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たぎつ瀬の  作者: 夕月 櫻
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三十六 諦観

 御簾を半分ほど巻き上げて雨上がりの夜風を招き入れていた東の対屋に、焦りを滲ませた基冬もとふゆがやって来たのは、もうすっかり日も暮れた後のことだった。


「……母上!」


 眠る前のひとときを祖母と過ごしていたちい姫が、父の来訪の先触れを聞いて簀子すのこに駆け出そうし、はしたないとたしなめる乳母めのとの小宰相と小競り合いを演じているさなか、基冬はついぞ聞いたことのない大声で母を呼ばった。


「なぜ、東北ひがしきたの方がくだんの女などと?」


 無遠慮な足音とともに御簾の下をくぐった基冬は、腰も下ろすことなく低い声でそう問いただす。

 右大臣の北の方は、滅多にない騒々しさの中で、娘のことなど眼中にないとでもいう様子の息子をしばらく呆気に取られたように見上げていたが、やがて小さく笑いながら息をつき、まあそこにお座りなさい、と落ち着いた声でなだめた。


「何があったのです、そんなに取り乱して……そなたにしては珍しいこと」

「先ほど、東北を偶然見かけました。聞けば、昨夜やって来た女に会い、文を預かったのだとか。しかもそれを、叔父上に届けてほしいと頼まれたのだと」

「文? あの娘はそんなものを持っていたのですか?」


 わずかに驚いた様子を見せた北の方は、しかしすぐに平静を取り戻し、手にしていた器を置いた。


「なぜです? なぜ、東北の方をあの女に会わせるなど……」


 言い募る基冬の言葉を聞いているのかいないのか、北の方は傍らにいるちい姫の肩を抱いて優しく語りかけた。


「さあさ、姫はそろそろお褥に入る刻では?」


 待ち兼ねていた父のついぞ見かけぬ姿を上目遣いで黙って窺っていたちい姫は、雰囲気に呑まれたのか、素直に無言で頷いた。


「小宰相、ちい姫を頼みます」


 後ろに控える乳母めのとに声をかけ、対屋の反対側に仕切られたちい姫の寝所に連れて行くよう促した。いつもならぐずぐずとその場にとどまろうとするちい姫も、今はおとなしく立ち上がる。


「姫さま、お父君にご挨拶をなさいませ」

「……ご機嫌よろしゅう。おやすみなさい、お父さま」

「あとでお顔を見に行くからね」


 基冬が言うと、ちい姫はこくりと頷いた。

 褥に向かう二人の背を見送りながら深く吐息をついた北の方は、息子に視線を戻すとまた呆れたように言った。


「ちい姫の前で……そなたらしゅうもない。小宰相も()()おりましたよ」


 北の方がひそめた声で、含みを持たせてたしなめる。

 基冬は、今ようやく少し冷静さを取り戻したかのようにちらと二人の方に視線を向けた。わずかにこちらの様子を窺っていた小宰相が、ふっと視線を逸らすのが見えた。

 大きく息をつき、くちびるを引き結んで母の前に腰を下ろした基冬は、咳払いをしながら手にしていた蝙蝠かわほりを横に置いた。そのままこめかみに手を遣り、きつく目を閉じる。


