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 洗面器を持ってくる前に、間髪をいれずに人の家にすべり込んだ銀行強盗は、一直線にトイレへと立てこもった。銀行強盗兼盗撮魔あらため、立てこもり犯。余罪がどんどん増えていく。


 しばらく放置し、何度目かの水の流す音と一緒に現れたときには、げっそりとやつれた印象で、精根尽き果てトイレのドアにもたれてへなへなと座り込む、はためいわくな脱力系のオブジェと化した。


 さすがにサングラスとマスクはないけれど、顔はしっかり膝で隠れ、それでも酒臭くないので、酔っているわけではなさそうだった。


 シラフでこれの方が、問題がある気もする。


「なにかあったんですか?」


 辛抱強く待つと、高城さんはもごもご話しはじめた。


 かねてより電車の危険性は認識していた高城さん。普段、公共機関は使えないからマイカー(電気自動車)通勤をしている。遠出するときも車だ。徒歩圏内であれば、エコの観点から歩いて出かけることもあるらしい。それは今はどうでもいい。


 今回はそのどちらでもなく、銀行強盗の友人(本当に存在するのか?)に、拉致のごとく車に詰め込まれたのだとか。


 着いた先には、他の友人数名と、初対面の女性たち(同数)。そこで飲み会をしたと言う。


 それを世間では、合コンと言うのだけれど、わたしはなにも突っ込まなかった。


 その合コンのしょっぱなから、最後の砦である大事なマスクを、女性陣に奇襲攻撃的に奪われ……撃沈。振りまかれる香水と煙草に倒れたところに、介抱と言う名の、とどめ。からの、まさかのお持ち帰り。


 退廃的なお香の匂いが充満した軽自動車から命からがら脱出し、公園で一度心を鎮めてから、徒歩で帰宅しようとしたけれど、あまりの体調の悪さに歩けずバスに乗ったら、不運にも乗客の柔軟剤にやられて、死に物狂いでたどり着いたうちの玄関先で死んでいた、ということらしかった。


 いや、本気で失神していたらしいから、胸の内でも茶化してはいけないと、わたしは少し反省した。


 不憫ではある。同情もする。


 しかしわたしからの助言はこれに尽きた。




 友達を選べ。




「なんでそんな理解のない友達と」


「……普通こんな症状を、理解してくれる人は、いませんよ」


 投げやりで、諦めのつぶやき。


 こういうことが何度もあって、心が折れてしまったのだろうと思わせる、胸をつくような響きだった。


「正直に臭い気持ち悪いと言っても、まさか倒れるほどのことだと、誰が理解してくれるんですか? 笑って、からかわれて、それで終わりです。何度も訴えれば、空気が悪くなるし。それさえなければ、いいやつらだし。僕だってはじめはなにがなんだかわからなかったんです。……教えてくれた人がいなければ、きっと今だって、まさかそれが原因だなんて、気づいていなかったかもしれない」


「……それは、そう……ですね」


 最近は認知されてきたとはいえ、知らなければ知らないことだ。わたしだって、偶然知っていただけだ。実家にあったアレルギー関連の本の中に混ざっていたのを、たまたま読んだだけに過ぎない。


 だけど理解できなくても、知ろうとしないのは、相手の苦しみに耳環傾けないのは、そんなのは、友達とは呼ばない。


 わたしならそんな友達、いなくても生きていける。



「理解してくれない友達とは、縁を切ったらどうですか」



 それでもし、万が一、ひとりも残らなかったら……かわいそうだから、



「わたしが友達になってあげますから」



 おず、と高城さんが顔を上げた。前髪越しにではあるけれど、はじめてきちんと目があった気がした。くっきりとした二重を刻む目の奥で揺れる瞳は、真意を探るように、そらさずわたしを見つめている。


「……友達?」


「友達」


「それは……、友達からはじめましょう、というやつですか? それとも、遠回しに振られたんですか?」


 情けをかけたことを、ちょっとだけ後悔した。呆れた。


「言葉のままです」


「友達から恋人になる可能性も秘めている、友達ですか?」


 ああ、もう、めんどくさい。


「そんなの高城さんにときめく要素が存在すれば、なきにしもあらずです。だいたいわたしのことを好きだとかそういうのは、恋に落ちてから言ってください。ひよこじゃあるまいし」


「ひよこ?」


「刷り込み」


「刷り込みじゃありません!」


 む、とした高城さんは急に、身を乗り出してきた。わたしの顔を自分の方へと引き寄せる。


 必然的に顔の距離が縮まり……。


 噛みつくように唇が触れる寸前――……のところで、高城さんが後方にぶっ飛んだ。


 その勢いを殺せず頭頂部を壁で強打。悶絶しながらのたうち回る。


 ひとつ言わせてほしい。わたしなにも、していない。驚きすぎて硬直したままだった。



 というか今、なに、が……起きた?



