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女四人寄れば……(完)

「はぁ……やっとこ、帰ってきたなぁ……」

 暖冬傾向のこの冬にしては珍しく冷え込んだ成人の日の昼下がり、良夜は彼のアパート最寄り駅のフォームに降り立った。朝一番に実家最寄り駅から鈍行に乗って、急行と新幹線を乗り継ぎ、やっぱり最後は鈍行で絞め。半日近くも電車に乗っていると、腰だの肩だのに妙な違和感を感じてしまう。

 大体十日ほどの帰省だったが、まあ、その間の何事もなかったこと。なんだかんだとあごで弟を使ってるくれる姉貴とか、良夜が酒を飲むことを知ると晩酌に付き合わせるようになった親父とか、懐かしいお袋の手料理とか……大学進学前と全く代わらない実家は、居心地良く平和なものだった。何より、自分で段取りしなくても飯が出てくるのが良い。

 これからの予定は、一度アパートに帰ってスクーターに乗り換えた後、最寄りスーパーでちょっとした買い出し、十日の留守に合わせて空っぽにした冷蔵庫に食材を詰める。それが終わったら久しぶりにパソコンを弄って、部屋でゴロゴロ。明日から再開されるバイトに向けて英気を養う、と言えば聞こえは良いが、学生らしい自堕落な半日を過ごすというわけだ。

「こっちの居心地悪いって訳でもないんだが……今日一日くらいは連中に会わずに――」

 済ませたいなぁ~なんて言うくだらないことを考えているバチが当たったのだろうか? 良夜の視界の端っこに印象的な長身とその天辺に鎮座ましますほとんど金にしか見えない茶髪が目に入った。

 二つ前の車両から下りてきた男女はその手に大きな荷物を持ち、楽しそうに歓談をしていた。時々、女性の方が頭一つ近く小さな男性を小突いたり蹴っ飛ばしたりと、スキンシップと呼ぶには少々過激なじゃれ合いを繰り広げてはいるものの、仲の良い……姉弟にしか見えないな、うん。

 なんで見ちゃってるんだろう? と良夜が後悔している内に、振り向く彼女とそのオマケ。

「やっほぉ~りょーやん、あけおめ~とか言ってみたりして?」

「あけましておめでとうございます。良夜君」

 良夜を待つように立ち止まって手を振るタカミーズ、平穏無事な冬休みもここまでかと軽く覚悟は完了。良夜は二人の元へと急いだ。

「よっ、あけましておめでとうさん。バイクは?」

 何気なく尋ねた言葉に直樹が言葉を失い、貴美がその直樹の後頭部を軽く一発はたき倒す。

「なおのアホがただいま絶賛免停中なんよ。おかげさんで私まで電車帰郷。肩がばきばき」

 そして、もう一発直樹の頭を叩く貴美の手。言い返す言葉もなく、直樹はクシュンと頭を下げた。

 そう言えば、十月に二回も捕まったとか言ってた。意外とこいつ、飛ばし屋というか暴走するタイプの人間なのだろうか? と、貴美に小突かれ目に涙を浮かべる直樹に視線を落とした。もしかしたら、地元に帰るとゾクの一員だったりして……と言う想像は全く出来ない第二十八代ミスターキャンパスクイーン。

「吉田さんと一緒に走ってると、凄くストレスがたまるんですよ……だから、吉田さんの居ないときはどうしても飛ばしたくなって……」

「そうやってすぐに私の所為にすんだよねぇ……死ねっ!」

 世間様的には貴美の方が正しいんだろうけどな……後頭部に垂直落下する肘を見つめ、良夜は独り心の中で呟くのだった。


 さて、良夜の本日の予定は『買い出しに出掛けて後はゴロゴロ』のはずだった。しかし、彼はタカミーズと再会した後、冬休みも後半で相変わらず客の少ない喫茶アルト、そのカウンター席に座っていた。それは――

