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たぎつ瀬の  作者: 夕月 櫻
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二十三 怨言

 からりと心地のよい風が吹き抜ける対屋たいのやいとけない笑い声が響く。眩い光の向こうからは途切れ途切れに拙い鳥の鳴き声も届き、前日の雨の気配はもうどこにもない。

 束の間の穏やかな時の中で、基冬もとふゆは手にした文に視線を落としつつ、膝に乗るちい姫の髪を無意識に撫でた。

 練糸ねりいとのように細くやわらかな髪が基冬の指の間からさらさらと零れるたび、ちい姫がくすぐったそうな声をあげる。楽しげにのけぞった小さな背に文がくしゃりと潰され、基冬は咄嗟に文を持つ手を上に掲げた。

 高倉邸の東の対には今、基冬とちい姫、そしてちい姫の乳母めのとの小宰相以外に誰もいない。しんと静まったやわらかな気配に響く愛し子の笑い声は、それだけでいつも張りつめている基冬の心を解きほぐすに充分だ。

 娘と二人ゆっくりと過ごすなど、いつ以来だろう。この高倉の邸で初めてなのは間違いない。いや───萩の宮が亡くなったあの大晦おおつごもりの日以来やもしれぬ。

 そんなことをぼんやりと考えていると、なにがおかしいのか、ちい姫はまた軽やかな笑い声をあげて基冬の膝からすべり落ちた。やがてしどけなく横になり膝の上に頭を置いたちい姫は、父が手にする文を下から覗き込むや、はっ、と大仰に息を吸いこみ、勢いよく跳ね起きる。


「揺羅さまからの御文? ね、そうでしょう?」


 基冬はとうとう読むことを諦めて文を横に置き、きらきらと瞳を輝かせる娘を再び膝の上に抱え上げた。幼子の匂いが基冬の鼻をくすぐる。


「どうして分かった?」


 基冬は問うた。宰相の、そのやわらかな声音を知る者は少ない。


「だって、揺羅さまのお手蹟だもの。わたし、毎日見ているもの」

「そうか」


 両の手を打ち合わせ、嬉しそうにそう答える娘を見て基冬は思った。この子はいつの間に、このように笑えるようになっていたのか、と。

 髪はわずかに長くなり、背丈も伸びた。その可愛らしいくちびるから生まれる言葉も日増しにしっかりしてきている。


「お父さま、御文にはなんて書いてあるの?」

「前に送った文の返事だよ。宴のことや───」

「姫のことも書いてある?」


 ちい姫はそう言って、父を振り返った。その、ふとした瞳の動きに亡くなった妻の面影が重なり、基冬の心は一瞬ぎくりと震える。


「さあ……どうかな」


 そう言いながら再び文を手にし、基冬は動揺を隠して娘の頭を撫でた。

 妻が世を去って四月よつきになろうとしている。心を吹き抜ける寒風のような感情は妻が存命の頃からすでに感じていたし、生まれた一人娘のぬくもりを二人で分かち合う隙もないほどに関係が冷え切っていたのも事実だ。しかし、その原因は己にもあったのではないかと、はからずもこの文の送り主に気づかされるまでは、十年ほどを連れ添った妻の心を深く考えたことすらなかった。

 基冬は再び手にした文に視線を落とすと、小さく唸った。

 東北ひがしきたに住まう弟の妻から文を受け取ったのはこれは初めてだが、それにしても美事な文だ。独特の緩急を感じさせる墨の濃淡も、なめらかな筆の運びも、そして成熟した言葉選びも。いったい、とおで生家を離れ庇護を失った日々に、ここまでの文を書くようになるにはどれほど努力してきたことだろう。

 この女人の聡明さは、ちい姫の日々の成長を見ても明らかだ。そのような人が文の中に書いた娘への賛辞は、四歳の幼子に向けたものとしては最大限のものであれば、基冬はどこか面映ゆい心地がする。果たして、今この膝に乗る小さな少女がその賛辞にふさわしいかどうかは親として判断しにくいが、東北に行くようになってからというもの、ちい姫が年相応の瞳の輝きを取り戻し見違えるほどに成長したことを考えるだけでも、娘を任せたことは間違いでなかったと言えるだろう。

 あの日、春恒の対屋で倒れ伏した彼女を抱きかかえて東北の対屋に戻った時、娘のため無造作に書き散らされた手蹟を目にして感じた直感は、やはり正しかったのだ。

 しかし、たとえいかに優れた人だからとて、それが他の誰かに想われる理由とはなり得ぬこともまた、弟との関係を見れば明白なこと。

 夫婦めおととは、えにしを結ぶとは、いったいなんであろう?

