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 内容を確認しながら、やっと十枚目のハードディスクを割ったあたりで、高城さんの涙が決壊し、とうとう地に伏せた。


 泣くことなのか、これは。まだどうせ、オリジナルのデータがどこかに保存されているのだろう。


 もちろんそれらも消去させるにしても。


「初回限定版が……」


 なにが初回だ。通常ですら生産した覚えはない。


「いいですか? 普通なら通報されている案件ですよ」


「僕が普通に見えますか?」


 真面目に問い返された。


 残念ながら返す言葉が見つからない。


「……悪用」


「してません。命かけます」


 いりません。


「だいたいわたしなんか撮って、なにが楽しいのか……」


 わりと表情に乏しく、はしゃぐこともめったになく、言うまでもないけれど見ていて飽きないような美人でもない。背も平均にわずかに足りないし、華やかさのかけらもない肩甲骨までの黒髪ストレート。


 ただ腹が立つことに、胸の脂肪のせいで変な目で見られることはこれまでに多々あった。たとえば高城さんが下心満載の撮影の仕方をしていたら即通報していたけれど、内容は本当にホームビデオとしか言えない日常のささやかなものばかりなので、こうして我慢して内々で済ませている。


「見守……いえ。お酒の、つまみに、とか」


 今、見守るとか口走ったのに、しどろもどろで嘘をつかれても。


「チーズでもするめでも、適当に買ってください」


 だいたい、とか、ってなに。とかって。


 なに利用かによっては通報するけれど。


「すみません、ゴルゴンゾーラもするめも苦手で」


 知るか。なぜゴルゴンゾーラ一択? モッツァレラ舐めてろ。


「だいたいお酒飲めるんですか?」


 高城さんはぎこちなく目をそらした。本当に嘘が下手だ。


「……幻滅しましたか?」


 幻滅するほど、はじめからこの人を高く見積もっていない。さもあらん、という具合だ。


 しかし、ドン引きはしている。


 無言の圧力に、耐えきれなくなったのか、高城さんもとい、盗撮犯は、色々白状しはじめた。


「はじめは、あなたのことが知りたくて。どんな人となりなのか、どんな生活しているのか、観察して見つめていくうちに……目覚めてしまって。――記録の保存に」


 そこは盗撮と言え。


 その闇が早く閉ざされることを願うばかりだ。


「好きな人の無防備な姿を残しておきたかったんです」


 盗撮魔の言い訳なんてこの際どうでもいい。


「そもそも、ついこの間出会ったばかりで好きもなにもないと思いますけれど」


「………………そう、ですよね」


 高城さんはそうつぶやいたっきり、ふつりと押し黙った。いつしたのか正座のまま、ずーんという効果音がつきそうなほどどんよりとうなだれている。


 なに? わたしがなにか、失言した?


「……いいえ、いいんです。わかってましたから」


 なにを……?


「すみません、泣きたい気分なので、ひとりにさせてください。ぶり大根は明日、タッパーに入れて持っていきますから」


 もう泣いている上に、盗撮した件に関しては高城さんが悪い。


 だけど居座るのも変なので、


「わかりました。ただ、オリジナルの分は後日改めて消去しに来ますから」


「……はい」


 しょぼくれた高城さんに強く言い聞かせて、わたしは自分の部屋へと戻った。


 無事帰宅したわたしは、なぜかその日、なかなか寝つけず何度も寝返りを打った。


 高城さんの消沈した姿が目の奥に焼きついているから……ではない。盗撮されていたという衝撃的事実のせいだ。きっと。いや、絶対。







 次の日、約束通りぶり大根が届けられた。きんぴらごぼうやら細々した副菜と、フォンダンショコラのおまけつきで。ドアノブに。


 なにか一言あると思ったけれど、なにもない。


 かと思いきや、白米の上にハート型の海苔が載っていた。女子か。


 ぶり大根もろもろはありがたくいただいた。意外とおいしかったけれど、タッパーを返却する際も、高城さんは家にはいなかった。


 それからしばらくの間、銀行強盗姿の隣人は、わたしの前にその姿を見せることはなくなった。


 その代わりに、なぜか毎日お弁当が届くようになった。かわいいうさちゃんのお弁当箱で。


 どんな顔をしてこれを買ったのか。


 しかし、さすがに毎日手の込んだお弁当をただでもらって、顔を見てお礼を言わないのは落ち着かない。けれどもいくら呼び鈴を鳴らしても、返ってくるのは静けさのみ。


 データの抹消を拒絶し、わたしを避けているのだろうか。


 それとも単に仕事が忙しいだけか……。


「ルナちゃん、最近お弁当だよね」


 弁当箱を広げていると、ひょいとのぞき込む影が弁当に落ちた。見上げるとメンズ雑誌からそのまま抜け出して来たような風貌をした好青年が、にこりとさわやかに笑う。


 そして承諾を得ないままわたしの向かいへと腰を下ろし、お弁当箱から卵焼きを一切れ摘んで口に放る。


「玲一くん」


 名前を呼んで咎めるも彼は気にせず、うまっ! と目を輝かせて卵焼きの感想を叫ぶ。


 玲一くんこと、三角みすみ玲一は、うちのアパート「スプリング三角」の大家さんの孫だ。その繋がりで話しかけられて、めんどうなことになりそうなのを察したわたしは、社交辞令のみを交わして軽くあしらい終わった。――はずなのに、なぜか懐かれ、今に至る。


