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THE・お祭り(3)

 暇な学生達有志や各種サークルによる学内の飾り付けも進み、大学学部は着々と学祭へと盛り上がりを見せていた。

 そして、その盛り上がりと共に盛り下がっていく男が一名。

『彼女が彼氏に着替えたら トトカルチョ』

 事前審査の名目で集められたカップル写メとオッズ表が印刷されたそれは学内で密かに、しかし、確実に流通していた。そのオッズ表上から二番目には当然のように――

『高見直樹・吉田貴美ペア(通称タカミーズ) 2.3』

 この文字。しかも、1.3倍のド本命に対する立派な対抗馬に祭り上げられている。しかもタカミーズだ。通称が乗ってるのは彼らだけ。おかげで彼らの名前だけがオッズ表の中で、異常に目立っている。

「って、こんな話聞いてませんよ!」

 それを良夜に見せられたとき、良く言えば温厚、悪く言えばヘタレな彼――直樹も流石に少々キレた。手渡された紙を力任せに握り潰したかと思うと、怒りの全てを込めるかのように丸めた紙を地面へと叩きつける。

「やっぱり、絶対に出ません!!」

「……不戦敗か……なおに賭けた人、どー思うかな?」

 顔を紅潮させる直樹に、貴美はシレッとした顔でそう言った。事ここに至れば直樹に逃げ出す道などないのだ、ニヤニヤと笑う顔にははっきりとそう言っている。

「きっきたなッ!」

「そ・れ・が・あなたの彼女なの♪」

 リズムを取るかのように数回、ちょんちょんと直樹の鼻の頭を叩くと、貴美はクルッと恋人に背を向け学舎へと足を向けた。

「絶対に付き合い方を考え直そう……」

 直樹は人知れずそう呟き、揺れる恋人の髪を眺めた。秋の陽光にきらめく金に近い茶色、それはちょうど色好き始めたイチョウのよう。その髪が大きく揺れ金髪よりも明るい笑顔が再び直樹の方へと向き直った。

「なっ、なんですか?」

 ビクンと肩が震え、右手が反射的に顔を覆うように動く。ほとんど飼い主に虐待を受けた子犬のようだ。

「いこっ! なお! 授業、始まんよ!」

 とっさに顔を覆った右手が暖かく柔らかい物に包み込まれる。手を握りしめたまま駆け出す貴美と諦めているような嬉しいような複雑な表情で引き摺られる直樹、出会ったときの構図は、十数年を経て大人と呼ばれようとするときになっても変わりはしていない……多分、これからも

 その時、ちょうど予鈴がなった。

「で……おりゃ、どーすりゃいいんだ?」

 カラカラと転がるオッズ表と良夜は必要以上に寒く感じる秋風の中、完璧に忘れ去られていた。

 

「尻にひかれているというか、惚れた弱みというか……良夜は相変わらずというか……」

「うるせえ。直樹は珍しく怒ってるし、吉田さんは相変わらずだし、口を挟める暇なんざねーよ」

 クシャクシャに丸められたオッズ表を前に、良夜は今朝方の話をアルトに聞かせていた。

「それで、その怒ってた直樹は? 貴美は働いてるみたいだけど」

 お冷やのグラスを蹴って頭に上がると、そこからアルトはフロアの方へと視線を向けてそう言った。

 のんびりと良夜がアルトとの会話を楽しめていたのは、秋の陽光穏やかないつもの席に直樹の姿がなかったからだ。普段なら良夜と席を囲む直樹は、今、キャンパスの片隅にある部室長屋とも呼ばれるプレフバ二階建ての建物で二研四研合同の会議に出席していた。ちなみにこの合同研究会は二輪車四輪車合同研究会――通称二四研――と呼ばれている。

「貴美は?」

 頭の上でくつろぐアルトが尋ねた。

 その頭上ちらりと一瞥、見えない妖精の姿を思い描きながら、青年はテーブルの上に置かれたコーヒーカップへと手を伸ばした。それを口元へと運んだら、一口……コクンとブラックのコーヒーで口と喉をしめらせた。