 思わずそんなことを考え、これまでそのようなことなど考えたこともなかった基冬はすぐに、なにを愚かな、と苦笑する。

 その時、立ち上がったちい姫のあこめの裾がひらりと舞い、見慣れたにびの色目が基冬の視界をかすめた。

 姫はわざとらしく足音を忍ばせ、父の背後にまわるとその背にしがみついた。

 背中にもたれかかるあたたかな重みに、基冬の身体が傾ぐ。


「ちい姫、これでは文が読めぬ」


 基冬が困ったように言い、側に控える小宰相が姫さま、とたしなめたその向こうから、笑い声とともに母である右大臣の北の方の声がした。


「あらあら」


 女房の安芸あきを従え妻戸をくぐった北の方は、さも困った風に吐息をつきながら、その実、息子と孫の姿を愛おしげに眺めながらしとねについた。ふわりと藤色の裾を直せば、黒方くろぼう*の薫りが仄かに立ちのぼる。


「ちい姫の楽しそうなお声に誘われて、殿のところから戻ってまいりましたよ」


 北の方はそう言いながら、傍らの脇息を引き寄せた。


「お祖父さまもおいでになればいいのに」


 父の背にしがみついたままちい姫が言うと、北の方は少しだけ困ったように肩をそびやかした。


「そうね、いつもあんな難しいお顔ばかりなさらずにね」


 祖母の言葉を聞いてちい姫はおかしそうに笑い、基冬は小さく咳払いをして母に視線を投げた。ちい姫は父の首にしがみつく腕に力を込める。


「これ、ちい姫、こちらに───」


 苦しげな声でそう呻いた基冬は、首元を締めつける娘の腕を掴もうとしたが、それを察したちい姫は身をよじって父の手から逃げ出し、そのまま軽やかな足どりで簀子すのこに出ていった。その背を追いかけるようにして、より深い鈍色を纏った小宰相も無言でひさしを出て行く。

 小さく息をつき、二人の様子を細めた目でしばらく追っていた基冬は、勾欄こうらんから身を乗り出すようにして庭の様子を覗き込む娘からゆっくりと文に視線を戻した。


「───なんぞ、厄介なことでも書いてありますのか? 難しい顔をして」


 しばらくして、じっと見ていたらしい母からそう問われた。


「いえ、特には」

東北ひがしきたからの文ね?」


 その言葉に、基冬は驚いたように顔を上げた。


「なぜお分かりに?」


 基冬が驚くのを見て北の方は、はっ、と半ば呆れたように声をあげた。


「ちい姫は、東北からいつもいい薫りを運んでくれるのですよ。梅花ばいか*に似た薫りなのですけど、きっと左大臣家秘伝の特別な伽羅きゃらをお使いなのでしょう、奥ゆかしく落ち着いた、どこか白梅を思い出すような薫りなのです」


