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「そこは嘘でもはいって言うとこでしょう!」



 ベッドの中で布団にくるまり枕に渾身の叫びを吸収させた。純粋に、隣近所に響くと嫌だから。


 だけどあの短い否定の言葉を思い出すと、また胸がむかむかしてくる。


 わたしの問いかけにきょとんとした様子で言い切った高城さん相手に、こちらも呆然とした。


「あ、そう……ですか……」


 そう言ってすごすご帰りかけて、やっぱり納得いかずに脛を蹴って帰ってきた。


 信じられない。もっと言いようがあるだろうに。


 高城さんの基準が、まず第一に、無害。第二に自分を理解してくれる人、だというのはわかる。



 わかる、けれども……。




 なんか、腹立つ。




 無性にイラつく。




 なんだろう。普段多少イラッとしても、割と心の中で折り合いをつけられるのに。


 そもそもそこまでイライラすること自体、これまでの人生であまりなかった気がする。


 そんなことを考え続け、高城さんが人の琴線にふれることばかりするのが悪い、という結論に至ったときには窓の外が真っ暗で、時計を見て驚くことに、深夜になっていた。


 まったく、寝不足になったらどうしてくれるんだ。


 








「あの、月さん? なにか怒っていますか?」


 なんで怒っていないと思うのか。


 早速朝から玄関先でタイミング悪く出くわし、昨日のことに納得いかないわたしは挨拶を無視すると、高城さんは鬱陶しくちょろちょろとつきまとってきた。


「すみません……なにが癇に障ったんでしょうか? 教えてください」


「……」


「盗撮のことですか?」


 それ。忘れていた。思い出させてくれてありがとう。


「それは消去してください」


 高城さんは、うー……ん、と唸った。了承のうんではなさそだった。


「それに関しては承服しかねますが、怒っているのは別件についてなんですね? どれですか?」



 ……どれ、だと?



 わたしの知らないなにかがまだ隠されているのだろうか。ぞっとする。


「……別に怒っていませんから。…………怒っていたとしても、わからないのならもういいです」


 ぼそっとこぼしてそっぽを向くと、


「ほら、絶対怒っていますよね?」


 高城さんはわたしの顔を追いかけ、移動してくる。歩くのに邪魔だ。


「そういう高城さんの無神経さに呆れているだけです」


「僕が無神経なのは今にはじまったことではないですけど、今後は直すよう努力します。だから、無視だけはしないでください。……死にたくなります」


 隣を行く銀行強盗は、心情に訴えかけるという卑怯な手口でわたしを脅してきた。


 高城さんが言うと冗談に聞こえない。わたしは自分のもやもやと人命を天秤にかけて、あたりまえと言うべきか、彼の思い通りに折れることとなった。


「ここで死なないでください。めいわくなんで」


 それに恨みを残して死んだのち、化けて出られても嫌だ。うちに住み着きそうでこわい。


 冷たく言ったわたしに、高城さんは特に傷ついた様子もなく、むしろマスクとサングラスの向こうに、謎の微笑みを浮かべたように見えた。


 その笑みの意味はなんなのか。ドMか。


 怪訝に思いながら見上げるわたしに、高城さんはなんでもないと軽く首を振ると、こう続けた。


「それは月さん次第です」


 なぜわたしが他人の生死に関わらないといけないのだろう。おかしいことこの上ない。


 その理不尽さに言葉を失っているわたしに、高城さんは幻の耳をへにょりとさせて、両手を握って来た。


「自分勝手なことを言って、すみません。だけど月さんに見捨てられたら、僕のことをわかってくれてキチガイ扱いしないのは兄家族だけになってしまう……。愛してくれとは言いません。どうか、見捨てないでください」


 ご両親は……いないのかな。聞きづらいな。


「見捨てては、ないですけれど……」


「けれど?」


 ごにょごにょしていると、聞き取ろうと腰を曲げて、顔が触れそうなほど直近でのぞき込んで来るので、


「ああ、もう、わかりました! ただのやつあたりです! ごめんなさい」


 なんでわたしが謝るはめになっているのか。甚だ疑問ではあるけれど、これ以上追求されては言わなくてもいいことまで吐き出してしまいそうだったからもう仕方ない。


 釈然としていなさそうな高城さんは、それでも話を無理やり切り上げたわたしに合わせて身を引いた。


「……ごめんなさい」


 なにか思うことでもあったのか、神妙に頭を垂れる高城さん。


 わたしも大人げなかった。


 だから、もういいですって、と話を終わらせようとするわたしに、高城さんは、そうではなく、と首を横に振った。


「違うんです。本当は愛してほしいと思っているので、嘘をついてごめんなさい、の、ごめんなさいです」


 ……いい加減、この人の性格と会話のパターンに慣れるべきだった。


 それにしても……。


「愛?」


「愛」


 愛、とか。真顔で言われても……ね。


 マスクとサングラス越しでも、だんだん彼の表情や感情がわかるようになってきたところが、地味に悔しくもある。


 それにしても、愛か……。


「……あの、月さん顔赤いですけど、大丈夫ですか? ――はっ! まさか、熱!?」


 高城さんがまた見当はずれなことを叫んでわたしの額に手を押し当ててくる。身長差がある分、手のひらの大きさもずいぶんと違って、目まで覆われてびっくりする。だけど、ひんやりとして優しい手だ。


 夢見心地で目を閉じていると、高城さんの驚愕の叫びで、現実へと連れ戻された。




「ほらやっぱり! 熱あるじゃないですか!」




「……え?」



 ……あれ?