 そして、彼は答える。

「直樹に全権委任だと」

「全権委任ね……失敗したらどういう目に会うか判らないときに使う言葉じゃないわよ」

「催し事の内容を決めるだけなんだから、失敗も糞もないだろう? 一年に発言権なんてないだろうし」

「……そうかしら? 二四研のやることは大体知ってるんだけど……まっ、良いわ、良夜は?」

 頭の上から聞こえる声には何かの含みがあるようにも聞こえた。

「俺? 俺は二研の関係者じゃないぞ」

「知ってるわよ、原付小僧なんだから。学祭の予定の方よ」

 カツンと軽く額をかかとで蹴っ飛ばされ、良夜は視線を窓の外へと向けた。まだ紅葉の秋とは言えない青い山々。今年は少々紅葉が遅れているらしい。そんな山を眺めながら当日の予定へと思いを巡らす……

 訳だが、まあ、これが物の見事になんにもない。サークルにも入ってないし、学部で何かをやるというわけでもない。タカミーズを初めとした友人にも声を掛けられているが、その全てが『うちのサークルにも遊びに来いよ』って言うような話ばかり。その約束を果たしてるうちに二日間が全て埋まるとはとても思えない。

 ゆっくりと言葉を選ぶ良夜に、頭上から哀れみを含んだ言葉が投げかけられる。

「……暇なのね」

 と……

 その言葉は真っ先に思い浮かんだ。しかし、良夜はその言葉以外の言葉を一生懸命選んでいたのだ。アルトは良夜の思いも知らず、もしくは知った上で無視をしつつ呆れた顔で良夜の顔を覗き込んできた。

「うるせえ、予定がないだけだ」

「そう言うのを暇って言うのよ。まっ、丁度良いけどね」

 そこまでいうとアルトはクルンと体を一回転させ、良夜の上から飛び降りた。トコトコと向かう先は備え付けの小物が鎮座するテーブルの窓際隅っこ。柔らかくなった初秋の光を銀色のソーサーがきらきらと反射し、反射した光がアルトの小生意気な顔を明るく照らす。

 食事を終え、反射光の中で踊る金髪を見つめながら良夜は軽くため息を漏らした。

 ――連れて行け……か。

 ボチボチアルトの言いたいことなら事前に判断できるようにもなってきた。そして、連れて行けば、迷子になって大騒ぎか乗り物――良夜の頭――酔いになって大騒ぎか、どちらにしてもろくな目には会わないと言う事が手に取るように想像がつく。しかし、断ったら断ったで拗ねるんだろうな……と思えば、さっさと条件闘争に持ち込んだ方がお得ってもんだ。

「……ポケットか頭の上で大人しくしてるって約束するんなら、連れて行ってやるけど……」

「それはありがとう。でも、そうじゃないのよ」

 数秒で考えついた思考はあっさりと否定され、良夜はン? と小首をかしげながらアルトの後ろ姿をボンヤリと眺めた。

 折り目正しくケースに納められたペーパーナプキン、それをストローの先端に引っかけて引っ張り出す。そして、それを何度も折りたたんでいき、小さな玉を作る。一生懸命折りたたむ横顔は、口を真一文字に結んで真剣そのもの。が、こいつの場合、真剣な顔でやっているからと言って本当に真剣なのかどうかは判らない。

 そして、ある程度それが小さく硬くなると、それを真上に軽く放り上げて――

「アルトちゃんホームラン!」

「あぁ! またやりやがった!」

 満面の笑みでストローをフルスイング! 往年の王貞治を彷彿とさせる完璧な一本足打法。ジャストミートされた紙製のボールは大きな放物線を描き、一生懸命働く美月の頭を直撃! 東京ドームならスポンサーから百万円分の商品が貰えたかも知れない。

 キョトンとした顔でキョロキョロと回りを見渡す美月。慌てて良夜は視線を逸らそうとしたのだが、彼女の黒目勝ちな美しい瞳は彼の仕草をきっちり捕らえていた。

「……あの、良夜さん、ペーパーナプキンをぶつけて呼ぶのは止めてくれませんか?」

「俺じゃなくてアルト……それと俺はやったことないです」

「むっ……言い訳ですね!」

「無条件にアルトの味方をするのは止めてください」

 視線で威嚇しあう店員と客という奇妙な構図の横で、アルトだけが打撃フォームのチェックをしている。手首のひねったりこねたりしているあたり、その辺のフォームに違和感があったというジェスチャなのだろう。見て突っ込んだら負けだと思うので放っておくことにする。