 そう言われて初めて、己が手にする文からかぐわしく、どこか懐かしい薫りが漂っていることに気づく。


「ほんに、そなたらしいというか……」


 再び吐息をつき、息子に向かってそう言い放った北の方は、で? と話を戻した。基冬は母の言葉など意にも介さぬように、淡々と答える。


「文のことですか? 宴の件は承知した、と。ただ、女御さまの命日にも近いゆえ、あくまでも内々の静かなものにして欲しいとのこと」


 それを聞いて北の方は、脇息を指で一度、たん、と打った。


「わたくしたちとて、女御さまのことを忘れてお招きしたわけではない。むしろ、それだからこそ」

「ええ、そのことはすでに伝えてあります」


 そう言いながら、基冬は揺羅からの文を母に差し出した。


「読んでもよろしいの?」

「どうぞ。事務的な文への返信ですよ」


 それを聞いて、北の方はわずかに笑いながら文を受け取り、目を通す。


「相変わらず、美しい手蹟だこと」


 北の方もまた感嘆にも似た呟きを零すと、しばらく読み進めたのちにふと顔を上げた。


「左大臣どのには蛍に格別の思い入れがあるはず、と。どういうことかしら?」


 北の方は首をひねった。


「女御にまつわる思い出など、あるのやも知れません」

「機会があれば、それとなく聞いておいて頂戴」

「は」

「それにしても……」


 と北の方は読み終えた文を基冬に返しつつ、深々と脇息に身体を預けた。


「東北の方はまこと───」


 そこまで言いかけた北の方はまた、ふ、と言葉を切った。基冬が伏せていた視線を訝しげに母に向けると、北の方は口をつぐみ、己の言葉を否定するように首を振った。


「いえ。なんでもないわ。ところで、春恒が召されて参内したとか」

「ええ、帝も恐らく何ごとかを勘づいておられますゆえ。祭の勅使を仰せつかったようです」


 北の方はまた、脇息を指で叩いた。


「果たしてそれで良かったのか……あの子にとって」


 弟を憂う母の沈んだ声に基冬もしばらく黙り込んだあと、慎重に言葉を選びながら言った。


「……相変わらず、多くを語ろうとはせぬままです。伊勢でいったい何があったのか、未だ読み切れぬところもあります」


 それを聞いて、北の方は伏せていた視線を上げた。


「なにか分かったの?」

「伊勢に遣っていた是親これちかが戻り、大体の状況は見えてきています。すべてがはっきりした時にはお話ししますゆえ、もうしばらくお待ちを」


 北の方は、そう、と吐息のように呟くと、それ以上探ろうともせず、遠い視線を簀子のちい姫に向ける。やがて独り言のように呟いた。


「……小さな子にいつまでもにびはかわいそう」


 その言葉につられ、基冬も娘を見る。


「もう、三月みつきも過ぎましたよ。ちい姫には充分」

「は……しかし」


 基冬はわずかに口ごもった。


「何を躊躇ためらうことが?」


 母の問いかけに答えようと口を開いた時、簀子からお父さま! と声がして、ちい姫が再び駆け込んできた。


「お父さま、鳥が鳴いてる。すぐ近くよ、なんの鳥かな?」


 はしゃいだ様子でそう言うちい姫の袖を捉え、基冬はそこに座るよう促した。すぐ後ろに小宰相も控える。


「わたくしに教えてちょうだい。ちい姫、どのような鳴き声だった?」


 北の方が訊ねると、ちい姫は賢しげに首を傾げた。


「……ぴい、ぴい?」


 それを聞いた北の方は、袖で口許を押さえて弾けたように笑う。


「姫、それだけでは分からないわねえ。さ……少しこちらへいらっしゃい」


 そう呼ばれて素直に祖母の側へと移ったちい姫の肩を、北の方は優しく抱いた。


「姫には、この鈍のきぬは少し小さくなってしまったようね。わたくしが新しくこしらえてあげましょう」


 そう言いながらちい姫の振り分け髪を手で梳く。ちい姫はその意味が分からぬのか何も答えなかったが、代わりに小宰相がどこか焦った様子で身じろいだ。それに気づいた基冬もまた、ちらと視線を揺らしたが、北の方はそのことに気づいていたのかいないのか、なおもちい姫に語りかける。


「東北でのお勉強は楽しくて?」


 ちい姫は、満面の笑みを浮かべて頷いた。


「お祖母さま、揺羅さまは本当にたくさんのことをご存じなの。お花の名も鳥の鳴き声も、なんでもよ。それにね、それに───」


 そこまで一気に言って息が続かなくなったちい姫は、一旦肩で大きく息をした。その愛らしい様子に、北の方だけでなく居合わせた女房たちからも笑い声が洩れる。ただ一人、小宰相だけはわずかにうつむき、くちびるをかたく引き結んだ。