「す、……すみ、ませんっ……!」



 謝られて、ようやくはっとする。高城さんは、いもむし状態から土下座のような姿勢となった。


「うがいを……してませんでした」



「……」



 なにそれ。そういう問題?



「即刻帰ってもらえませんか。巣に」



 蹴り出したわたしはなにも悪くない。



 顔が熱いのも、気のせいだ。ばか。




 お弁当をありがとうと伝え忘れたことに気づいたのは、夜更けになってからだった。









 真夜中だった。うちではなく、隣の家の呼び鈴の音で、やっと寝つけたわたしは腹立たしいことに目を覚ましてしまった。


 こんな深夜に人の家に訪問するなんて、なにを考えているのか。どういう教育を受けて来たんだ。


 なかなか高城さんが出ないからか、また呼び鈴が鳴る。うるさいのでベッドから出て、ちょっとのぞきに行った。


 のぞき穴から見えたのは、酔っているのか頰を上気させたスーツ姿の男三人。なにが愉快なのか、ちょっとしゃべってはへらへらと笑っている。見目はいいのに、頭が悪そうなのが笑い声からにじみ出している。


 高城さんの友達だろうか。だとしたらやはり、付き合う相手を選ぶべきだと判断したわたしに間違いはなかった。


 このまま騒がれでもしたらたまったものじゃない。この男たちのせいで高城さんがさらに近所の人から白い目を向けられて、めいわくをこうむることになる。


 と、もっともなことを言っているが、わたしの安眠を妨げられたことへの、いら立ちの割合の方が大きい。


「あの、夜なので静かにしてもらえませんか」


 酔っ払いたちは目当ての部屋ではなく隣の部屋が開いたことで、一瞬だけ静かになった。ほんの一秒ほどだけ。


「うわー、子供に叱られちゃったよ、俺」



 誰が子供だ。



 たぶんわたしは、おちょくられている。大声で笑う彼らにも、侮られている。酔っているだけのせいではないと思う。どこがいいやつらだ。


「……高城さんの、友人の方ですか? 今日合コンに連れてったっていう」


「そーそー。お持ち帰り失敗したらしいから、慰めに来たわけ」


「優しいよな、俺ら」


「なぁ?」


 お持ち帰りに失敗したのは、むしろ相手の方だと思うのだけれど。


「必要ないと思うので、今日のところは帰ったらどうですか? 寝てますよきっと」


「んだよ、さっきからおまえ。あいつのかーちゃんかよ」


 なにがそんなにおもしろかったのか、また雑音にしか聞こえない笑い声を立て、耳が痛い。


「あんまりうるさいと、警察呼びますよ」


「おー、こえー」


「そんなこわい顔してると、モテないぞー?」


 ひとりがわたしの頰を両手で挟んで潰した。殴っていいだろうか。


「あーやべー。この子、よく見るとかわいい顔してるかもしれないわ。ちょっと酔ってて視界ブレるけど」


「ぎゃはは、おまえちょー失礼ー!」


「つか、構ってほしくて突っかかってくるんじゃん? 遊んであげたら?」


 いらん、離せ酔っ払い。


「えーマジ? どうしよっかなぁ?」


 他の浮ついた女たちみたいに、遊んで遊んでと言うのを上から目線で待っている風な態度が気に入らない。そしてわたしの頬から手をどけない男のこのめいわく行動や酒くささより、なにより……ほんのりと香る、そのオーデコロンの匂いに、わたしは心底憤慨した。


「あなたなんていりません。遊ぶなら高城さんと遊ぶので」


 わたしは地味に見えても、遊んでくれる友達は大学にそこそこいる。男女問わず、ゼミの仲間はみんななかよしだ。


 蔑みを込めて見上げると、むっと眉を上げた男が一転、にやりとして顔を近づけてきた。


 嫌がらせのためにだけに、キスされる。そう理解した途端、急にこわくなった。高城さんの友達だから大丈夫だなんて、そんなわけないのに。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


「やっ、下衆! 下衆野郎離せっ……!」


 思い切り脛を蹴り飛ばすも、一瞬怯ませただけでむしろ逆上させてしまった。


「っ、いってぇな……このブス! どうせおまえも高城目当ての尻軽女だろうが!」


 殴られそうになって、とっさに目をきゅっとつむる。


 しかし待っても痛みは訪れることなく、そおっとまぶたを上げ――……瞠目した。


 わたしを掴んでいた男の首に、背後から高城さんが腕をかけて締めている。それはいい。わたしを助けるためだから。


 そうではなく、彼の付属品が、問題だった。


 いつものマスク、プラス、サングラスではなく、まさかアイマスク。おやすみうさちゃん柄の、水色の。


 もちろんそれをちゃんと額に押し上げて、かなり剣呑に友人を見下ろしている。


 首を絞められていない他の友人たちと、わたしはきっと、同じ顔をしていたように思う。


 絞められている男は腕を叩いてギブギブと白旗を揚げているので、高城さんは彼を床に突き放して言った。


「月さんに、なにを?」


 涙目でごほごほむせる友人を上から睨みながら、高城さんはさりげなくわたしの前に来る。高城さんの背中にすっぽりと視界が奪われたので、わたしは安全圏から出ず、顔だけそっと彼らをのぞき見た。酔っ払いたちはさすがに酔いが覚めたのか、引きつった笑みを浮かべているが、その手はわなわなと震えている。


