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何故聞かなかったのか、と落ち込んでいたところで先ほどの給仕が部屋を訪ねてきた。
特に呼ばなければ来なくていい、と初日に言ったのでメイドが来たのは1週間ぶりである。
来なくていいと言う前に城の設備を一通り聞いておけばよかったと思ったのは後の祭りでした。呼び鈴などはないので、こちらから尋ねなければいけないのだが、見る人見る人忙しそうで引きとめることが出来なかったのである……。
「奥様、旦那様より明日から夜は御一緒出来そうだとの御伝言をお伝えに参りました」
「あら」
食事の事を考えていたところでその申し出はありがたく、私は一つ頷く。
「わかりましたとお伝えください」
「はい」
そのまま下がるかと思いきや、彼女は何か言いたげにそこにとどまっている。
目線の先にあるのは手慰みにしていた刺繍の付いたハンカチだ。
何かあっただろうか。
「その、奥様。何かお困りな事はございませんか?」
「……」
「何かありましたら伝えて欲しいと主人に命じられております。ご遠慮なくお申しで下さいませ」
逡巡したのに気づいたのか、どうぞと先を促される。
どうしても聞きたい事と言えば、一つある。
「その……」
「はい?」
「朝食はどちらで頂いたらいいのかしら……」
「は?」
何を言われたのかわからない、という反応の給仕に困る。
慌てたように頭を下げる彼女に首を振って、先を続ける。
「昼食は食堂に行っていたのだけれど……朝と夜は人が多かったから…」
「今まではどうしていらしたのですか?」
「………」
困り果て、無言になると察してくれたらしい。
今度は音が出そうになるくらい頭をさげられてしまった。
「大変申し訳ありません、こちらの落ち度でございます。朝食も昼食も、先ほどの部屋にご用意しておきますので、お好きなお時間にいらしていただければご用意いたします。お時間が決まっているようならこちらの部屋に運ぶことも出来ますがいかがいたしますか?」
「あ、いいえ、篭っていても仕方ないからこちらから行くわ。時刻はそうね、朝は7時、昼は12時かしら」
「かしこまりました」
いつも食べていた時間を伝えると、特に問題なかったらしくすんなりと了承をもらえた。
そして再度刺繍されたハンカチを見て思いつく。
「後はそうね、家紋の分かるものと、ハンカチと糸を用意して頂けるかしら」
「はい。かしこまりました」
どうやら及第点だったらしく、給仕の様子が目に見えて柔らかくなった。
貴族のたしなみとして、ハンカチにその家の紋章を縫い付けて贈る習慣がある。
私はすでに婚約を飛ばして結婚しているため、本来婚約中にやるべき事の一つではあるが今からやってもおかしくはないし、実際それを気にしていたのだろうと思う。
刺繍は見ての通り得意だ。彼らも安心して用意出来ることだろう。
それでは失礼します、と告げたメイドを見送り私は読書を再開することにした。
☆
それからというもの、人は若干変わるものの定期的にメイドが部屋に世話をしに来るようになった。
どうやら初日に身の回りの事は一人で出来る、という言葉が変な方向に捉えられていたらしく、しばらくすると女性陣の雰囲気も柔らかくなり、一緒にお茶をしたりと和やかに過ごせるようになった。
「本当にお綺麗ですわ」
そして今日は、ささやかではあるが大討伐前のちょっとしたパーティが催されていた。
明日命が散るかもしれない、それ故に奮い立たせるため――とでも言えばいいのか、大討伐前、大討伐後には必ず開催されるのだと言う。
顔を出すわけにはいかないが、すでに妻として婚姻が済んでいるため当然のことながら私も出席義務がある。
最後にヴェールをかぶると、身の回りの女性たちが一様に残念な溜息をついた。
「とてもお美しいのに出さないなんて…勿体ない…」
「でも、リーレン様の美しさは逆に目に毒なんじゃないかしら」
「それもそうね。…はぁ…でも勿体ないわ…」
そんな身勝手な事を囀る侍女たちに苦笑しつつ、私はフェイクス様の訪れを待った。
会場までのエスコート、無礼講になる前には退席、と一通りの打ち合わせは昼間の内に教えられている。
特に話す場面もないし、横にいるだけであれば特に問題はないだろう。
程なくしてやってきたフェイクス様は、私の正装を見てびっくりされていた。
「このようなドレスを見るのは、母以来だな」
「そうなのですか?」
「ああ。戦前だからあまり着飾る事はないんだよ。勿論、領主の妻ともなれば別で逆にこの人を守るために、と思わせるために着飾るのだと母に聞いたことはある。しかし、私の妻は今までいなかったので着飾っていたのは私だけさ」
「似合いませんか?」
昔からよくきていたドレスと同じで豪奢なものは、存外慣れてしまっていたのかしっくりきた。
くるりと軽快に回れば、フェイクス様が目を細めて笑って下さる。
「いや、良く似合っている」
「ヴェールをしていますのにわかりますの?」
「ヴェール越しでも十分わかるさ。だがまあ……それを外すのは、夜の楽しみにしておこう」
きゃあ、と侍女たちが騒いだので一瞬反応が遅れてしまい、私はヴェールの中で目を瞬かせた。
夜?
