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THE・お祭り(4)

 漫研で軽く精神的打撃を喰らった良夜とアルトは次なる目的地、二四研のサーキットへと足を向けた。

 サーキットとは言っても、もちろん常設のコースがあるわけではない。余り使われていない第三駐車場を借り切っただけの狭いスペースに数個のパイロンを置き、簡単なジムカーナーのコースを造っただけの場所、それが二四研のサーキットと呼ばれる場所だった。

 ギャバギャバ!!!

 マフラーとタイヤから白煙を上げ8の字コースを何周も回るオートバイ、親のすねをかじってる人間が乗っても良いとは思えないような3ナンバーのセダン、そして、多くのギャラリー達、駐車場としては広いのだが、サーキットとしては狭すぎるそこはそれらの熱気で季節外れの夏の空間になっていた。

「うるさいわね、それに臭い……」

 学舎から第三駐車場へと続くドアを抜けると、アルトは途端に不服そうな声を上げた。

「タイヤの焦げる匂いと排気ガスね……さっさと渡して帰りましょう」

「吉田さん見付けたら帰るよ、ちょっと黙ってろ」

 何度も髪を引っ張って不平をたれるアルトに、良夜は小さく、そして、面倒くさそうな声と表情で答えた。

 身長が高い癖に好んでヒールを履く貴美、その上、あの極限にまで金に近い茶髪となれば目立つこと請け合い。すぐに見つかるはずだ……と、良夜はバイクと車と人でごった返す駐車場をキョロキョロと見渡した。

「ねえ、受付ってどこ? 受付してるんじゃなかったの?」

「受付……受付……って、受付ってなんの受付してるんだ?」

 ギャバギャバと盛大な音を立ててバイクを転がしているのは、びしっとツナギに身を固めたライダーだ。その運転技術と合わせてみれば彼が二研の部員であることはあきらか。まさかあれの試乗をやらせてくれるとでも言うわけでもないだろう。展示車両らしいところに人だかりが出来てるくらいで、受付をしなければならないような催し物は目に付かない。

「受付なんてあるのか?」

「あっ、受付はこっちですよ」

 再び呟いた声に見知らぬ声が返事をする。聞こえた声は良夜の斜め下前方、身長のある貴美を捜す視線が決して向かないところ発せられていた。

 こっちこっちと手招きしてくるのは、直樹よりも更に小柄な女性だ。ザックリと短く切りそろえた髪、お洒落と言うよりも純粋に機能性を重視したと思われるジーパンには油のシミがいくつも浮かぶ。第一印象はボーイッシュな、良い意味で少年的な女性だ。

「ショップに儲けさせないメンテナンスのイロハなら三十分後、タンデム体験でしたら今すぐにでも、他にも各種、四研と二研が総力を挙げて――」

 手作りのパンフレットを両手に抱え、彼女は良夜が近付くと一気に自らの職責を果たし始める。やりなれているのか、元々の性格なのか、彼女の営業トークは随分と堂に入っていた。

「あっ、じゃなくて……吉田さんは? アルトの配達なんですけど……」

 ペラペラと良く回る口と舌は放っておけば何時間でも営業をし続けそうな雰囲気。良夜は少し慌てて手に提げていたバッグから大きな水筒を取りだし、彼女に見せた。たぷんと大きな音のする一リットル入りの水筒が四つ、秋口とは言え、持ってウロウロしていれば軽く汗がにじむ程度の重量物だ。

「――えっ? ああ、りょーやんさん?」

 良夜が水筒を取り出すと、水筒とアルトの制服、それに良夜の顔を何度も見比べた後、やおら彼女はああと大きく頷いた。

「……やっろぉ」

 りょーやんと呼ばれた良夜は、その呼び方を着々と大学内部に広め浸透させている女の顔を思い浮かべ、顔をしかめた。

「言づてを承ってます。えっと……『遅い!  私は先にアルトに帰る!  金は受け取った!!』だ、そうです」

 腰に手をやり、胸を反らした偉そうな物言い、多分貴美の物まねだろう。しかし、物まね対象者との体型と顔つきが対極的ともあって、全く似ている所は見受けられない。それでも何とはなしにしかめられていた顔がいつの間にやら緩んでしまうのは、彼女のキャラクターに寄るところだろう。

