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THE・お祭り(1)

 夏休みボケもいい加減収まりがついた十月中旬の夜。昼間は暖かいが夜は良い感じに気温の下がる中秋、薄手のトレーナー一枚でスクーターをかっ飛ばして帰ってくるのが辛い時期になってきた。日増しに肌寒さを増す夜風を切って、良夜は中古スクーターを自宅アパートの駐車場へと滑り込ませようとしていた。

 公共交通機関に乏しく、日々の買い物すら何らかの『足』がなければ成り立たない大学周辺。そこに生息する大学生にとって、もっともよく利用されている『足』と言えばスクーターか自転車。車という選択肢もあるのだが、駐車場を初めとした各種コストを考えていると、周辺アパートで暮らす一人暮らしにとっては少々高嶺の花になる。

 だから、良夜のアパートも駐輪場は大きめに取っているが、駐車場となると来客者用に二つの区画が用意されているだけ。それも滅多に使われることはなく、住人達(特に直樹)のバイク弄りスペースとして流用されていることの方が多い位だ。

 駐輪場は女子大生も暮らしているとあって、十分な蛍光灯が毎晩のようにそのスペースを明るく照らし出していた。部屋に帰っても真っ暗ということを考えれば、国道から駐輪場の明りを見たときこそが良夜に『帰宅』の意識を与えてくれる瞬間だ。

 しかし、今夜、良夜を出迎えてくれる明るい蛍光灯は普段よりも少々薄暗い物になっていた。

「あれ……?」

 ヘルメットの中で良夜が呟くよりも、その疑問の答えが彼に提示された。一台の軽自動車が滅多に利用されない駐車スペースの一つを占領していたからだ。

 良夜はスクーターの速度を落とし、その横を駆け抜けた。視野の中端っこを流れゆくのは見覚えのあるパステルカラーの軽自動車。

 スクーターを駐輪場に止め、良夜はきびすを返した。アパートと車の間に足を運び、助手席側からヒョイと中を覗き込む。薄暗い車内に見えたのは、四つのシートの内三つを占める住人達――ソプラノ、フォルテ、ピアノ。こんな車を降り回しているのは、周辺数十キロを捜したところで一人しかいないはずだ。

「美月さん……?」

 色々と浮かぶ疑問をそのつぶやき一つに集約し、良夜は軽く首をひねった。

「良夜! 右手を横に伸ばして、回れ右!!」

 ひねった首が戻るよりも早く、彼の頭上から鋭い命令の言葉が降り注いできた。思考の大部分を車の与える疑問に向けていた良夜は、言われるまま右腕を突き出し後ろへと振り向いた。

 ガツンッ! と手の甲に響く衝撃と「ぎゃっ!」という間抜けな悲鳴。同時に視野の端っこに誰かがしゃがみ込むのが見えたような気がしたが、小さくてよく見えない。

 その時、自分が何をやったかが良く理解できなかった。おそらく誰かに裏拳を叩き込んだのだろう、と言う事だけはなんとか知性が教えてくれたが、それを理解するには時間が足りない。なぜなら、理解するよりも早く、二つの命令が下されたからだ。

「上出来ッ! ついで! こっち向いて!」

 こっちってどっち?! そんなことを思う暇もあらばこそ。条件反射的に見上げたところには、三階から妖精が猛然としたスピードで落下してきていた、下着丸見えで。

「ぎゃっ!」

 白いガーターベルトを楽しむ暇もなく、良夜は二つめの悲鳴を上げた。

「十点十点九点八点十点九点!!」

 両手と羽を大きく広げ、満面の作り笑顔でキメポーズ。その足下では、硬い木靴が良夜の額にめり込み、首が限界ギリギリにまで反り返っていた。

 しばしの間、『二人』の男はその猛烈な痛みに悶絶し続けることになった。

 ただ一人悶絶していない女、妖精アルトは乱れたスカートをパンパンと整えながら、悶絶する良夜を見下ろし微笑んだ。その表情に悪気とか反省の色という物は水素原子一つ分も見付けることはできない。ただ、ホンのちょっぴりだけ、感謝の表情だけを良夜は感じ取ることが出来た、かろうじて。

「流石紳士ね、身を挺して淑女を守るなんて。見直したわ」

 その言葉が合図になったかのように、二人の男は悶絶の世界から帰ってきた。

 そして、同時に上げられる罵声。

「なんて事をしやがる!!!」

「なんて事をするんですか!!!」

 首を反らしていた男はガバァッと頭を振ってそこに立つ妖精を払い落とし、しゃがみ込んで悶絶していた男はガバァッと立ち上がってもう一人の男の胸ぐらにつかみかかった……わけだが、すがりついているようにしか見えないのはつかみかかってる方の身長がひときわ小さく、大きな目が涙目になっていたからだ。

