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退避準備は確実にお願いします。
部屋の中には静寂が満ちていた。
人払いをしたままの室内は、誰かを呼ばない限りは邪魔されることはない。
口を開けては閉じ、戸惑ったようにする夫に逡巡したのは少しの間だけ。
私は意を決すると、姿勢をただしたうえで頭を下げた。
「!? リー……、あ、いや、なんて呼べばいいんだ……?」
「リーで結構ですわ。私の愛称ですの」
「だが……貴方は、王族なのだろう?」
頭を上げて見えたのは、ひたすらに困った顔。
私はとりあえず謝罪が先だろうと口を開いた。
「それは置いておいてください」
「いや、その」
「大事なのはそこではないと思うのです。……今まで黙っていて、申し訳ありませんでした」
本来なら騙した、というべきところなのだろうけれど、彼自身を受け入れたのは自分であると私は思っている。
むしろ彼との結婚を望んだのは自分自身。
そう私は知っているからこそ、ただごめんなさいと頭を下げる。
「……」
「フェイクス様?」
「それは……何を黙っていたことの、謝罪?」
「? 私がリーレンでないことを黙っていたことです、けれど……」
何に引っかかったのか、フェイクス様は難しい顔をしていた。
「……何故、王族だと本当のことを話してくれなかったんだ?」
「それは……先ほども言いましたけれど、事情を知ったうえで白い結婚でなかったと陛下に知られた場合、貴方に責任がかかる可能性があったから、です、が」
「それはきいた。でも、俺たちはすぐ成婚に至ったわけではなく、いつだって本当のことを言うことは出来た、だろう?」
「……」
言ってしまえば、どうなるか。
それが私にはわからなかったから、というのは容易い。
だけど、私が言わなかった理由はきっと違う。
「……言って、どうなりますの?」
「!?」
「私は王族で、国王の現婚約者で、利用される前に逃げてきました。――そう私が言ったら、貴方はきっと送りかえされたでしょう?」
「それは……」
私は彼の国王への忠誠を疑っていないのだ。
逃げてきた理由を告げたところで、国王の意思に沿わない理由など辺境にはない。
むしろ国王陛下にも事情があるだろう、と送り返されるのは目に見えていた。
ましてや国王が私を大事にするはずないから――と言ったところで、何になるだろう。
政略結婚に妻の気持ちなど、何の役に立つだろう。
「だが、……逃げるためだけなら、私の妻になる必要は、なかったはずだ、ろう?」
「そうですわね」
逃げるためだけなら、事情を話さなくてもしばらく静観してくれ――そういうだけで、きっと彼は察してくれたと思う。
むしろこの結婚を成立させるためにすべてをさらけ出してくれたのは彼の方だった。
辺境の事情に巻き込んで済まない――そう、言い、私に許しを乞うてくれたあの日を、私は忘れない。
「ならば、何故――」
「私がそう望んだからですわ」
『――そんな、優しい貴方を犠牲にする俺を許して欲しい』
貴方はそう言って、私に決断させたのだ。
貴方の傍に、生きることが出来るかもしれない道を。
貴方に何か残せるかもしれない道を。
「私は犠牲になどなっていません」
「リー?」
「私が望んで貴方の妻になったのです。――陛下など関係ありませんわ」
「……」
微妙な顔をするフェイクス様に、何か言葉を間違えたかと首を傾げる。
フェイクス様はまた口を何度か開閉すると、ぼそり、と呟いた。
「貴女は……陛下が好きだったのでは、ないのか?」
「え? 何故?」
「な、何故って……国王陛下は俺が見る限り、その……素晴らしい方、だと思うのだが」
確かに見目で言えば、あの人の右に出る物はいないと思う。
賢王と言われるだけあって、諸国の評判はすこぶる良いことも知っている。
けれど。
「あのひと、ずっと姉のことが好きでしたの」
「ああ」
「そして私のことが大嫌いでしたの」
「……」
「幼いころに好きでなかったといえば嘘になりますけど、現在好きか嫌いで言えば嫌いですわね」
「そ、そうか……」
困った顔を継続するフェイクス様に、今度は私が首を傾げる。
彼は私に何か、ずっと言いたいことがあるようだった。
「その、だな……」
「はい」
「宰相からリーレンには、恋人がいたということは聞いていたんだ……」
「……ああ」
宰相様の言葉通りであれば、リーレンの立場はすごく微妙なものだ。
フェイクス様の立場から見れば、もしかしたら婚約しながら結婚の儀を遅らせたのも、彼なりの気遣いだったのかもしれない。
そう気づき頷くと、彼は言葉を続けた。
「だから……その、貴女が、何かを隠しているように感じても、きっと前の恋人を思っているんだろうと、思って」
「はい」
「だからその……」
歯切れの悪い様子に今度は逆に首を傾げる。
フェイクス様は何を言いたいのだろう。
「ああああ!」
「きゃあ!?」
「あ、すまん」
がしがしと乱暴に頭をかき、叫ぶフェイクス様に吃驚して悲鳴をあげる。
言葉にできない、そう全身で表す様子に目を瞬くと、罰が悪そうにそっと私の頬に手を伸ばしてきた。
「……勘違いだった、ってことだよな?」
「?」
「貴女は俺を選んでくれて……それで妻になってくれた。それだけ、なんだよな?」
「はい」
何を勘違いしていたのかわからないが、聞かれたことにははっきり答えられる。
迷いなく頷けば、返ってきたのは本当に嬉しそうに笑う顔。
しばらく頬を撫でられていたが、徐々に近づく距離に意図に気づく。
「……フェイクス様」
そういえば、言葉にしたことはなかった。
態度で示し、後悔をしないとは告げたけれど、この胸にある思いを告げたことはお互いになかった。
そう気づき、私は目を閉じて顎を上に向ける。
「――――私はあなたを愛していますわ」
そう、告げた唇が。
言葉を失ったのはすぐのことだった。