「……申し訳ありませぬ。春恒のことも含め、どう対処するべきかとこの一日、ずっと考えておりました。そこに思わぬことを見聞きしたものですから」

「落ち着きなさい。そのように慌てる姿……この母も初めて見たやもしれませぬ」


 ふふ、と笑いを滲ませながら、北の方は背後にいる安芸あきを手招きし、ちい姫の食べ残した菓子を片付けるよう指図した。

 安芸が妻戸を出て行く姿を確かめ、脇に置かれた白湯をまたひと口含んだ北の方は、息子に向き直る。


「基冬、そなたはこの母によう似ている」


 基冬はぴくりと眉を寄せた。


「すべて、己が手で片をつけねば気が済まぬところ。違うとは言わせませんよ? ……そしてわたくしより厄介なのは、そなたがそれをいとも易々と成し遂げてしまうこと」

「……」

「この家で……いえ、もしかしたら宮中でも、何か起こればそなたが対処してきたのではありませぬか? それゆえの、主上おかみのご信頼でもあるのでしょうけれど」


 母の言葉に、基冬は黙然と耳を傾けている。


「ですから、こたびのこともそなたが頭を悩ませ、最善の策を取ろうとしているのは分かります。なれど、これはそもそも春恒の問題。ひいては、春恒の妻である東北の問題なのですよ。そなたには関係ない」


 ぴしゃりと北の方に釘を刺され、基冬はわずかに気色ばんだ。


「いや、しかし母上……」


 基冬の言葉を手で制して、北の方は続けた。


「あのような、素性も出自も分からぬ娘を東北に会わせたことをお怒りなのですか? ならば、それは問題のないこと。あの娘は───」

「そういうことではございませぬ」


 基冬もまた母の言葉を最後まで聞かずに遮り、北の方は小さく首を傾げて口を噤んだ。


「あの女が春恒とどのようなえにしを持つ者なのか、母上もお分かりのはず。その女に会わせるなど……東北のお気持ちは考えなかったのですか?」


 その言葉を聞いた北の方は、まじまじと基冬の顔を見た。それから、合点がいったとでもいうように、ふ、と声もなく笑うと、昨夜の宴の残りの珍しい唐菓子をひとつ口に放り込んだ。


「お気持ち……そなたがまさか、そのようなことを申すとは……」


 そこで北の方は、一旦思案げに言葉を止める。口を噤んだ母にじっと見つめられ、そのすべてを見透かすような視線を前に、基冬は居心地悪そうに座り直す。


「……東北の方のお気持ちを考えたからこそ、とは思われませぬか? それに宰相、そなたにはまだ知らぬことがある」


 静かにそう言った北の方は、松重まつがさねの袿の袖口の重ねを指先で整え、もう一度険しい表情の息子に向き直って、基冬、と呼びかけた。


「東北の方は……揺羅ゆら姫は確かに、この邸にいらした時はまだ何も知らぬいとけない少女でした。でも、もう十六におなりよ。あの方にもあの方のお考えがあるはず。春恒のとして」


 基冬は眉間を寄せたまま、何ごとかを考え込むかのようにまた床の一点を見つめる。


「ちい姫のことをお願いして以来、揺羅姫が聡く、年相応に歳を重ねておいでなのはそなたも充分に分かっているでしょう? ご自身で考え、ご自分の足で立とうとなさっている。それを阻んでいるのは、実はわたくしたちの方だったのかもしれない……そうは思いませぬか、基冬」

「……」

「あの方は、わたくしたちが思うているほど弱くはない。これまでの六年の年月を決して無駄にはされていない。なのに、今またわたくしたちが真実を覆い隠さば、これまでと同じ日々があの方を苦しめることにもなり得る……そう思うたのです」

「だから、あの女と対面させたと?」

「そう」


 そこまで言った北の方がふいと視線を向けた先では、大殿油おおとなぶらの灯が風に揺れ、その後ろにある几帳をふわりと照らしていた。目を細め、かすかに吐息した北の方はまた基冬に視線を戻し、語りかける。


「六年はもう充分でしょう。わたくしたちは揺羅姫を……いいえ、正直に申せば春恒を守るつもりでやってきました。でも、結果はどうだった? あの二人は、それぞれに苦しみ続けている。わたくしたちのせいで、充分過ぎるほどに」


