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THE・お祭り(2)

 色々と抵抗はしてみたものの、物心ついた頃から尻に敷かれっぱなしな貴美と笑顔で押しが強く人の話を聞いてんだか聞いてないんだか判らない美月相手ではそれも時間の問題だった。元々時間の問題だった上に、抵抗しているうちに直樹の指先が美月の胸元に触れた。当初は「不幸な事故ですよ」と、気にする様子でもなかったと言うのに、貴美がそれを盾にし始めた途端、美月もその尻馬に乗った。

「えっと……こう言うときは責任を取ってください! で良いんでしょうか?」

「いや、それは行きすぎ。ちょっと女装するだけで良いんだから」

「はい、判りました。では、お着替えしたら許してあげます」

 この二人のやりとりは、抵抗の気持ちを根こそぎ刈り取り、代わりに諦観の苗を直樹の心に深く植え込んだ。

 結局、貴美がいつも使っている鏡台の前に座らされ、直樹はぺたぺたパタパタとお化粧される羽目になった。

 ちなみに直樹が貴美に女装させられるのはこれで七回目だ。学祭で三回、体育祭で二回。卒業式後のパーティでもやらされた。

 高校入学最初の文化祭で『男子全員がメイドの格好をしてお出迎えする喫茶店』なんてものを女子が提案したのが彼の運命を変えた。ギャグ以外の何物にもなっていない女装ウェイトレス達に紛れ、ただ一人、シャレにならないほどに似合いまくっていたのが直樹だった。それ以来、『高見直樹の女装』は高校のイベントにはなくてはならない代物になった。卒業したって言うのに、後輩や教師だけではなく保護者の一部までもが『今年もして欲しい』という声を上げているあたり、あの学校もかなりおかしい。

「でさ、なおは素材が良いんだから堂々としてたら良いんよ……っと顔はこんなもんで良いか、美月さん、ブラとパッド」

「吉田さんは堂々と女装する彼氏で良いんですか? 色々と」

 眉は丁寧に抜かれ細く形が整えられ、まつげもぱっちりとマスカラでメイクアップ。ファンデーションとルージュは控えめにナチュラルな感じ。客観的に見て似合ってるような気がするから自分が嫌になってくる。

「私はなおならどんななおでも良いよ? それが真実の愛なんよ! なーんてね。美月さーん、ブラとパッドだってば!」

「嫌な真実の愛……付き合い方、考え直そう――首! 首しまってる!!」

 にこやかな笑顔のままで彼氏の首に手をかける彼女、鏡の中に苦しむ自分の顔と嬉しそうに笑っている顔が二つ並ぶ。

「余計なことを言うと、寿命が縮むよ? って美月さん、ブラと……あれ? 美月さんは?」

 首にまわされていた手から力が抜け、鏡の中の貴美が後ろを向いた。直樹は『ケホッ』と小さく咳き込むと、「どうかしました?」と鏡の中の恋人に声を掛けた。

「美月さんが……あぁ!!」

 鏡の隅っこにユニットバスから出てくる美月の姿が見えた。その胸元はあからさまと言っていいほどに膨れあがり、不自然にタプタプと上下に揺れていた。

「美月さん! パッド入れてるっしょ!?」

 美月はそのまま踊るような足取りで部屋を出て行き、貴美が慌てた様子で彼女の後を追った。

 そして、ただ一人部屋に直樹は取り残された。

「……チャンス?」

 申し込みの締め切りまであと三日。全部授業をサボったところで落としてしまう単位はないはずだ。良夜や他の学部の仲間に代返を頼んでも良い。彼らが貴美と自分、どちらの味方をするかは知らないが一人くらいは同情してくれたって罰は当たるまい。財布の中には千円札が数枚と小銭、それとキャッシュカード。三日を過ごすには心細いが明日の朝までは持つ。明日の朝一番にATMに駆け込んで……と、財布の中身を確認するのはちょっとした家出少年の気分。

 ……うん、逃げよう。

 直樹は真紅のファイヤーパターンがまぶしいヘルメットをひったくるとズボッと頭かかぶった。これで化粧済みの女顔も見られずに済む。愛車ZZRを止めている駐輪場にまで逃げられれば、交通ルール完全遵守の貴美や軽四の美月からは逃げ切れる。仮に良夜が裏切ったところで彼も所詮はスクーターだ。400ccのZZR-400にはかないっこない。

 こっそりと廊下に顔を出せば、良夜の部屋から声こそ聞こえているが、貴美も美月もその姿は廊下にはない。

 良し、逃げられる!