「食い意地が張ってるから」

 カウンターの上に置いた腕に腰掛け、見上げるアルトがきっぱりとそう言った。否定しきれない良夜はチッと誰にも聞こえない程度の大きさで舌を鳴らした。

「ケーキ食べさせてあげっから、アルトに来なよ」

 最寄り駅からアパートへと続く長い坂、そこをアパートの前にまで登り終えたとき、良夜は貴美にそう言われた。

 少し前、貴美が友人の結婚式で一時的に帰郷したとき、彼女は良夜に直樹の面倒を押し付けたお礼に地元人気店ラファミーユというケーキ屋のケーキを土産に買ってきた。まあ、ワンホールの半分を自分で食って残り四分の一ずつを直樹と良夜にって事をしたのだから、純粋に本人が食べたかっただけなのかも知れない。その辺の細かいところは良夜には判らないが、ともかく、そのケーキは非常に美味しかった。一言で言うと『材料で横っ面をひっぱたかれるような味』と、でも言えばいいのだろうか? チョコレートケーキだったのだが、それはもう徹底的にチョコレート! 他の物は邪魔だ! とでも言うような潔い味付け。他の物も大体同じで、ちょっと高めだが良い材料を使い、その持ち味を引き出すというのがその店のコンセプトらしい。

 そう言う物をタカミーズと良夜、そしてアルトの四人で食べた、と言う話を美月が耳にしたからさあ大変。流石に怒るところまでには行かなかったのだが、それでも「食べたい食べたい」とごねるごねる。挙げ句の果てには「んじゃ、私は明日から里帰りだから、良いお年を~」とその年のアルバイトを、綺麗に終えようとした貴美をひっ捕まえて、美月は言った。

「ラファミーユのケーキ買ってきて下さいぃ……私も食べたいですぅ~」

 こんな調子で涙ながらに訴える始末。貴美は美月にいくらかの代金を貰い、ついでに自分も食べたいので地元からクール宅配便で大量のケーキを送りつけたという次第。

『そのおこぼれにあずかるハイエナが私と浅間くん』

 直樹と貴美を挟んだ席に座る陽が真新しい手帳を掲げた。振袖の襟元に羽毛ショールを巻いた上品な笑顔の向こうにはダークスーツに身を固めた彩音の姿も見える。この二人、二年生で今年成人式。その成人式に出席したのだが、陽は三十分で飽きたと言出してさっさと帰って来てしまった。そして、演劇部での成人式を口実にした飲み会が始まるまでの何時間かを喫茶アルトで潰している真っ最中だったのだ。

 これを人生面白ければそれで良しと思ってる貴美が仲間に引きずり込み、六人でのちょっとしたお茶会が催されることになった。

「アヤちゃんは晴れ着、着んかったんやね?」

「えっ、ええ……お姉さまが着るな着るなってうるさくて――うひゃっ!?」

 貴美に問われると、彩音はそれでもまんざらではないような表情を浮かべて答えようとした……のだが、答えきるよりも早く、彼女は盛大に体を仰け反らし、奇声を発した。

『彩音ちゃんの魅力』

 ニコニコと微笑みながら、彩音の脇腹、微妙に余ったお肉をブラウスの上から摘む陽。

「やめっ! やめてぇ~~あひゃひゃひゃ~~!!」

『抜群のつまみ心地』

 左手で脇腹を摘みながら器用に右手一本でメモに発言を書く陽と、脇腹を摘まれて悶絶する彩音。視線が彩音の方ではなく良夜達の方を向いているのと、つまんでいる指先がカウンターの下で端からはよく見えないこともあって、彩音はちょっと危ない病気でも患っている人のように見える。

『着たらつまめない』

 そう書いたメモ帳で自分の帯、艶やかな黒引き振袖を引き立てる朱と金の帯をコンコンと叩いてみせた。もちろん、その間、メモに発言を書いてる最中もそれで帯を叩いてるときも、左手は彩音の脇腹を摘み、彩音は彩音で悶絶し続けている。