「ことと次第によっては、生きて帰れると思うなよ」


 高城さんが友人たちに怒っている。かと思いきや、くるりとわたしを振り向くとへにゃっと情けなく苦笑する。虚をつかれたその隙に、強引に部屋へと押し込まれた。


「少しだけ待っていてくださいね」


 ドアが閉まると向こう側から、どすっ、どさっ、ばたんっ、という不穏な物音。それから、なにかを引きずるようなずりずりという音がし終えて、しばらくしてから、高城さんはわたしの家の中に入ってきて清々しく言った。


「話しをつけて来ました。彼らはもう二度と、ここには来ないと思います」


 でしょうね。


 なにで話し合ったかは聞かない。彼らの自業自得だ。


「こわい思い、しませんでしたか?」


「こわかったですけれど、大丈夫です。ありがとうございます」


 ほっとしたからか、素直にお礼が言えた。高城さんが来なければ、ひどい目に遭っていたかもしれない。


 高城さんがいなければ、こんな目に遭うこともなかったわけではあるにしても。


「救出が遅れてすみません……。もう二度と、耳栓をして寝ません。ずっと聞き耳を立てています」


 やめてください。


 耳栓のせいで騒ぎに気づくのが遅れたことを深く悔いている高城さんは、はっとして謎の弁解をはじめた。


「あのっ、友人を使ってピンチに颯爽と助けに入るというストーリー展開を狙っていたわけではないですからね!?」


 そんなこと考えてもいなかったけれど、確かにタイミングは絶妙だった。


 でも、


「疑ってないですから。高城さん、そんな回りくどいやり方しなさそうなので。…………あの、なんで今アイマスクを下ろしたんですか」


「理性が飛びそうなので」


 うちを出るまでは絶対下ろしていてください。


 それにわたしも、今の顔、見られたくないので。


「……月さん?」


 沈黙していると、ためらいがちに呼びかけられた。返事をせずにいると、前が見えないので両手をさまよわせる。


 手の指をちょっとだけ触れさせると、安堵したのかそのまま指先だけ絡められた。指切りするみたいに。


「シャワー浴びて、寝てください。他の男の匂いがします」


 自分の匂いを嗅いでみる。少し匂いが移ったかもしれない。


「さっきキスされかけたので」


「……。温情をかけず、もっと、徹底的に話し合えばよかった」


「未遂ですから」


「上書きしますか?」


 場を和まずための冗談なのか本気なのか、本当にわかりづらい。


 高城さんがマスクを下ろそうとしたので、間髪を入れずに押し留めた。


「結構です」


 高城さんは残念そうに、そうですか、とつぶやいた。


 そういえば高城さんにされそうになったときは、驚きが先行して、さっきのやつらのときのような嫌悪感はなかった気もする。


 今もそうだ。嫌だ、というよりかは、困る、と思った。


 あのときどういうつもりでそういうことをしようとしたのか、聞くに聞けず黙り込んでいると、


「大丈夫です、月さん! 月さんは他の女性と違って、かわいくて純真な乙女だと僕はわかってますから、安心してください」


 なにも安心できない。


 わたしのなにを知っているのか。


 やつらの暴言に対するフォローなのは伝わるけれど、わたしが経験のないのも確かな事実なので、それを言われてどう返せばいいと言うのか。


「もう帰って寝てください」


 背中を押して追い出すと、おやすみなさいと微笑んだ高城さんは、あちこちにぶつかりながら帰っていった。


 そこはアイマスクを外せばいいのにと呆れて、でも高城さんらしいかと苦笑した。






「それで彼らはどこに捨てて来たんですか? ゴミ捨て場ですか?」


「さすがに友人なので、タクシーを呼んで住所を告げて送り出しました」


「行き先は黄泉の国ですか?」


「……月さん、実は相当怒ってますよね? 本当にすみません」


「いえ、まだなにもされていなかったので」


「それは本当によかったです。なにかしていたら、海に沈めていましたよ。……永遠に発見されないように」


「……」


 本当に友達だったのだろうか。


「あ、冗談ですよ?」


 やっぱりわかりにくい高城さんだった。



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