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海と空で(5)

 初日の夜、五人の泊まる貸別荘。そのリビングキッチンのど真ん中に置かれたテーブル、その上には四人分と言うには多すぎる食事。メインは肉じゃが、副菜も概ね日本食。いつも喫茶アルトの賄いで、洋食ばっかりの美月は和食に飢えていた。

「それではですね、最年長で、唯一の大人である、不肖三島美月が――」

 座った三人、いや、四人を前で缶ビールを掲げるのは最年長の美月、神妙な表情を作ろうとする努力はかいま見えるが、ほっぺたと目の辺りは先ほどから笑いっぱなし。

「はい、かんぱ~い」

 空気を読んでないのか、空気を読んだ上で遊んでいるのか、美月の音頭は貴美によって奪われた。一息に流し込まれるビール、相変わらず貴美の飲み方はダイナミック。缶ビールを半分ほど飲み干すと、大皿に盛られた肉じゃがを箸で掴みポイと口の中に放り込んだ。租借して、残っていたビールで流し込む。乾杯の宣言からここまで、わずか一分少々。

 乾杯の挨拶をしていた美月は呆気にとられた表情で見つめるしかなかった。

「……相変わらず、吉田さんは漢らしい飲み方をすんな」

「本当に後でよーーーーく、言い聞かせておきますから」

「言って聞くような人間じゃないのは、直樹が一番知ってると思うわ」

 良夜が呆れた声を上げ、直樹が美月に詫びを入れ、アルトがその詫びをはっきり無駄な努力と言いきり、初日最後のイベントがスタートした。

(また、吉田さんに潰されるんだろうなぁ……)

 過去数回の飲み会の経験から、良夜はそんな確信を持っていた。出来れば二日目を二日酔いで過ごしたくはない、そんなことを思いながら、良夜は首を後ろへと倒した。見上げる天井に穿たれた天窓、そこは満天の星空。二日酔いになってなきゃ明日も海水浴日和。明日も泳ぎに来い、とでも言うかのように遥か遠くからは潮騒の音が聞こえていた。


 この夕食というか、飲み会というか、そう言うのを一番楽しみにしていたのは美月だった。彼女は良夜とタカミーズの飲み会にアルトまで参加していた、と言う話――『四人で飲もう』参照――を聞いたとき、それはそれは大層残念がっていた。一度飲み会に参加してみたい、と言う話は何度もしていたのだが、結局、その機会は今日この時までお預けのまま。そんなわけで彼女は大喜び、アルコールの買い出しでは発泡酒だの雑穀酒だの、安めの酒を選ぶ良夜やタカミーズを尻目に、ワインだの日本酒だのリキュールだの、値の張る物を自腹で購入するほど。

「美月さんってお酒、好きなんだ?」

 種類はいろいろあるが、とりあえずビール、と言う事で良夜が握っているのはビールのグラス。貴美に鍛えられたおかげで、ビールの味も少しは判るようになってきた。ビーチで泳いだ後のビール、と言う物は確かに格別。喉で弾ける炭酸と苦味、確かに高い金を払って飲むだけのことはあるような気がする……二日酔いさえなければ。

「はい、お爺さんと二人暮らしになった後は、時々、カルアミルクとかワインとか頂いてましたから」

 そう言う美月は、先ほどからコーヒーリキュールとミルクを混ぜ合わせてカルアミルクを作っては、それを口に運んでいる。肉じゃがをつまみにカルアミルクを飲める辺り、彼女もただ者ではない。しかも、最初の一杯目からそれだというのだから、なおさらだ。

「じゃぁ、美月さんも未成年の頃から飲んでたんだよなぁ……」

 慣れた手つきでカルアミルクを作っては口に運ぶ美月、良夜もビールを片手にその姿を見るともなしに見ていた。そして、その姿を見ていると思い出されるのは、つい二週間ほど前、美月にされたお説教。