……夜?
「では、行こうか」
固まった私の腕を取り、彼は会場に向けて歩きだした。
パーティ自体はフェイクス様が音頭を取り、和やかに進んだ。
後半は無礼講になるという事で、主催側である私とフェイクス様は護衛の観点もあるのか2段ほど上に作られた壇上で動いている。
一段下が貴族階級。
2段下が平民を含む、大会場となっていた。
当然ながら外であるが、そのまま道を進んでいけば街の中心で民全員が楽しんでいるのだろう。遠くから響く楽の音は、優しく広がりつつあった。
「リーレン」
「はい?」
挨拶も一通り終わり、ゆったりとグラスを傾けたところでフェイクス様が喋りかけてきた。
「私は、この街が好きだ」
「ええ。とてもいいところですね」
王都の、それも王城の一角が世界の中心だった私は、このように和やかに進むパーティには出席した事がない。
視察として小さな村をめぐった事はあるけれど、平民の顔が分かるほどに近づいた事すらないのだ。
だからこの辺境の、皆が一丸となるようなパーティを初めてみて心が少しだけ浮き立つのを感じていた。
「私は、この街を――引いてはこの国を、守りたい」
「はい」
笛の音が遠くに聞こえる。
そっと彼の方を振り返れば、彼は思ったよりも真剣な顔をしていた。
「君は、君が私と婚姻を結ぶに至った経緯を、誰かから聞いているか?」
「……一応、私が魔術を使えるからというお話は聞いておりますが…」
「そうだ。女性の魔術師は、子供に必ず魔力が受け継がれる。それゆえ、君は陛下から私を勧められたわけだ」
その内容は、話を聞いた時から推測していたことではあった。
何故今ここでいうのだろう? と首を傾げれば、彼は私から目線をそらした。
「ここ10数年魔術師が不在だった辺境では魔術師を一人でもいいから欲しいと――ずっと中央に要望してきた」
「はい」
「勿論、王としても辺境の事は心を痛めておられたのだと思う。しかし、年々減り続ける魔術師の数を、こちらに派遣する事も無理である事は俺も知っていた。――だから、このような形になるとは俺も想定外だったんだ」
俺、と一人称が変わったフェイクス様は、何か酷く後悔をしているようだった。
ぎゅ、と握りしめた拳が震えている。
「……貴女が攻撃魔法を使えない事は、聞いている」
「あ」
それはリーレンであって、私ではない。
私はリーレンより攻撃魔法も使えるし、刺繍によって魔力を込める事も出来る。
そう、告げようと思うが口が開かない。
それくらい、フェイクス様は何かを堪えるように虚空を睨みつけていた。
「――そんな、優しい貴方を犠牲にする俺を許して欲しい」
「!」
「もっと力があれば、そんな言葉を今更取り繕っても何の役にも立たない。魔術師を切望するが故に、誰もが貴女に子供を望むだろう。そして、その力を一番望んでいるのも俺である事は、事実でしかない」
握りしめた拳から、赤いモノが垂れる。
私は咄嗟にその拳を上から包み込んだ。
「!」
「傷をつけてはいけません。大事な、この国を守る手なのですから」
自分でつけたであろう傷ならば、それほど力を使う物ではない。
そっと治癒力向上をかけると、拳がうっすらと光る。
私はそのまま彼の手を開くと、その掌の上に手を重ね合わせた。
「犠牲などと思わなければいいのです」
「何を……?」
「少なくとも、貴方は『私を望んで』下さるのでしょう?」
例え力の、魔力のある血筋というモノであっても。
貴方が私を望み、私を欲しいと思う想いに偽りはない。
そこにあるのは、『私を望む心』。それだけだ。
「……ああ。勿論だ」
「ならば構いません。私の子供が魔力を持ち得るだろう事は事実ですから、魔力は付属品だと思えばいいのです」
「は……?」
「フェイクス様は、私がお嫌いですか?」
見上げれば、私のドレス姿を見た時よりももっと吃驚したような顔。
「き、嫌いなどと―――そんな事は、ない。貴女は美しいし、侍女たちにもよくしてくれるし、城での評判も今は良い、し――」
「貴方は? お嫌いですか?」
「嫌い、ではない」
「それなら良いです」
口元が、ゆっくり上がるのが分かる。
この人は少なくとも私を見ていてくれる。
姉と重ね合わせるのでもなく、王女という立場で見ているのでもなく、ただ魔力があるだけの女とさげすむのでもなく。
自分の願いに振り回されたと、すでに妻になった女に対して後悔するくらい優しい人。
「私は、貴方で良かったと思います」
「リーレン…?」
「良ければ、"リー"とお呼びください」
「リー、君は……?」
戸惑うのは私の表情が見えないからだろうか。
困惑したように私を見る彼に、私は再度口元が笑むのをこらえきれなかった。
「――そろそろ、お部屋に参りませんか?」
「ああ…」
ゆっくり手を取られたまま立ち上がる。
私の心は既に―――決まっていた。