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 熱が完全に下がるまで変態のかいがいしい看病に耐え抜き、そして高城さんの目を盗んでは、盗撮コレクションのコピーのすべて傷をつけてから、カラスよけとして窓辺へと吊るした。USBはデータを消してから、私物化。


 ただし大元のデータのセキュリティだけは、堅牢だった。十二桁のパスワードがわたしの行く手を阻んだ。


 そこへなにも知らない高城さんがやってきて、


「なにをして……って、あ! 月さん! まだ治りかけだから安静に!」


 うるさい。


 だがわたしはあっけなく捕まってベッドに連れ戻された。


 高城さんは差しっぱなしだだったUSBの画像をチェックして、がっくりとうなだれる。


「あぁー……USBの中身が、わんちゃんねこちゃんの動画に……」


 しかしショックを受けながらも、わんちゃんねこちゃん動画を最後まで堪能して言った。


「動画だと吠えられたり威嚇されないからかわいいですね」


 動画ですからね。


 高城さんはパタンとパソコンを閉じると、厳しい顔を作って、わたしに向き合った。


「そんなことより、月さん。パソコンは触らないでください。情報漏洩なんかしたら、抹殺されます。……ふたりとも」


 そんな危険なものを家庭のパソコンに入れないでほしい。しかも盗撮なんかと一緒に。


 だけど人のものに勝手に触れたのは、いくら盗撮魔が相手とていけないことだった。わかったとうなずくと、高城さんも神妙にうなずき返した。下からの角度で見上げた高城さんの顔色は今日は悪くなく、こちらに向けて優しく微笑まれると、どきりとする。


 顔の造りはやっぱりよくて、マイナス要因のサングラスマスク帽子と、顔色の悪さを除き、あとは前髪を後ろに梳いてしてしまえば、女の子たちが勝手に集まって来るだろう容姿。


 なにも問題がなければ、わたしなんて、目に止めもしなかっただろう。



 実際、そう言われたわけだから……。



 いつもは腹が立つのに、本当に病気のときはだめだ。枯れ枝並みに心が弱い。ぽっきりと折れてしまいそう。


 だんまりを決め込んでいたからか、わたしが怯えていると勘違いした高城さんは、焦りながらなだめるようにつけ加えた。


「あの、本当に殺されはしませんよ? ちょっと怒られるくらいで」


 そんな死に至る企業秘密が高城さんのパソコンにあるはずがないことくらいいくらなんでも察しがつく。


「わかっていますよ、それくらい。……ただ、早く家に帰りたいって思っていただけです」


 高城さんを見ていると、自分のペースを乱されるから。


 高城さんは視線を落として、そうですよね……、と自嘲した。


「こんなめんどくさい銀行強盗にしか見えない頭のおかしいキチガイのクズ盗撮魔に監禁されて、帰りたくないわけないですよね……」



 わたしはいつ、監禁された。



 ――と、それよりも。



「確かに盗撮魔とは思ってますけれど、めんどくさくもありますけれど、頭がおかしいとか、キチガイとかクズとか、そんなことは思ってないです。……ちょっと変わってるとは、思いますけれど」


 わたしの言葉に瞬いた高城さんは、一瞬顔をくしゃりとさせて、それを隠すように布団に突っ伏した。


 彼はこれまでにたくさん、嫌な言葉を言われて、自分でもそれを否定できずに傷つきながら受け止め続けてきたんだろう。


 もしかして、泣いている……?


 ここは無視して見なかったことにするのが親切だとは思うけれど、迷ってから、おずおずと頭をなでた。さっきいい子いい子してもらったお返しだ。


 人にされて嬉しいことを人はするのだと思う。だったらきっと、こうされるのが彼にとっての慰めになるのではないかと、そう思った。


 わたしよりも硬めで癖があるけれど、染めたり、整髪料をつけていないからか、髪質は滑らかで触り心地がよかった。


 綺麗にセットされた髪よりも清潔感がある。


「……好きです」


 布団からくぐもった声で、いつかと同じことを言われた。こんな状況だから、それを人として好きだという意味だと受け取った。


「ありがとうございます」


「月さんは、僕のことを、どう思っていますか?」


 高城さんは、ほんのりと目元の赤くなった顔を上げた。普段とは違うその真剣なまなざしに、ちょっとたじろぐ。


「どう、とは?」


「好きか嫌いか、もしくは……興味ない、とか」


 自分で言って悲しくなるなら、興味ないなんて項目、黙っておけばいいというのに。この人は。


「嫌いではないです。たまに嫌なところもあるけれど、いいところもあるので」


 無難極まりない答え。わたしだったら納得しないかもしれない。それでも高城さんは、それで満足してくれた。


「今はそれでも大丈夫です。興味ないって言われたら、泣いてました」


 すでに泣いていたのはなんなのか。


 そして涙を拭うと、今度はきりっとした顔を作って、やや食い気味に尋ねてきた。


「いいところとは、ちなみにどういったところですか?」


「…………料理上手、とか」


 そこを掘り下げられるとは思ってもみなかった。慌てて頭から絞り出したのが、それ。高城さんのお弁当は今や、お昼のひそかな楽しみになりつつある。


 調子に乗ると手に負えなさそうなので、そこまでは口に出しはしないけれど。


「料理上手、とか? ということは、他にもあるんですか?」


 墓穴を掘った。とか、なんてつけたせいで、まだあるみたいな流れになってしまった。


「あとは…………優しい」


「月さんにだけです」


 それはだめだろう。


 だけど高城さんのことだから、意図していなくても他人に優しくしていると思う。


「他にはありますか?」


「…………正直」


 そして嘘をついてもすぐ白状する。


「兄にはよく、あけすけと言われます」


 違いない。


「それにしても、まさか月さんが、そんなに僕のことをよく見ていてくれたなんて……!」


 感極まっているような高城さんに、言葉もない。そのままの意味で。


 普段ネガティブなのに、変なところでポジティブなのは、いいところなのか悪いところなのか……。


「いいですね、結婚って」


 いつ結婚した。


「あ、すみません。まだ同棲でした」


 だから、いつ。


 まだ、ってなんだ。まだって。


 めんどくさくなったわたしは、話を終わらせるため、布団にもぐって背中を向けた。







 次に目が覚めたとき、わたしの枕元に腕と頭を預けるような姿勢で、高城さんは寝息を立てていた。わたしはそっと上体を起こして、自分に積まれていた布団の一枚を彼の背中へとかけ、また横になった。


