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冬が来た(完)

「ペペロンチーノなんてどうでしょうか?」

「昼にニンニク? 駄目よ、臭くてたまらないわ」

 美月の言葉にアルトが二回髪を引っ張る。

「駄目ですか……じゃぁ、牡蠣のパスタにしましょう」

「良いわね、季節だもの」

 そして今度は一回だけ。肯定された悦びに美月の顔がパッと明るくなり、ポンと手を叩く。そして、続けられるお言葉。

「ガーリックをたっぷり利かせると、美味しいんですよね」

「みっ美月……そんなにニンニクが食べたいの?」

 ガックリと全身にみなぎる虚脱感を感じさせながら、アルトが再び美月の髪を二度ひく。

 良夜が後頭部を刺された痛みから復活するまでたっぷり十五分、その間にアルトと美月は明後日のランチメニューのお話に突入していた――って、あんたら二人はぁ……言いようのない怒りと虚脱感が良夜の身のうちにも沸き上がって来た。

「二人とも、今夜の趣旨、忘れてるでしょ? 話、終わったんなら帰るよ、俺」

 なんかもう、痛いのが後頭部なのか、その上の頭の中なのか、判らなくなってくる。ただ一つだけ判ることは、さっさと話を切り上げて暖かい布団の中で熟睡したいという単純な欲求だけだなと思いながら、良夜はパン! と一度テーブルに手を叩きつけた。

「ふえっ!? あっ、良夜さん。お加減は宜しいんですか?! 待っていたんですよ?! 本当に!! 信じて下さいッ!」

「帰れば?」

 美月は顔の前でバタバタと手を縦横無尽に動かす挙動不審者になり、その肩の上に座っているアルトは平然とした表情でピッ! と良夜に向けてストローを指し示した。それは両極端の仕草と表情ではあるが、そのどちらもが良夜に「もう、どーでも良いや」的な気分を与えてくれた。

「ともかく、アルトは湯たんぽかカイロでも使って寝ろ。エアコンは禁止! 良いな!?」

 テーブルを叩いた手の反動でも使ったかのように、良夜は腰を浮かせた。そして発した言葉は半ば、いや七割以上の命令口調。本人としては問答無用って言う感情を込めたつもりだったのだが、当然のようにそれは問答無用と言う状況になり得る物ではなかった。

「えぇ~~!! 私と一緒に寝るんじゃないんですかっ!?」

 しかも、最初に文句を言出してきたのがアルトではなく美月の方だというのだから、良夜は我が人生の理不尽さに涙がにじみ出てくる思いだ。

「美月さん、お願いですからちょっと黙っててください」

「うっ……いらない子なんですか? お部屋に帰って、プチプチシートを潰してたら良いんですか? アルト、良夜さんが虐めます……」

「仕方ないのよ、童貞だから女の扱いが判ってないの」

「お前も黙ってろよ、アルト」

 美月がよよと泣き崩れれば、その髪を優しくアルトが撫でる。そして二人の非難の視線が一斉に良夜の顔を貫き通す。その理不尽な仕打ちに良夜は胸までもが痛くなってきた。

「アルトに湯たんぽなんて似合いませんよ? やはりここは、私と一緒に温かなベッドの中で寝るのが一番なんですよ。知ってましたか?」

 慌てた様子で言い訳めいた言葉を発する美月は捨て置き、良夜は美月の肩の上で成り行きを見守っているアルトとの話を続けた。

「湯たんぽの上に布団でも引いて貰えば、ちょっとした床下暖房みたいな感じになって丁度良いぞ? それにエアコンなんか一晩中使ってるとだな、乾燥して喉や肌に悪いって。淑女ならそう言うことにも気を使わなきゃ。だから、湯たんぽを使ってだな……」

 頭を押さえて悶絶するついでに考えていた折衷案、それをちょっぴり早口で良夜は並べ立てた。口喧嘩になれば勝てない公算が高い。ならば、勢いで押し立てるのみ。いつ、アルトに言い返されるかと不安を覚えつつも、良夜は一気に考えていた言葉を全て吐きだした。

「アルト?」

 ジーーーーーーっと良夜の顔を見つめたまま、呼びかけられてもアルトはうんともすんとも言わない。

「……お前、まさかと思うが黙ってろって言ったから黙ってる……なんて言うベタなネタは使わないよな?」

 軽く咳払いを一つ。良夜は中腰だった体を椅子の上に落ち着け、黙ったままで良夜の顔を見つめ続けるアルトに向かってそう言った。彼女は良夜の声を聞くと視線を僅かに逸らしながら「ちっ」と吐き捨てるように舌を打った。やっぱり考えていやがったかとかなり呆れると同時に、彼女の小ネタをたたきつぶせたことにちょっとした達成感を得る。