 基冬が顔を上げ、北の方は大きく頷いた。


「わたしたちのせい……?」

「そう。結果的にはね。あの者たちが己の人生を己で選び取る機会を、他でもないわたしたちが奪ってしまったのです。わたくしはそう思うています」

「それは……」

「過ちは過ちと認めねばなりませぬ」


 基冬は素早くまばたきを繰り返し、そのまままた黙り込んだ。

 北の方はまた、大きくため息をつく。


「あの伊勢の娘を一旦、彰良あきよしの許に預けるつもりです。いつまでも曹司ぞうしに籠めておくわけにもいきませぬゆえ。文があるとは都合が良い、すぐ是親これちかに届けさせなさい」


 それを聞くや、基冬は訝しげに目を眇めた。


「なぜ、あの娘を叔父上のところに?」

「そうね。わたくしも昨夜、あの娘に会わなかったなら、それが正しきこととは思わなんだでしょう」

「母上、ですから……」


 基冬は苛立ちを隠さず、声を荒げて母を呼ばった。


「先ほどからずっと、なぜかと聞いております」

「まだ気づきませぬか? ほんに今日はそなたらしゅうない。心が惑い、目が眩んでしまわれたか?」

「そのような」


 心が惑い、とは? いったい、何に惑わされたと母は思っているのか?

 基冬の戸惑いをよそに、北の方は言葉を続ける。


「彰良はかつて藤命婦とうのみょうぶを追って伊勢に行ったことがある。そして、あの娘は伊勢から参ったのですよ」


 母の言葉選びに囚われていた基冬は、我に返ったようにはっと顔を上げた。


「……まさか」

「あの娘……合歓ねむという名を持つあの娘は、彰良の子です。確かに、よう似ている」


 普段、滅多なことでは動揺せぬ基冬も、その目を大きく見開き絶句した。


「何があったのかは存じませぬが、そういうことだそうです。もし、それがまことだとすれば、あの娘はわたくしの姪ということにもなる」


 北の方はそう言って小さく首を振り、基冬は言葉もなくその掌で口元を覆った。複雑な表情で黙りこくった基冬を見て北の方は、ああ、と思い出したように付け加える。


「もちろん、藤命婦との不義の子などではありませぬ。彼の地の娘との間にできた子です。わたくしにもこれより詳しいことは分かりませぬ。恐らくは、合歓ーと申すその娘が持っていた文に書かれてあるのでしょう」

「合歓、という名なのですか」

「ええ、そうらしいわ。皮肉な名ですこと」


 合いよろこぶ、という名を持つ娘。確かに、かつて春恒の住まう西の対で粗相をした女房が拾い集めていたのは、合歓木ねぶの枯葉のようなものであった気がする。

 基冬はぎゅっと目を瞑り、口を覆っていた掌を額にまで持っていくと、深い深い吐息を零した。

 なんということだ、と呟く基冬に、北の方もまた小さく吐息する。


「ほんに、摩訶不思議なことも起こるもの。わたくしとて昨夜一晩、悩み続けましたよ。でも、春恒とていつまでも出仕させぬわけにはいかぬでしょう?」

「……主上おかみは特に何もおっしゃってはおられませぬが、またご不興を買ったは火を見るより明らか」

「でしょうね。まずは、あの娘をここから出してしまわねば。この邸で騒ぎが起こるのはもう、見とうない」


 北の方はどこか冷ややかにそう言うと、諭すように息子を見た。


「基冬。人生には辛い決断をせねばならぬ時もあるということを、忘れてはなりませぬ」

「辛い決断?」

「心を鬼にしてでも……それで守れるものもあるということです」


 それきり北の方は口を噤み、どこか焦点の合わぬ目で大殿油の灯りを見つめ続けた。言葉の真意を探ろうとする基冬の前で、北の方自身が己の言葉をどうにか納得させようとしているかのようだった。