「ちっ、小ネタくらい拾いなさい……それより、美月、学祭の日、暇で配達できそうな奴を見付けたわ」

 無視していたところから不意に届く声、それに良夜はへっ? と反射的に視線を向けた。

「あっ、良夜さんが先に目を逸らしたので私の勝ちですね!」

 いつの間にやらにらめっこになっていたのか、美月は良夜が視線をアルトに移すと嬉しそうにポンと手を一度鳴らした。訳がわからない。

「ネタでやってるつもりじゃないって所が凄いわねって、それは良いのよ。ほら、早く伝えなさい。また、不機嫌になるわよ」

「へいへい、アルトが……――って言ってますけど、配達ってなんです?」

 良夜がアルトの言葉を通訳すると、美月は「ああ」と再び手を打った。

 普段の喫茶アルトに配達というシステムはない。しかし、学祭の二日間だけ配達をすると言う伝統が樹立している。常々『研究室でアルトのコーヒーが飲みたい』と言っていた教授や講師達の意を汲んで、この学祭の日だけという条件で学生だった頃の清華が始めた物。途中、人手不足を理由に中断していた時期もあったが、かれこれ二十年以上も続く伝統行事だ。

 今年の場合、貴美が二研の催しに手を取られると少々厳しくなるので、今日までどうなるかは未定だったらしい。

「――少しですが、アルバイト料も出しますから……良かったら、お願いできます?」

 足にスクーターを使っても良いと言う話だし、良夜は大して迷うこともなく安請け合いした。途端に上機嫌になる妖精が一人。彼女は意味もなく屈伸したり、ストレッチをしたり。

「……やる気満々だな、お前」

「ちょうど、冬のコートが欲しかったのよね!」

「――冬のコート、一着分も出すつもりなんですか?」

 アルトの言葉を美月に伝えれば、美月は困ったような笑みを浮かべて、良夜に答える。

「うーんっと……フェイクなら……たぶん」

 そして、アルトはニコッと笑って言った。

「大丈夫よ、足りなきゃ、良夜からたかるから」

「ざけんな」

 と、良夜は言ったが、アルトはふざけちゃいないってのが怖い。

 

 さて、こんな感じで良夜は喫茶アルトの臨時配達員として学祭に参加することになった。正直の所、良夜はこの臨時配達員の仕事を舐めていた。学内には各種自販機もあるし、学食も営業している。そもそも、屋台だって出ているんだから余り仕事もないだろうという打算が良夜にはあった。

 しかし、これが結構忙しい。作品展示をしている文系サークルに飲み物や軽食を届けたりするのは理解できる。しかし、喫茶店を標榜している模擬店が商品全部アルトに外注っておかしすぎる。

「あっ、ここ、メイドさんとバトラーさんを愛でる喫茶店だから」

 アルトから運んできたケーキが五割増しで売られる喫茶店は大盛況だ。何処かのエッチなゲームに出てくるメイドさんをコスプレした上級生にそう言われ、良夜は大人の世界の汚さを思い知った。

 とまあ、良いようにご利用していただいている喫茶アルト臨時配達員、浅間良夜。この日のために用意された制服を身に纏い、彼は頭の上に妖精を一人乗せ、朝からずっと各サークルを回っていた。おかげで全く興味を持っていなかったサークルの催し物も見ることになったのはちょっとした怪我の功名。歴史研究会なんかは、歴史の裏話みたいな話が地味に面白かった。

 そんな感じで配達をしていた良夜が、お昼を少し過ぎたあたりで顔を出したのは漫画研究会、いわゆる漫研。

 小講義室と呼ばれるサイズの部屋は、小中高なんかで使われているいわゆる教室と同じ程度の広さ。そこに山積みされているのは、ゲームやアニメの二次創作作品からオリジナル作品まで数々の同人誌。その回りには部員達の書いたイラストで飾り付けられていた。食事時ともあって部屋には数人の客が立ち読みをしたり、部員達と話をしている程度に留まっていた。

 入口近くの席に座って受付と会計をしている暇そうな男に、「よっ!」と軽く手を上げて声を掛ける。同じ学部に通う生徒で、時折酒を飲んだり遊びに行ったりする、どちらかと言えば親しい友人。