 黙っていればおとなしくてかわいい。


 前髪をちょっと避けると、眉を寄せた苦しげな寝顔が現れた。こわい夢でも見ているのかもしれない。

 

 前髪に触れたついでに、おそるおそる頭をなでてみた。起きない。無心でなでた。それが気持ちがよかったのか少しずつ表情が和らぎ、ほっとしたのもつかの間、彼のまつげがはたりと揺れた。起こしてしまったようだった。


 しばらくぼーっとしたようにわたしを見つめていた高城さんは、焦点が合うと、心から安堵したように笑った。


「……ああ、よかった、いた」


 ここにいることを確かめるようにわたしの手を握って、また眠る。すやすやと規則正しい穏やかな眠り。



 そんなことを言われたら、なにも言わずに帰れない。



 重なった手のひらが熱くて、それでも、振りほどかなかったのは、病み上がりで人恋しかったから。ということにしておいた。










 すっかりと本調子となったわたしは、無事に自宅へと帰還した。無事に。ここが重要。


 わたしが帰ると宣言したときの高城さんは、別居を切り出された夫のような顔で、ベタに洗っていた皿を落とした。陶器の皿は派手な音を立てたけれど、幸いなことに割れはしなかった。


 というか、治れば帰るだろう。そこは。


 大変お世話になりました、と辞そうとしたわたしは、あの手この手で引き止められ、朝ご飯までは居座ることを強制され、そしてようやく今に至る。


 病み上がりに学校は、正直なところ行きたくない。普段真面目に行っているので、たぶんもう一日くらい休んでも単位に響かないと思う。


 それでも隣に虎視眈々とわたしの隙を狙っている変態がいるので、行かなくては。


 気乗りしないままアパートを出ると、ちょうど、知らない顔の女の子が入ってくるところで、新しい入居者の人かもと思い、こんにちはと挨拶をした。笑顔を作れたらいいのだろうけれど、あいにくそこまでの愛想がないのがわたしだ。


 わたしよりもちょっと年下くらいの彼女は、ふわりと微笑んで挨拶を返してくれたので、内心ほっとしてすれ違った。


 高校生くらいか、この辺りではちょっとお目にかかれないくらいの美少女で、こういう子が相手なら、盗撮やストーカもうなずけるのにと思ったところで、ふと気づいた。


 あの子、なんの香りもしなかった気がする。


 少しくらい、せめてシャンプーのあまい匂いがしてもよさそうなものなのに。


 足を止めて、振り返る。なん階に行ったのか、美少女の姿はもうなかった。


「……」


 どうしてか、胸がざわつく。


 高城さんが好きなのは、わたしではない。無害で理解がある人間だ。それを満たしている女性であれば、きっと誰でもいい。……わたしじゃなくても。


 思考を振り切るように踵を返した。


 別にあの人が誰かとどうなろうと、わたしには関係ない。



 ――でも、だ。



 もし高城さんがあの美少女を盗撮しはじめたら、それはもう、完全に犯罪だ。情状酌量の余地なしの。


 わたしだからいいというわけではないけれど、とにかく完全にアウトだと思う。


 手錠をかけられ、大嫌いな警察に連行されていく高城さんの、悲壮感漂う後ろ姿の幻が簡単にまぶたの裏に思い描けた。



 ……ああ、でも。


 

 高城さん顔はいいし、心根も優しいから、少しくらい性癖に難があっても受け入れてもらえる可能性もあるのか。



「……」



 わたしのこと、好きって言ったくせに。



 勝手にむしゃくしゃして、電車の揺れでドアに額をごつんとぶつけた。痛い。


 そこに映るわたしは、至って普通の平凡な日本人顔。


 見た目で好かれたわけではない。


 裏を返せば、わたしの見た目は、本来高城さんの好みではないということだった。


 だからあのかわいい子と比べてしまったら、わたしなんてすぐにお払い箱で……。


 それを寂しいと思っているわたしは、とっくに自分の気持ちに気づいているけれど、認めはしない。だって、臆病者だから。


 もし高城さんのすべてを受け入れてくれる人がいたら、それは、喜ばしいことだ。


 喜ばないといけない。


 おめでとう、と。


「……」


 ため息で白くなるドアのガラスで額を冷やしたまま、駅に着くまでわたしは、なにも考えてしまわないように、瞑目し続けた。






「わんちゃんねこちゃん動画を見て思ったんですが……」


 なにを?


「これ、僕が月さんを撮っているのと、同じだと思いませんか?」


 思いません。全然。まったく。別物です。


「だって撮影者は、わんちゃんねこちゃんに撮影の許可をもらってないですよね。こっそり撮っていたりしますよね?」


 いいや、まず、前提がおかしい。


「わたしと、わんちゃんねこちゃんを一緒にしないでもらえますか」


 責任逃れが甚だしい。


「え……? 月さんとわんちゃんねこちゃんを、一緒に……? なんですかそれ、天国ですか?」


「……」


 わたしには、高城さんがわんちゃんに吠えられねこちゃんに引っかかれる、地獄しか見えなかった。



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