     *****



「雨が上がったようだ。俊行としゆき、朝霧を」


 三日ぶりに西の対屋から外に出た春恒は、どんよりとした空の下で従者に命じた。


「馬で行かれるのですか? 牛車くるまではなく?」


 俊行が問うと、春恒は答えた。


「これほど降り続いたのだ、道はどこもぬかるんでいて身動きも取れぬだろう。馬の方がいい」

「人目についてしまいますが……」

「構わぬ。急いでいるのだ、早くしろ」

「承知いたしました」


 主人あるじの苛立ちにそれ以上の意見は止め、俊行は厩舎へ急ぐ。その背を見送りながら、春恒は舌打ちをした。

 三日前の宴のさなか、身元の知れぬ怪しげな女が春恒を訪ねて高倉の邸に来たという。慌てふためいてそのことを伝えに来た俊行から、その女は馬で現れたのだと聞いた瞬間、春恒は理解した。合歓がやって来たのだ、と。

 だが、急いで席を立った春恒が門に辿り着いた時、女はすでに追い返されたあとであった。すぐにでも追いかけようとした春恒を、兄の従者である是親が西の対屋に追い詰め、そうしてそのまま呆気なく閉じ籠められてしまったのだ。

 苛々と何もできぬ三日を過ごし、先ほどようやく解放された。その間に兄や母がどのような手を打ったのかは分からぬが、とにかく己に会いにはるばる伊勢の一志いちしからやって来た、あの意志の強い合歓が、会うことも叶わぬまま諦めて伊勢に戻るとは到底思えない。まだ都にいるはずだ、捜しに行かねばならぬ。


「朝霧の準備、整いました」


 妻戸の向こうで俊行が告げ、春恒は身をやつそうともせず、紅の強い二藍ふたあいを纏って高倉を出る。


「まずは大納言さまのお邸で?」


 後ろから追う俊行にも答えず、馬を走らせた。案の定、ぬかるみに車輪を取られた牛車が立ち往生する傍らを駆け抜け、高倉からそう離れてはおらぬ万里小路までのこうじ三条の叔父の邸に向かった。

