初デート……か?(4)
「これ位で良い?」
クルクルとビニールの紐を数メートル分取り、それを貴美に手渡す。その脇では直樹が未だに胸に抱きしめた段ボールの向こうからひょこひょこと顔を出して、二人のやりとりを見つていた。
「ありがとう、あっ、良かったら後で一緒にお昼食べない?」
直樹が持ったままの段ボール箱の束に紐を掛けながら、軽い調子の声で言った。
「えっ、良いの?」
「良いんですよ。吉田さんが卵一ダース割っちゃって、一人、ノルマ六個なんです」
直樹は段ボールの束が崩れたりしないことを確かめると、小さな左手を大きく開き、その前に右手の人差し指を押しつけ、はにかんだ笑みを良夜に向けた。そして「浅間くんが食べてくれるとノルマが四つになるからね」と、付け加えた。
「そう言うこと、卵づくしになっちゃうけど……っね、と、イッチョ上がり」
貴美が、美しく長いおみ足で段ボール箱の束を踏みつけ、ぎゅっと紐を引く手に力を込めれば、その束は早々簡単には解けなくなってしまう。
「良かったわね、良夜、一食分食費が浮いたわよ」
卵づくしの根源は良夜の肩の上で、平気な顔をしていた。
「これも私のおかげよね」
訂正、自分の手柄にしやがった。
「んじゃ、ごちそうになるよ」
「それじゃ、すぐに作るからさ、悪いんだけど、ちょっとだけ手伝ってくれる? 男手が欲しくて」
「僕……男」
括り終えた段ボール箱の束を玄関の横にあるパイプシュートの中に押し込みながら言った貴美の言葉に、直樹が小さく反論をする。
「男『手』が欲しいのよ」
貴美は手に微妙なアクセントをつけパイプシュートのドアを閉める。
「男手」
直樹は小さな手を名一杯に広げ、貴美の顔の前に突き出す。ちょっとだけ背伸びしているのが悲しい。
「男手?」
直樹の言葉に微妙なアクセントをつけて、貴美がオウム返し。
良夜はその貴美の顔と、肩の上で成り行きを楽しんでいるアルトの顔を見比べる。同じ種類の、悪意を感じる極上の笑顔を浮かべていた。
そして、貴美がその広げた手に自分の手が重ね合わされると、大きさはほとんど変わらない。強いて言うなら、手のひらは直樹の方が大きく、指は貴美の方が長い。太さは……可哀想なので直樹の方が太いと言うことにしておく。
「そして、男手」
隣で夫婦漫才を見ていた良夜の手を取り、更に直樹の手に押しつける。手のひらも指の長さも太さも、全てが一回り大きい。しかも、少々、男の手としては柔らかい。
敗北感にうちひしがれ、自らの手をじっと見つめる直樹。小さな背中が更に小さく見える。その背を見ると、良夜は言いようのない罪悪感を感じてしまう。弁当を食べ終えた直後に、捨てられた子犬を見つけたときのような罪悪感……とでも言うか?
「まあ……気にするな」
「あの……そう言う場合、頭じゃなくて、肩を叩く物です、浅間くん」
「いや、これが良い位置にあるから。あっ、俺のことは良夜で良いよ。俺も直樹って呼ぶから」
頭をポンポンと優しく叩かれた直樹がふくれ顔で良夜を見上げてくる。その目にはちょっぴり涙が溜まっている。その顔がやっぱり可愛い。
「じゃぁ、そう言うわけだから、手伝ってくれる? りょーやんはテレビを台の上に置いて。なおはパソコンね、液晶だから大丈夫でしょ?」
「良いけど……りょーやん?」
「そう、良夜って呼びにくいもん」
十八年間生きてきて『りょうくん』とか『りょうちゃん』とか『りょう』という愛称で呼ばれた事はあるが、『りょーやん』はなかった。
「良い愛称じゃない、りょーやん♪」
りょーやんの微妙な響きがツボだったのか、アルトは肩に座ったままパタパタと足を何度も動かし笑い転げている。足を動かすと肩胛骨の辺りに当たってくすぐったい。
「りょーやん、りょーやん……くすくす……あははは……りょーやん」
肩で笑い転げているアルトの頭をさりげなく叩いておく。アルトが何か文句をたれているようだが、この際無視。
「いや、呼びにくいんなら、浅間とでも、そもそも、良夜って呼びにくいか?」
良夜という漢字は珍しくても、『良夜』という発音の名前自体は割とポピュラーな名前ではないだろうか?彼女の人生においても数人は見かけているはず。
「嫌? りょーやん」
仰々しく頭を上下に動かし、大きく頷く。
「初対面の人にりょーやんはどうかと思うな、僕も……」
よし、二対一。と、小さく心の中だけでつぶやく。
「あっ、私! 私!」
良夜のつぶやきにアルトが大きく手を挙げ、髪にぶら下がって二対二であることを主張する。もちろん、リカちゃん人形を数に入れるほど良夜は甘くない。しかし、良夜のもみあげが禿げるのも、本当に時間の問題。