「って直樹?」

「って良夜君?」

 アルトを睨み付けていた良夜の視線が下がり、直樹の涙目だった顔が上を向く。二人は上と下二十センチの高度差を持ってじっと見つめ合った。

「……なにしてんだ?」

「良夜君にバックブローを叩き込まれてました。死ぬかと思ったです。まる」

 直樹はプイッと視線を逸らし、抑揚のない声でそう言った。伺い見る横顔には珍しく憮然とした表情が浮かんでいる。しかし、そんな顔すら何処か愛嬌があるように見えるのは、第三者にとっては長所でも、当人にとっては短所なのだろう。

「……悪かった」

 何となく釈然としない物を感じながらも、良夜は気まずそうに頭へと手をやった。その指先にアルトの体が触れた。彼女はいつの間にやら、良夜の頭に陣取り、二人のやりとりをおもしろおかしく見守っているだけ。行き場を失った右手が自身の左肩を掴み、釈然としない思いを加速させる。

「……ともかく、この件に関しては後日、ゆっくりと話し合うということで、僕は今忙しいのでこれにて失礼――あっ!」

 紡ごうとしてた言葉を切り上げ、直樹はクルッと良夜に背を向けた。そして、弾けるように飛び出す体、その首根っこを白いブラウスに包まれた白い腕がギュッと乱暴にひっつかまえた。

「なっお~私から逃げられると思ってた?」

「さあ、直樹くん、我が儘はいわずに着替えましょう?」

「嫌ですっ!!! 離してください!!!」

 ジタバタと暴れる直樹を二人の女性、貴美と美月が有無をいわさず両側から取り押さえた。それは何処かで見た『黒服に連行されるグレイ型宇宙人』と言ったおもむき。

 正直、良夜にしてみれば何が何だか訳がわからない。どちらの味方をすべきなのか、それとも知らん顔をしてさっさと部屋に戻って飯食って寝るべきなのか……

「あーれ、一枚噛んだら、きっと楽しいわよ?」

 悩む良夜の額をアルトのかかとがコツンと軽く蹴っ飛ばし、彼女言うところの『あーれ』に彼の意識をむけさせた。そこは美月の車のボンネット、そのボンネットの上には――

 ――一枚の真っ白なワンピースがいつの間にやら投げ出されていた。

(女装か……そりゃ、絶対に嫌だろうな……)

 常々、察しの悪い男といわれている良夜だったが、この時ばかりは淑女二人、いや、頭の上でニヤニヤ笑っているアルトを含め、三人のしたいことが十分に察することが出来た。

 ついでに直樹の思いも……

「良夜がバックブローを叩き込まなきゃ、逃げられたのにね?」

「……俺の所為?」

 ズルズルと淑女二人に、引きずられて連行される直樹を見て、良夜はちょっとだけ反省した。

「って、やらせたのはお前!」

「ちっ……気付いたのね」


『彼氏が彼女に着替えたら』

 参加要項。

 本学学生であること。

 恋人が居る男性であること。レズの男役は禁止。ホモの男役は容認。にわかカップル要相談。

 ブルマ及びスク水は禁止。水着はパレオ付きのみ容認。制服系は要相談。

 女性ホルモン等のドーピングは禁止。生物学履修生有志によるセックスチェック及びドーピング検査あり。

 ここに書かれていることの三割は冗談である。

 出場希望者は十月第三週日曜日までに写メにて企画実行委員会にまで『彼女姿の彼氏』と彼女のツーショット写真を送信すること。

 以上!

 インクジェットプリンターで印刷されたカラフルな紙、薔薇の装飾だの何処かの女装キャラのイラストだの、文面レイアウト共々突っ込み所満載な紙切れ。それは来週行われる学祭のお知らせ。

 何となく部屋の前まで付いてきてしまった良夜は、貴美に手渡された紙切れを見て愕然となった。

 学祭でミスコンがあることは良夜も知っていたが、『女装ミスコン』までもがあるとは初耳だ。しかも、その右下隅、白地にグレー、フォントサイズも少々小さめという非常に控えめな文字で書かれた一文が、良夜の目をひく。何もかも全てが突っ込み所だが、この突っ込み所は余りにも強烈過ぎる。

『商品提供は温かなコーヒーと妖精の歌声があなたをお出迎え。喫茶アルト』

「……美月さん……これ……なに?」

「今忙しいんです~ 後にしてください」

「あっ、後でなお、連れて行くから、りょーやんは自分の部屋で待ってて」

 悲痛な悲鳴を上げる直樹が部屋の中に押し込められると、ドアはごく自然に閉ざされた。もちろん、二人の淑女も一緒に。

 寒空の下の廊下、取り残されるのは突っ込み所満載なチラシを握りしめその一文を指さしている良夜と、その良夜の頭の上に座ったアルトの二人きり。気温以上に体感温度が寒い。