「はい、そうですよ? どうかしました?」

 大きな目をまん丸くなり、美月のミルクを注いでいた手が止まる。止まらないミルクがダンプラーから溢れようとすると、隣に座る貴美の手により、そのミルクのパックがヒョイと取り上げられた。

 未だに注ぐ形で固まった美月の手を見つめ、良夜は「ほら」とこの間のお説教のことを話題に乗せた。どうでも良いけど、あの手はいつまであのままなのだろうか? ちょっぴり気になる。

「……そんなこと言いました?」

 十秒ほど記憶をたぐるも、思い出せなかった美月は、思い出したかのように固まっていた手を動かしてダンプラーを掴んで口へと運んだ。ミルクが多すぎるような気がする。あれだとカルア風味のミルクだが、本人は美味しそうにその喉をゴクゴクと鳴らしていた。見てるだけの良夜の口が甘くなって来るみたい。

「清華さんが帰ってきたとき」

「ああ、なおが逃げ出したとき?」

 良夜が日付を指定すると、牛乳パックと缶ビールを見比べていた貴美の視線が、隣でチビチビとビールを飲んでいた直樹の顔を射抜いた。顔は笑っているが、目は全然笑っていない。

「! だって、恐かったんですよ……三島さんが」

 ビクン! と視線で殺される直樹。弱い。

「良夜、美月、本当に覚えてないわよ……お代わり」

 アルトは前回と同じように、良夜が与えたペットボトルの蓋を杯にビールを飲んでいた。カルアミルクの方を好むかと思ったが、そちらには手を付けていない。甘いから嫌いらしい。良夜の前に座って、相変わらず今場所優勝の力士を演じていたアルトが、空になった蓋を差し出し、そう言った。

 えっ? と思ったが聞き返すわけにも行かず、グラスの上に差し出された蓋と自分のグラスにビールを注ぎ込みながら、美月の顔を見た。

「うーんっと……そりゃ、未成年が沢山お酒飲むのはどうかと思いますけど……お説教なんてしました?」

 カルアミルを飲みながらも、飲み干してタンブラーをテーブルに置いた後も、美月はうーんと唸り続けていた。答えが出るような様子は全くない。

「……きれいに忘れてるんですね……アレだけグチグチ言ってたのに」

 三十分にも及ぶ八つ当たり丸出しのお説教を良夜はちゃーんと覚えている。覚えすぎてていやになるくらい。それを忘れ去れているんだから、ガックリと良夜の肩から力が抜けた。

「そうなん? 私は近付かなかったから、知らないけど」

「僕も逃げ出してましたから……」

「そうそう、彼女、置き去りにしてさっさと帰ったんよね、なおは」

「ううう……その件に関しては凄く謝ったじゃないですか……」

 貴美も楽しげに直樹を困らせ、そして怖がらせているが、逃げ出したという点については、まさに五十歩百歩。他の席まで逃げ出したか、家まで逃げ出したか、それだけの差しかない。

「美月が思い出し怒りをしてるときは、ほとんど、自分でも何を言ってるのか判ってないのよ」

 何を言っているか判らないから、何を言ったかも覚えていない。一番タチの悪い怒り方だ。はぁと大きなため息をつきながらビールを飲み干す良夜を、アルトが赤い顔で見上げた。

「そして、それを思い出させると、また、思い出し怒りが始まるのよ……お代わり」

 再び差し出されるキャップの杯、良夜は無意識のうちにそこへとアルコールを注ぎ込んだ。面倒な人だなぁ……なんて思っていたりする。

 と、その瞬間! うーんと首をかしげていた美月がぽん! と一つ手を叩いた。

「そうそう、皆さん、未成年なんですから、深酒は駄目ですよ。特に女性がお酒の香をさせながら働くのはちょっと……それから、直樹くんは小さい子なんですから、お酒なんて飲んでるとますます小さくなりますよ。良夜さんだって、日付が判らなくなるほど飲んだり、麻雀したりというのは、学生のする事とは違うと思うんです」