「入れ違いか……アイスコーヒー十五杯分と紙コップ、どこに置いておいておこうか?」

 良夜がそう聞くと彼女は「そこにでも」と言って、どっさりと資料やメモ書きが置かれたテーブルを良夜に指差した。

 小学校なんかで使っているような机の上は、資料で一杯だ。そこに紙コップだけを置くと、良夜はテーブルの上ではなく椅子の方にバッグから出したポットを置いた。

「ポットは後で取りに来るから……」

 それじゃ、と言う言葉を置きみやげにその場を辞そうとした良夜に彼女が再び声を掛けた。

「宜しければ少し遊んでいきませんか?」

 彼女が指差すのはアイドリングをしながら止まっている車や、パイロンの周りをクルクルと回るオートバイ、確かにそれらに興味はある。しかし、先ほどから頭の上では妖精が『臭い、うるさい』とうるさい。それに空腹を訴える腹の虫もアルトに負けては居ない。良夜は『後で……』とその申し出を固辞しようとした……のだが――

「レースガールとの撮影会もあります。凄く可愛らしいので、是非とも見ていってください!」

「「……れーすがーる?」」

 レースガールという聞き慣れない言葉に、良夜とアルトが見事な間抜け顔のユニゾンを見せた。

「はい、もう、大人気なんです。ささ、こちらに。なおちゃんのお友達でしたら、特別に割り引かせて貰いますから」

 釣り上げた! とばかりに彼女の営業トークに熱が籠もり、良夜に追い打ちを掛ける。

「ちょっと、待って……いや、あの……」

 良夜の背中を小さな手が押し、ズイズイと何処かに向けて歩かせる。良夜と言えば、その押してくる手に多少の抵抗をしてみせるものの、それがおざなりである事は彼自身はもちろん、頭の上で見ているアルトにも判った。

「ムッツリ……スケベでロリでムッツリって最低ね!」

 ぶちっと嫌な音がするほどに髪が引っ張られ、硬い木靴が額にめり込む。

 いや、だって興味あるし……と心の中で言い訳をしながら良夜は人の間を背を押されて歩いた。向かう先にはちょっとした人だかり。男女比率ほぼ半々で人数は十数人と言ったところだろうか? その向こうにはチラチラと動く小さな頭が一つ見えた。

 初めて見る生のツインテールにまぶしい白いうなじ、小柄で華奢な体型に膝上のワンピース、後ろ姿しか見えないがワンピースの女性が美人であるという予感がした。

「はいはい、お客さんが通ります。見てるだけの方はどいてちょうだい」

 いや、お客さんになるなんて言ってないからと心の中で言い訳をしつつも、逃れられない状況に身を任せているのはあきらか。既に写真一枚くらいなら撮っても良いよな、と言う気分になっていた。

「……ロリ」

 ボソッと呟くアルトの声が耳に痛い。

 そして振り向くツインテールの美少女、彼女を見て良夜は思わず声を上げた。

「……騙された!」

「……僕は騙してません!!」

 そこにいたのが直樹だったから。


 さて、話は少し巻き戻る。ちょうど良夜がアルトに『相変わらず』とバカにされていた頃のことだ。

 この時、直樹は二研四研の合同会議に出席していた。良夜は部室でやるものだと思っていたようだが、実際の会議は部室ではなく部室長屋にある自治会管理の大会議室で執り行われていた。部室長屋にある部室に二研四研併せて三十人が一度に集まれる広さがないからだ。

 ここで決まったことは大きく分けて二つ。

 一つは学祭で執り行われるイベントの内容とその分担。簡単なメンテナンスの話や、二四研謹製の改造バイク改造車の展示、展示走行等々、毎年やっていることだから特に大きな波乱もなく決まった。

