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一人暮らし-TAKE2-(1)

 吉田貴美は毎年数回ある時期がくると挙動不審になる。ぼんやりとカレンダーと財布の中身を見くらべてはため息をついたり、ソワソワと落ち着きをなくしたり。

 そんな時、彼女の恋人――高見直樹は季節を知るのだ。

「ああ、そろそろコミケか……」

 と。

「行きゃ良いんじゃねーか?」

 喫茶アルトには死角がある。渓谷側の窓際最前列、そこは四季折々に表情を変える山が渓谷の向こうに見え、景色は最高、フロアに人があふれてきても喧騒が届きにくいというロケーションと合わさって特等席とも言える。ただし一つ、隅っこ過ぎて店員が時々忘れちゃうという欠点を無視すれば。おかげでここに座るのは休憩中の店員か店員とよっぽど親しい客しか座らない。

 そんな一風変わった席で、直樹と良夜はチョコスフレとチーズケーキをアイスコーヒーのつまみにしながら、話をしていた。

「やっぱ、金?」

「多分……」

 良夜は必要もないのに声の調子を一つ音して言った。それに直樹もかなり控えめに頷いて見せる。彼ら自身、夏休みの午後をここで小さなケーキとアイスコーヒーをお供にダラダラと過ごしている原因が概ねそれだ。そういうのも直樹たちが海から帰ってきたのはついこの間の事。宿泊費はつてを使ってロハで上げられたものの、そこでの食費、海の家での席料、大量購入した花火、スイカ割りのスイカに交通費等々、一週間も出かけてれば金はなくなって当たり前だ。

 ちなみに今突いているケーキも美月のお情けでわけてもらった期限切れ廃棄直前のケーキだったりする。わびしいことこの上ない。

「宝くじでもあたらねーかねぇ……」

 だらぁんと良夜は背もたれに体重をかけながら、ありえない仮定をつぶやく。なお、この男「賭けはやらない」と言うポリシーを持っているらしく、パチンコはおろか宝くじも買ったことがない。買ったことのない宝くじを当てにするあたり、彼のおつむもかなり茹だってきているのだろう。

「……あっ、そー言えば……」

 不意に良夜はつぶやき、預けていた体重を背もたれから奪い返した。

「吉田さんって、同人誌とか書かないのか? ほら、腐女子の定番だろう?」

 奪い返した勢いをわずかにとどめ、彼はテーブルの上に肘をつく。そして、直樹の顔を見ながらそう言った。

「書きませんよ……あはっ、吉田さん、美術ダメですから」

「文章とかは? ほら、文研の連中もやってるじゃね?」

 クスッと直樹は控えめな笑い声を上げる。そして、思い出すのは彼女が今までにやってきた武勇伝だ。例えば、美術の授業では似顔絵を書かれた女子が「ひどい……」とだけつぶやいてマジ泣きしちゃったとか、読書感想文にあらすじと「と言うお話でした。退屈でした」とだけ書いて提出したとか……しかもそれは高校一年の話。

「理屈こね回す論文はいいんですけどね。数式とデータで型のつかない文章は読むのも書くのも嫌、だそうですよ。『変な小説』も好きとか嫌いとか戦ったとか負けたとか、全部、流し読みですから」

 武勇伝を一通り語り終えると、良夜の顔にもこらえきれない笑みがありありと浮かび上がる。

「……じゃぁ、何を読んでるんだよ!?」

「カラミと挿絵」

 良夜の疑問に直樹が真顔で答えると、会話のお供に笑い声が仲間入り。二人がひとしきり笑うと、良夜は未だに収まらない笑いをグラスに残っていたコーヒーとともに喉へと流し込む。そして、一息。ほぼクラッシュアイスだけになったグラスとコルクのコースターにコトッと置くと、彼はやらおら落ち着き一言言った。

