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 新品の服に袖を通して、高城さんもいないことだからしっかりとメイクをして髪を結った。


 別にこれまで高城さんのために化粧をしなかったわけではなく、ほんの少しはしていた。眉とか目元とか、あとは……色つきのリップとか。


 さすがにTPOはわきまえて行動するけれど、基本家ではすっぴんで、高城さんのことを知ってから、完全にさぼり癖がついた。だって、楽。


 会場となったレストランは貸切で、もうすでにそこそこの人数が中にいるのが見えて、それだけで気後れする。


 どんな顔をして入って行けばいいのか……、と立ち尽くしていると、横から声がかかった。


「あれ? もしかして……ルナちゃん?」


 呼ばれて見た先にいたのは派手な女性。彼女はぱっと顔を輝かせて、手を振りながら駆け寄って来た。


 誰……?


「わあ、ルナちゃんだ! すっごい久しぶり!」


 わたしの手を握って破顔する彼女の笑顔に面影を見出して、わたしは驚きと、そして喜びで声を弾ませた。


「えっ、カナちゃん!? 本当に久しぶり……というか、ごめん。一瞬わからなかった」


 真っ黒で短かった髪が腰まである金髪になっていて、焼いているのか肌が小麦色。瞬きするたびにつけまつげがバサバサと風を切る。成人式のときはもっとマイルドだったはずなのに、一体なにがあったのか。


「えへへ、だよね。でも、やれるうちにやりたいことやっておこうと思って」


 もうすぐ就活だし、今しかできないことは確かにあると思う。わたしも彼女の思い切りのよさを見習えたら、逃げずにあの人の返事を聞いていたかもしれない。それがわたしにとって、悲しい言葉でも。


「どうしたの? 入ろう?」


「あ、うん」


 招待状を見せて中へと入ると、すっかり様変わりしてしまった元クラスメイトたちに、困惑の表情で固まってしまった。


 たった数年会っていなかっただけなのに、誰が誰だかまったくわからない。浦島太郎気分だ。


 もともと人の顔を覚えることがあまり得意ではなく、当時一番なかのよかったカナちゃんでさえぱっと見でわからなかったのに、他がわかるはずもなく……。


 立食パーティーのように従業員の男性から飲みものを受け取ってから、面影と会話と、そしてカナちゃん頼りでなんとか個々を認識して適当に挨拶を交わす。


 一息ついたところで、カナちゃんが言った。


「それにしても、ルナちゃんが来るとは思わなかったよ。だって幹事、川名さんでしょう?」


 カナちゃんがちらっと、大きな輪の中心にいる彼女を一瞥をした。わたしはここについてから、そっちの方は極力見ないようにしている。


 その名前を聞くだけで、胸の奥にしまったままの過去の傷が疼く。もうとっくに過ぎたことなのに。


「……乗り気ではなかったけれど、すったもんだあって」


 言葉を濁したせいで逆に興味を引いてしまったらしく、彼女は目を燦々とさせて、くわしく、と身を乗り出してきて困った。


「お母さんが勝手に出席で出してて」


 半分だけ、本当のことを言った。


「まあ、そうだよね。じゃなきゃ来ないよね……。あ、わたしは嬉しいけどね!?」


「わたしも嬉しいよ。カナちゃんに会えたことだけで、今日来てよかったって思う」


 はらり、とカナちゃんが涙ぐみ、うんうんと抱擁し合う。がっちりホールドされたところで、


「で、本当のところは?」


 ごまかせなかったと、がくりと頭を垂れる。


「失恋、しまして」


「え。しまった、結構ヘビーなの来ちゃった。どうしよう」


 どうしようって。


 慰めればいいの? とばかりに、ひたすら抱き合ったままで頭をなでられていると。




「――蜂谷?」




 ざわめきの中、戸惑いをわずかに含んだその声だけが、不思議と通って聞こえた。


「……風見くん」


 さすがに大人っぽくなっているものの、初恋の人がわからないなんてことはなくて、かと言ってときめくなんてこともなく、わたしはただただ気まずさで固まる。


「来てたんだ」


 その問いかけのようなつぶやきに、わたしではなくカナちゃんが腰に手を当て答えた。


「そうそう。この野々山カナさんが、忙しい中わざわざ来てやったよ」


「……というか、え? そっちの野々山!? 別人じゃん」


 別人と仰天されるカナちゃんは、あっけらかんと笑いながらも、さりげなくわたしを背に隠してくれた。


「風見くんこそ、なんかおじさんになったんじゃない? 所帯やつれ?」


「おじさんって。……まあ、昔に比べたらそうだけど、結構傷つくな……。あと、まだ結婚してないし」


 まだ、ね。別に彼が結婚しようが、そこはなんとも思わないけれど、やっぱり会いたくはなかった。いたたまれない。帰りたい。今ほどマスクとサングラスがほしい瞬間はないと思う。