「まっ、嫌でも何でも良いんよ。勝手に呼ぶから。それより、さっさと仕事を終わらせないと、もう、十二時過ぎてるよ」
多数決はあっさりと却下されてしまった。とりつく島がない。島に取り付く前に撃沈されるアルト、そもそも、その島がない貴美。どっちがマシなのだろう? なんて、良夜は思う。
「吉田がりょーやんって呼ぶんなら、お前ら二人のことをタカミーズって呼ぶぞ……」
吐き捨てるように小さくつぶやき、床に転がされていた今時ブラウン管の二十一インチのテレビを持ち上げ、テレビ台らしき物の上に置いた。
「わっ、それも嫌だな……お笑い芸人みたい。それもあまり売れてなさそう」
無関係なのにタカミーズの片割れに指名された直樹が、パソコンの配線をしていた手を止め、幼い顔を苦い笑みに変えた。
そして、キッチンで割れた卵をボールに集め、そこから殻の破片を丁寧に取り除いてた貴美の手も止まる。そして、数回口の中で「タカミーズ」と発音してたかと思ったら、彼女はあっさりと言った。
「タカミーズねぇ……良いよ、じゃぁ、私たちはタカミーズで、りょーやんはりょーやん」
「「えぇぇぇぇぇ!?」」
良夜は手に持っていたテレビを落としかけるし、直樹は繋ぎ掛けていたケーブルを思わず引き抜いてしまった。
「ちょっと待ってよ!吉田さん。おかしいでしょ? タカミーズですよ、タカミーズ。売れないお笑い芸人みたいじゃないですか!」
「普通嫌がるだろう?タカミーズだぞ? センスのかけらもない!」
「良夜、自分で考えておいて、『センスのかけらもない』って言うのって、寂しくならない? 確かにないけど」
タカミーズがあっさりと受け入れられ、慌てる良夜にアルトが冷静な突っ込みを入れる。しかし、センスがないのはりょーやんも同じだと良夜は思った。同じと言うよりも、りょーやんの方が酷い。
「えっ、そう? 面白いから良いよ。あっ、りょーやん、冷蔵庫をそこの隅っこに押し込んでおいて」
かくして、良夜はこれから四年間、貴美にりょーやんと呼ばれ続け、貴美と直樹はタカミーズを結成することになった。
当初はテレビを台の上に置くだけだったはずなのに、冷蔵庫とベッドの設置までさせられてしまった。自分の部屋の掃除も終わってないのに、なんで他人の部屋の片付けをして居るんだろう? 食事一回で……それも卵づくし。しみじみと自分が流されていくのが解る。
「やぁ~、助かっちゃった。ありがとう。りょーやんの部屋、終わってなかったんだっけ? ご飯が終わったら手伝うよ」
概ね部屋の片付けは終わり。それから、遅めの昼食を一時を十五分ほど過ぎた時間からはじめた。
「まあ、そうしてくれると助かるけどさ……」
本当に直樹の『男手』は全然役に立たなかった。器用に良く動くから、全くの役立たずというわけではないが、力仕事は良夜一人が請け負っていたも同然である。
其はそれとして、お楽しみのお食事のお時間。先ほど良夜が置いたガラステーブルの上に、厚焼き卵、スクランブルエッグ、ニラ玉、コレステロール値高そうな昼食がどーんと並べられた。
「流石にLサイズを一ダース一度に使うと壮観ですよね……」
三人で黄色一色のテーブルを囲み、見ているだけでお腹が一杯になる食事に手をつける。味は良いのだが、基本的にどれもこれも同じ味。それぞれ、醤油、ケチャップ、マヨネーズ、ソース等を適当に掛け、味にアクセントをつける。しかし、アクセントつけたところで、全部卵を焼いただけの代物なのに、変わりはない。割れた卵だし、引っ越し作業中なんだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが……
「茶碗蒸しとかあったら良かったですよね」
流石にただ飯――労働の報酬と考えれば、ただ飯でもないが、金を払ってるわけでもない良夜には言えないことを、直樹が代弁してくれた。
「蒸し器もないし、耐熱の容器なんて、まだ、買ってないよ。なおのお金で買う? 良いから黙って食べなよ。残ったら夕飯もこれだよ?」
そう言って貴美はパクパクと卵焼きを口に運ぶ。責任を感じているのだろうか? 女性としては随分と他の二人よりも多くの卵を口に運んでいるようだ。
本来なら、その責任の大半はアルトにあるはずなのだが……
そして、その大半の責任を感じるべきアルトが言った。
「私もお腹がすいたわ。ニラ玉で良いから少し貰えるかしら?」
何が『ニラ玉で良いから』なのだろうか? この中で、唯一、卵以外の物体が入ったニラ玉は一番の人気メニューだ。責任を感じている貴美はともかく、男二人は唯一、別の物が入ってるニラ玉中心で食事をしている。
