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水よし、服よし、食糧よし。
出来れば出したくなかった「最終手段」であったのだけれど、贅沢は言っていられないと私は決断した。
このままでは王国をあげて私と王の婚姻は祝福されるだろうし――逃げ場は、確実になくなる。
そして姉上様は降嫁と言えば聞こえはいいものの、きっとどこか遠くへと嫁がされることになるのだ。
どう考えてもそれは阻止しなければならない。
何を行き違ったのか知らないが、ハッキリ言って王の執着を知っている私は断言する。
どう考えてもこのまま話を進めれば国か公爵家が滅ぶ。
公爵家が滅ぶだけで済めばいいが、下手をすると公爵家どころか婚姻を進めた貴族の一族郎党すべてどうにかなる可能性がある。
寝た子を起こすのは絶対良くない。
だから、これは人助けである。
決して王と結婚するのが怖いから、という単純な理由ではないのだ。
怖いけれど、立ち向かわなければ私に明日はない。
今が――決断の時。
私はどうすればいいのか。
要は、簡単。
諸悪の根源である私が、いなくなれば(・・・・・・)いいのではないだろうか。
王女である事がまずいと思われるくらいの醜聞があれば、国王はきっと私を娶るなんて事にはならない。
そうすればさすがに姉を娶ってくれる筈だ。元々望んでいるのは姉の方だし、私がいなければ相手は姉しかおらず、反対するふりをしている者も喜んで妥協せざるを得ない。
私としても王に嫁ぐ事によって発生するだろう国の滅亡への一歩を感じなくても済む。
―――どちらにとっても、これが一番の幸せ。
少なくとも絶対にこちらを愛してくれないであろう相手に嫁ぐ事がなくなるだけ私が幸せである。
だから逃げる。
これが私の決めた最終手段であった。
けれど、知識は豊富にある自信はあるもののこの王都から殆ど出た事のない私が逃げ切れるだろうか。
一応は隣国までの手段として、そこかしこで手配はしてあるし、別荘などへ渡り歩くのが好きと称して物価などや情勢、地主の実態など脳内には叩きこんである。
隣国はこの国と同盟国で貿易も盛んだし、道中にも殆ど危険はない。宝石や、金品に変えられるモノを幼い頃からコツコツと貯め込んでいた私であればなんとかする事は出来る――筈だ。
問題は……。
「男がいないって事なのよね……」
駆け落ちであれば、確実に楽なのにその相手がいない。
この国の貴族は基本王へ忠誠を誓っているため、気がいのありそうな貴族やら私の眼鏡にかなった人間は軒並み奥様がいたり、婚約者がいたり、王がいるからと近づいてきてくれなかったりして結局駆け落ち相手を確保出来なかったのである。
女の一人旅ほど、危険なものはないだろう。いくら私が魔術を使えると言っても、限度と言うものがある。
「「困ったわ……」」
あれ?
何かハモってしまった事に気付き、後ろを振り返ると私の教師であるリーレン子爵令嬢がそこにいた。
「リーレン? 今日は早かったのですわね。どうかなさいまして?」
「あ……」
この子爵令嬢は、私の魔術の先生である。
魔力を持った人間が少ないこの国では、魔力を持つと言うだけで一種のステータスとなりとても大切に扱われている。
王族である私はさすがにその恩恵を受けており、多大な魔力を有しているので実のところ身を守るのは自分で出来たりするのであるが……。
そんな私の師匠であるリーレンが、溜息をついているのは非常に珍しく私は首を傾げた。
「どなたかに非道いことでも言われまして?」
「ああいいえ、もうすぐ王女の元へこれなくなることを伝えに参りましたのです……」
「来れない?」
他国の魔術学校を首席で卒業した彼女は、当然のことながら王城で高い評価を受けて働いている。
王城にいるのであれば、当然私の元へ通う事は難しくない筈で……もしやもう婚礼の事を聞いたのか、と身震いした私に落とされたのは一種の天啓とも言える言葉だった。
「わたくし結婚が決まりまして」
「結婚?」
王城へこれなくなるほどの遠くへ、結婚?
ありえない話に口をあんぐりあけると、リーレンは自嘲するように笑みを漏らした。
「そんなに意外ですか?」
「だって貴女、王城で働いているのはその魔術の腕故でしょう……? 婚礼で地方へなど、許される筈がないではありませんか」
「それが許される相手なのですよ。――相手は、コクロ辺境伯なのです」
「――コクロ!?」
同盟国である隣国とは反対に位置する、辺境コクロ。
その国境には魔物のはびこる広大な森が位置しており、常に戦いが起こっているそんな場所だ。
国家間の戦いでは魔術師が活躍するが、魔物相手には魔術師を配置出来るほどの国力はこの国にはない。
それゆえ、辺境へ派遣される魔術師が渇望されていたのは知っていたけれど……。
「戦力として、ですか」
「辺境の魔物が強くなり、なり振りが構っていられないのでしょうね。私は女性と言う事もあり、王城ではそれほど高い地位にいるわけでもありません。身分も辺境伯に嫁げるほどではない筈ですが、相手が切望しているとのお申し出も有り、国境の厳しい状況に心を痛めていた陛下に勧められました」
「なんてこと……」
陛下に勧められたと言う事は断れないと言う事だ。
だが、確か彼女は攻撃魔法は使えても魔物と戦うほどの気概はない筈である。
どう考えても選択ミスだ。一体陛下はどうしたと言うのだろうか。
「――大丈夫なの?」
「……わたくし…」
彼女が地位をのぼりつめなかった理由は、魔物と対峙出来ないからという理由もあるのだ。
最悪血筋に魔術師が出ればいい、という見解なのだろうが魔術師が来たと言う事に辺境の人間が期待を寄せるであろう事は想像に難くない。
真っ青になり震える彼女を私は抱きしめた。
「逃げないの?」
「逃げるなんて…そんな事をしたら、家がつぶれてしまいますわ……」
気弱に微笑む彼女の苦悩は、それだけではないように見えて首を傾げる。
「まるで逃げ切れるような言い方ね?」
「あ……」
彼女がうつむくその姿に、私は一つの理由が思い浮かんだ。
確か彼女には恋人がいるのだ。
逃げるとしたらその相手とで、恐らく彼ならいっしょに逃げ切れるのであろう。
「……駆け落ち、するの?」
「っ!」
びくり、と震える様子に私は一つ頷く。
彼女の恋人は、確か同じ子爵位の次男坊で、近衛の中でもかなり有望株だった筈だ。
自分で駆け落ち相手として物色したので良く知っている。彼はリーレン一筋だったので諦めたが、腕も確かだ。
「逃げようとは……言われております」
「成程ね」
「ですが、実際逃げたと知ったら……陛下は容赦なされないのではないかと思いまして……」
踏み切れない、と言う事らしい。
それで困っていたのか……ん? あれ?
「―――――ねぇ、リーレン」
「はい?」
「いい事を思い付いたのだけど、聞いて下さる?」
私は天啓とも言うべきその思いつきを実現するべく。
にっこりと――彼女へ、取引を持ちかけたのであった。