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 これまではわたしの温情によって半ば許されてきた犯罪者予備軍の高城さんは、ある日、とうとう本格的な犯罪者になりかけた。


「なんか、銀行強盗みたいな男が侵入したんだってー」


 休日、私立図書館で、そのひそひそ話を耳にしたわたしは、パン! と本を閉じて立ち上がった。



 なんてことだ。



 心当たりが、ありすぎる。



 急いで駆けつけて来てみれば、案の定、警備員さんらに捕らえられて警備員室で詰問されている高城さんを発見した。


「このいかにも怪しい風体の男、知り合いですか?」


 なんとなく、知り合いだとは言いたくない。けれど、サングラスの向こうからの哀願に折れ、しぶしぶうなずいておいた。


 免許証を確認されて、厳重注意を受けて、限りなく黒に近いグレーの状態で釈放された高城さんは、さすがにこういった状況になれているだけあってしゃんとしている。


「なにしてるんですか」


「違うんです」


 なにが違う。違わない。


「あの、そんなに熱く見つめないでください。照れます」


 即刻目をそらした。二度と合わせるものか。わたしは警備員さんの冷めた眼差しで凍死しそうだった。


「それで? つけて来たんですか」


「違うんです。今日が図書館の日なのは知っていましたから、つけて来たわけではありません」


 わたしのスケジュールを知り尽くしている謎とか、そんなことではもう驚かない。


 それにわたしは、ひまな日は図書館に入り浸っているので、高城さんでなくともそこは予測できることだった。


 それよりも、これ以上警備員さんたちにしなくてもいい無駄な仕事をさせないために、高城さんの手を引きそそくさと退避する。この図書館の司書さんたちとは顔なじみなので、わたしがついていれば安心……だとは思う。


「行きますよ」


「はい!」


 なんでそんなに嬉しげなのか。


「高城さんは本とか読むんですか?」


「そうですね……、全然おもしろくないですがビジネス書とか、あと、風景の写真集とかは好きですね。最近は趣味の本とかを中心に読んでいます。文芸だと、ベストセラーのとか有名なものをちょこちょこと」


「趣味の本?」


「カメラ撮影が上達する本とか」


 著者もまさか、盗撮魔の技術向上に手を貸しているとは思いもしなかっただろうに。


「それと、キャラ弁の本」


「お弁当はいつもありがとうございます。ありがたいんですけれど、この年でキャラ弁は、ちょっと……」


「大丈夫です、わかってます。そっちは未来を見据えてのものなので」


 ……深く考えないようにしよう。


 わたしは新刊コーナーから普通のお弁当のおかずレシピの本を取ってくると、読書スペースに座らせた高城さんの前へと置き、言い聞かせた。


「とりあえず、おとなしくここに座って本を読んでいてください。わたしは借りる本を集めてくるので」


 高城さんを待機させている間に、わたしは目当ての本を収集を開始する。のんびりと読んでいこうと思ったのに、予定が狂いまくりだ。


 手近な小説から腕に抱えていき、次は専門書の書架へと移動する。しかし一番上の棚にある本が取りにくくて、腕を極限に伸ばしていると、誰かが背後からその本をすっと抜き取った。


「これですか?」


 身をかがめてそれを差し出してきたのは、料理本を小脇に抱えた高城さんで、棚があって身動きの取れないわたしは、彼に覆いかぶさられたような格好だ。顔が近く、必然的に先日のキス未遂を思い出してしまった。ちなみに連なって蘇った彼の友人たちの愚行に関しては、腹が立つので黙殺する。


