「全部ほんと~ですよ、レイヴンが見たことは。信じられません?」
「同じ話を誰かから聞かされたら、俺はまずそいつの正気を疑う」
「ふふ、いいんです。夢だと思うのも無理ありませんよね。わたしもまだ信じられませんし」
肩を揺らすアイリスの姿は、角も尻尾もすっかり元に戻っていて、鱗の一片すら残っていない、どこから見ても可愛らしい人間の少女だ。そんな彼女を指さして、こいつは本当は龍なんだと叫べば、麻薬でもキメてると思われるか、気が触れたと思われるだろう。どちらにせよ真に受ける奴はいない。
「でも、話してよかったです。レイヴンが受け入れてくれたこともですけど、いまはとっても清々しい気持ちでいっぱいです。他の人間も受け入れてくれるでしょうか」
「やめとけ。この話は、絶対に誰にもするなよ」
「昨日も言ってましたね。お気持ちはうれしいのですがレイヴンが信じてくれたんです、きっと通じますよ。仮に信じてもらえなくても、わたしは気にしません」
あなたが信じてくれていればいいのです。アイリスが胸張って威張るので、レイヴンは呆れ声を漏らす。彼女には本質的な問題が見えていないらしい。
「そりゃ俺がおかしいんだ。あとな、分かりきったホラ話でも食い付いてくる奴はいる、魔女探してるってだけでも目立ってるんだ、悪目立ちしたら余計に旅がし辛くなるだろうが。ストーカーの相手なんかしたくねえよ」
「なら控えます。……けど、レイヴンが守ってくれるなら、話してみたいですね」
「はた迷惑な女だな、自分で撒いた種は自分で刈れ。元の姿なら簡単だろ」
体感した人間だからこその感想だった。
龍人の姿になったアイリスは、体格はさして変わっていないのに力が強くなっていたし、それでも加減されていたではないかと、レイヴンの感覚は告げていた。本気を出せば、彼女言っていた通り誘拐犯など、指先一つであの世送りに出来たのではないか。
「あの姿になるの疲れるんですよ、それに夜じゃないと戻れませんし」
「魔法で人間の姿になってんだろ? 解くだけなら簡単じゃないのか」
「だから、わたしは魔法使えませんってば」
なんだかあべこべだ。姿を変える動物はたしかにいるが、それは身体の機能を使った擬態であって変身とはちがう。それこそ姿をまるまる変えるなんて魔法以外で説明が付かないのだが、あくまでも彼女は魔法を使っていないというのだった。
「厳密に言えば魔法ですけど、ちょっとちがいます。これは呪いなんです、呪い」
「呪いって、ドラゴンを呪えるものなのか?」
「できますよ。事実、わたしは魔女の呪いで無理やり人間の姿にされてるんです」
つまりはアイリスの意思ではない、のだが、その割にあっけらかんとした口調で、むしろ喜んでいる節がある。
「わたし、人間の文化や生活に興味があったので一緒に暮らしてみたかったんです。でも、元の姿だと不便じゃないですか、だから結構楽しんでます」
「まぁ、お前がそう言うならいいんだけどよ。……夜じゃないと戻れないってのはどうしてなんだ、人目の問題か」
「それもありますけど、一番の理由は魔力ですね。自分で言うのもなんですが、かなりの魔力量があるんですよ、わたし」
「やっぱり龍は魔力が強いんだな」
「ですです、ただ扱うのがニガテなので呪いは解けなくて。なので月の魔力を借りて呪いの効果を弱めるんです。ほら、人狼族が満月の夜に変身するって聞いたことありません? あれは月から発せられる魔力の影響を受けすぎて、衝動を抑えられなくなるからなんです」
「狭い扉を力尽くで通ってるイメージいいのか?」
「レイヴンの例えって的確なのに、なんだか捻くれてますよね。カールが怒るのも納得です」
ガキの頃から突飛な人生を歩んでいれば、多少のひねくれなんて可愛いもの。むしろアイリスの方が純朴すぎるのだ。
「呪われる訳だ。じゃあ、あれか。お前が旅してるのは呪いを解く為か」