 先触れもない急のおとないに邸の年老いた女房は驚き、しばし待つようにと告げる。朝霧を俊行に任せ、案内あないも待たず邸に踏み込んだ。


「……光中将、これはいったい?」


 臥せっていたらしい彰良の声が、羅に変えた几帳の向こうから聞こえた。

 独り身ゆえの勝手気ままな暮らしは、逆に言えば不摂生な日々ともなり得る。彰良はもうすでに長く、大納言の務めもきちんと果たさぬまま、邸に籠りがちであった。


「叔父上、お身体の具合は?」


 どちらも一族の中でははぐれがちな者同士、どこか似通った二人である。春恒はどっかと几帳の前に座ると、手にした蝙蝠かわほりでその透けるとばりを不遜にかき分けた。


「そなたはまこと……」


 半ば呆れたように言いながら、彰良は褥から身を起こす。


「いったい何ごとか? 突然やって来て」


 そう言う彰良の力ない姿を、春恒は帳のはざまから黙って見返した。

 女房に助けられ、のろりと肩に直衣をかける姿に覇気はなく、二十年もの間その存在すら知らなかった娘との対面を果たしたようにはとても見えなかった。

 春恒は、胸に抱いていた期待が潰えていくのを感じながら、場を取り繕うように口を開いた。


「ここのところ、また参内しておられぬのだとか。お身体の具合はそれほどお悪いのですか?」


 春恒の白々しい言葉に、彰良はふん、と嗤った。


「そなたに言われとうはないな、光中将」

「わたしは……」

「そなたも参内しておらぬのだろう」

「なぜそれを?」


 兄上に閉じ籠められていたのですよ、とは言いたくはなかった。きゅっとくちびるを噛む。


内裏うちからの知らせが届かぬわけではない。また女房たちが騒いでいるそうだぞ。のう、式部」


 彰良は、背後にいる女房に話を振った。


「この式部の姉は、登華殿とうかでんの女房でね」

「……すべての知らせが届くというわけですか。なるほど」


 皮肉な口ぶりで頷いてみせながら、春恒はあたりの気配を窺う。

 あまりにも静かだ。孤独な叔父の邸は、いつもと変わりなくしんとした空気が流れている。


「来客などは……ないのですか?」


 春恒はそう尋ねてみたが、彰良は、側に置かれた白湯を飲みながら一笑に付した。


「誰が、わたしのような者を訪ねるというのだ? そなた以外に」


 そうして、直衣の胸元をかき合わせると小さく吐息した。


「早う参内せねばならぬ。いつまでもこのままではおれぬゆえ……」


 そこまで言うと、彰良はごほごほと咳き込んだ。春恒ははっと叔父を見て腰を上げる。彰良はそれを手で制し、また式部に手渡された白湯を含むと荒い息を吐いた。


「毎日このような感じだ。そなたに文遣いを頼んだあの頃より、もっと調子が悪い」


 春恒は答えなかった。抑え難い思いが湧き上がってきたからだ。

 あの時の文遣いがなければ、春恒は合歓と会うことはなかった。その意味では春恒は彰良に感謝しているし、そして、恨んでもいる。

 あの時のことがなければ、これまでと変わらぬ日々を送っていけたであろうに。たとえそれが春恒の意に沿う日々でなかろうとも、これから己が起こそうとしているような、要らぬ波風を立てることもなかっただろう。

 だが、それは言っても詮なきこと。今はただ合歓を捜し出さねばならぬ。を手に入れるために。


「……お休みのところを失礼いたしました。どうか、養生なさってください」

「そなた……何をしに参ったのだ? おかしなことはするでないぞ?」


 そんな彰良の声を背に、春恒は早々に叔父の邸を後にした。

 こちらにおられなかったのですか、という俊行の問いに答えることもせず、また馬を走らせる。どこだ、と幾度も胸のうちで呟いた。どこだ?


「あてどなく馬を走らせても、この広い都で見つけることなど叶いましょうか? 落ち着かれて……」


 後ろから俊行の声が飛ぶ。

 そのようなことなど、言われずとも分かっていた。それでも、春恒はひたすらに都を駆け巡る。

 八条あたりを過ぎると荒んだ光景が広がり、春恒が住まう都と同じ場所とも思えないほどだ。さすがにこのようなところにはおらぬであろうと思い直し、北へと戻ることにした。

 東の市は、ようやく雨が上がったばかりにもかかわらず人で溢れていた。この人混みでは馬を走らせるわけにもいかぬと、下りて徒歩かちで通りを行く。懐かしく見覚えのあるしびらを纏った女がそこここにいて、よもや合歓ではないかといちいちその顔を覗き込む。

 物売りの声がざわめきを煽り、人気のある店先には同じような身なりをした女たちがひしめき合っていた。めぼしい女の腕を引き、その顔を確かめては突き放す、そのようなことを繰り返しているうち、決して広くはない市の喧騒の中、やがて人々はかの有名な光中将ではと気づき始める。ざわめきに囲まれて、春恒は埒が開かぬとようやく悟った。


「帰る」


 苦々しげに吐き出して、後ろで馬を引いていた俊行から手綱を奪い取った。

 東の市から一本外れた油小路あぶらのこうじを走り抜ける。春恒の背に、俊行が慌てたように声をかけた。


「先ほど通ったのは、例の女……少納言が住まうあたりだとお分かりで───」


 その時、なにやら視線を感じた春恒が何気なくそちらを見た。そこには小さな荒屋あばらやがあり、戸のすきまからわずかに顔を覗かせた中年の女とふいに目が合った。

 まったく記憶にもないその顔がこわばり、慌てて戸を閉める。訝しげな視線を向けた春恒は、だけど六条坊門から五条に抜けた頃にはもう、その女のことなどどうでもよくなった。

 合歓はどこにいる?

 ただそのことだけを胸に、春恒は一気に二条まで駆け抜ける。よもや、その合歓が未だ高倉の邸にいるのだとは思いもせぬままに。

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