 彼の目には小さな希望の光が見えた。

 幻想かも……という悪い予感は彼自身も感じていた。


 カックンとアルトと良夜のあごが落ちた。

「私、感動しました!! 凄いですっ!!」

 ノックもせずに部屋に乱入した美月は、固まっている良夜とアルトのそばに近付き、自称Dカップにまで膨れあがった胸を下からささえ、何度も上下に揺らし続けた。彼女の手が上下に動くたび、大きな乳房がタプタプと大げさに揺れる。それは深夜アニメの萌えヒロインのようで、じっと見ていると酔ってしまうか催眠術にでも掛かりそうな勢いだ。

「……ああ、パッドだから、パッド……それと、りょーやん、見つめすぎ」

 愕然と酔いそうな胸を見つめる良夜の後頭部を貴美は軽く平手打ちにした。

「もう! 吉田さん、種明かしが早すぎますっ!」

「美月さんね、それはなおのために用意したんだからさ、さっさと返しなよ」

「えぇ~ 直樹君は男の子だからこういう物はいりませんよ~」

「男だからいんの! 健康な女がそんな物を着けたら敗北だよ!?」

「うっ……私は敗者なんです……お母さんが悪いんです……」

「清華ちゃんもちっちゃいもんねぇ~って、揺らしてないで返せ!」

「いーやーでーす~~~」

 ついさっきまで良夜が食事をしていたテーブルの回りで、貴美と美月はわいわいと追いかけっこをし始めた。彼女たちが楽しそうにテーブルの回りを走るたび、良夜お気に入りの湯飲みが大きく揺れる。六年も使っている物が割れたら嫌だなと思うが、回収に行くにしてもあの二人の間に入るのもお断りだ。

 とりあえず、当初の予定通りコーヒーでも入れるか、と良夜が良夜がキッチンへと向かった。そこにパタパタとアルトもその後を追って来る。その表情は暗く、胸元を撫でるような仕草をしている。

「……どーした? 敗者。エポキシパテで盛ってやろうか?」

 吹き出しそうになる口元を押さえ、良夜は紙製のチープなドリッパーをマグカップの上に被せ、コンロにやかんを掛ける。アルトが部屋に来るたびに仕込んでくれるおかげで、少なくとも素人友人の中では美味しいコーヒーを入れられる男と呼ばれるようにはなってきた。

「うっうるさいわねっ! 別に私はあんな物着けたいなんて思わないわよっ! ふっん! 私は――」

「スレンダーなんだろう……判った判ったよ」

 顔を真っ赤にして捲し立てるアルト。彼女お得意の負け惜しみを取り上げ、良夜はやかんから視線を貴美と美月の暴れるリビングへと向けた。相変わらず暴れ回っている二人。貴美が背後から美月を抱きしめ、その胸元に手を突っ込んでいる。見方を変えると少々と言わないレベルで危ない。

「こんな所で妙なことするなよって……あれ、直樹は?」

 部屋に入ってきたのも美月と貴美だけなら、中で暴れているのも美月と貴美だけ。主役であるはずの直樹の姿は何処にも見えない。

「直樹?」

「なお?」

「直樹君?」

 ボソッと呟いた言葉に三人の女達は固まる。チュンチュン……カップ一杯分のお湯があっという間に沸騰に達し、蒸発し始める音だけがキッチンの中に響き渡り始めた。

「忘れてました!」

「逃げてるかもっ!?」

 弾かれたように廊下へと飛び出していく美月と貴美。出て行った後にはシリコン製の大きな半球状のパッドが一つだけ、寂しそうに忘れ去られていた。

 待つことしばし。待ってるうちにヤカンはその役目を果たした。

「逃げてるっ!!!」

「居たわっ!!!」

 隣の部屋から貴美の怒鳴り声が良夜の耳をつんざき、いつの間にか部屋の外に出ていたアルトが廊下の手すりから階下を指さしていた。直後、迷うことなくそこから飛び降りる妖精の姿が、開きっぱなしの玄関から見えた。

「必殺! アルトちゃん流星キーックッ!」

 なんかもう凄く嬉しそうな声だけを残し、アルトの小さな体が手すりの上から消え去った。

 殺しちゃ意味がねーぞ……良夜はそんなことを思いながら、沸騰したお湯をドリップバッグに注ぎ込み始めた。


 直樹の逃避行は一階エントランスまでは順調かに見えた。さっきもここまでは順調だった。帰ってきた良夜が何故か、腕を振り上げたまま振り向くという暴挙にさえ出なければ、彼はそのまま、深夜のツーリングを楽しむことが出来ただろう。

 タッとエントランスを抜け、先ほどと同じように美月の車だけが止まる駐車場へと慎重に足を運ぶ。この時間ならば、知り合いが帰ってくると言うこともあまりないだろう。もっとも相手が不健康な大学生だと考えれば、それも確信が持てるわけではないのだが。

 そして、さっき、良夜に裏拳を叩き込まれたところにまでたどり着く。今回は周辺に人影もない。恋人と友人はまだエントランスから出て来ても居ない。

 逃げ切った!