「とても綺麗な和歌集をお持ちなの。それをいつも見せてくださるの」

「どんな風に綺麗なのかしら? わたくしも見てみたいものね」

「あのね、主上おかみがたくさん絵を描かれているのよ」


 ちい姫がそう言った瞬間、対屋の空気が変わった。


「主上の?」


 北の方がわずかに眉を寄せて問い返す。


「そう、元々は揺羅さまのお姉さまのものだったのですって」


 それを聞いた北の方は、ああ、と微笑みを取り戻して頷いた。


「東北の御方の姉君は、藤壺女御でしたものね」

「そう、女御さまの歌集だったと揺羅さまがおっしゃってた」

「ならば、東北に主上の絵があっても不思議ではないわ」


 北の方はちい姫にそう言って口許に笑みを浮かべつつ、そっと息子の方へ視線を向けた。基冬は、顔色ひとつ変えず手にした文を文箱に収めていた。

 その時、少し離れたところにいた小宰相がどこか逡巡するように口を開いた。


「……まことに僭越ながら、御方さま」


 そう言うと、おもむろにひれ伏す。


「わたしからいくつか、東北の御方さまのことでお伝えしたきことがございます」


 北の方はあからさまに警戒を滲ませた瞳を小宰相に向けた。


「なにかしら?」

「東北の御方さまは、日々ちい姫君さまの為によくしてくださっております。ただ───」

「安芸」


 そのただならぬ気配を察し、北の方は手を挙げて小宰相の言葉を遮り、腹心の女房を呼んだ。


「はい、なんでございましょう?」

「ちい姫を連れて、向こうへ」

「畏まりました」


 安芸は特に何を問うこともなく、さああちらへ参りましょう、とちい姫を促した。

 やがて二人がひさしから簀子へと出ると、北の方は改めて小宰相に向き直る。基冬はなおも黙ったままだ。


「ただ、なにか?」


 北の方の声は先ほどよりも低く、かたく響く。小宰相はより深く頭を下げた。


「はい、東北の御方さまが秀でたお方であられるのは、わたしにもよう分かります。姫君が東北にお通いになられて一月ひとつきほどですが、すでにかなを習得されました」

「ちい姫は利発な子です、当然でしょう」


 北の方はそう頷く。小宰相は勢いづいて続けた。


「とは言え、東北にいる時間の大半を遊びに使うておいでです。そこがわたしには解せませぬ」

「遊び?」

「書に向かっておられる時間はほんのわずかです。あとはしょっちゅうお庭に出られて、そのたびにきぬを汚しておられる。花を摘んでは色水を作ってお手を汚される。挙句、虫のような不浄なものまでその手に載せ、お見せ遊ばされるのです」

「虫を手に?」


 北の方は頓狂な声をあげて驚いて見せたあと、さも楽しげに笑った。


「そりゃあ、これほど広い邸と庭ですもの、虫もたくさんおりましょうしね」

「姫君さまに必要なことだとは思えませぬ」

「それは……」


 北の方は笑いを収めて一旦、言葉を呑み込んだ。小宰相にじっと探るような視線を置いたままの基冬は、やはり一言も発しようとはしない。

 小宰相は二人の沈黙に力を得たのか、意を決したようにつと顔を上げ、とどめを刺すかのごとく吐き捨てるように言った。


「なぜ、あのようなお方にちい姫君を任せておいでなのか、到底納得がいきませぬ。どうか、今すぐにでも他の方をお捜しくださいませ」


 小宰相の目には、どこか勝ち誇ったような色を帯びた力がみなぎっていた。しかし、その口から出た言葉は、仕える立場の者が発することを許されるものではない。揺羅を軽んじていることは明白だった。