「ところでさ、直樹」

 その言葉に直樹が「何?」と問い直す暇もあらばこそ。彼は一秒の間もおかずに言葉をつないだ。

「……定番だけど、後ろに吉田さん」

 喫茶アルトには死角がある。油断すると客が店員から忘れ去られてしまう死角だ。そして、そこは油断すると客が店員の存在も忘れてしまう場所でもあった。


 耳から脳みそがあふれるんじゃないかと思うようなトレイの一撃、しかも角を食らい、直樹はぐったりとテーブルの上に額を密着させていた。

「確かに金もないんだけどさ……これを置いて出掛けるんもねぇ……不安なんよ」

 これ、と言う言葉とともに直樹のうなじに押し付けられている肘に力と体重がこもる。そうなれば直樹の額はますますテーブルの天板と仲良しこよし。

「しかし……吉田さんって直樹に甘いよなぁ……」

 それは新しい見解だな、と直樹はテーブルの木目を数えながら思った。どこの世界に甘いとする対象のうなじを肘置き代わりにした挙句、そこにどんどん体重をかけてくる人間がいるのだろうか? 

「だって、なお、ほったらかしにしてたら……家、焼けるよ?」

「だから、それでヨシとしている辺りが甘いって事だよ。教えたらどうだ?」

「なおに教えてるとイラッと来るんよねぇ……」

 額はテーブルとの逢瀬を楽しみ、視野の中には同心円を描く木目だけを見つめる。そんな中、直樹は頭上を行き交う悪口に耳を傾けていた。もちろん、傾けたい訳ではないが、傾けざるを得ない状況にあるだけだ。暴れても逃してくれないおかげで、すでに彼は疲れきってる。

「そんなんじゃ、直樹、吉田さんと別れたら飢えじ――」

 良夜の言葉が途中で途切れる。それと同時にうなじを押さえつけていた圧力が消え去れば、直樹の額は天板から泣き別れ。明るい夏の日差しが彼の視野を真っ白に染め上げ、一瞬、世界は光るもやに包まれる。そのもやが張れていくと、そこには――

 首をねじ切らんばかりにそっぽを向かされている良夜とそのテンプルに見事な右フックを叩き込んでいる我が恋人の姿があった。

 アッと……とっさに出掛けた声を直樹は飲み込む。良く考えたらというか、考えるまでもなく、良夜はさっきまで自分を平気で見捨てていた男だ。そんな彼にかける情けなど、直樹の物理的に小さめな胸、どこを探しても存在していない。

「って、殺す気だったろう!?」

「あっ、なお、起きた? コーヒーのおかわり、いる?」

「無視かよ!?」

 ワイワイガヤガヤ、貴美と良夜のもめごとを直樹が冷たい表情で見つめること数分。

 そこからさらに十分ほどの時間が過ぎると、テーブルの上には新しいアイスコーヒーが三杯とクッキー一皿、ついでに三つ目の椅子がテーブルを飾った。

「と・も・か・く、だ!」

 こめかみを一発、力一杯殴られ、言いたいことは右から左と散々な目にあった良夜だったが、貴美のコーヒーとクッキーの慰謝料でひとまずは(ほこ)を納めていた。もっとも、そこかしこに不機嫌なオーラーが漂っている事はいなめない。