「……私まで取り残されたのだけど……」

「うち来て……コーヒーでも飲むか?」

「死ぬほど熱い奴が良いわ……」

 二人はカックンと肩を落とし、おずおずと良夜の部屋へと帰っていった。

 さて、二人が良夜の部屋に帰ると、安普請な壁一枚向こうからは淑女二人と少年、もとい青年一人の叫び声が木霊しまくっていた。

『いやです!! 絶対にっ!!!』

『今更騒ぐな! なお!! 去年だって学園祭で女装してたじゃんかっ!』

『そうです! 直樹くんの白雪姫、凄く可愛かったですっ!!』

『あっ、それ、一昨年、去年はシンデレラの意地悪な義妹(いもうと)

『毎年毎年、この時期になったら僕を女装させて!! 何が楽しいんですかっ!!』

『何もかもっ!!!』

『毎年してるんなら、今年もするべきですよ! 私も見たいですっ!!』

 どう考えても恥をアパート中どころか、隣近所にまでも広め伝えているような声。それが一番響き渡っている良夜の部屋は、とてもではないが静かに食事を取るという雰囲気ではない。

「はずなのに、何故か、平然とご飯食べてるのよね、良夜って……」

「だから、これくらいのアドリブが利かないとこのメンバーとは付き合えないって……特にお前」

 良夜はお箸でピシッとアルトの呆れ顔をさすと、そのまま、ザックリと無造作にキャベツの千切りを摘んで口に運んだ。

 今夜のご飯は売れ残りのコロッケに一口カツ。そして、千切りにしただけのキャベツが山盛りにインスタントの味噌汁。お総菜の残り物を活用する所為で良夜の食事はどうしても揚げ物が中心になってしまう。だから、バランスを取るためにキャベツの千切りをほとんど毎晩大量に食べていた。ちょっと鳥の気分。

「サラダくらい作れば?」

「ドレッシングは毎日変えてんだぞ? 今日のは梅じそ」

 一口カツをパクッと口に放り込み、良夜は空いたお箸でドレッシングをちょんちょんと突いた。スーパーでバイトしているおかげで、選択肢は文字通り売るほどある。

「変わらないわよ……しかし、隣、うるさいわね」

 アルトはトンカツ相手にストローで格闘しするも、その肉の固さに彼女は根を上げた。プイッと拗ねたような顔でそっぽを向き、今度はコロッケへと取りかかった。

「そのうち静かになるよ……あの二人に掛かったら抵抗したって無駄なんだからさ」

 軽く笑い、良夜は食事を一時中断しキッチンに包丁を取りに行った。ナイフではなく包丁なのは、ナイフだのフォークだのと言う洒落た物を良夜が持っていないから。

「ホント、良夜ってそう言うところ、頓着がないのね」

 あきれ顔のアルトに良夜はトンカツを切り与えると、「そのうち買うよ」とだけ言って、食事を再開した。

 トンカツとコロッケ、ついでにキャベツの千切りが少なくなるに従い、隣の声も静かになっていく。

 そして、テーブルから最後のコロッケが消え失せる頃には、隣から響く声も消え失せていた。

「諦めたかな……直樹の奴」

「そうみたいね、意外と……早かったわね。食後のコーヒー、まだ?」

「良く持った方だよ……と、お茶が残ってるだろう」

 早速コーヒーを欲しがるアルトに、良夜は緑茶の注がれた湯飲みを掲げて見せた。マグカップは引っ越しのさいに買った物だが、ゴツゴツとした大きな湯飲みは、中学時代から彼が愛用している物。取り立てて高級品というわけでもないが、何となく気に入っている。

 そこにたっぷりと注がれたお茶を飲み干して、良夜はほぉと一息。早く早くと急かす妖精が居るが、この食後のひとときは十分に楽しみたい。

「ごちそうさん……んじゃ、コーヒーでも入れるか――」

「良夜さん! 見てください!! これ!!! 凄いですっ!!!」

 来たか……ばたんと大きな音を立てて開かれるドアの音に、良夜とアルトは顔を見合わせて笑った。よっぽど可愛らしく出来上がったのだろう、聞こえる美月の声はいつも以上にご機嫌だ。

 しかし、その良夜とアルトの期待は見事に裏切られた。

「私、感動しました!! 凄いですっ!!」

 大声で叫びながら良夜の部屋に飛び込んできた美月、彼女が見て貰いたかった物、それが――

「Dカップなんですよっ!!! 科学の勝利ですっ!!!」

 三十分前の数倍に育った胸だっただからだ。

「……ああ、パッドだから、パッド……」

 後に続いた貴美が頭を掻きながらそんなことを言って居るのが、遥か遠くから聞こえるような気がした。


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