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父と娘と妖精と煙(1)

 真っ青な空に入道雲がモクモク、海辺から喫茶アルトまで、空が繋がっている事を教えるように夏空が広がっていた。その下を喫茶アルトへと向け、走る二台のオートバイがいた。一台はシルバーのビックスクーター、シルバーウィング。もう一台は黒いツアラーZZR-400。大学周辺では『渋滞の元』として恐れられているタカミーズのバイクだ。もちろん、主な原因は何があっても法令絶対遵守の女貴美が、直樹が先行する事を決して許さないからだ。

 もっとも貴美に言わせると『他の連中が飛ばしすぎ』と言う事になるのだが……

 二人は、良夜と美月がフェリー乗り場でイチャイチャしてた頃、彩音の自宅前で陽達と別れ、喫茶アルトにまで戻っていた。目的はただ一つ。

「ケーキ、ケーキ、ひさかのケーキ、チョコも良いけどクリームもねっと♪」

 鼻歌交じりに荷物満載のスクーターをアルトの店の前に止め、貴美はゴーグルとハーフヘルメットを脱いだ。ヘルメットに押さえつけられていた髪には汗が染みこみ、かき上げる指にまとわりついてくる。それをバックミラーで直しながら、彼女は同様に荷物満載のZZRから下りる直樹を待つ。

 スクータータイプのシルバーウィングと違って直樹のZZRはタンデムシートの荷物が多くなると下りるのが大変になる。直樹の場合は人よりも小柄で足の長さもそれ相応とあって、その苦労は人一倍。彼女が覗くバックミラーには、彼女自身の背後で彼がジタバタと足掻くざまがはっきりと映し出されていた。

「抱っこして降ろして上げようか?」

「大きなお世話です! 荷物が多いんだから、仕方ないじゃないですか……」

 一苦労を終わらせた直樹にからかいの言葉を投げ与えれば、彼は細身の頬を大きく膨らませる。それに軽く含み笑いを向けると、彼の機嫌はますます悪化だ。プイッとそっぽを向いた恋人に背後から近付くと、貴美は自分の頭以上に湿気を帯びた頭をポンと一つ叩く。その拍子に振り向いた彼の指に自分の指を絡めると、彼女はおきまりの台詞を吐いて、喫茶アルトのドアへと近付く。

「いこっ、なお」

 未だふくれっ面ではあるが、素直に手を握り替えしてくる直樹を連れて、貴美はアルトのドアベルを鳴らす。

 から~んと乾いた声でドアベルが声を上げれば、そこは――

 火災現場だった。

「うそっ!?」

 咄嗟に叫んでみても、彼女の目の前はしろ、シロ、白の真っ白け。伸ばした手の先も白む空間に頭の中も真っ白け。

「あら、お帰り」

 止まった思考の外側からやけに気の抜けた声が聞こえると、貴美と直樹の二人は反射的にそちらへと顔を向ける。白い煙の向こう側にいたのは喫茶アルトの制服を着た中年の女性――三島清華だった。

「何ですか!? これっ!」

 直樹が驚きの声を上げれば、清華は煙に霞む顔を小さく微笑ませながら言う。

「今、喫茶アルトは『煙草解禁中』なのよ」

 その台詞を聞き、貴美は清華の浮かべる笑みがやけっぱちの笑みであると直感的に理解した。


 カウンター席に着き改めて店内を見渡してみれば、喫茶アルトのフロアは夏休みとは思えないほどの盛況を博していた。しかもその客の大部分は学生と言うには(とう)の立った中年、もしくは以上の男性ばかり。見覚えのある顔がいくつか見える所から、どうやら学生ではなく教授を初めとした大学職員が主な客なのだろう。

「ほら、キャンパス、何年か前から全面禁煙でしょう? 皆さん、煙草に飢えていらっしゃるのですよ」

 コポコポといい音を立て、和明の手に持ったポットからネルを通してサーバにお湯が注ぎ込まれていた。そこからフロアへと貴美が視線を移してみる。そこにはただコーヒーと煙草を楽しむ客だけではなく、データが印刷された書類片手にノートパソコンに首っ丈って客や、大量の書籍を積み上げ貪るように読みふける客までも居た。当然、彼らの目の前には煙草の吸い殻が山積みになった灰皿が一つと言わず二つ三つと常備済み。普段同様、フロアは概ね静かではあるが、その雰囲気は普段とは一変。まるでどこかの会社の会議室のようだ。

「鬼の居ぬ間の肺の洗濯、ですよ」

「……余計に汚れませんか?」

 直樹が小さな声で反論を言うと、老人は小さな笑みを浮かべ、

「喫煙家の肺は特別ですから」

 と、悪戯な笑みを浮かべて言った。

「最近は住みにくい世の中になってしまいましたけどね」

 そして、空になったポットをカウンターの隅に置き、老人はクラッシュアイスをたっぷりと詰めたグラスに入れ立てのコーヒーを一気に注ぐ。注がれる片っ端からクラッシュアイスが音を立てて溶けていき、冷たく美味しいアイスコーヒーに早変わり。