「せめてインスタントラーメンくらいは作って、三日や四日位部屋を現状維持にできないと人生困るぞ?」

「だって、吉田さん、すぐに怒るんですよ。やり方が悪いとか手際が悪いとか本は読むなとか」

「本は読むな」

 直樹の情けない言い訳を良夜はピシャリ。それに引き続いて、アイスコーヒーにこれでもかっ!? と大量のクリームとガムシロップを投入していた貴美が口を開いた。

「サラッとサボってたり、こっちの思惑を全然考えてなかったり……りょーやんも別荘で解ったっしょ? 二回も行ったんだし」

「まあ……な。手伝ってんのか、邪魔してんのか? ってか、確実に邪魔だからどっか行けって感じ……かな?」

「四角い部屋を丸く掃くんならともかく、三角に掃いた挙句に残った部分にゴミを積み上げて、後からそこを掃除しようとして、それをひっくり返すタイプなんよ、なおは」

「ああ、あったあった、そういうこと。アルトは邪魔する気満々で邪魔してくるから対処のしようもあるけど、直樹は邪魔する気なくて邪魔するから始末におえないんだよな」

「でしょう!? だから、もう私がやっちゃおうって気になるんよ!」

 良夜の言葉に貴美は我が意を得たりと大きく頷く。そして、再び始まる悪口大会。一言言葉が行き交うごとに直樹の額が先ほど泣き別れをした天板へと近づいていく。

 そして、ごんっ! と響く音を立てると、直樹はそこにスプリングでも仕掛けていたような勢いで顔をはね上げさせた。

「判りました! いいです! じゃぁ、吉田さんはコミケでもアキバでも日本橋でもどこでも行って、エッチな同人誌でも機関紙でも何でも買ってきてください!! 僕は僕で勝手に生活しますから!!!」

 顔をはね上げた勢いをそのままに直樹は椅子から立ち上がると、その両手をテーブルに力いっぱい叩きつけた。ほとんど減っていないグラスが一度飛び跳ね、数滴ばかりのしずくでテーブルを飾る。そうなると二人の視線は直樹に集中。それが彼を一気に冷静な所へと引き戻した。

「あっ……いや……えっと……」

 立ち上がったままの直樹を貴美は見上げた。そして、パチクリ……数回瞬きしたかと思ったら、すっと右手を差し出す。水仕事をしているはずなのに奇麗な指先。丁寧なスキンケアの賜物、その指先をくいくいと数回動かしたら、彼女は言った。

「お金」

「あっ……!」

 直樹が反射的に発した言葉は、良夜と貴美の笑い声にかき消された。そして、直樹の頬は先ほどとは全く違う感情で赤くなった。それをごまかすように、直樹はすとん! と椅子に腰を下ろすと、テーブルの上に置いてあったアイスコーヒーを一息に半分ほど飲み干した。

「直樹の決意は買うとしても、チャンスは次回持ち越しだ――……あれ?」

 直樹に習い、グラスに口をつけた良夜の手が止まった。

「このコーヒー……味が変だ……」

 良夜が不思議そうにつぶやくと、貴美はあちゃぁとフロアの天井へと視線を放り出した。

「ごめん、今、店長も美月さんも清華ちゃんも美月さんちのパパと一緒に、事務室で家族会議やってんよ……だから、そのコーヒー、私が煎れた」

 パンパンと大きく二度ほど柏手を打って、貴美は良夜に素直に詫びる。直樹はそれを見ながら改めてアイスコーヒーに口をつけてみた。先ほどはいつもと同じ……とすら思わずに飲んだ物だが、言われてみればどこかおかしいような気がしてくるから不思議な物だ。

「まあ、良いよ。飲めるし……ところで家族会議って?」

「ああ、店長をね……美月さんちのパパが連れて帰ろうとしてるっぽいんよ」

「えっ?」

 直樹と良夜の顔が貴美の方へと向き、貴美はタレ目の顔を少しだけ生真面目な物へと変えた。

 彼女の言った話をかいつまんで言うと、要するに『そろそろ歳なんだから、店は閉めるか譲るかして同居しろ』と言うことだ。

 もちろん、そんな話、直樹は初耳。ギョッと思わず目が大きく見開いき、彼は言った。

「そんなおおごとなんですか?」

「ううん」

 良夜の気持ちも代弁した言葉に、貴美は大きくかぶりを振る。そして、クリームとガムで溢れ出しそうになったグラスに口をつけ喉を潤し、言葉をつないだ。

「結果は話し合う前に出てんよ。店長にその気はないし、美月さんはぶちきれてるし、清華ちゃんは基本的に店長の味方だし……」

「それでアルトの姿が見えなかったのか……あいつも絶対反対だろうし……時間の問題だな」

 負ける要素を貴美が指折り数えれば、わずかとは言えない緊張感をまとっていた良夜もその格好を崩す。直樹も同様に拍子抜けした感情を胸に、トンと音を立てて頭を後ろにある壁に押し付けた。この壁の向こう側がちょうど喫茶アルトの事務室兼倉庫だな、と思ったその時だった。

 どばたん!