 …………あれれ?



 指摘されて自覚した途端、そういえば朝から身体がだるかったような気がしてきた。すると現金なことにめまいがして、ふらっと足元がおぼつかなくなったわたしを、高城さんがしっかり抱きとめる。


「た、大変だっ……! 病院! いや、救急車!!」


 待て。それは待たんかい。


 高城さんがスマホに一、一……と、入力したところで七を押して邪魔をし、なんとか思い留まらせた。


 現在の時刻は、七時二十三分四十八秒らしい。


「タクシーじゃないんだから、熱ぐらいで救急車なんか呼んだら怒られます。寝てれば、治りますから……」


「了解です!」


 なにが、と思う前にいわゆるお姫様抱っこをされ、アパートまで引き返し、連れ込まれた。まさかの高城さんの部屋に。


 寝室へと運ばれて、かけ布団をはぎ、サイズ的にダブルベッドのシーツの上へと、高城さんは慎重にわたしを横たえさせた。そこがちょうど深緑と白の枕の境目で、頭が枕の間に沈み、彼は慌ててわたしの頭の下に白い方を差し込んだ。最後にかけ布団を首まで覆うようにかけて、一息つく。


「あと、は……えっと、薬! 薬買ってくるので、寝ててください!!」


 自分の部屋に返して、というわたしの声は、寝室を飛び出していった高城さんには届かなかった。


「……」


 人の家で、人のベッドで、ひとり取り残されるという謎。


 心もとないというか、後ろめたいというか……。


 早く帰って来てくれないと、どうしていいのかわからない。


 寝ていればいいのだろうけれども、そこまで図太くない。


 寝室も、リビングと同じ型の空気清浄機がフル起動していて、あとはパソコンが置かれた机と、わたしの背丈ほどありそうな観葉植物の鉢が置かれているだけの、至ってシンプルな部屋だった。



 それら(・・・)にさえ、目を向けなければ。



 わたしは見て見ぬ振りできず、改めて、ぐるりと胡乱な目を巡らせる。


 壁のあちこちに飾られた、明らかな盗撮写真は、しかるべきところへと通報すべき事案なのだろうか。


 かわいい額縁に入っていればいいというものではない。その精緻な花の形を模した額縁は大小さまざまで、写真は本当に、いつ撮られたのかわからないプライベートなものばかりだった。


 寒気がする。これはきっと、熱が上がっているせいだけではない。


 のんきに眠る気はまるで起きず、ひたすら心を無にして待つこと十数分、高城さんが慌ただしく帰って来た。


「遅くなってすみません! コンビニに薬は売ってなかったので、これ、大家さんにわけてもらってきました」


 さすが大家さん。頼りになる。怪しい高城さんに部屋を貸すだけのことはある。


 高齢すぎて視力の問題もあったのだろうけれど、おかげで助かった。熱問題についてはひとまず解決だ。



 ――さて。



「高城さん」


「なんですか?」


「あの写真は、だめですよね」


 あれらを総じてという意味で、ひとつを指差した。わたしが駅のベンチで本を開いているのを、少し離れた横方向から撮影したものだった。ホームに差し込む光と影とが絶妙のコントラストで、そこにいるのがわたしでさえなければ、悪くない写真ではあった。


「アングルの問題ですか?」


「そうじゃなく」


「感慨深い一枚ですよね」


 なにに浸っているのか、この盗撮魔。常習犯。


「そんなことよりも、アイスとプリンとゼリーを買ってきたので、食べて薬を飲んで寝てください。あと水分補給のためにスポーツドリンク」


 そんなことよりも、って。


 元気だったらもっと怒っていた。でも今はそんな元気がないことが悔やまれる。


「だけど、人のベッドで汗をかくのは、ちょっと……」


「気にしないでください。香水より汗臭い方が全然ましですし、月さんの体液なら、なにも問題はありません」


 問題しかない。


 体液、とか。表現をなんとかしてほしい。


「月さんはきちんと寝て、しっかりと治してくださいね。僕はちょっとだけ、仕事に行ってきます。勝手に帰ったりしないで、トイレ以外でここから出ないで、大人しく安静に、ですよ。わかりましたか?」


 子供にするみたいに、布団の上からわたしのお腹あたりをぽんぽんとして、高城さんは後ろ髪引かれながらも忙しく出勤して行った。



 また、ひとり……。



 自分の写真に囲まれているのが一番の恐怖だからか、悪寒もひどくなってきた。


 今日は休んでまずい講義もない。せっかく買ってきてくれたので、言いつけに従いプリンを食べて薬を飲む。


 しばらくすると薬が効いたのかうとうととして、なんだかんだで熟睡しまったのは、わたしの意思の問題ではなく、不可抗力なのだった。







「ちなみにアイスは定番のバニラとチョコと抹茶、それとストロベリーを買い揃えて来ました。プリンはスタンダードなものと焼きプリン、牛乳プリンの三種類です。ゼリーはみかんなどの柑橘系と、さくらんぼの入ったフルーツミックス、そして飲むタイプのものも一応――」


「もういいです」


 説明を遮られてへこんだ高城さんに、続けて命じる。


「アイスが溶けるので、早く冷蔵庫にしまってください」


 はっとして駆けていく高城さん。


 その背中に、ありがとう、とつぶやいたことは、部屋の隅にたたずむ観葉植物だけが知っている。



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