15
まさか暴れ狂うストーカーの次に、強盗が押し入って来るなどと、誰が予想したか。
強盗はサングラスの薄暗さをものともせず、ぐるりと室内を見渡し、今わたしたちが置かれたこの異様な状況を正確に把握したらしい。ごそ、と鞄からなにかを取り出した。――拳銃だった。それは見事に彼の手にフィットしていた。
強盗はちょっとだけ握り心地に首を傾げつつ、それをストーカー男へと、静かに突きつける。
額を狙うように銃口つきつけられて、男はさんざん暴れて血が上っていた顔を今度はみるみる蒼白にして、ひび割れた唇をわななかせた。
さっきまで場を支配していた男ではあるが、たった今からは、この強盗こそが、真の支配者となった。
ちゃちなストーカー男ごときが、本物の犯罪者相手に敵うはずもない。すでに戦意喪失した男に、強盗は、無情にもその引き金を引いた。
「ばんっ!」
ひぃぃ……! と男が断末魔の声を上げるのと同時に、男は吹き出した液体に額をぬらして、膝から崩れ落ちた。
わたしは制止するカナちゃんの手をすり抜け、即座にテーブルかは這い出して、泡を吹いて仰向けに倒れている男を、つま先で蹴ってみた。
よし。完全に、伸びている。
今のうちに両手両足首を落ちたナプキンで手早く縛りつけ、それから強盗――もとい、高城さんへと疑問を投げかけた。
「それは?」
「これですか?」
高城さんは手にした拳銃の引き金をかしゃかしゃと動かして見せる。その度に、少量の水がぴゅう、と弧を描いて飛び出した。
「いつまでも子供に舐められていてはいけないと思って、ネットで買った拳銃型水鉄砲です」
子供相手に、なんて大人げない。だけどそれでこそ高城さん。
そのおかげでこうしてみんな無事で済んだのだから、ここは大目に見よう。
「こんなところで役に立つとは思いませんでした。衝動買いもしてみるものですね」
衝動買いだったのか、それ。
子供たちに襲われた直後だったのだろうか。
なんと返せばいいのか迷っていると、高城さんの腕がわたしの背中へと回った。驚くくらいきつく抱きしめられ、苦しかったけれど、わたしもおずおずと抱きしめ返した。
「月さんが無事で、本当によかった……」
「高城さんの、おかげです」
「そんなことを言われたのははじめてで、なんか照れますね」
ほっとして、もはやなにをしにここにいたのかわからないくらい混乱していたけれど、高城さんがそばでとぼけたことを言っていてくれるだけで、緊張の糸はゆるゆるとほぐれていく。
この人のこういう、空気の読めないところに、案外惹かれたのかもしれないと思った。
お約束のように、通報を受けて駆けつけた警察官は迷うことなく高城さんを捕縛し、有無を言わさず連行した。
同級生たちの証言で釈放されたものの、心はかなり傷ついている様子で、警察署からとぼとぼと肩を落として歩く。
高城さんは鞄の中の水鉄砲をはじめ、帽子もサングラスも、肝心要なマスクさえも没収され、ただただ前髪の長いだけの情けない男前になって帰って来た。ちなみに没収されたものは返却されて、わたしの手の中にある。
「失礼ですよね。あんなストーカー男と間違えるなんて」
あながち間違ってはいない気もする。
理性と情緒は安定しているから、あの男とは一線を画しているにしても。
「警察の人が話していたんですが、ストーカーされていた人、同窓会の会場探しのために訪れたときに運悪く一目惚れされたらしいですよ。住居侵入とか、盗撮とか、余罪はまだあるみたいです」
相変わらず人ごととは思えない。
高城さんはなぜそんなに、他人事な口振りなのだろう。
「愛は人を狂わせますね」
……ですね。
「そういえば、高城さんはなんであそこに来たんですか?」
「家に行ったら月さんがいなくて、思い切って実家に押しかけようかと思ったんですが、そういえば同窓会が今日だったことを思い出して。前にハガキを覗いたときに日時と場所を記憶しておいたんです。これでも、目と記憶力はいいので」
なぜそれを記憶したのかについては言及しないことにした。結果オーライだ。
しかし、実家に行ってなくてよかった。本当に、よかった。
「それってつまり、わたしを追いかけてここに……?」
「当たり前じゃないですか。あんな、思わせぶりなことを言って逃げるなんて」
ほんのりと頬を上気させた彼に間近で見つめられ、予期せず告白してしまったことを、今さらすぎるけれど思い出した。
これは、どうすれば……。
逃げ腰になっていると、蜂谷! と呼ばれてほっとした。事情聴取を終えたのか、風見くんがこちらへと駆けて来る。
「災難でしたね、彼も」
「あの人、初恋の人です」
「前言撤回です。全然、災難じゃない」