 美月は立て板に水とばかりに、先日良夜に言ったことに付け加え、貴美や直樹に対するお説教までスタートさせてしまった。八つ当たりが入っていない分、口調は幾分優しく、お姉さんが弟たちを叱っているような感じ。しかし、前回は一人分、今回は三人分、分量が三倍になったら、日付が変わってしまうに違いない。

「ねっ? 始まったわ」

 予想が当たってアルトは大威張り。何もかもが遅すぎる、そう言うことは三日前から念入りに教えてくれて無くては困る。判っていたら、最初からそんな話持ち出してなかったのに……なんていっても後の祭り。

「りょーやんが思い出させたからだね」

 ビールに飽きたのか、貴美もカルアミルクを一杯作ってそれに口を付けた。一応、彼女も怒られている立場の人間だが、余り気にしては居ない様子。まるで第三者を装い、作ったカルアミルクの味を確認していた。アルコールが足りないのか、カルーアを追加、こっちは美月とは逆にミルク風味のコーヒーリキュール。

「……小さい子なんですか……僕」

 直樹は直樹で、怒られると言うことよりも『小さな子』のフレーズに傷ついていた。いじけた子供のようにグラスの縁を指先で撫でるのは、一応十九歳でこのメンツ二番目の年長者。

「いいですか? アルコールは二十歳を過ぎてから、と法律でも決まっているんですからね。全然飲むなとはもうしません。私も高校を卒業したら、少しは頂いてました。カルアミルクとかアイリッシュコーヒーとか、カフェロワイヤルなんか、それはそれは美味しいですし、モカ・オランジェなんかストレートで飲んでもモカの苦味とオレンジの香りが素晴らしいんですよ、知ってましたか? コーヒーリキュールはカルーアだけじゃないんですよ? うちのお店でも余った豆を焼酎に漬けて、ちょっとしたリキュールを作ったりしてる訳なんですよ。これがまた美味しくてですね。サイダーで割っただけでも沢山飲めまして。帰ったら、ごちそうしますね。お祖父さんの秘蔵品なんですよ」

 余り迫力はないがお説教の顔をしていた彼女の顔が、いつの間にかニコニコと笑っている物へと変わっていた。貴美が取り上げた牛乳パックを取り返し、カルアミルクもまた作り始めている。

「……ねえ、なお、美月さん、なんの話をしてんの?」

 次のアルコールをカルアミルクにするか、ビールにするかで迷っていた貴美が、隣の恋人の袖を引いた。

「……さあ? 僕に聞かれましても……」

「……コーヒーカクテルは美味しいって話じゃないか?」

「アルコールが入ってるから、話があっちこっちに飛ぶのよね……良夜、お代わり」

 一番タチの悪い酔っぱらいだな、そんなことを考えながら、良夜はアルトの差し出す杯にビールを注いだ。しかし、今夜もこいつはピッチが速い。また、悪酔いされると面倒だ。酔うと脱ぐタイプだし……

「それでですね、ですが、飲むのは良いんですが、飲まれるのはダメだと思うんですよ。特に未成年は。ところで、暑いですね」

 成人も飲まれちゃダメだし、今、酒に飲まれてるのはあなた……って、言う突っ込みをする暇もあらばこそ。カルアミルクでいい具合に出来上がった美月は、自らのブラウスのボタンをプチンプチンと外し始めた。露わになるのは、白いレース付きのブラジャー。

 ああ、アルトの脱ぎ癖は美月譲りか……いや、アルトの方が年上だから、アルト譲りの脱ぎ癖と言うべきなのかな……

 ……

 誰もが止めることを忘れていた。忘れている間に美月はワンピースの中から肩を抜こうとしている。ちょうど、遠山の金さんが桜吹雪をご披露するみたいな感じ。

「……わっ! 美月さん、ブラウスのボタン外しちゃ駄目!!」

 最初に正気に戻ったのは、ここ半年ばかり『不測の事態』という奴に好かれている良夜だった。弾かれたように椅子から立ち上がると、大声で美月を制した。まあ、その視線が美月の日焼けで赤くなりかけてる肩とか、愛らしいブラに包まれた小振りな乳房に行ってたのはご愛敬。