 直樹がもたれた壁がその身をふるわせるほどの音が鳴り響き、直樹の体がビクン! と跳ね上がる。直後に響くのは男性の鋭い罵声だ。

「もう俺は知らないからな!! カウンターに突っ伏して死んじま――! 痛い!! ああ、もう、判った判ったから!!」

「それこそ本望ですよ」

「お父さんが過労死しちゃえば良いんです。アルト、もっと刺しても良いですよ!」

「あら、お父さんが死んだら、お母さん、帰ってきて美月ちゃんの仕事取っちゃうわよ?」

 ワイワイガヤガヤ。頭の上で一生懸命、手を振り回す拓哉が先頭に立ち、三島家ご一同が事務室からフロアへと出てくる。その列二番目に立ち、拓哉相手に娘とは思えない暴言を吐いていた美月は、良夜に気づくとパタパタと足音を立てて近づいてきた。

「良夜さん! 聞いてください! お父さんったらひどいんですよ!? 知ってましたか?!」

 駆け寄る彼女に良夜は苦笑いを浮かべ『はいはい』と心の余りこもっていない返事だけを返す。直樹も安堵の気持ちを込めた苦笑いを浮かべると、貴美は直樹の顔を見て小さなウィンクをして見せた。

 そのウィンクに肩をすくめるだけで返事をし、直樹は意識を再び三島家の、特にカウンターの方へと向かった三人へと向けた。

「もう良い! 清華! 帰るぞ!」

 プッツンしちゃったのか、諦めたのか。拓哉は投げやりにそう言うと、つかつかとカウンターの前を素通り。緩めることなく出入り口へと足を向ける。しかし、それに清華はついて行かず、カウンターのストゥールに腰を下ろした。

「今から出たら、横浜につくの、何時だと思ってるんですか?」

 呆れ返った口調にピタリと拓哉の足が止まる。そして彼は止めた足を再び動かし始め、「判ってる!」と逆ギレぎみに叫んで、喫茶アルトのフロアを後にした。ちなみにこの後、拓哉は坂を下りたところにあるパチンコ屋に出向き、ドル箱を積み上げる陽の横で、あまり多くはないお小遣いをすっかりすってしまったそうだ.

「あの人の気持ちも判るんですけどねぇ……」

「これだけがわがままですから。コーヒー、飲みます?」

 カウンターをはさんで向かい合う二人、それを少し首を伸ばすように見ていた直樹はそこから視線を逸らした。そして視線をテーブルに戻してみれば、美月が良夜の通訳を交えて出て行った男性の悪口に花を咲かせていた。その良夜のバツの悪そうな顔……良夜当人以外に見えない妖精と他の人が会話をし始めれば、良夜はその仲介に立つしかない。おかげで良夜は言いたくもない悪口を言わされるハメになる。バツも悪くなろうという物だ。

「でも、知らない人が聞いたら良夜君が言ってるみたいですよ……しかも三島さんよりよっぽどひどい」

「言ってくれるな……――お前も言えば良いってさ、アルトが」

 三人の会話に直樹も入って、直樹はその意識を逸らした。その時彼女がうーんと腕組みしながら、何事かを考えていることも知らずに。もっとも気付いていようがいまいが、この後に起こされる一連の事件に寸毫の影響もあたえないことは、直樹自身、今までの経験からして良く判っていることだ。

 うん! と貴美は大きく頷き、意を決す。組んでいた手をテーブルに叩きつけ、その勢いのままに立ち上がる。向かう先は清華が和明の煎れたコーヒーを飲んでいるカウンターだ。彼女は大股でそこへと近づくと、金に近い茶髪を大きくゆらして頭を下げた。

「よし! 清華ちゃん!! 悪いんだけど、車に乗せてって!! 横浜まで! 私、コミケ行きたい!」

 かくして、直樹の決意が試される『次回』のチャンスは唐突にやってきた。


 なお、この時、良夜の肩の上に乗っていた妖精さんはこう言っていたという……

「良夜、お隣さんが火事出したら……貴方も死ぬわね?」

 そして、良夜はそれを真面目に心配したそうだ。  


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