風見くんはわたしではなく、隣でぼそぼそと憤慨する高城さんの前に立ち、そして深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
あまり他人からお礼を言われ慣れていないのだろう高城さんは、戸惑ってわたしの方へと助けを求める。
感謝されているのだから、そこはありがたく受け取っておきなさい。
「いえ、でもあの、結果的にそうなっただけで……」
「それでも。ありがとうございます」
「えぇと……、はい」
高城さんは真摯な風見くんの姿勢にきちんと向き合って、丁重にお礼を受け取った。
高城さんが誰かに認めてもらっていると、わたしも嬉しい。自分ごとのように誇らしい。
「それと……、蜂谷。ごめん!」
「え?」
「あの日、嫌な思いさせて。言い訳だけど、あれから話しかけづらくて、ずっと謝る機会がなかったんだ。――ごめん」
それは、風見くんが謝ることでもなかったのに。
だけど……そっか。川名さんは、それほど彼の大切な人なんだ。
あのストーカー男から彼女を守るために、自分を盾にしていた彼の姿を思い出す。
その一途な想いを前に、どうしてだか、わたしの失恋が報われたような、優しくて不思議な気持ちになった。
わたしはなんて単純なんだろう。
「いいよ。気にしていないから。それより、そばについててあげないと」
まだ事情聴取をされている彼女が、心細いといけないから。
風見くんはもう一度高城さんへとお礼をして、じゃあ、と警察署へと引き返して行く。その後ろ姿に、さよならをして、わたしは自分を奮い立たせて高城さんを見上げた。
なんとなく、今言わないと、もう言えない気がしたから。
「好きです。高城さんのことが、好き」
恥ずかしい。みんなの前で好意をバラされるより、本人を目の前に告白する方がはるかに勇気がいることなのだとはじめて知った。
高城さんは、わたしを見下ろしたまま硬直して動かない。断るなら早くしてほしい。
気長に待っていると、高城さんはその場でなぜか深呼吸をはじめた。しかし横を向けばそこには道路。喉を抜ける排気ガスに、すぐ咳き込む。くっ、喉が締まる、と膝をついて苦悶を浮かべて、ポケットから素早く抜き取ったハンカチを鼻と口に重ねながら、涙目でわたしを見上げた。
残念ながらその行動の意味はわたしにもわからない。
「一体なにがしたいんですか」
「夢じゃないことの、確認に」
そこは頰をつねれ。定石通りに。なぜみすみす自分を苦しめる。
呆れていると、高城さんがカッと目を見開いて、わたしの片膝をがしっと掴んだ。
「血がっ! 怪我してるじゃないですか!」
破片も取れているし、もう痛みもなかったからすっかりと忘れていた。
高城さんはちょうどタイミングよく持っていたハンカチを、血の固まったわたしの膝へときつく縛りつけた。
「よし、これで大丈夫」
一仕事終えたというその満足げな笑顔に、こらえ性のないわたしの心臓が大きく鼓動した。
もうだいぶ毒されているのは自覚していたけれど、不意打ちの笑顔は、ずるい。
頰が染まっていくのを肌で感じて、顔を背けると、ひやりとした手のひらが、こわれものに触るかのように触れてきた。
反射的に、びく、としたけれど、高城さんの指先はためらわず頬を降りて、頤を軽く持ち上げて――、
「待って」
重なりかけた顔の隙間に手のひらを差し込んで押し返し、なんとか危機を回避した。
あまりにも近くで瞬く彼の、その仕草ひとつがやけに際立って見え、ますます動揺してしまいそうになる。
「……まさかの、おあずけ、ですか?」
「そうじゃなくて、返事」
「返事って……あの、今さらじゃないですか?」
今さら?
返事しなくても察しろ、と?
「あのとき、わたしが他の人を好きなら応援するって言いましたよね? それってつまり、友情程度の好きってことでしょう?」
「違っ、それは違います! あなたが好きな人と幸せになるというのなら、身を引くという意味で! もちろん他の男のものになってしまっていても、永遠にあなただけを遠くから見守り続けるつもりでした。……僕は、恋愛相談なんて言うから、遠回しに拒絶されたんだと思って……」
「え? わたしはてっきり、振られたのかと……」
「振るなんてっ、そんなこと絶対にありえません!! 今だって、月さんの使った枕を洗わず毎晩抱きしめて寝ているんですよ?」
それは聞きたくなかった。
「じゃあ、あの萌衣って子と、別れてくれるんですね?」
高城さんは差し込まれていたわたしの手を握ったまま、きょとんとした。
「萌衣? なんでそこで萌衣が出て来るのかわかりませんが、萌衣は姪なので、つき合うとかそういう関係でもありませんし……」
なん、だと?