「なお、りょーやん! とりあえず、出て行き!」

 良夜の声で正気に立ち返った貴美は、直樹の頭を抱え込みながら、これまた大声で怒鳴った。

「苦しいです~~~」

 美月の胸は見えなかった直樹は、代わりに貴美の胸で窒息しかけていた。そこは彼の物なので、存分に味わっても問題なし。

 そして、良夜と直樹の二人は貴美に玄関の外へと追い出されてしまった……男部屋のほうではなく、玄関の外へ追い出されたのは、追い出した貴美が十分に取り乱していたからだろう。


 問答無用で外に追い出された男二人、その手には握ったままだったグラスが一つずつ握られていた。

 隣の貸別荘との間には目隠し代わりの松林、すぐ傍には海もあり、先ほどから潮騒が聞こえているが、そこは岩場で泳ぐには適していないそうだ。

「なんか、初日から酷い目に会ってるなぁ……」

 トンとログハウス風に作られた外壁に背中を押し付ける。手持ちのビールは後二口ほど。良夜は直樹がするかのようにそれを唇と舌の先だけで大事に味わい始めた。

「楽しいですけどね……うわぁ……星、凄いです」

 直樹も同じように壁に体重を預けた。そして見上げる視線は大空へ。

「……今夜は新月か……すげー星空だな……」

 満天の星空に月はなく、空一面にダイヤの粉をぶちまけたような星空。普段見ている星よりも数が多く、そして、小さな星の光までもが、揺らぎながら良夜と直樹の元にまで届く。手を伸ばせば届きそうな星空……ではない。もう、これは星に包まれるような空間だ。

「……何か……追い出されて得しちゃいましたね」

 直樹が小さくつぶやき、良夜も無言でそれを肯定する。二人は視線もあわさず、ただ、星々へと視線を向け続けた……

「ああ、そうだな……二人で乾杯すっか?」

 良夜がグラスを差し出し、それに直樹が小さく応じる。チン、涼やかな音は星の間を駆け抜け、潮騒と一瞬だけのハーモニーを奏でた。

「男同士って言うのもたまにはいいですよね」

「吉田さんが無駄に喜びそうなフレーズだな」

 小さな声で二人が笑いあう。それも星と星の間で潮騒に交わった。

 少ないビールのおつまみは、少ない会話と多すぎる星。まあ、確かに男同士も悪くはない。


 男同士の時間は、三十分ほども続いた。いくら星が綺麗だからって、たったグラス一杯のビールでは間が持たない。いい加減、中に入れてくれなきゃ、二人で遊びに行くぞ、と二人が思い始めた頃になり、ようやく玄関の扉が開いた。

「なお、りょーやん……入っていいよ……」

 玄関から出て来た貴美の顔は焦燥しきっていた。こんな顔は良夜はもちろん、直樹ですら数えるほどにしか見たことがない。

「大丈夫ですか?」

「……全然駄目……」

 直樹が心配そうに顔を覗き込めば、貴美は大きく首を振った。

「どうした?」

「見りゃ、判るよ……」

 貴美が顔だけ出していたドアが開かれ、ようやく中へと招き入れられる。最初に見えたのは美月が先ほどまで着ていた、半袖のワンピースと小さなブラジャー……ブラジャー?

「お帰りなさい、では、お話の続きをしましょうか?」

 そう言った美月の格好を見た良夜と直樹の顎が落ちた。

「……水着とパーカーを着せるのがやっとだったんよ……」

 良夜達の横では貴美が頭を抱えていた。

 貴美の一苦労を一部始終見ていたアルトは、良夜が帰ってくるとテーブルの上から彼の肩へと飛び移った。

「……酔うと脱ぐのって最低よね……気をつけるわ」

 客観視してくれてありがとう、反省しきりのアルトを見て、良夜はそう思った。

 ……まあ、どうせ、脱ぐと思うけど。


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