「読まれたんなら仕方ないわね……潔く、湯たんぽを使うわ……って、湯たんぽなんてこの家にあったかしら?」

「今度買ってくるって」

「ふえ? 何をですか?」

 泣き崩れていた美月がひょこっと顔を上げると、自分の頭の上に向かって独り言を続けていた良夜の顔を下から覗き込んだ。

「湯たんぽ」

「湯たんぽですか? ありま――」

 黙っててって言ったのに余計なことを言う美月に対し、良夜はテーブルの下で向こう脛を軽く蹴った。

「なんですか? 良夜さん……」

「湯たんぽ……無いですよね?」

「いいえ、ありま――」

 再び美月の向こう脛を良夜のつま先が、今度は先ほどよりも強く蹴っ飛ばす。

「……良夜さん……イジメですか? 今、問題なんですよ? イジメ」

「……湯たんぽなんて無いですよね? って言ってるんですよ」

「だからあるんですって……前に使ってたの」

「……」

「……」

「……」

 向こう脛をチョンチョンと何度も蹴っ飛ばす良夜と、テーブルに突っ伏したまま視線だけで良夜を見上げる美月。そして、美月の肩の上からテーブルへと下りたアルトが二人の顔をチラチラと交互に見つめる。視線だけで会話が出来る三人、等という幸せな話なんてあるはずもなく、ただ、三人はそれぞれの思いを抱いたまま、無言でたがいの顔を見つめ続けていた。

 そして、良夜がその沈黙に耐えきれず大声を上げた。

「無いって言えば、今夜だけでも美月さんと一緒に寝てあげろって言おうと思ったんです!」

「!! 私にそんな空気の読み方を要求しないでください! 根っこが呆けてる根ボケですよっ!?」

 良夜が再び中腰になって叫ぶと、美月も中腰になって叫び返す。二人の大声が深夜の喫茶アルトのフロアに響き渡った。

「私は何となく気がついてたわよ」

 お馬鹿な二人を見上げ、アルトはハァと芝居がかった大きなため息を一つこぼすのだった。


 結局、アルトは今夜一晩だけ美月と一緒に眠り、明日から湯たんぽの上に布団を引いて寝るという良夜の提案を受け入れることになった。一日くらいならいくら何でも忘れないだろうとか、一日くらいは一緒に寝ないと美月が本格的にすね始めそうだとか、色々と理由はあるのだが、最大の理由は美月と一緒に寝るのも楽しそうと言う至極単純な理由も否定することは出来ない。

「ただし、美月の手に『アルトちゃんを忘れない』って書いておいて。それから良夜は明日は絶対にランチを食べに来ること。私が居なかったら、美月の部屋まで探しに来て」

 この二つがアルトの譲れ得ぬ条件だった。確かに炎天下の車中に何時間も閉じ込められたという経験がある以上、アルトはこの条件を譲るつもりは一切無かった。

「あっ……あの、そこまで信用無いですか? 私……」

「無いわよ」

「うう……こう見えても社会人なんですよ? 去年は成人式でちゃんと着物も着たんですからぁ」

「そうね、着物の癖に普段履いてるパンプスで成人式に行ったのよね」

 良夜の通訳を交えた話が終わると、美月はおずおずと自分が用意したサインペンと自分の右手を良夜の方へとさしだす。その指先を摘んでサインペンで、アルトの名前にちゃん付けがない以外は言われたとおりの文言を良夜は書いた。美月の手を握って少しばかり顔がにやけ、そして赤くなっているあたりがガキ臭い。

 そんな良夜に適当な理由をつけて再びストローの一撃を与え、アルトは美月と共に彼を喫茶アルトのフロアから送り出した。その途端に美月はふわぁ~と大きな欠伸を一つ。彼女がいつも寝る時間より既に小一時間以上遅い。お風呂に入ったり、お風呂に入った上でその自慢の黒髪を乾かしたりしていれば、更にもう小一時間以上遅くなることはめに見えている。

「今夜はお風呂、パスしますぅ……」

「飲食店勤務なのにそう言う態度はどうかと――」

 目をしょぼしょぼさせながらの言葉に、アルトは髪を二度引っ張ろうとした。しかし、アルトの手は美月の髪を一度ひいた時点でその動きを止めた。

 喫茶アルトの浴室は、その外見通りに年季が入ったタイル張り。もちろん、浴室暖房なんて洒落た物は存在していない。お湯を張っているときならば極楽のように暖かいが、お湯が無くなればあっという間に底冷えが始まる。こんな所に忘れ去られでもしたら、嘆きの川で氷漬けになっている死人の気持ちを実感できる事請け合いだ。

 二度目の髪を引っ張る代わりにチュッと美月の横顔に口づけ。

「そうね、一日くらい、お風呂に入らなくても人間、誰も死んだりしないわ」

「あっ……でも、アルトとお風呂にも入りたいかなぁ……」

「……勘弁して、死んじゃうから」

 呟く美月への答えは、普段よりも遥かに力のこもった二回の信号だった。

 妖精であふれかえった美月の部屋、それはぬいぐるみや人形だけではなく、様々な調度品にまで及ぶ。しかも、『人形』の中には人形は人形でも『フィギュア』と呼ばれる商品までもが目に付く。美月はアニメをほとんど見ることはない。夕方のアニメの時間はまだ働いている時間で、深夜アニメの時間帯は早寝早起きの美月には就寝時間だ。だから、それがどんなアニメやゲームに出てくるキャラクターかと言うことも知らず、単に『背中に羽が生えてる妖精さん』という理由で彼女は買ってくる。

