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「ここが辺境コクロ……」
馬車の旅は存外快適でした。
王家の馬車でなくても、辺境伯が護衛と馬車を手配してくれたらしく、道中の危険もまるでなし。
逃げないように、という心遣いが感じられるのは気のせいだと思おう。
「思ったより良い処だわ」
ひっそりと馬車の窓からのぞきながら、私はそう呟く。
辺境の上戦場となれば、どれだけ恐ろしいところだろうと想像していたのだけれど良い意味で裏切られた気分だ。
砦などは堅牢で、街並みも古い建物と新しい建物が混在しているが存外陽気のある町だったのだ。
特に拠点となるであろう城は遠目にもがっしりしており、荘厳さをうかがわせる。
「リーレン様、もう少しで城でございます」
「わかったわ」
馬車の外からの護衛の声に、一言返事する。
ここは辺境の街コクロ。リーレンの結婚相手、フェイクス・ローラン様のいる城を私は目指している。
そう。
私はリーレン・サデラ子爵令嬢として彼の元へ代わりに嫁ぐつもりなのだ。
私が逃げる先として、まず考えなければいけないのは相手の身分だった。
下手な身分の者に手を出せば、一族郎党闇に葬られた上なかった事にされかねない。
まず処罰されない身分の人、それが私の第一条件だった。
コクロ辺境伯であればこの条件は余裕で満たしているのだ。
フェイクス様と言えば、この国にとってなくてはならない人。
25歳の時に家業を継いでから、10年もの間犠牲者を殆ど出さずに辺境を守り続けている伝説レベルの英雄なのだ。
当然のことながら、「姉上の」降嫁先としても名の上がっていた相手であるため、一方的に処罰されるとは考えづらい。
何よりいれかわりがバレた際でも、私自身が嫁いだことになったとしても名目が立つ相手であるのが一番だ。すんなり名前だけ変えて最初から嫁がせる予定でしたと誤魔化せる相手と言うのは早々いない。
顔は美形とは言わないまでも、不細工とも聞いた事はない。
何度も結婚の打診があったものの、辺境を守るのにかかりきりで婚期を遅らせていただけだと聞く。
そして結婚相手に魔術師を選ぶとなれば、最早状況は分かり切っている。
「役に立てばいいんだわ」
相手が求めているのは恋愛の相手ではなく、戦力。
つまり割り切った関係でいられる可能性が高いのだ。恋愛関係に発展できれば言う事はないが、そこまで贅沢は言わない。
陛下が姉上をしっかり捕まえるまで、逃げ切る事が出来ればいい。
実戦経験のまるでない私であるが、攻撃魔法に限ってはリーレンと状況はほぼ同じだ。
むしろ虫1匹殺せないリーレンより、自分を守るためであれば人間相手でも魔法を使うのを躊躇わない私の方が向いているのではないかとすら思う。
不安要素は多いし、下手をすればすぐに見つかってしまうような策だ。愚策である事は百も承知。
それでも私は、夢をみたい。
この無謀とも言える脱走劇で、絶望的な現状を変えられるのではないかと。
――陛下と結婚する事に、幸せになれる未来など見えはしないのだから。
☆
「ようこそ、リーレン」
昼過ぎにたどり着いた城で、通されたのは応接間だった。
執務室でないのは、まあ令嬢をいきなり通す場所でないと判断されたのだろう。
私は貴族の女性らしくヴェールをかぶり、殆ど顔が見えない状態にしてあるが隙間から相手の顔は見える。
そこにいたのは、19歳年上とは思えないほど若い人だった。
鍛え上げられた身体が、近衛騎士の誰よりも強い事を示している。
そして顔は、と言えば……。
(お、思ったより……格好いいとか……)
どちらかと言えば嬉しい誤算ではあるが、顔が赤くなるのを止められそうにない。
陛下が結婚相手となるくらいだから、私は割と年上の方に惹かれてしまう傾向がある、と思う。