 彼は自分の見た希望の光が手のひらの中に包み込まれたことを確信した。

 瞬間。背中のあたりに激痛が走る!

「ぐっ!?」

 硬くて小さな物がとんでもない速度で背中のあたりに叩き込まれる衝撃、とでも言うような物か? こんな痛みは、貴美に全力で蹴っ飛ばされた時以外に感じたことがない。

 続いて真っ黒い巨大な壁が眼前にそそり立ってきた。それが、壁ではなくアスファルトの地面で、そそり立ってきたのではなく自分がそこにスライディングしているのだと言うことに気付くのに三秒ほどの時間が必要だった。

『十点十点九点八点十点九点!!』

 激痛鳴り響く意識の何処かで、そんな声が別の次元から聞こえるような気がした。

 それでも直樹は立ち上がると、砂だらけになった体を引き摺り、愛車ZZR400にイグニッションキーを差し込むところにまで辿り着くことが出来た。ほとんど意地みたいなもの。

 愛車にまたがりセルスイッチを親指で押し込む。しかし、うんともすんとも言わない。

「あれ!? 壊れてる! どこっ? バッテリ? セル? あれ?」

 訳も解らず転んだ、一生懸命手入れしている愛車には裏切られた。直樹の小さな頭がパニックになるのも当たり前の話だ。

 数秒の間キョロキョロと回りを見渡し、彼は彼の愛車がまだ、彼を裏切っていないことに気がついた。

「あっ! もう、キルスイッチ……」

 スロットレバー付近にある小さなスイッチが『RUN』から『OFF』に切り替わっていた。キルスイッチとは点火プラグの発火をオフにすることでエンジンを強制的に止めてしまうスイッチのことだ。プラグが火を吹かないのだから当然、何時間セルをまわしてもエンジンは掛からない。時々、これでエンジンが掛からないと騒ぐ素人さんが居る。貴美も愛車のシルバーウィングで一度やった。自分だけはやらないと思ってたのだが、人間、慌てちゃ駄目だ。

「ああ、びっくりした……」

 毎週のように手入れと整備を欠かさない愛車が故障なんてするわけがない。基本的に恋人は信じられない女だが、この愛車だけは信じることが出来る。と言う言い方も酷いが、直樹はそう思っていた。

 しかし、エンジンは吹き上がることなく、セルが回る音だけが空しく聞こえた。

「うそっ!?」

 一安心した直樹の顔が再び真っ青に変わる。やっぱり壊れてる?! 何処? セルは回ってるんだからバッテリーではないはず、プラグ? それとも電装系? いや、壊れてるはずはない、この間、二研の先輩に見て貰いながら整備したばっかりなんだから。それじゃ……ガソリン!?

 フューエルコックに手をまわすと、今度はそれが『STOP』の位置にあった。もちろん、自分がやった記憶はない。

「もう、なんなんですか! 今夜はっ!!」

 いらつく声でフューエルコックを『ON』に切り替え、落ち着いてセルスイッチを押し込む……しかしというかやっぱりというかエンジンが掛かることはない。

「はぁ……もう、次は何……?」

 直樹は諦めたような口調でつぶやく。後はありがちな話と言えば、イグニッションキーがOFF位置にでも来てるのか……と、思って視線をそこへと向けると、刺さっているはずの鍵が何処にもなかった。

「なっおぉ……愛車に裏切られたみたいやね?」

 カチャッと直樹のヘルメットに鍵束が叩きつけられた。叩きつけたのは信じられない彼女、吉田貴美その人だった。


「よっ吉田さん……もう、逃げませんから……」

「お化粧してメット被ったから、せっかく作った顔がグチャグチャじゃんかっ!」

「そうですよ? もう、今夜は徹夜でお化粧しなければなりません!」

「だって女装なんて嫌なんですよ!!」

 直樹は両手にお化粧道具を持ってにじり寄る二人に叫んだ、椅子に縛り付けられるという哀れを誘う姿で。

 こうして直樹はめでたく女装ミスコンスト『彼氏が彼女に着替えたら』に出場することとなった。


「ところで……お前だろう?」

「ええ、もちろん、私だわ」

 直樹が隣の部屋に連行された後、アルトは少し冷えたコーヒーを飲みながら、しれっとした顔でそう言った。

 本当に色んな事を知ってる妖精だ……と、青年は自室でチョコーレートを摘まみながら、コーヒーを飲んでいた。

 その傍らには、美月が忘れていったシリコン製のおっぱいがプルン♪ と揺れていた。

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