 そして滅多に会わない大家さんに、くれぐれも孫をよろしくと、なぞのお目付役に任命されてもいる。


 今ではいい友人のひとりだった。


「これルナちゃんの手作り……なわけないか。料理しないもんね、ルナちゃん。野菜スティックをおかずにご飯食べれる人だもんね」


 炭水化物をおかずに炭水化物を食べる人に言われたくない。


「あ、彼氏? ついにルナちゃんにも春が? 料理上手の彼とか、いいじゃん」


「彼氏じゃないから。全然」


「? 彼氏じゃないなら、彼女?」


 そういう言葉遊びをしているのではなく。


「……おすそわけみたいなもの」


「へえ。じゃあもう一個ちょうだい」


「だめ」


「えー。けちー」


 玲一くんは子供みたいに拗ねながら自前の菓子パンを食べる。明日あたり、この話を耳にした誰かが、弁当を作って来るかもしれない。


 イケメンと友達になると周りの女子に睨まれるものだと勝手に思い込んでいたけれど、実際はそんなこともなく。


 たぶん姉弟に見られている。わたし、末っ子育ちなのに。


「玲一くんは、料理とかする?」


「必要に迫られれば」


「誰かに作ったりは?」


「そりゃあ、あるよ。当時付き合ってた社会人のお姉さんとか……、あとはばあちゃんとか?」


 大家さん、それは喜んだだろう。おいしかったかはさて置き。


「料理って、仕事は別として、好きな人にしか作らないよね。食べる方もさ、嫌いな人の作ったものは、いくらおいしくても食べれたものじゃないし」


 だったら、高城さんの作ったお弁当を食べているわたしは、なんなんだろう。


 深く考えるとドツボにはまりそうで、無心で食べた切った。


 別に高城さんのことなんて、これっぽっちも気にしていない。どこでなにしているかなんて、ちっとも。


 ずっと顔を合わせていないと言っても、この間まで会釈しかしない中だったのだ。全然寂しくなんかない。


 ただ単に、早く頭痛のタネを解消しておきたいだけなのだ。それだけなのだ。








 わたしは本当の意味で、誰かを好きになったことがないのだと思う。


 初恋は中学生のとき。相手は同級生だった。


 そしてあの頃のわたしは、恋というものを履き違えていた。


 相手を見るだけでドキドキして、会話のひとつで気持ちが浮上し、他の女の子と楽しそうにするのをもやもやしながら眺める。


 そういう恋に、たぶん心のどこかで憧れていた。


 そう。恋に恋していた。


 今思うとバカバカしい。


 友達は好きな人を言い合ってきゃっきゃっしている。好きな人がいないと話の仲間にも入れない。


 だからわたしの心は、恋心を作り出した。


 だからキスできるかと問われれば、それは否。


 結局のところ、わたしの好きな人は、わたしが友達にはぶられないための、盾にすぎなかった。


 だから、バチが当たったんだと思う。


 それなのに……、あぁ、思い出すとむなしくなるので、昔を振り返るのは中断して、今の現実へと向き合おう。



 つまりわたしは、もう恋愛沙汰なんてものはこりごりで。



 だけど、なんでだろう。高城さんに避けられていると思うと、無性にイライラする。


 あんな怪しい隣人、いてもいなくても変わらないのに。


 それどころか、怪しい隣人なんて、いないに越したことはないのに。


 本当はわかっている。でも、認めたくない。


 わたしは、ほんのちょっとでも寂しいと感じてしまっていることを、簡単に認めたくないだけなのだった。


 






 そうして帰宅した自宅の玄関前。おかしなことに、不審な粗大ゴミが打ち捨ててあった。



 ああ、違った。銀行強盗がのたれ死んでいるんだった。



「……」



 救急車。いや警察。むしろ……ごみ収集車?



 とりあえず鞄からスマホを探ると、廊下をふさぐ粗大ゴミが、うーうーうめきながら手を伸ばしてきた。手足が無駄に長いから、近づきすぎていなかったのに、簡単に足首を掴まれた。蹴飛ばさなかったわたしは我慢強い。



「……」



「……」



「…………っ、」



「……………?」



「………………っ、吐く」





 洗面器ぃーーーー!!!





 わたしは開け放ったドアから、転がるように風呂場まで駆けた。






「ブルーチーズが苦手です。あとは飲みものとかでよくある、さくらんぼ風味とか。芳香剤の味しかしません」


「……そうですか。わたしは、へぼご飯が苦手です」


「……へぼ?」


「蜂の子ご飯」


「は、蜂……食べるんですか?」


「いえ、蜂の子なんで、幼虫です。成虫も入っていますけれど」


 高城さんは無言で震え出した。


 ……だからわたしも苦手だって言っているのに。




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