 そして、二つめがレースクィーンの選出だ。ちょっとセクシーな格好をさせれば客寄せパンダにもなるし、撮影会をやれば小銭が稼げる。選ぶ方の男子は大盛り上がりだ。

 しかし、選ばれる方としては余り素直には喜ぶことが出来ない。レオタードに近い姿で外をうろつくには厳しい秋空、面白くもないのに振りまかなきゃいけない笑顔、スケベ面したカメラ小僧、カメラ付ケータイのおかげでいつ写真を撮られるかも判らない。しかも、報酬は喫茶アルトか学食のタイムランチ一回だけ。レースクィーンという自尊心くすぐるポジションとその重責に乙女心は揺れに揺れる。

 そう言うわけで、ここで軽く一波乱あるのが例年なのだが、今年はあっさり決まった。

「吉田だな」

 二研部長(さかき)誠二(せいじ)の言葉で一波乱あるべきクィーン制定の会議は決まった。

 他の女子部員よりも頭半分ほど身長が高い上に、出るところは出て引っ込むところは引っ込むスタイル、接客業で鍛えた無敵の営業人格、客寄せパンダのレースクィーンにはうってつけの人材が今年は居た。その上、奴はこの場にいない。居るのは全権委任を受けた気弱な彼氏が一人きり。

「と、言うわけで直樹、頼むぞ」

「……どうして僕に言うんですか? 直接伝えてください」

 等と直樹はブスッとした表情で言ったものだが、総勢三十名の有形無形の圧力に抗することも出来はしない。結局、彼は不承不承その大役を引き受けざるを得ない状況に追いやられた。

 直樹は貴美がその命令を引き受けるとはとても思えなかった。弄るのは大好きだが弄られるのは大っ嫌いという彼女が、好きこのんで見せ物になるとは思えない。彼に喫茶アルトのフロアチーフほどの押しの強さでもあれば、それも無理矢理押し切れるのかも知れないが、自慢じゃないが過去十数年尻にひかれ続けてきた自分にそれが出来るとは思えない。

 だから、直樹は一計を案じた。彼女が一番機嫌のいいときに言おう。気分が良ければコロッと引き受けてくれるかも知れない。では、その機嫌のいいときとはいつか?

 ――ヤッた後。

 ある意味漢らしい。

 ちょうどその日は、自分のバイトが休みで良夜はバイトといういわゆる「やる日」扱いの日だった。このタイミングしで言うしかないと、直樹は心を決め、その場に臨んだ。

「あの……貴美さん」

「なぁに? なお……寝ないと、また、明日、辛いよぉ……」

 行為後の心地よい気だるさと毛布に包まれ、貴美は恋人の声に間延びした声で答えた。男の胸に顔を埋めるのではなく、抱き枕よろしく大きめの胸に男の小さな頭を包み込んでるあたりがこのカップルらしい。

「ほら、今日、学祭の打ち合わせに言ってたじゃないですか?」

「ああ……そう言えば……なーんも聞いてなかった」

 ボンヤリと天井を眺めていた貴美の視線が、胸の谷間から見上げる直樹の顔へと動いた。朱色に上気した頬、濡れた瞳、そして幸せそうな笑顔、自分を信頼しきった女性の顔に直樹の心が僅かに痛む。