「結果的にはそうなる……んでしょうか? 複雑です」
自分の問題を他人に問いかけ、その上意思もはっきりとしないなんて、ぬるいにも程がある。ましてや、自らの人生――龍生か?――を狂わせた相手なら、たっぷりの恨みと共にお返ししてやるのが筋ってものだ。
「悩むようなことか。奪われたものがあるなら取り返せ、なにが複雑だ」
「この生活も楽しんでますから。呪いが解けたら人にはなれませんし、それにレイヴンとも話せなくなってしまいます。それが一番哀しいです」
龍は人語を解するとされていて、実際にアイリスは人語を操っている。だがその逆、人は龍語が理解できない。そもそも龍の言葉とは鳴声であって、人間的な感覚から言葉と現わすには語弊がある。
人同士を繋ぐ架け橋が失われれば、会話も当然失われ、触れ合っていたとしても一度近づいただけに隔たりを感じることになるだろう。だが、なんとも不毛な心配である。
「気にしたって先の話だし、お前が選べるじゃねえか。元に戻るか、そのままでいるかは」
「選択の自由があるのは理解してます。レイヴンの言うことはもっともなんですけど、わたしにも込み入った事情がありまして」
「この際だ、話せよ。龍の悩み事を解決できるか自信はねえが、耳なら付いてる」
牧場に着くまで暫くかかる。段々と草が高くなってきているから近づいているのは確かだが、地平線は平坦で建物の陰はまだ見えない。二人乗りして黙って過ごすよりかは、話していた方が気が楽だ。
「そこまでレイヴンが言うなら、しかたないですね~。そんなに知りたいんです?」
「いや、別に」
強制したつもりもなければ、脅してもいない。なのにアイリスは嫌々話す様な口ぶりで、かつ押し付けがましく笑顔とくれば、聞き手の対応も変わるのだった。
「そんなぁ、もう一度尋ねてくださいよ!」
「話したくて仕方ないんだろ、聞いてやるから暴れんなって」
運んでやってる背中で暴れられれば苛つくのは人も馬も同じで、シェルビーが不機嫌な鼻息を漏らしていた。
「ごめんなさいです、シェルビー。レイヴンが意地悪なもので、つい」
「俺の所為かよ。……それで、お前は誰に呪われたんだ。龍に呪いをかけるなんて、滅茶苦茶強力な魔女なんだろうけどよ」
恨むべき相手を語るとなれば、悪態の嵐になるはずなのだが、呪われているアイリスには恨み節の「う」の字すらなく、その魔女の力を誇っているようでさえあった。
「つよいですよ~、あの子は。人間程度じゃあ束になっても倒せないんじゃないですかね、わたしとケンカしてもピンピンしてます。流石はわたしの認めた友です!」
…………ん?
レイヴンは二の句を継げなかった。記憶を掘り起こす彼の視線はぐるりと回って時計の針を巻き戻す。アイリスは魔女の友達がいて、魔女だけが友人だと言っていた。それは間違いないのだが――
「お前、ダチの魔女は死んだって言ってなかったか?」
「彼女がです? まさか、殺したって死にませんよ」
最高のジョークを聞いたかのように、アイリスは笑っていた。
「宿で聞いた時は、『もう会えない』みたいな口ぶりだったろ」
二日前にアイリスがこの話をした時は、間違いなく落ち込んでいて、深い後悔と別離の悲しみに満ちていた。彼女が孤独に苛まれていたから、レイヴンもある種同情めいた物を憶えていたのだ。
だのに、彼女はぷりぷり頬を膨らませていた。
どうやら呪われるに至った経緯について不満があるらしく、彼女は早口で捲し立て始める。
「そうそう、そうなんです! レイヴン聞いてくださいよ、酷いと思いませんか⁉ 確かにあの子が腹を立てるのも分からなくはないのですが、それにしたって友達に呪いをかけて、北の森から遙か彼方の荒野に放り出すなんて、鬼畜の所行です! 鬼です、悪魔です! いくらわたしに、多少の非があるとはいえですよ? 謝っている相手に対して、あまりに惨いと思いませんか⁉」