 そのグラスの中の氷が溶け、熱いコーヒーが冷たく冷えるのを待つ。

 しばしの時。

 そして、貴美はグラスが汗をかき始めると、やおらそれに手を伸ばした。

 冷たい感触が夏の日差しに焼かれた指先に心地良い。

 そのグラスにたっぷりとミルクとガムシロップをぶち込むと、彼女は一気に飲み干した。

 クシャ……

 置いた拍子にとけ残ったクラッシュアイスが崩れ落ち、しめった音を立てる。そのグラスの縁を指先で撫でながら、彼女は皺が刻まれた柔和な顔を見あげてて尋ねた。

「店長……今日、美月さんが帰ってくる事……言ってないん?」

「はい、言ってません」

 即答。老人は柔和な笑みを一ミリたりとて崩さず言ってのける。

 二人の小さな声に店内のざわめきが一瞬だけ止まった。つかの間の沈黙。ざわついていた空気はアイスコーヒーよりも冷え切り、ただ誰かが使っていたノートパソコンがピーッとエラーの悲鳴を上げているのだけが聞こえていた。

 直後、椅子の倒れる音がいくつも響き渡り、彼らの口々から悲鳴にも似た絶叫が発せられる。

「灰皿隠せ!」

「ゴミ袋どこっ!?」

「換気扇回してっ!!」

「ファ○リース持ってこい! ファブ○ース!!」

 蜂の巣を突いたようにフロアは一気に騒然と化す。静かなのはタカミーズがアイスコーヒーを飲んでいるカウンターの極々一部分だけだ。それとて直樹の方は落ち着かないのか、ソワソワとお尻を上げたり下ろしたりを繰り返していた。

「なおが怒られる訳じゃないんだから、落ち着きなよ」

「そうですよ? 直樹ちゃんは大丈夫だから……はい、ガトーショコラとミックスピザのクォーター。おまちどおさま」

 貴美の言葉を受け継ぎ、清華が二人の背後からカウンターに二つのお皿を置いた。

「でも、片付け、大丈夫なん?」

「まあ、換気扇あっちにもあるから」

 貴美が一度だけ背後に視線を向けて呟けば、清華はカウンターとは真逆の方向を指差して言う。

「「あはははは」」

 そして、二人声を合わせて笑うと、直樹はその横でガンッ! と大きな音を立てて額をカウンターに叩きつけた。

「そっちですかっ!?」

「ホコリ、被っちゃヤだもんね」

 抗議の言葉は軽く聞き流し、貴美はフォークに刺したガトーショコラをパクッと丸かぶり。ほろ苦いチョコレートとその上に乗った生クリームの甘さが口の中で絶妙に混じり合い、そのおいしさが口内から胸一杯にまで広がって行くみたい。やっぱり、コンビニやスーパーで売ってる一山いくらのケーキとは比べものにならないおいしさだ。

「三島さん、帰ってきたら怒りますよ? 煙草嫌い、凄いのに……」

 どったんばったんと背後では未だに大掃除が続き、直樹は大きな音がするたびに心配そうに背後へと視線を向ける。お陰で彼のピザは熱量こそ減らすも面積の方は一向に減る気配がない。

 美月の煙草嫌いは喫茶アルトの常連ならば誰もが知っている事。その雷は吸ってる本人だけではなく、回りにも八つ当たりの形でとばっちりを食うのだから、直樹がソワソワするのも頷ける。もっとも、貴美はその辺の要領がいいものだから、いつも自分の方へと回ってくるとばっちりは全て良夜当りに押しつけていた。むしろ、そう言う時の美月はからかうと非常に楽しい。

「大丈夫ですよ、叱られるのは煙草を吸ってたお客さんとお義父様、それに――」

 彼女は一旦言葉を切ると、カウンターの上で余っていたグラスへと手を伸ばした。そこから一口、喉を僅かにしめらせると、彼女は言葉を続ける。

「うちの旦那だから」

「おや、私もですか? 心外ですね、私は吸ってませんよ? 今日は」

 使ったばかりのネルをカウンター隅のシンクで洗いながら、和明は笑みを浮かべた顔を清華へと向けた。そのまま、なんやかんやと二言三言会話を交わすも、貴美達二人の意識はその一つ手前で止まったままだった。