 黙りこんだままの基冬の眉が寄り、瞳の色が険しくなる。北の方は、小宰相の剣幕に少しばかり驚いたようだったが、やがて鷹揚に頷いて言った。


「そなたの言い分はよう分かりました。わたくしどもも、今一度考えてみましょう」


 北の方がその言葉を言い終えるかどうかの時だった。にわかに簀子のあたりが騒がしくなり、北の方を始め、基冬や小宰相が一斉にそちらを見た。

 簀子にいる女房たちが一様に勾欄の向こうを覗き込み、しきりにちい姫さま、姫君さまと呼びかけている。どうやらまた、ちい姫が庭に降り立ってしまったようだった。

 小宰相はそれ見たことかと言わんばかりに、北の方と基冬を交互に見る。基冬もさすがに立ち上がると、様子を見に簀子へと向かった。


「北の方さま、もうひとつ申し上げてもよろしゅうございましょうか?」

「なに?」

「萩の宮さまが亡くなられて、未だ半年も経っておりませぬ。ちい姫君にとってはなにものにも変えがたい母君さまでございましたのに、このような時に宴など、あまりにも宮さまをないがしろにしたなさりよう───」

「お黙りなさい!」


 さすがの北の方も声を荒げて小宰相を遮った。小宰相はくちびるを噛み、視線を落とす。

 北の方は、絞り出すように言った。


「そなたが口を挟むことではない。立場をわきまえなさい」


 小宰相は不遜な態度で申し訳ございませぬと呟き、のろのろと頭を下げる。その時、ちい姫が北の方の許へと駆け込んできた。


「お祖母さま、お祖母さま!」


 北の方は心を落ち着かせるために一度深く息をしてから、姫の方を見た。


「どうしたの?」

「お祖母さま、雛鳥が……!」


 そういうちい姫の裾はやはり泥で汚れ、そうしてその小さな手には、震える雛鳥が一羽、載せられていた。

 小宰相が嫌そうに顔をしかめ、またそのように不潔な、と呟く。


「飛べないみたいなの。怪我でもしているのかしら? お母さまもいないの」


 心底困ったように言うちい姫に、北の方が尋ねる。


「お母さま?」

「この子のお母さまよ。さっきから鳴いていたのはこの子だったのよ。かわいそうに、お母さまがいないだなんて」


 ちい姫はそう言うと、大事そうに手の中の雛を撫でる。

 堪りかねたように、小宰相が言った。


「姫さま、きっとどこかに親鳥がおりますよ。離してしまってはかわいそうです、元いた場所に───」

「駄目! あたりを見回してみたもの。朝からずっと鳴いているのを、小宰相も聞いていたでしょう? このままでは死んでしまう」


 最後は泣きそうになりながら、ちい姫は戻ってきた基冬にも訴えた。


「ね、お父さま、この子が元気になるまででいいの。このまま放っておけない」


 基冬は、ちい姫の手を開いて見てみた。どうやら山雀やまがらの雛のようだった。時々翼をばたつかせるが、未だ飛ぶことはできないほどに幼いようだ。


「元気になるまで、しっかり面倒を見てやれるかな? 途中で飽きてしまっては、この子は生きられぬのだよ?」

「見る! 大切にする! だからいい?」


 しばし考えるような仕草をしたのち、いいよ、と基冬が頷くと、ちい姫はぴょんと飛び跳ねた。


「本当? 本当に? ありがとう、お父さま!」

「でもちい姫、どうやって育ててやるつもりなの?」


 北の方がそう問えば、ちい姫は嬉しそうに満面の笑みで自慢げに言った。


「揺羅さまなら、どうしたらいいかきっとご存じよ」

 

 基冬は近くにいた女房に籠を持ってくるよう指図をした。

 小宰相は、なにもかもが納得いかぬといわんばかりの表情でちい姫の手許を睨みつける。もはや、その心のうちは誰の目にも明らかだった。


「ねえ、今すぐ揺羅さまのところに行きましょう。お父さまも、お祖母さまも。ね?」


 屈託のない無邪気なちい姫の声が、東の対に響いた。

黒方

梅花、荷葉かよう、菊花、落葉らくよう、侍従、黒方を六種むくさ薫物たきものと呼びます。黒方は冬の薫りですが、四季を通じて使われる薫りでもあります。


梅花

六種の薫物のうち、春の香り。

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