「め、姪? だけど前に、姪っ子と甥っ子にお菓子やおもちゃを買い与えているって言っていませんでしたか? だからもっと、小さな子なのかと……」
「よく覚えていますね。萌衣はスナック菓子が好きなので、あんことか苦手なんです。お礼の品を捨てたことはきちんと叱っておきました。本当に申し訳ありません」
それはもういい。今はいい。
「おもちゃと言えば、最近だとねだられて、ドローンを買いました」
それはおもちゃじゃない。
おもちゃの定義がゆるい。
「さすがに僕も、中学生の姪に変な気を起こしたりするほど変態じゃありませんよ」
「中学生……」
最近の子の発育は……。
頭痛い。もう、頭痛い。
「あ、もしかして月さん……嫉妬? 嫉妬したんですか? ああ、まさか! こんな日が本当に来るなんて! 生きていて、よかった……、思い切って隣室に入居して、本当によかった」
その言い方だと、引っ越して来る前からわたしを知っていたようにも聞こえる。
わたしたち、前にどこかで会っていた?
なにか掴めそうで、記憶をたどった。
――あ、そうだ。ベンチ。
それと、誰かの切ない声の記憶が重なって脳裏にかすめたとき、高城さんが居住まいを正しわたしを呼んだので、意識が散ってしまい、諦めて顔を上げた。
「だけど、あの、僕でいいんですか? 今日はめずらしく感謝されましたけど、たぶんこれからも周りから気持ち悪がられて、嫌われて、めんどくさい言動でつき合いきれないって怒らせてしまうこともあると思います。それと、自分で言うのもあれなんですけど、見た目が銀行強盗で盗撮癖のある、へ、変態、で……」
自分で言っていて、情けなくなったのか声がしぼんでいく。
それ以上言わなくてもいい。切なくなってくるから、もうやめて。
「そうかもしれないけれど、少なくても、高城さんはさっきのストーカーみたいに、自分を見失ってわたしを傷つけたりはしないから大丈夫です」
「恩人を傷つけたりなんか……!」
「……恩人?」
「い、いえ、なんでもないです」
挙動不審なその目はなんでもなさそうな感じではないけれど……?
まあそれは、これから知っていけばいいのかもしれない。
だからわたしは、
「このまま、恋していていいですか?」
あなたに、恋を。
「も、もちろんです!」
高城さんはわたしが見た中で一番嬉しそうに声を弾ませて、仕切り直しとばかりに顔を寄せた。
――けれど。
肝心なところでも、高城さんは高城さんで。
「うっ、ファンデーションが……!」
そういえば、今日は完璧にメイクをしていたんだった。高城さん、今気づいたのか。
そしてこのファンデーション、だめなのか。
だったらこれはもう捨てるしかない。けれど、少しは嫌味を言わせてほしい。
「じゃあやっぱり、おあずけですね」
「そうですね……。帰ったら思う存分堪能させてもらうので、今は我慢します」
人の嫌味に気づいていない。
そしていつ承諾した。
「そうと決まれば早く帰りましょう! 夜は短いんですから!」
今にも走り出しそうな高城さんに、わたしは慌ててマスクその他もろもろを装着させた。
これで立派な銀行強盗の完成だ。これで誰も近寄っては来ないだろう。
誰にも邪魔されないだろう。
「夜の街は危険なんですから」
高城さんは、そうですね、と微笑む。
彼を苦しめる匂いから守るためとともに、素顔を知った女性たちに狙われないためにも。
この人の真実は、わたしだけが知っていればいい。
わたしだけが、この挙動不審な隣人のすべてを。
「帰りますか」
「ええ。愛の巣に」
そんなものは知らない。
半眼になっていると、高城さんに軽々抱き上げられた。慌てて首にすがりつく。高城さんはそれはそれは嬉しそうに、パトカーに乗せられて来た道を一歩一歩戻りはじめた。
愛の巣とやらに向かって。
end
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました!
本編はこれで終わりですが、高城さん視点の話と、その後の話をひとつずつ更新予定です。
読んでいただけたら嬉しいです。
この下は、いつもの後書きです。
***
化粧を落として顔を洗って、高城さんの車に乗った。
「それで、愛の巣ってどこですか?」
「うちか月さんの部屋です」
「じゃあ、うちで」
連れ込まれるのは、ちょっとまだ早い。
「そういえば、あのストーカーの男、なんでジップロックに入れた歯ブラシを持っていたんですかね」
「……盗んだらしいですよ」
「気持ち悪いですね」
しれっと言う彼を、半眼で見つめた。
「……。高城さんも、前に歯ブラシを舐めるとかどうこう言っていませんでしたか?」
「いいんですか?」
「だめに決まってるじゃないですか」
「……? キスしてもいいですか?」
「……あとでなら」
「……?? 歯を磨きたいので、歯ブラシを貸してもらってもいいですか?」
「コンビニで買ってください」
「……??? キスはしてもいいんですよね?」
「だから……、はい」
「すみません、基準がわからない……」
それはわたしの台詞だ。
家に着くまで、歯ブラシの使用について揉めに揉めたのは、言うまでもない。