「えっ!? 美月さんのパパ、帰って来てんの?」

「そりゃ、愛する妻が実家に帰って来たんですから、迎えに来てくれるのは当たり前じゃないですか?」

「……ここは清華さんの実家ではありませんけどね」

 ニッコリと微笑んで言う清華に和明は少しだけ呆れながらも的確な突っ込みを返す。しかしと言うかやっぱりというか、貴美も直樹もそんな事どころか、ケーキとピザを食べることも忘れ、体ごとフロアへと振り向いた。

「どこ? どの人?」

 美月の父親ならば年齢は四十代後半からか五十代頭くらいか? と探してみても、今日の喫茶アルトはそのくらいの年齢の客ばかり。どいつもこいつも怪しいっちゃー怪しい。

「……犯罪者を捜すような目で探さなくても……」

 右拳で直樹の頭の固さを確認。後頭部を押さえてうめき苦しんでいる直樹を放置したまま、貴美は清華の顔を見あげた。そして、もう一度尋ねる。

「どの人?」

「えっと……あっ、あそこ。ドアの所で……――」

 僅かな逡巡の後、清華の指がぴたりと止まる。その指先を延長してみれば、今まさにドアを開けて出て行こうとする男性の背中があった。年の頃は予想通り五十少し前、ピシッとしたスーツを上手に着こなしている辺りはまさに和明の息子と言ったところか? その男性は一瞬だけフロアの方へと顔を向けた。彫りが深く精悍な顔、少々生え際が後退しているようだが、いい大人を絵に描いたような男性……と貴美が思ったのもつかの間だった。

 向けた男性の視線と清華の視線がフロア中央部にて見事合体、プイッと音を立てて首ごと視線を逸らすも、それはすでに手遅れ。

「あなた!」

 清華の鋭い声に彼の顔から一気に血の気が引き、男性の背が弾かれたように伸びる。そして彼は遠目からでも判るほどに慌てふためきながら、がちゃがちゃとドアを乱暴に弄くり倒す。

 しかし、それも清華がその背中に近づき、ポンと一叩きするまでに間に合える物ではなかった。

「何逃げようとしてるんですか?」

 ドスの利いた声と冷たい微笑みは美月に胸の話題を持ち出した時とそっくりうり二つ。その顔を明らかに引いた笑みで男性は見つめる。その一種異様な雰囲気に、煙草の後始末をしていた連中の動きも止まって、喫茶アルトのフロアには緊張感みなぎる静寂が舞い降りた。

「……なっ、何って……判ってるだろう?」

「いいえ、私は全然存じていませんけど?」

 なくなった顔色、引ける腰、明らかに何事かに怯えてる様子を貴美はクスッと小さく声を出して笑った。

「娘に叱られんのがそんなに嫌なん? 意外と情けないパパやね?」

「吉田さんだって吉田さんちのお父さんの事、ミソカスに言ってるじゃないですか……うちのお父さんも同じ扱いだし」

「でも、ビビりゃしないよ? 聞き流してるって感じ……それはそれでむかつくんだけど」

 未だにごちゃごちゃと揉めてるところから視線を外し、貴美と直樹は食べかけていたそれぞれの軽食へと意識を戻した。そしてパクリ。残っていたガトーショコラを口の中に放り込むと、貴美はおかわりのケーキを清華に頼むべきか、それとも自分で取ってくるべきか……はたまた、直樹の余らせているピザを奪い取るべきか? ――と考えてたら、彼は冷えたピザを一気にかき込んだ。中々侮りがたい。

「まあ……娘なら良いんですけどね」

 洗い終わったネルを片付けながら和明が呟くと、貴美は「えっ?」と小さな声を上げた。

「ほら……うちにはもう一人、タチの悪い娘が住んでますから……」

 片目を閉じる悪戯な笑みに、貴美と直樹はお互いの顔を見合わせ「あっ!」と合点の声を上げる。

 その瞬間。

「たっだいまかえりました~」

 ドアベルの音が元気良く鳴り響き、ドアが盛大に開く。開いたのは大きな荷物を良夜に持たせた美月だ。まず、彼女は脳天気な声で挨拶をすると、ミリ秒の後に大声を上げた。

「くさっ!? 臭いです! たばこ臭いです!! 誰ですか!? お店の中で煙草を吸ったのは!! お祖父さん!?」

 明るかった顔が一気に曇り、露骨に鼻を押さえると美月は大声で何度も臭い臭いと大声を上げ始めた。しかる後に始まるのは犯人捜し。

 そして彼ら、背後に行政指定のゴミ袋やファブリースや灰皿を隠した連中は一斉に声を上げた。

「あいつ」

 彼ら(実父含む)が右手の人差し指で指しているのは……

 何故か玄関先で頭を押さえてしゃがみ込んでいる男――三島拓哉だった。


「いっ……いきなり刺すか? 普通……」

 そのしゃがむ中年男性の頭を見つめ、良夜が呟いた言葉は残念な事に貴美の耳には届いていなかった。


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