 高城さんの態度はあまり変わった様子はなく、わたしだけがときどき、どうしていいかわからずこうして戸惑うことがある。不公平だと思う。


「……それです。ありがとうございます」


 もらおうとしたら、ひょいと引っ込められた。


「あ、それも持ちます」


 ちゃっかりとわたしの腕にあった数冊の本をすべて引き受けた高城さんは、その上に料理本に重ねて、結構重いですねとつぶやく。


「月さん、本好きですもんね」


 高城さんがなにを思い出したのか、楽しそうに笑う。


 おかしなことに、それをちょっと、かわいい、などと思ってしまった。


 そして同時に、普通に暮らせていたらもっと笑う人だったのかもしれないと思うと、少し切ない。


 しんみりしていると、高城さんが立ち止まった。


「これはどこに持って行くんですか?」


 ああ、そっか。


 場所がわかっていない高城さんを率いて、わたしはカウンターの前に並んだ。その瞬間、貸し出し作業中だった司書さんたちが、無言のまま表情だけでざわついた。器用すぎる。


 そして奇異の目はどこに行ってもそうなのだと突きつけられたようで悲しい。


「……あの、離れていた方がいいでしょうか?」


 小声で尋ねてきた高城さんを、わたしの腕を引っ張って自分のそばに寄せた。


「どこかに行かれたら困るので、隣にいてください」


 高城さんはマスクの下でなにかもごもご言ってから、ぽつりと、ありがとうございますとつぶやいた。


 別にこんなの、お礼を言われることじゃない。


 だけどほんのりと、胸の奥があたたかくなった気がして、ほころんだ口元を手で隠した。


 無事に本を借り終えて、高城さんと図書館の外に出ると、彼はどっと息と、弱音を吐き出した。


「室内は、つらい……」


 どうやらわたしのために我慢してくれていたらしかった。


 言ってくれればよかったのに。


 あたりを見渡して、ひとまず木陰のベンチに連れて行って座らせた。


「水、買ってきますね」


 自販機でミネラルウォーターを買って、どことなく覇気のない高城さんへと手渡した。


「ありがとうございます。冷たくて気持ちいいです」


 水を頰に当てて、はぁーと息を吐いた高城さんの隣に座って、ハンカチで扇ぐ。


「膝枕してもらってもいいですか?」


 こちらが下手に出た途端、ずうずうしい。


 本来なら蹴っていたところだったけれど、自分のために体調不良になった相手にそんな追い討ちをかけるようなことができるはずもなく、わたしはしぶしぶ自分の膝を叩いた。


 高城さんは了承されるとは思っていなかったらしく、小首を傾げ、意味がしっかりと脳に染みてから、わたしの気が変わらないうちに大慌てで横になった。


「言ってみるものですね」


 はいはい。そうですね。


 あたりは青々とした天然の芝生で、背中にそびえるのは大きな楠木。駐車場も図書館を挟んで裏側だ。高城さんは落ち着けるこの場所に、少しだけマスクを下ろして深呼吸した。


「なにかほんのり、タンスの中の匂いがします」


「ああ、これはたぶん、楠木じゃないですか? 葉っぱに防虫効果があるみたいだから」


「そうなんですね。樟脳の匂いは大丈夫そうです。……ここ、いいですね。わりと落ち着ける」


「それはよかったです。また一緒に来ますか?」


 高城さんひとりだと、なにかと心配だから。


「デートの約束ですね」


 調子に乗った変態のマスクを引っ張り、離した。耳かけが伸びて、ばふんと風圧をかけて縮む。大した攻撃にはならなかったけれど、わたしの気持ちは伝わった。


「う……すみません、友達からでしたね」


 結局そう解釈したのか。


 友達の先に進むことがあるのだろうか。


 高城さんの気持ちはいわゆる思い込みで、わたしが安全パイなのを好きと誤解してのこと。


 ……いいや、誤解、とはまた違うか。


 好きは好きなのだと思う。それは認める。


 ただそれが、ライクなのかラブなのかの違い……とでも言うべきか。親愛の情なのか、それとも恋情なのか、そこがあまりにもはっきりとしない。もしかしたら彼の中でも定まっていない可能性だってある。


 この間のことなどなかったかのように一切触れてこないし、あのキス未遂がどういう意味のものだったのか、わたし自身で想像しないといけないのは、はっきり言って荷が重い。




 だったら……もし、だ。その根底が覆ったら、どうなのだろう。




 わたしは何度も逡巡を繰り返し、帰り際、思い切って高城さんにこう尋ねてみた。



「あの、わたしが無害ではなくまったくの無理解者だったら、好きになりましたか?」



 高城さんは、ちょっとだけ不思議そうに小首を傾げ、はっきりとこう言った。




「いいえ?」





 ……いいえ、だと?






「ちなみに風景の写真集って、どういうものですか?」


「海外の街角とか路地裏とか窓とか、情緒ある建物や街並みをまとめた写真集です。行ってみたいけど行けそうにないので、写真を眺めながら行った気分に浸っています」


「それは楽しそうですね。今度貸してください」


「いいですよ」


「それを見ていて、高城さんはどこに行きたいと思いましたか?」


「そうですね……、ギリシャのミコノス島とか、エーゲ海のロドス島とか、青い空の下を白壁の街並みを歩くのも素敵で憧れますが、プラハの迷路みたいな路地裏にも興味があります。スペインのバルセロナの路地裏も趣があって好きです。行ってみたい」


 そうなんだ。写真集とかはあまり見たことがないけれど、高城さんがこんなに熱っぽく語るくらいだから、わたしの想像よりもずっと美しくて見る価値のある景色なのだろう。


「いいですね、海外」


「じゃあ行きますか? 新婚旅行で」


「……」



 結局写真集は借りなかった。




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