 そのまま風見くんとカナちゃんだけで盛り上がっていてくれればいいのに、彼は気を遣ったのか、わたしに話を振ってきた。


「蜂谷も、なんか……雰囲気変わった? どこかとかは、うまく言えないけど」


 彼はぎこちなくそう言って、うなじに触れながら軽く首を傾げている。


 わたしはそれに、どう反応すればいいのか。


「……そう、かな」


 変わったと言われても、自分ではあまり実感はない。


 お互いそれ以上の会話をためらい、カナちゃんがそばでやきもきしながらも、口を挟まず待っていてくれている。しばらく奇妙な沈黙が続き、風見くんはなにか決意したかのように口を開いた。



「あのさ、蜂谷。俺、おまえにずっと謝――」



「――理人まさと?」



 その川名さんの声に、風見くんがぎくりと身をこわばらせた。まるで浮気していたのが見つかったかのようなその怪しい態度に、たぶんなにげなく呼びかけただけの川名さんの目が、疑心で細められていく。


 そしてそばにいるわたしに気づくと、顔をしかめ、それからわざとらしくにっこりとすると、風見くんの腕に手を絡めた。


「久しぶり、蜂谷さん」


「……久しぶり」


「蜂谷さん来るのめずらしいよね。ね、理人」


「えっ? あ、ああ、うん。驚いた」


「もう卒業式以来だよね。成人式のときも会えなかったし」


「……ああ、ね」


 成人式のときは、振袖を着て式だけ出席したら、中学校への集まりには参加しなかった。行きたくなかったからだ。


「あっ、そうだ! わたしたち、卒業したら籍を入れるの。式はだいぶ先になるんだけど、蜂谷さんにも結婚式、来てほしいな。もちろん、野々山さんにも」


 おまけのように言われたカナちゃんは引きつった笑顔で、おめでとう、予定が合えば、と答えている。


 風見くんに未練があるわけでもないのに、この明白な敵意と牽制。彼女だけは中学のときからなにも変わらず、まるであの頃に戻ったようで頭が痛い。


 わたしが彼女に嫌われている理由は、未だにわからない。たぶんそういう鈍感なところが、癇に障ったのだろうとは思う。


 風見くんを好きになったは、たぶんわたしの方が先だったはずなのに、いつの間にか、ふと気づくと彼女が彼の隣にいるようになった。


 わたしが彼を好きになったきっかけは、たまたま席が隣になったことだった。そしてお隣さんとして、どちらかが教科書を忘れたら見せ合ったりしていくうちに、少しずつしゃべるようになった。人の目を見て、大したことない話でも真剣に耳を傾けてくれるところに好感を持って、彼を好きになって、そして――……。


 告白する気はなかった。見ているだけで十分だったから。……それが恋だと思っていたから。


 それなのにある日、クラスにみんながいる中、川名さんがぼんやりとしていたわたしの席の前までつかつかとやって来て、前置きもなく言い放った。


「わたし、昨日から風見くんとつき合うことになったの。蜂谷さんも彼のこと好きなのは知ってるけど、もうこれまでみたいにちょっかい出したりしないでね?」


 クラス中の視線が川名さんからわたしへと移り、わたしの隣の席だった風見くんも、あぜんとするわたしを目を丸くして見つめていた。


 意図せず片思いの相手をクラス中どころか本人にまで知られ、しかもその場で失恋確定というなかなかショッキングな経験をして、わたしの初恋は終わりを迎えた。


 悲しかったのは失恋してしまったことではなく、その後のみんなの態度だった。慰められたり同情されたり噂になったり。そっちの方がよっぽど辛かったことを覚えている。


 別につき合いたいとかは思っていなかったわたしは、その段になってようやく、恋に恋していたのだと気づくこととなった。青くて苦くて、痛い痛い思い出だ。


 結婚の約束をしているということは、婚約しているのだろうに、なぜわたしに突っかかるんだろう。そしてなぜ、わたしが他に好きな人がいるとは思わないんだろう。


「おめでとう。よかったね。わたしも、予定が合えば是非」


 ほんのりと微笑んで返したら、彼女は鼻白んだ。もっと別の反応を期待していたようだった。さすがにわたしもあの頃よりも成長している。間抜け面をさらすのは一度で十分。


「……ええ、ありがとう。蜂谷さんは、彼氏とかいるの?」


「今はいないよ。実は、振られたばかりで」


 カナちゃんが、それ言っちゃうんだ、と小さくもらした。だけど彼女は、今は、なんてつけて、わたしが見栄を張っていることを知らない。


 とは言え、実際今はいないわけで、嘘はついていない。


 わたしの不幸話に、川名さんは気を持ち直したようだった。


「そうなんだー、蜂谷さんならもっといい人見つかるよ。男なんてたくさんいるんだから。あ、誰か紹介しようか?」


 風見くんがさすがに、おい、ってたしなめる。カナちゃんは口を挟むべきか迷っている。わたしはなんでもないように、ありがとうって言えばいい。けれど、言えなかった。今は他の人なんていらない。おかしいかな、まだあの人しか浮かばない。