「……んで?」
「んで? ってレイヴンも冷たいですね」
同意を求めるのはいい、同情を誘うのもだ。ただし、アイリスは物事を第三者に判断させる上で大切な部分をまだ話していなかった。レイヴンとて見ず知らぬ魔女と、アイリスなら、アイリスの肩を持ってやりたいところだが、魔女とは深い知識を持つ者で、感情のままに行動したりはしない。つまりだ、魔女がそこまでブチ切れたからには相応の理由がある。
なのでレイヴンが「何をやらかした?」と尋ねるが、アイリスは滑りのいい舌をなくしたのか、途端に口ごもり始める。
唇を尖らせたバツの悪さは、悪戯を見つかった子供に似ていた。
ならばもう一度訊くだけだ。
「なにをやらかした?」
後ろに座っているレイヴンに抱えられているアイリスに逃げ場などあろう筈もなく、じっりとした視線を首筋に受けて、彼女は観念したようだった。
「……そのぉ~、こわしちゃったんです」
「壊した? 何を?」
「…………家を」
「家⁉」
宝石やら魔力の篭った宝やら、そういう類いを想像していたレイヴンは、スケールが違いに頓狂な声を上げてしまった。しかもである。
「家って、人間のとは違うだろ。どんな家なんだ」
「……大樹です、樹をくり抜いたお家なんですけど」
聞きたいような、聞きたくないような。しかし、レイヴンは尋ねた。
「そんなもんどうやって壊した」
「爆発させちゃって、ですね……、その、粉々に……」
すごく申し訳なさそうである。だが、反省していてもどちらに非があるかとなれば、答えは明白だった。
「そりゃお前が悪い」
「待ってください! ち、ちがうんですよレイヴン、わざとじゃないんです!」
「やられた側にしたら、故意も事故も関係ねえよ! 魔女に同情するとは思ってなかった、家吹っ飛ばされたら誰だってキレるってんだよ、そんなの」
「あの子が魔法を教えてくれるって言うから、使ってみたんです。ニガテだからやめようって止めたんですけど、聞いてくれなくて。そしたら案の上暴発しちゃってですね」
アイリスは必死に弁解するがいい訳がましい。魔力の扱いに関してそこまでの自覚があったのなら、強制されたとはいえ責はアイリスの方にある。
「それで呪いかけられて、南部に飛ばされたのか。自業自得じゃねえかよ」
「うう……そう言われるとツラいです。あの子も、すんごい怒ってました」
「当たり前だ、一瞬で住処無くしてんだぞ」
「いえ、家については魔法で直せるのでよかったんですけど、彼女が収集していた貴重な魔具が壊れてしまって、代わりに研究用の魔具を見つけてこいと――」
「――南部送りか」
「はい……」
意気消沈。レイヴンはただ正論を語っただけだったが、彼女は完膚なきまでにたたきのめされたらしく、アイリスはすっかり黙ってしまった。
とはいえである、反省だけなら猿でも出来るのだ。大事なのはそこから学び、前進すること。人間の教訓が龍に当てはまるとは珍妙な事態だが、しょぼくれてるなとレイヴンは言う。
「それならやることは決まってるじゃねえかアイリス。魔具を集めて、持っていけばいい。そんでもっかい謝れ」
「簡単に言います。魔具なんてそうそう見つかるものじゃなんですよ」
「仲直りしたくないのか、その魔女と」
「それは……! したい、ですけど……」
「うじうじしてんなよ、ダチなんだろ? 長く付き合った仲は大事にしろ、別れてツラいと思う相手は特にな、会えなくなってから後悔しても遅いぞ」
それは失うつらさが身に染みているレイヴンだからこその助言だった。命とは恐ろしく脆く儚い、容易く砕ける硝子細工。生きてまた会えるのならば、仲直りが出来る分だけ御の字だ。彼の会いたい仲間はもういないのだから。
と、まだ話し足りなそうなアイリスだったが、続きはお預けになってしまう。牧場が近づいてきていた。