良夜は黙って、厚焼き卵の皿を手元に引き寄せると、二人の死角にアルトを呼び、箸でアルトにも食べやすい大きさに崩す。
「ニラ玉で良いから、って言ったつもりなのだけど……聞こえてないの? りょーやん」
誰が、りょーやんだ。無言のまま、アルトの後頭部を箸でつつく。
「ニラ玉! プレーンは嫌っ!」
みんな、思ってることは同じである。第一、全ての元凶が何自己主張してる? お前は黙って、一番オーソドックスな卵料理を食ってろ。と、心の中でつぶやきながら、アルトの体を持ち上げようとすると、それをアルトがストローで弾く。
くっ……やる……
食事をしているふりをしつつ、箸でアルトの頭をつつこうとする良夜。それをストローで防戦するアルト……なかなか、白熱した戦いである。お互い、顔が本気だ。この場合、本気と書いてマジと読む。
「良夜くん、食べてます?」
思わず、アルトと二人だけの世界を作ってしまっていた所に、直樹の声が進入してきた。
「あっ? ごめん、ボーッとしてた」
アルトから箸を引き、慌てて、取り繕うようにスクランブルエッグとご飯を口にかき込む。
と、その隙にアルトはまさに家庭内害虫がごとき早さでニラ玉のそばに移動した。そして、両手で持ったストローでニラ玉を器用に切り取ると、ストローの先に突き刺し美味しそうにそれを囓るのであった。もちろん、良夜に大きくピースサインを送ることを忘れない……悔しい……
「りょーやん、話聞いてた?」
貴美はあきれ顔でお茶をすすっている。すでに食事は終わらしてしまっているようだ。
「えっ、何が?」
もちろん、アルトと不毛なチャンバラを繰り返していた良夜が聞いているはずがない。それに、食事が終わってないのは良夜だけだ。卵はたっぷりと残っているけど。
「サークルですよ。何処か決めてるんですか?」
取り立てて趣味という物のない良夜は、今のところ入りたいサークルがあるわけでもない。漠然とあるバイトでもしなきゃな、程度の考えしか持っていない。
「タカミーズは?」
命名良夜ではあるが、少々タカミーズという言葉を使うのは恥ずかしい。しかし、りょーやんと呼ばれる以上、タカミーズも使わなければならない。それが男の生きる道なのである。
「タカミーズ、辞めてください、本当に……えっと、僕は二研、二輪車研究会です」
「私も一緒。りょーやんも来たら?」
二輪車……って言うとバイクか……ん?
「直樹ってバイクなんて……」
思わずじろじろと直樹の体を見つめてしまう。ぷっと軽く貴美がそれを吹き出してしまって……
「りょーやんが思うことは正しい。うん、非常に正しい」
笑いながら、何回もうんうんと頷きながら貴美が良夜の肩を叩く。
「……足なら届きます……」
直樹はがっくりとうなだれ、小さな声でぼそぼそと聞かれても居ないことに答える。もちろん、その答えが、良夜の聞きたかったことなのは、誰の目にも明らかなのだが。
「ダブルジーアールだもんねぇ~あれ、女の子でも足がつくし」
ダブルジーアール……ZZR? 確か、カワサキのバイクだったかな? と、記憶をたどるが友人が見ていたバイク雑誌で名前を見たことがあるだけだ。バイクの形を見ただけで判断できるほど詳しくはない。もちろん、名前から形を思い出す事なんて、全く出来ない。
「吉田さんはスクーターじゃないですか……」
「女だから良いのよ……と、りょーやんと一緒なら楽しそうだし、他に予定ないんなら来ない?」
「駄目だわ」
貴美の問いに良夜が答えるよりも早く、アルトが答えた。それは誰にも届いては居ないが、良夜の耳にだけはきっちりと届いている。
「良夜は、大学が終わったらアルトでお茶して、私と遊ぶのよ」
ヲィ、こら。大声出すから何事かと思ったら、そう来やがったか。でもまあ、バイクに興味がないと言えば嘘になるし、スクーターくらいは買わなきゃいけないとは思っているが……
「バイクの免許なんて持ってないし、とてもじゃないけど、バイクを買うような金ないよ」
高校時代にいくらか貯めていたお金もなくはないが、原付の免許と原付本体を買えば、きっちりスッカラカンになる計算だ。自動二輪だと免許しか取れない。保険も入らなきゃいけないし……
そう言うと、二人が少しだけ残念そうにしてくれたのが、良夜には嬉しかった。
「さてと、良夜君のご飯も終わりましたし、お隣の片付けに行きましょうか?」
そう言って、直樹が立ち上がれば、他の二人も立ち上がり、いよいよ良夜の部屋の片付けが始まった。