 ただのサングラスとマスクが、これほど愛しく思えるだなんて。


「いないよ。そんな風にだめなら他って、切り替えるのは、わたしには無理。いくらいい人でも、好きでもない人とつき合うのは、絶対に無理」



 ――と。そう言うはずだった。



 邪魔さえ入らなければ。



「どういうことだよ、有耶香あやか……」



 突然だった。見知らぬ男が、ふらふらとした足取りで人をかきわけながらわたしたちの前へと飛び出して来た。それは同級生の誰かでなどではなく、わたしたちに飲みものをくれた、あの従業員の男だった。


 その手に持っているのは、補充用の銀のフォークの束。平常時ならばなにもおかしくはない。フォークの補充だと思うはずだった。それらの柄の部分をしっかりと握りしめて、こちらに向けてさえいなければ、だけれども。


 わたしはカナちゃんと、すがりつくように抱き合った。


 男は血走った目をぎらりと光らせて、恐怖と困惑のないまぜになった顔の川名さんへ、もう一度問いかけた。


「結婚する、だって? その男と? 俺のことを、弄んだのか?」


 言葉を途切れ途切れに、はっきりと伝わるように。それがいっそう恐怖を引き立てた。


 風見くんが川名さんをかばいながらも、その眼差しには疑惑をにじませていて、それを否定するかのように彼女は怯えながら首をぶんぶんと振る。


「違う、なにを言ってるの、この人。というか……誰?」


 たぶん、一番言ってはいけないことを言ってしまった。実際そうなのだとしても。


 ストーカー。と、誰が小さく口にした。地元を離れていたわたしは、彼女がストーカーにあっていたなんて話はまるで知らなかったけれど、彼女の友人たちや風見くんにとっては周知の事実だったらしい。


 現場は騒然となった。風見くんが川名さんを背中に押しやるけれど、フォークだって、十分殺傷能力はあるだろうし、このままだと彼が怪我をするかもしれない。


 男は終始険しい顔をしていたが、ここでなぜか一転、にこやかになった。


「誰、だって? ああ、照れているんだね」


 よかった、ポジティブな変態で。助かった。


「あ……あなたなの? 隠し撮り写真を送って来たり、留守中に部屋に入って、ものを盗んで行ったりしてたのは」


「盗んだんじゃない! あんな破廉恥な下着有耶香には似合わないから焼き捨ててやったんだ! でも、君の歯ブラシは大事に取ってあるよ。――ほら」


 ポケットから取り出したのは、ジップロックに入った、ピンクの歯ブラシ。そのシュールな光景に、川名さんは真っ青な顔色で震えながら、口元を手で覆う。


 どうしよう。なんか、人ごとに思えない。


 舐めたのだろうか。やつはあの歯ブラシを、舐めたのだろうか。


 まさかこんな陰湿なことを、妄想ではなく現実でやってのける人間がいるだなんて。もはやホラーだ。


「――なんっで、わからないんだ! どうして怯えるんだ! こんなにもっ、こんなにも愛しているというのに!!」


 愛が重い。重い重い重い。


 男がわめき出して、みんな身の危険を感じて逃げ惑い、テーブルの下や柱の向こうへと身を隠す。その混乱で、グラスやお皿が落下して砕けた。わたしもカナちゃんとテーブルの下に滑り込んだものの、せっかくの新しい服は汚れ、陶器の破片が膝に傷をつけた。


 こっそりと通報している人もいるから、この状況も長くは続かないと思う。


 だけどもしあの男が、この場で立てこもりをはじめたら……?


 それはとてもおそろしいことに思えて震えた。


 こんなときにわたしが心の中で助けを求めたのは、この場において、これっぽっちも役に立ちそうもない彼のこと。


 感情を爆発させた男が川名さんと風見くんを狙ってフォークを振りかぶって踏み込んだ――そのときだった。


 入り口のドアが外から開いて、ふわりと夜の風が吹き込んで来る。


 気がそがれたのか、男はゆっくりと後ろを振り返った。みんなの視線も、入り口へと集中する。入って来てはいけない。または、助けてと。



 ――しかし。



 そこにいたのは遅れてやって来た不運な同級生などではなく、ましてや助けなどでもなく。目出し帽をかぶり、ボストンバッグを小脇に抱え、サングラスとマスクで顔を覆い隠し、闇を背負った、長身の強盗の姿であった。



 みんなの顔にはっきりと、絶望的な色が浮かんだ。






「それで、ルナちゃんの好きになった人って、どんな人?」


「どんなって……優しい人、かな。熱を出したとき看病してくれたり、お弁当を作ってくれたり……」


「ふむふむ」


「……わたしの盗撮写真を、寝室に飾ったり」


「今なんかぼそっと変なの混ざってなかった!?」


「変なのは混ざってないよ、事実だけしか」


「なおさらまずいじゃん!」


「もう盗撮されないのかと思うと……少し寂しい気もする」


「……わかった。そっか。ルナちゃんが傷心なのはもう痛いくらいにわかったから、これ以上強がらなくてもいいよ。わたしの胸で泣いていいよ」


「うん……」




 ――しばしの抱擁後。




「…………で、冗談だよね?」


「……」


 それはわたしにも、わからないことであった。




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