「あの……ケーキが置けないんですけどぉ……暴れるんなら、あっちでして貰えませんか?」

『暴れちゃダメ 彩音ちゃん』

 手を離し彩音を悶絶から解放すると、やっぱり、陽はやけにお上品な微笑をたたえたまま、メモにそう書いた。

 それをカウンターに突っ伏し、涙目で見上げる彩音。ゼェゼェと言う荒い呼吸とせっかくアップにまとめていたのに無惨にも乱れてしまった髪が痛々しい。

「なんだか、タカミーズみたいよね?」

 恋人を玩具にしているあたりがそっくり。アルトの言葉に良夜もこっそりと頷いたものだ。もしかしたら、貴美と陽は気が会うのかも知れない。見た目だけだけだと、女子大生同士の友人にしか見えないし。

 そんなことを考えているうちに、良夜達の座るカウンターに五つのケーキと六つのコーヒーカップが並べられた。正確には貴美の前だけは異様に大きなお皿とその上に並ぶ数種類のケーキが置かれているのだが、これは『金を出した人』特権なので数には入らない。

「あれ……河東先輩は?」

『ただいま絶賛ダイエット中』

 良夜の疑問に答えたのはこの場でただ一人、コーヒーカップだけを目の前に置いている彩音ではなく、その隣に座っている陽のメモ帳だった。当の本人はコーヒーカップに付いてきた砂糖を手に取ったり、カウンターに置いたりを何度も繰り返しつつ、聞こえないふりと見えてないふりをしている。

『無駄な努力と読む 今年二度目』

「二回目って……今日、まだ八日……ですよね?」

 直樹の言葉と言われている当人の聞こえないふりが、陽の執筆速度を加速させる。

『今年の目標はダイエットと言ったのが元旦〇時一分』

『八時にはお雑煮と栗きんとんを食べるので「中断」』

『十一日にはまた「中断」 鏡開き』

 書いては見せ、見せては書き。表情は凄く上品な笑顔なのだが、書いてる内容は辛辣そのもの。こういう人物だとは思っていなかった良夜達五人は言葉もなく、それを眺め続けた。んで、言われる当人は? と言えば、見えてない振りをしているのだが、陽がメモ帳を掲げるたびに顔とカウンターの距離が近付いて行っている。

『彩音ちゃんの趣味はダイエットの「中断」』

 そして、ゴツンと額がカウンターにぶつかった瞬間、彼女の顔が跳ね上がった。

「意志が弱くてごめんなさいっ! それとっ! 三島さん!! はっ……半分! くっくださぃ……」

 跳ね上がった顔、涙の浮かんだ顔で絞り出した言葉は後ろに行くほど小さくなって、最後の部分はほとんど蚊の泣くような声だった。

 はいはいと美月が席を立ち、これにて全員の前にケーキが並べられた。

 客の少なさに彼女のやる気も尽きたのか、美月も良夜の隣に腰を下ろして一休み。カウンターの上に置かれた左手は良夜のケーキ皿すぐ傍、とは言っても何かの気があってそこに置かれているわけではない。その指先を椅子代わりにしたいアルトがひっぱてきただけの事。

「でもですね、好きなものを食べて太るのでしたら、むしろ本望じゃないですかぁ?」

 生クリームたっぷりなイチゴショートケーキをダイナミックに崩しながら、美月は明るい声でそう言った。

 その言葉に固まる乙女三人。

「お腹も太らなければ、胸も太らないから、いつまで経っても中学生みたいなスタイルなのよ」

「美月さん、全然、太らないじゃんか……」

 例のジャージ騒ぎ――第八話「努力」参照――をやっちまったアルトはもちろん、甘味フルコースと称して月に一度はケーキのドカ食いをやる貴美も裏では涙ぐましいダイエットをやることもある、割としょっちゅう。

 呟くアルトと貴美に合わせ、その影響をもろに受ける良夜と直樹がため息をついた。

 アルトがダイエットをやると騒げば良夜が迷惑を被るように、貴美がダイエットをすると言出せばその被害は直樹にまで及ぶ。いな、単にウォーキングに付き合わされるだけで済んでいる良夜と違い、直樹はいま、三食の用意を全て貴美にして貰っているのだ。その被害は良夜の比ではない。太ってもないどころか、『貧弱な坊や』と言われているのに三食が温野菜のサラダとオジヤになるとか、納豆だけになるとか……その被害はまさに甚大と言わざるを得ない。しかも、文句があるのなら自分で作れ、ただしキッチンは使うな、汚すと言うか壊すからと言われてしまう。しかも、本当にキッチンとか壊しそうになる自分が彼は嫌いらしい。