「サンドイッチの盛り合わせとアイスだったな?」

 良夜が彼に気安く声を掛けると、頭の上でアルトが「ちゃんとしなさい!」と文句を垂れる。顔見知りの所に配達するたびに同じ事を言われているが、ここまで忙しければ彼の営業言葉もとっくに売り切れ。

「遅かったな……浅間……なんて言うか、制服、似合ってないぞ」

「大きなお世話だ」

「あはは、ダンディズムが足りないな、店長を見習え」

「あの人と比べんなよ」

 自覚のあるところを突かれ苦笑いを浮かべながら、ラップのかかった紙皿と紙コップでちょっとしたランチを作る。このあたりの仕草なんかもアルトに言わせるとぞんざいで『全然なってない』らしいが、相手が顔見知りならその辺の気遣いはつい抜けがちだ。

「なんかさ、ラーメン注文されたり、妙な注文が多いんだよ」

 苦笑いで良夜が言えば、サークルの先輩から話を聞いてる友人は笑みを浮かべて答えた。

「カップラーメンだろう? 知ってる。妙な注文をして配達員を困らせるのも伝統なんだとさ」

 この手の伝統があると言うことを教えられたのは、実際にそう言う妙な注文――コーンポタージュ五人前とかラーメンとか――を受けた時だった。伝統を肌身で知っている和明と美月は、慌てることもなく大きめの水筒に入ったコーンポタージュやカップラーメンと沸騰したお湯が入った水筒を渡してくれる。しかし、そんな伝統など知るよしもない良夜はいちいち、慌てふためいていた。おかげで実働以上に疲れ果てているような気がする。

「何年か前にはチーズフォンデュ十人前って言う注文をして、伝説を残した女がいるらしいぞ」

「注文したのは私の友達、受けたのは真雪」

「そんなアホが今居なくて助かったよ……」

「ふん!」

 ガツン! と強めに頭をアルトに蹴っ飛ばされ、良夜は一瞬、顔をゆがめた。それがサンドイッチを食べている友人に伝わらなかったのは、ちょっとした幸運と言っても良いだろう。

「とりあえず、行くわ……この後、二四研にアイスコーヒーなんだよ」

「あっ、吉田と会う?」

「呼んでくれたのはその吉田、今、二四研のサーキットで受付してるってさ」

「受付? レースクイーンじゃないのか?」

 不審そうな顔で言う友人に、良夜は「いや」とこれまた不審そうな顔で答えた。二四研が客寄せにレースクイーンを段取りしているという話は聞いていたし、貴美がそれにふさわしい見栄えの持ち主だと言うことに異論はない。しかし、その彼女は朝から喫茶アルトの制服姿だったし、この後もすぐにアルトでのバイトがある。ちんたらレースクイーンなんかやっている暇など、彼女にないはずだ。と言うか、やられていたら良夜が昼を食べる暇が無くなる。

「二四研のレースクイーン、今年は吉田だと思ってたけど……まあいいや、これ、渡しといてくれ」

 マヨネーズに汚れた手を拭きながら、彼は良夜に一冊のオフセット印刷で作られた同人誌を手渡した。表紙には少年週刊誌に好評連載中の見覚えのあるキャラクター。良くある同人誌って感じの本。

「なんだ……これ?」

 反射的にペラペラと捲ればそこにあるのは――

「あっ、見ねー方が良いぞ。お前、そう言うのに耐性ないだろう?」

「――遅い、見ちゃったよ……」

 少年同士の激しい交わり合いだった……もう、凄いったらありゃしないので、ここで詳しく語るのは止めておく。

「貴美がオーダーって時点で気付きなさい……すご……」

 ただ、頭の上から覗き込んでいたアルトまでもがこう言って、目を背けたという事実だけで察していただきたい。

「口直しに買っていくか?」

 二冊目の本はちゃんと表紙に女性が載っていたわけだが……頭の上に妖精とは言え女を乗せたままでそれに手を伸ばす勇気を良夜は持ち合わせていなかった。

「いらね」

 良夜はそれだけを言うと、漫研の即売所を後にした。

「……人間、正直に生きるのが一番よ?」

 正直に生きて罵倒されるのは割に合わない……と、良夜は思った。


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