その点フェイクス様は言うなれば、好みど真ん中。
今は少しきつめの目線ではあるが、会った事もない令嬢を品定めする立場を思えば当然だと思われるので怖くもない。
「お迎え頂き、ありがとうございます」
礼儀知らずにならない程度に頭を下げ、貴族の礼を取る。
うっかりと王女としての礼儀が出ないかだけが不安要素。
子爵令嬢から見れば辺境伯は当然身分が上のため、多少大げさにしてもいいくらいの筈だけれど、あまり下の身分の礼は習っていないのだ。
リーレンが良くしていた礼を真似ると、及第点だったのか少し彼の雰囲気が和らいだ。
「いや、こちらこそ私が迎えに行けなくて申し訳なかった。今は大討伐の時期だから、ここから離れるわけにはいかなくてね」
「大討伐……でございますか?」
言葉として知ってはいるが、実際どのような事をしているかは一切知らない。
街へ魔物が下りてこないように、常に間引いている辺境コクロ。
そのコクロは3年に1回ほど、大討伐と呼ばれる大規模な戦闘を行うのだ。
その時ばかりは傭兵等も大量に呼び、ひたすら魔物を倒すと聞く。
要するにとても大事な時期なのだろう。
「御存じないか?」
「あ、いえ、大討伐自体は存じております」
「そうか。丁度、来月に行う予定でいるんだ」
「御準備で忙しかったのですね」
いつ頃行っているのかは王城にはあまり情報として降りてこない。
さすがに陛下は知っているのだろうが、王都から辺境までは馬車で15日程とかなり遠い(早駆けの馬ならその半分かもしれないが)ので、私も正確な時期は知らずいつの間にか終わっているのが大半だった。
貴族の令嬢であれば、言葉自体を知らない人も多いのではないだろうか。
「それでだな……その、大変、申し訳ないのだが…」
「?」
一人ふむふむと頷いていると、何故かフェイクス様は言いづらそうに言葉を濁している。
首を傾げて先を促すと、彼はもう一度申し訳ないのだが、と続けた。
「大討伐が終わるまで、結婚式は――待ってもらえないだろうか」
「……ああ」
確かにそれは無理、であろう。
傭兵が満載に城に詰めかけて、戦争の準備をしているのに結婚式。
うん、無理。
ちなみに婚姻自体は既に陛下の承認を受け、結婚は成立してしまっているそうだ。
婚姻式自体は彼が欠席しており、リーレン本人がやっているためばれる事はない。
問題は、リーレンや私の顔を辺境伯が知っているかどうかなのだが……。
「私はそれで構いません」
「すまない、その変わり大討伐が終わった後には行うし、婚姻の準備自体はずっと進めていたので安心して待っていて欲しい」
「ずっと進めていた?」
単語が気になり聞き返すと、フェイクス様は何故か苦笑した。
あ、まずい。
何かすごく……少年のような笑い顔にきゅんときた。
「結婚自体は30を過ぎた頃からずっと言われていたのでね……後はドレスのサイズ合わせや、既に用意してある令状に名前を入れて送ったりとか、その程度の準備が残っているくらいだ。大討伐が終われば私も時間が取れるし、急ぐ事でもない。ゆっくり準備を進めて行きたいと思う」
「わかりましたわ」
頷くと、彼がそっと近づいてきて私の手を取った。
思わずぴくりと反応する手の甲に、彼はゆっくりと唇を近付ける。
親愛を示すその仕草に、一気に頬が赤く染まって倒れそうになる――いやだ、なんで私この人の行動に一々反応してるのだろう。
「貴女にとっても急な話だっただろう?」
「え、ええ……そう、です」
「急ぐ必要はない。何か気になる事があれば言ってもらって構わないし、私も言えるように努力しよう。――これからよろしく頼む、リーレン」
「は、い」
名前を呼ばれた事に、胸に痛みが走る。
私はリーレン。リーレン・サデラ。
今日から私は――違う私に、なる。