「また、増えたわね……」

 滅多に入らない部屋は来るたびに、グッズの量が増えていく。アルトは美月の肩の上から飛び立ち、新参者が鎮座する棚の上へと羽を動かした。元は本棚として販売されているはずの棚なのだが、本は一冊も並ぶことなく、代わりに無数の人形やぬいぐるみ、ついでにフィギュアが並んでいる。

「イマイチ……ボチボチ……最低……」

 フニフニと半分寝ぼけた感じでパジャマに着替える美月をほったらかしに、アルトは新しく増えたグッズ達、一つ一つに点数をつけていく。非常に厳しい。最上位が『ボチボチ』で下は『燃えるゴミ』『燃えないゴミ』『産業廃棄物』までと言いたい放題。ちなみに、本人は気付いていないのだが、その点数は自分よりも各種サイズが大きいか小さいかで決まる。小さいものは全て一律に『ボチボチ』、大きいものは大きければ大きいだけ、酷い罵倒語が与えられる。

「これなんて最低ね」

 ずんぐりむっくりとした体に白い翼が付いたぬいぐるみ、妖精と言うよりも天使と呼ぶ方がふさわしいぬいぐるみを見上げて呟く。そのサイズが無駄に大きな所が一番気にくわない。座ったサイズが既に彼女の身長どころか、背伸びしても指先が額にまで届かないサイズなのだ。全長は軽く五十センチは超えているだろう。小柄でスレンダーを自称する妖精さんにはちょっと許せない。

 こんな大きなぬいぐるみ、どこで買って来たのだろう? と言うか、こんなものを買ってるから、月末になるといつも、美月はピーピーになるのだ。少しは懲りればいいのに。

 アルトはそんなことを考えながら、ポンと軽くそのぬいぐるみのお腹を一つ叩いた。綿を包んだフェルトのお腹はアルトの手首まで潜り込み、ほどよい弾力で彼女の拳を包み込む。

 ん? とアルトは小首をかしげてもう一発。

 ボコン。

 やっぱり、気持ちよく拳が包み込まれ、ほどよい弾力で拳を押し返す。

 右ストレートから左のフック、そして右の回し蹴り! トドメは全身のバネと羽を使ったジャンピングアッパー! 右手にストローを持ってるから少し殴りにくいところもあるが、結構、楽しい。思わず夢中になってしまう楽しさ。ここで業を磨いて、良夜に試してみるのも悪くないかも?

「あるとぉ……寝ますよぉ……」

「あら……残念。水入りね。良い勝負だったわよ」

 健闘をたたえるかのようにアルトは、彼女のほわほわの体にギュッと抱きつく。姿形は今一つ以下だが、殴り心地と抱き心地は悪くない。スリスリとその滑らかな表面に頬をこすりつける。これにもたれて寝ちゃっても良いかも知れない。

「あるとぉ……ベッドで寝るの、いや?」

 くどいようだが、美月はアルトの姿も見えず声も聞こえない。だから、アルトがぬいぐるみ相手に戦っているなどつゆほどにも知るよしもない。

 背後から聞こえる間延びした声にアルトが振り向くと、そこにはアルトが戦っていたぬいぐるみとほぼ同じサイズのぬいぐるみを抱っこしている美月の姿があった。彼女は、その抱いていたぬいぐるみを棚の端に飾ると、今度はアルトが戦っていたぬいぐるみを抱き上げた。

 ――アルトごと。

「みづきっ!?」

 薄っぺらい胸とフワフワのぬいぐるみの間に挟み込まれる妖精さん。美月はどこにそんな力があるんだ? ってくらいに強い力でぬいぐるみを抱きしめると、アルトの名前を何度も呼びながら、フラフラとベッドの上に倒れ込んでいった。ぬいぐるみの上に覆い被さるように。

「むねっ! あばらが刺さってる!!! 死ぬッ!! 死んじゃうからぁ!!!!」

「んぅ……本当は添い寝……して欲しかったですぅ……」

 大の字に貼り付けられびくとも動けないアルトの上で、睡魔に気持ちよく身を任せた美月は幸せな夢を一晩見つつづけたそうだ。


 そして、翌日。

「……良かったな、忘れられなくて……」

 事情を知らぬ良夜は、テーブルの上でふてくされているアルトを見ると、少し安堵したかのようにそう呟いた。その瞬間だった。彼女は無言のままテーブルから飛び上がると、彼の鼻に右ストレート、左フック、右回し蹴り、そしてジャンピングアッパーのコンビネーションを流れるように決めた。

「あっアルトの奴、美月さんとは二度と絶対に一緒に寝ないって……」

 鼻血滴る鼻を押さえ、良夜がそう言うと美月はことさら大きく首をひねって、こういった。

「えっと……何が問題だったのでしょう?」

「問題に気付いてないのが一番の問題なのよ! もう、知らない!!」


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