「それでですね……えっと、貴美さんがレースクィーンに選ばれまして……」

「ふぇ? 私がレースクィーン……レースクィーンって言うと……あの、秋の寒空の下、レオタード一枚でパラソル持ってウロウロする二四研名物の……あれ?」

「えっと……有償撮影会があったり、学祭の間中拘束されまくりなのに、報酬はランチが一回という……あれです」

 貴美の顔から情事の熱がひき、ついでに直樹の顔から血の気がひく。

「ふぅん……もしかして、その話をするために……」

 ピンク色に染まっていた空気が音を立てて、どす黒い物へと変わってゆく。体感気温も一度は下がったように直樹には感じられた。

「いえっ! そんなことは決してっ!!」

「…………なお……正直に言ってみ? ん?」

 柔らかい胸に包まれて居ながら、直樹の全身に緊張が走る。幸せな胸枕も今ではギロチンの刃の下に等しい。

「……あの、このタイミングで言おうとは思ってましたが……言うために……というわけでは決して無くて……」

「……まっ、信じるよ。もう、せっかく良い気分だったのに……」

 慌てて取り繕う直樹に貴美ははぁと大きなため息をついた。

「そう言うこそくな真似、似合わんよ」

 コツンと軽く貴美の拳が直樹の額を叩き、直樹は小さな声で「ごめんなさい」と詫びの言葉を述べた。

「今日は許して上げんよ……でも、私、出来ないよ?」

 満ちていた怒りが収まり直樹は軽く安堵するも、貴美の答えはほぼ予想通り。

「でもっ! いやなのは判りますけど――」

 慌てて直樹が続けようとした言葉を途中で制し、貴美は――

「やらない、じゃなくて、出来ない、だよ」

 ――と自分の言葉を補足する。

 そう、彼女は『やらない』ではなく『出来ない』なのだ。学祭の当日は当然授業がなく、また、配達という普段はやらないことを喫茶アルトでは執り行う。美月が良夜に手伝って貰えるよう話はつけているようだが、それでも人手が足りない。美月は良夜に配達を頼むと同時に、貴美にも出来る限り朝からバイトに来て欲しいと頼んだ。ちょうど、直樹が二四研の部員達に貴美の説得を強要されている、その時間に、だ。

「途中で少しは抜けるから、受付とか留守番なら出来るけどレースクィーンなんて無理。それとも美月さんに謝って、アルトの時給と同じだけお金くれる?」

「いや……それは……お給料の方は特に無理なんじゃないのかなって……」

「そう言うこと、だから、出来ない。美月さんの方が先客だもん」

「でも、困りますよ……」

「私は困んないよ、安請け合いしてきたなおが悪いんだから」

 安請け合いしたつもりはないが、結果だけを見れば安請け合いしてしまったことになるのかも知れない。直樹はそんなことを思いながら貴美の胸の中でうーんっと唸るような声を上げた。

「しょうがない、一肌脱ごうか……今、素っ裸だけど」

「……くだらないこと言わないでください」

 直樹の首に巻き付いていた腕がとけ、枕元で充電されていた携帯電話に伸びる。

「あっ、もしもし? 榊部長? 吉田です……ええ、なおに聞きました。その件なんですけど――」

 毛布をドレス代わりにベッドから下りた貴美の背中を見つめ、直樹は意味もなく不安になってきた。


 ヤッたとかヤラないとかの部分だけは省かれた話を聞き終え、良夜は心底からの哀れみを含んだ視線で直樹を見つめた。

「で、気付いたら、お前がレースクィーンをやらされるって話になってたのか?」

「……チビで貧相でかわいいだけだから、クイーンじゃなくてガールだ……って」

 胸元に視線をやれば、体型とは不似合いなほどに大きな胸が上下する。美月が大喜びだった胸パッドという奴だろう。ロリ顔巨乳のツインテールというのは流行だそうだ。

 もちろん、直樹は百パーセント無理矢理やらされているのだから、機嫌がいいはずもない。朝からブスーっと膨れた顔で言葉も少なく突っ立っていただけなのだが、それも「無愛想でクール」という流行にぴったり。しかも、一人称が「ボク」だ。やることなすこと、全てが本人にとって不都合な方へと転ぶ。

 当初は漫研の特殊な趣味のお姉さま方中心だった人気も、小一時間もしないうちに二四研最大のコンテンツに成長していった。

「ツーショット写真、ケータイカメラのセルフなら百円、一眼レフデジカメで撮って印刷なら三百円、抱っこしてるところは千円です。パネルに仕上げるのでしたら四研を通じて写真部に発注することが可能です」

 そんなわけで二四研、今年の学祭は初日の午前中だけで大成功が決定した。

「休憩なら一時間三千円、四研部室でどうぞ」

「やすっ!」

 ボーイッシュな女性のセールストークに大声で頭の上から大声で突っ込むアルトに、良夜は心の中だけで突っ込みを返した。

(……そこは突っ込むな)


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