「三島さんはスタイル良いから……」

 その二人に合わせダイエット中断中の彩音、三者三様、乙女達はダイエットの苦労を分かち合い、ただ一人、その心配をしたことがない乙女に批判と羨望の視線を向けた。

「そっそんなことないですよぉ~私だって時々は……………………」

 止まる言葉と宙で右往左往する視線。彼女が彼女の中にある記憶を引っ張り出そうとしていることとそれが上手く行っていない、と言うか元々ないと言うことは誰の目にも明らかなことだった。

「生れてこの方、ダイエットなんてしたこと無いじゃない」

 言葉と同時に美月の指先を二度、アルトはストローで突いた。ぴくんっ! と痙攣するように指先が飛び跳ね、美月の顔がより引きつる。

「でっでもですねっ! 私だって、寄せて上げるブラとか、色々と涙ぐましい努力をしているんです! 美味しい物を食べて、胸が大きくなる方には判らない努力なんですよ?」

「別に大きいからって寄せて上げるブラがいらない訳じゃないし……」

「寄せて上げるブラなんて無いわよ、私には」

 美月の言い訳になってんだかなってないんだか判らない言葉に、貴美とアルトが噛みつけば、美月の敗色は更に濃厚になっていく。そして、トドメの言葉がボソッと彩音の口から発せられた。

「合うサイズのブラ……輸入物以外にありません……」

 ピシッ! 空気の凍る音が喫茶アルトフロアに響いた……ような気がした、女性陣の頭の上だけで。

「ちょっと、アヤちゃん、こっちおいで」

「そうです、彩音さん、こちらにいらしてください」

「私も付いていくわよ」

 貴美と美月に彩音が引きずられ、その後をアルトが追って飛ぶ。向かう先は良夜がいつも使っている窓際隅の席。真冬とはいえ十分な日差しが差し込む温室のような席は、たった今から、女性達の臨時裁判所になる様子。もちろん、被告は河東彩音ハタチ。

『私は?』

「男は来んなっ!」

 陽の筆談を貴美が一蹴。それに陽が『仲間外れ』と大げさにうなだれた。

「あの輪に入りたいと思う方が変だよな……」

「ですよね……」

 良夜と直樹の気持ちはあっちでやってくれて助かった、ここに集約される。むしろ、店の外でやってくれても良いくらいだ。

『楽しそう』

 そうかな? と呟く二人を差し置き、陽はパクパクと自分のケーキを口に運び始めた。今日はあの学祭の日に見せたコマ落としのスピードはない。多分食べ終わっても新しいのが出てこないからだろう。もっとも、それでも十分に早い。

 まずは陽、そして良夜、直樹と続いて三つのケーキがカウンターの上から消え去り、残るケーキもそろそろ乾燥の心配をし始めなければならない程度の時間が過ぎた。

『食べちゃう?』

「殺されるよ」

『大丈夫 彩音ちゃん 優しい』

「あげません……」

 怒っているのか照れているのか、判断の付きかねる赤面で彩音が良夜と陽の会話を遮ると、陽の横にどっかと腰を下ろした。そして、ザクッと薄っぺらなケーキにフォークを突き刺し口に運ぶ。

「あの……吉田さんは?」

 直樹の言葉に彩音が顔を更に赤くして答えた。

「あちらで三島さんと……」

 抱き合っていた。ついでにアルトも。

「美月さん! 女は胸じゃないよね?!」

「はい! そうですっ! 吉田さん! やっと判ってくれましたかっ?!」

「そうよ! 貴美! 負け犬になったとしても泣いちゃだめっ!」

 新年早々上司と部下と自称マスコットとの間に新しい友情が芽生えた。今年も喫茶アルトは繁盛しそうだ……多分。


『G』

「何を公表してるんですかっ!?」

『ショックが欲しい』

 ちょっとだけニヤって感じの笑みに変わった陽の横で、彩音は赤かった顔を更に赤くするのだった。


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